平穏
第18話 ありふれた目覚め
目が覚めて、服を着替えて、ダイニングへと向かう午前八時。
少し寝過ぎたせいか、体が
ダイニングの扉は、引き戸……。
「ふあぁ……」
「あら」
「七海ちゃん! おはよう」
「おはようございます、早苗先生」
洗面所で顔を洗って、何回かうがいをして。
今日の朝食は……なんだっけ。と考えていると、早苗先生がお
「はい、まだ病み上がりなんだから。梅シソのお粥、ね」
「!! 有難うございます。いただきます」
やった、早苗先生の梅シソお粥……! 基本的に体調なんて崩すもんじゃないけれど、これが食べられるなら年に一回ぐらいの頻度で崩してもいいかもしれない。
いや駄目だけど。駄目だけどな? それくらいには美味しいんだよね。
「ゆっくり食べるのよ?」
「……ハイ」
「よく噛んで、食べてね?」
「……っ。善処します」
バレてるなあ、多分すぐ食べ終わっちゃうぞ。でも渡してくれたからとりあえずは信じてくれたかな。諦められたかな。
「今朝の具合はどうかしら?」
「あ。それはもう、すっかり大丈夫です」
お腹も空いてるし、頭が痛いとかもないし。喉とかお腹とかも痛くないし。一つ、あるとすれば。
「あるとすれば、少し寝過ぎで
「そう、それなら良かったわ」
ふっと安心した、というように、早苗先生は笑みを浮かべる。
実感が全くないけれど、僕は風邪と熱中症を併発して臥せっていたらしい。といっても、昨晩意識が浮き上がったときに、言われてそっかあ、と思ったくらい。
……実のところ、記憶がぼんやりしていて、ここ最近の何日かのことをあまり覚えてない。
「元気になってくれて本当に、良かったわ……。二日間目を覚まさなかったときは、もうどうしようかと」
「それは……」
しかも、昨日を含めて三日間も寝ていたらしい。
寝坊助にも程がある、って言ってやりたいけれど、大分危なかったらしい。記憶が
「……心配をかけてすみません」
「いいのよ。こうして元気になってくれたから、ね」
早苗先生が優しく、僕の頭を撫でる。なんだかこの撫でられ方は、久しぶりな感覚。
受け取ったお粥と、引き出しから木製スプーンを取り出して食卓へ着く。先生も洗い物を切り上げて、僕の隣の椅子へ座った。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
ほっかほかの湯気立つお粥。このシソの良い香りが、体調が悪くても食欲を呼び起こしてくれたこと数知れず。小さい時はよく体を壊していたもんな。
掬って一口。
「ほあっっつ!!」
「な、七海ちゃん大丈夫!? ほら、ちゃんとかき混ぜて冷ましてからじゃないと、舌を
「
あー、まじで熱かった……。お茶お茶。出てきたときは久しぶりで嬉しかったけど、お粥は夏に食べるものじゃないな。夏は冷たい食べ物に限る。
でも、本当に
鼻に抜けるシソの香り。梅の酸っぱさと塩気が、出汁のまろやかさにマッチしていて、それこそ丁度良い
もう一口、もう一口、とスプーンが進む進む。
「味付けはどうかしら、……と思ったけれど。聞かなくても分かるわね」
「そう、ですか?」
「ええ。それはもう、美味しそうに食べているもの」
にっこりと微笑ましそうに笑みが返ってくる。また、美味しそうに食べていたってことなんだろう。いや、自分自身の食事風景を見たことがないから確信はないけれど。
「ごちそうさまでした」
ものの数分で食い終わってしまった。たまにしか出てこないからゆっくり食べるべきだったな。って毎回食べ終わった後に思っている気がする。
美味しかった。
「……良かったわ、食欲も戻ってきたみたいね」
「はい。……もうすっかり治りましたって、信じてくださいよ」
「そうね」
そう言った後に、はっと気が付いたように早苗先生は慌てて言い直す。
「いえ、違うのよ? 七海ちゃんの言う事を信じていなかった、ということではないのよ?」
「勿論です。それは分かってますって」
「……本当かしら?」
「本当ですって、信じてくださいー」
分かっているわ、と言いたげにふふっ、と先生が笑い声を漏らす。なんだか浮気男の弁解みたいになってるな。なんでだ。どちらかというと一途なタイプなんだけどな。
食器をキッチンへと持って行って、洗剤とスポンジを手に取る。
「七海ちゃんは今日も、アルバイトはお休みよね?」
「はい、そうですね」
まあ、シフトが入ってて欠勤することを考えたら、休暇貰っておいて良かった。
スポンジを泡立てて、お椀とスプーン、コップを洗っていく。
「でも、今日は出掛けようと思って」
全然外に出ていなかったし、折角の休みを病み上がりだからといって家で過ごすのは勿体ない。
(ずっと寝ていたし、身体を動かしに行きたいなー)
「そう、気をつけていってらっしゃいね?
一度そこで、意味ありげな間が挟まる。顔を上げると、にっこりと笑みを浮かべる早苗先生。
「
朝なのにやけに静かだと思ったら、そういうことか。
「……余裕があったら、顔を出しに行きます」
うわあ、どこの『イツツ杜』だろ。パルクールの練習をしに行こうと思ってたんだけど、場所を考えないといけないな。万が一にでも出会ったら、チビッ子達とのハードモード追いかけっこになりかねない。
(病み上がりの炎天下でそれは辛い……)
家の中だけど、なんとーなく晴れてるんだろうな、っていうカラリとした空気感を肌が感じ取っていた。今日も今日とて暑くなりそうだ。
泡を流して、汚れを落として、洗い物終わりっと。
どうしようかな、どこに行こうか。ちょっと歩いて遠くまで行ってみようかな。
洗面所で歯を磨いて。あ、髪の毛……どうしよう。後ろ髪が跳ねているからワックスつけとくか。髪のセットって毎日どうするか、本当に迷うんだよな。
一回自分の部屋に戻って、いつものお出掛け鞄を持つ。ハンカチも忘れずポケットに入れて、んー、タオルも持ってくか。
ダイニングに戻ると、先生は裁縫セットを広げて、目の前に何本かのズボンを置いていた。また
「帰りは何時頃になりそうかしら?」
「そうですね、……遅くても十八時には帰って来るつもりです」
「分かったわ。あまり遅くならないように、ね?」
「はい」
鞄を肩にかけて腕時計を着ける。うっし、準備オッケー。
「じゃあ、先生」
「七海ちゃん、気をつけてね」
「はい、行ってきます」
「行ってらっしゃいー」
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