第17話 雨の降る路

 魔術講座が終わりってことは、じゃあ。


「では、これからフィールドワークに?」


 『イツツ杜』を実際に訪れてみたり――まあ、案の定扉を見ることは出来なかったけど――、遅くなった日の帰り道は二人で必ずと言っていいほどに出てくる魔物を討伐がてら戦闘訓練したりと色々やってるからな。今日は何をするんだろう。

 と思ったけれど、変化した師匠せんせいの表情からは明らかに違うらしいことが伺えた。


「いや。実は今日……、これから私用があってね」

「え、そうだったんですか?」

「そうだったんだよ。いや、実のところすっかり忘れてて……うん、伝えていなくてごめんよ」


 両手を顔の前で会わせながら眉尻を下げるその表情を見て、つくづく師匠このひとはしっかり者のようで、実は気が抜けているというか。このほんわかゆるゆる性格かつ秘書みたいな人無しで、良くやってこれたなあと思う。


(何はともあれすっかり忘れられた用事、ちゃんと思い出されてヨカッタネ)

「と、いうことで。今日のナナミ君のお仕事はお終い!」

「お終い……」

「うん。お終い。働き詰めも良くないし、ね。今日の午後は自分の為に時間を使っておいで」



  *    *    *    *



 柔らかな笑顔で送り出された外は、少し冷えた空気が漂っていた。


(これからどうしようかなあ)


 片手には、勿体無いから、と丁寧にボックスクッキーが詰められた容器が入った手提。それに加えて、鞄の中を少しだけ覗いてみると。


『はいこれ、お守りだよ。……いや、あの、これね? 昨日さくじつ手に入った花から特別に作製したサシェsachetなんだ。だから、だから――そんな顔しないで受け取ってくれるかな我が弟子!?』


 と、頂いたサシェ・・・ってのがふわっと香る。日本語に訳すと匂い袋、というヤツらしい。優しさのある、やんわりとした甘い香りの中にハーブみたいな独特の青さみたいなのが混じった香りだ。中身が溢れると良くないから開けないように、と言われたので材料が何か気になるところ。


 青天の霹靂へきれき、とまではいかないけれど、ふってわいた自由時間。予想だにしていなかったから、特にすることもなく。夏休みの課題は終わっているから急ぎでやらなければならないこともない。強いて挙げるとしたら受験勉強を――。


(――しなくちゃならないけど、気が起きないなあ)


 御影みかげの逸話やそれに関する師匠アレ隠蔽コレやに、気持ちを持っていかれている。受験を控えた身で、勉強をしないといけないことは分かっている、理解わかってはいるんだけど。

 そういうときに限って、違うものに気を取られてしまうというか、何というか。このままじゃ集中して勉強できないくらいには、魔術学の知識と師匠せんせいとのやり取りとが頭の中の大部分を占めてしまっている。


「……はあ。――ん?」


 なんか、冷たいのが当たったような。

 なんて思ったのも束の間だった。ぽつぽつなんてものではない、夕立みたく目に見えるくらいに雨粒が。


「うっわ!」


 一応バッグは防水加工がしてあるからいいけど、ってまじか!! こんな時に限って折りたたみ傘持ってねえ!

 確か、近くの公園に雨宿りできる四阿あずまやが合った筈。びしょ濡れで変えるのなんてまた心配かけることになるし――とりあえず!!


(走るっきゃねえ!!)


 服に雨が染みて冷たい。けど、走って火照っている身体には心地良い。これは風邪を引かないようにしないとやばいな……。

 急な雨もあってか、公園の遊び場には人影一つない。四阿あずまやは――っと、誰かいるな、背の高い、男性っぽい? いや、近づくにつれて見覚えしかない姿が、はっきりと見える。


ヤナギ、先生?!」

「ん?」


 四阿あずまやの中、振り返る人影。やっぱり、見知った顔だった。


「おお、成瀬ナルセか。偶然だな」


 普段と変わらない声のトーン。ヤナギ京助キョウスケ。現在信用ならない教師ナンバーワンをぶっちぎりで爆走中な人と会うとは。


「ですね」


 雨も降ってくるし、本当にツイてない。

 首を振ると、毛先の雨粒が飛び跳ねる。ベンチに荷物を置いて、ハンカチを取り出す。

 走ったのはいいけれど、結構濡れてしまった。肩とか背中とかがじんわり冷たいし、髪を拭くけどハンカチじゃ全然足りないぐらいにぐっしょり濡れてしまった。空気がちょっと寒いが、大したことはない。


「あー、びちょびちょだ……」

「成瀬」


 視線を向けると、差し出された手には大判のタオルケット。


「……いいんですか?」

「勿論だ。生徒が風邪を引きそうになっているのをみすみす放置できるか。早苗サナエも心配するだろうし」

「そう、ですか。……じゃあ、有難く使わせていただきます」


 そっと受け取りタオルケットを開いて、頭にかぶせる。そういえば、夫婦だったっけか。柳早苗と、柳京助。教師同士の結婚はよくあることなのよね、といつか早苗先生が言っていたっけ。


 ザアザアと、雨が打ち付ける音が響く。


「こんなところで何してたんですか」

「この公園を通ると、家への近道なんだ。成瀬は?」


 ピチョンピチョンと、軒先から水が滴る音が聞こえる。


「バイトからの帰り道ですよ。傘を忘れて、この通りしっかり雨に降られてしまったんで雨宿りです」

「そうか。まあ、降り方を見ても俄雨にわかあめだろう。気長に待つとしよう」


 気長に、か。


「ですね」


 待つのはいいけれど、学校の先生と二人で待つのは間がもたなくて辛い。


(早く雨よ上がってくれ)


 ボタボタと、木の葉から水が音を立てて零れ落ちる。


「止みそうにないですね」

「そうだな」


 ザアザアと、雨が打ち付ける音が響く。


(そういえば)

「……クッキー、食べます?」


 ベンチに置いていた手提袋を掲げて見せる。と、あまり見たことのない、きょとんとした表情が浮かべられた。


「クッキー?」

「はい。ボックスクッキーですけど」


 袋の中から容器を取り出して見せる。透明なプラスチック製の蓋により、中の綺麗に並べられたボックスクッキーが見える。まるで上等な贈答用クッキー、いや多分本当に良いものなんだろうけど。


「何だ、買ってきたのか?」

「いえ、アルバイト先で余ったからって貰ったんですよ。このクッキー」


 パカっと蓋を外して差し出してみる。けど、柳先生は不可解だという顔つきで僕を眺めるだけ。


「クッキー、嫌いですか?」

「いや。盂蘭盆うらぼんの間は休みをもらってるって早苗から聞いていたなと思って」

「……あーっとですね」


 そんな事まで筒抜けとは。早苗先生はお母さんみたいな存在でまあ、なんでも知ってるのが当たり前だけど……。柳先生にそれを共有されてるのは、複雑な気分だ。


「普段の勤め先からは貰ってますよ、休み。これは、臨時のアルバイト先でいただいたんです」

「そうか。あまり、心配を掛けないようにな」

「はい。それはまあ、勿論」


 すっと伸びてきた手が、クッキーを一枚摘まんだ。探偵事務所では敢えて手を付けなかったんだけど、何も入ってなさそうだし。食べようか、どうしようか。

 迷っている間に、向かいのベンチに座った柳先生が、ぱくっと一口ひとくちかじると。


 変な顔を、した。


 不味そうって訳でもないし、美味しかったという表情でもない。ただ怪訝そうに、手元に残った半分のクッキーを見つめていて。


「どうかしましたか?」

「……いや」


 何事もなさそうにぱくっと残りも食べるけれど、その眉根が寄せられた顔は――授業中の静かに怒った先生のソレと同じものだ。


「成瀬」

「はい」

「これを貰った臨時のアルバイト先って、どんなところだ?」

「……どんなところ、と言われましても」


 師匠せんせいが前に言ってた、表向きの説明は何だったっけ。えーっと確か。


「なんていうか、やってるのは郷土史を調べている教授のお手伝いですよ」

「郷土史、か」

「はい。御影市みかげしは計画都市なので、それに興味が湧いて、歴史を調べているとか何とか」


 こんな感じで良いだろう。肩書きを詐称してはいるが、やっている内容としては何一つ間違っていない。クッキー食べようかな。


「へえ、そうなのか。――ところで、成瀬」

「? はい」


 クッキーに手を伸ばしたところで、立ち上がった先生から授業のトーンで呼ばれる。条件反射でどうしても、ぐっと背筋が伸びる。

 柳先生は、一歩こちらに踏み出して、ジッと顔を見てから。


「少し疲れたんじゃないのか?」

(――?!)


 言われた瞬間、くらり、と急に目眩がしたような、そんな違和感がくる。車に酔ってしまったみたいな、平衡感覚がおかしくなっている気分。深く呼吸をして、遠くを見る。


「いえ? そんなことない、ですよ」

「いや、だが――顔色が悪いぞ。雨の中走ったから、冷えたんじゃないのか?」


 今度はつう、と背筋が冷えるような、寒さを急に感じる。鳥肌が立ったみたいで、腕がぞわぞわする。


(これは、おかしい)


 今の今まで、何一つ体調の悪さなんてなかった。雨の中を走ったくらいで身体を急に壊すほど、ヤワじゃない。元気が取り柄、みたいなもんだ。

 じゃあ、何故?


(もしや、これは)

「おい、大丈夫か?」

「……なにを、するんですか」


 寒い、くらくらする。けど、まだ思考は回せる。教えてもらえなかった、魔術についての話。脳裏に蘇るその内容。


「成瀬?」

「だって、


 “魔力とは、変換効率の良いエネルギー源である”、と言っていたのは、他でもない柳先生だ。


「なあ、先生」


 だったら。


「学校敷地外での魔術行使は、例え先生でも、ダメなんじゃ、なかったっけ?」


 会話のフリをして詠唱して、僕の周りの環境のみを魔術で変化させ、症状を誘発させることだって可能じゃないか。


 にぃ、と口角を上げて、視線をぶつける。

 無言の先生はただ見下ろすのみ。


 ザアザアと、雨音が耳の中で木霊こだまする。


「――やはり、か」




「誰の入れ知恵か知らんが、困ったことになったもんだ」




「っ!!」


 ボッという音で、立ち上がり距離をとる。見慣れない赤色が視界に入る。左隣に置いていた、クッキーの入った箱が燃え上がっていた。

 カマをかけたつもりだったけど、当たりだったらしい。


「後始末が面倒だな、こりゃあ」


 はあ、と溜息を吐いて、苛立ったように髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。


(敵は身内にあり、ってか!!)


 意図的な知識の隠匿。それに、さっきの僕に対する魔術行使のやり方。これは逸話についても一枚噛んでると見て違いないだろ。

 じゃなきゃ、ここまで強硬姿勢を取る。くっそ、墓穴を掘ってしまったのは僕が悪い。


(アレで、自分から魔術について知識がありますとひけらかしたようなもんだもんな!)


 ここで捕まったらどうなるかわからない。


 ネタが割れたことで魔術が効力を失って、段々と不調が収まっていく。今なら、いける。


「そりゃお疲れ様――でしたッ!」

「おい! ……ちっ」


 雨の中四阿あずまやを飛び出す。雨が冷たい、服が濡れる、髪が濡れる。けど、そんなことに構ってはいられない。

 あのままじゃ、何をされるか分からない。とりあえずは家に帰って助けを求めな――。


「〈動くな〉!」

「っ!?」


 くそ、魔術拘束か……! 手も足も固まったみたいに動けない。動かない。ただただ雨に打たれて濡れていく。


「あんまり手間取らせないでくれ。そう酷い目に遭わせるわけじゃない」


 悠々とこちらに歩いてくる先生が言う。その言動の不一致さ、滑稽さに薄ら笑いすら浮かんでくる。


「さてどうだか。というか、ついさっき僕にしたこと、もう忘れちゃったんですか?」

「……これだから利口な子は、面倒なんだ」

「それはそれは。嫌味な先生に思考力を鍛えられたお蔭ですね」


 これは嘘じゃない。使えない力を受け入れて、その上で魔術とどう向き合うか。今の僕の向き合い方を形作ったのは、間違いなく柳先生このひとだ。


 雨が、ザアザアと降っている。


 わざわざ僕の顔が見える正面に立って、先生は口を開いた。


「さて、成瀬。〈そろそろ眠たいだろう〉」

「いいえ、全く」


 まただ。強烈な眠気が、急に襲ってくる。やっぱり言葉に乗せて、魔術を、行使している。


「〈眠たい、だろう〉?」

「眠たくなんか、ない、……ですよ」


 意識が、朦朧とする。下唇を噛む。駄目だ、負ける。いや。眠ったらどうなるか、分からない。


「〈眠れ〉」

「嫌、だ」


 雨が降っている。


「〈眠れ〉」

「い、やだ」


 ふらつく体を、が支える。


「……〈眠れ〉」

「い……?」


 誰か、ってだれだろう。

 何を、していたんだっけ。


「成瀬、七海」


 だれと、はなしているんだっけ。




「〈おやすみ〉」





 なにを、したかったんだっけ――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る