第15話 眠れない夜
今までにも、沢山居た。
『魔術を使ってみたくはないかい?』
『君は他とは違うんだ』
『アナタだけが、特別なのよ。だからこうして――』
身体の中でエコーするように聞こえる、今でも思い出せる。味方のフリして、よからぬことを企む
でも結局、
『簡単に騙されちゃってさ』
『違うさ。使えないもんね、君』
『ああ、アナタは特別に出来損ないだものね』
誰も彼もが僕を
『我が弟子』
だけど、
『ナナミ君?』
(――身を以て、知ってるだろ)
『ナナミ君』
(……信頼なんてのは、容易く裏切られるものだって)
地獄への道は、見せかけの善意で舗装された一本道だ。気が付いた時にはもう遅い、なんてのは当たり前で、何度も
「はぁ……」
窓の外、薄い雲の切れ目から紅い月明かりが見える。時間はもう、十時か。明日も
とは思うものの、目が冴えて当分眠れそうにない。もう少しやるべきことを片付けるか。
「……ん?」
聞こえる、コンコン、と控えめなノック音。夜更けだし、早苗先生か? 一つ伸びをして立ち上がって、音を立てないように扉を開くと。
「!」
「や、
「……
自分の事ながら、驚愕が小声ながら滲んでいた。まさか
「どうした?」
「光が漏れてたの、見えたから。眠れないのかなって」
笑いながら、両手に持ったマグカップの内一つを差し出される。これは……ホットミルクか。わざわざ作ってくれたんだろう。慎重に、受け取る。
「ありがと。入りなよ」
「それじゃあ、お邪魔する」
部屋の灯りは、組み立て型机の上、白色灯デスクライトだけにしてたんだけどな。ホットミルクを零さないようにしつつ、部屋の隅から座布団をもう一つ、机を挟んで並べる。
「どぞ」
「ありがと」
あー、作業中だったから机いっぱいに紙やらノートやら……散らかってるから片付けないと。とりあえず寄せて、空いたスペースにマグカップを置く。紙を集めていると、その内一枚取って絢香が内容を見た。
「何……『魔術陣の使い方について』? 魔術学の復習?」
「ああ。夏休みもそろそろ終わるし、僕には必要なことだから」
持っていた紙も受け取って書類を纏め、机の下に置く。
まあ、復習ついでに
「ほんと、アンタのそーゆーとこは尊敬するわ」
「そりゃドーモ」
「本心だよ?」
「わーってる」
マグカップ手に取って、傾けた。ホットミルクは熱すぎない温かさで、ちょっと甘くて、なんだかリラックスするような味だ。ちょっと、心が軽くなる感じがする。
「蜂蜜入り?」
「そだよ。よくわかったねー」
「まーな」
砂糖の甘さと蜂蜜の甘さはなんだかちょっと違うんだよな。ま、砂糖じゃなくて蜂蜜を入れてるのは、僕好みで良いセンスしてるわ。流石幼馴染。
ゆっくり味わっていると、じいっと向けられた視線がこそばゆい。
「ん、なんだよ?」
「……なんか、悩んでる?」
心配そうにじっと、目を合わせられる。伺うような目。昼間のあの言葉がフラッシュバックして、思わず目を逸らし窓の外を見た。
いや、気まずかったのもある。長い付き合いで気心が知れてるのはいいけど、その分知られたくないとこもお見通しで。加えてずばずば口に出すから良くない。
「……別に」
「あ、図星ね」
「んなわけ」
ちらり、と少し視線を戻す。当たり、とでも言いたげな悪戯っぽい笑みを浮かべてから、絢香はホットミルクを飲んだ。
「七海は悩むと眠れなくなる。でしょ?」
確かに、何回かこうして夜更けに絢香が訪れてきたことがあったな。んで大体お悩み相談会……してたわ……。
「……うっさい」
「はいはい。んで、何に悩んでんの」
心底どうでもよさそうに聞くなよ。まあ、これが彼女なりの気遣いだってのは、分かってる。
「悩んでるってほどのことじゃない」
窓の外、月明かりを見る。そうだ。悩んでいる訳じゃない。
あの手記を読んだことで、気が付いた事実があるというだけで。
「……ただ」
「ただ?」
『
思って、いた。
「人を信じるってのは、難しいなと思っただけ」
でも、手記を読んだ今。店主には悪いけれど……少し揺らいでいる。
よくよく考えてみれば、僕は
(掛け値なしで、信頼することができない自分がいるだけだ)
「……何それ」
ふふっと笑みを零す音が聞こえる。黙ってホットミルクを飲んだ。
「アンタって……修行僧だったっけ?」
思わずホットミルクを吹きそうになった。うん、こーゆーところが
「……喧嘩売ってるんだな? いいぞ表に出ようか」
「冗談に決まってるでしょーが」
「こっちの
「あっそーですか」
「あっそーですよ」
それきり、絢香は静かになって。
ごおおお、と扇風機が回る音と、遠くで蝉の鳴いている声が聞こえる。
心地いい沈黙が続いて。
次に口を開いたのは絢香。
「まあ、さ」
「何」
「信じられるものを信じればいいと思うよ?」
信じられるものを、信じる、か。
信じたいものじゃなくて、信じられるものを信じるってのは良いかもしれない。
「ま、言うのは簡単なんだよな」
「とか何とか言いつつ、勝手に信じちゃうのが七海でしょ」
「……どういう意味さ、それ」
「……なんていうかな。ただ信じるっていうより、信念に従って信頼を寄せる、みたいな?」
「なんじゃそら」
本人も言っててよく分からないって顔してるな。聞いてても全然分からないけれど。
「……大丈夫、例え何があっても」
声色の変化に視線を向けると、そこにはちょっと普段と違った――なんというか、決意に溢れた笑顔がそこにはあった。
「私はアンタの味方だからさ」
ね、という何故か有無を言わせないぞという顔に、自然と笑みが溢れる。
何だかんだ言いながら、結局は幼馴染で大切な家族な絢香が、一番の理解者には違いない。
「……イケメンだな」
「そりゃあもう」
にいっとした僕みたいな笑い方をして、自慢げで加えてご満悦だ。
「愛しの
「
ココで
「でも、まあ」
ごくり、と最後の一滴までホットミルクを飲み干す。ほんのりとした蜂蜜の甘さが口の中に残った。
「お蔭さまでよく眠れそうだ」
「そりゃ良かった」
非常に不服ではあるが、悩みっぽいものがあると眠れなくなるのは本当らしい。ホットミルクを飲んだってのもあって、不思議と目が冴えることなく良い感じに眠くなってきたし。
あー、
「それじゃ、私は部屋に戻って寝るよ」
立ち上がった絢香に合わせて、立ち上がる。蜂蜜入りだったし、流石に歯磨きしてから寝ないと……。
「ホットミルク、ご馳走さん」
「どーいたしまして」
「片付けとくよ」
「さんきゅー。じゃ、おやすみー」
「おやすみ……ふぁ」
マグカップを両手に、
心は、決まった。
「ありがとな、絢香」
部屋を出る後ろ姿に言っても、返事はない。ま、調子に乗らないように小声で言ったからだけどさ――。
* * * *
あの手記を書いた誰かは、御影と思われる街に対して迷い込んだと称した。
僕の
共通しているのは、逸話の調査をしていること。
明らかに違うのは、偶発的か計画的か。
普通に見えて異常。逸話の存在意義。魔術学で習った知識の穴。作為的で杜撰な手記の妨害。
事象が発生するのには理由がある。それが何かは分からないけれど……
(信じられるものを、信じる)
あの手記の筆者も、
多言語力と。魔術の腕と。
信頼を含んだあの――僕を呼ぶ声は信じられると思った。
(
「……ん」
冷えた風が通り抜けて、髪型が乱れる。今日は天気が下り坂だと
時折雲が、陽射しを陰らせる。帰るまでに雨が降らないといいんだけど。
インターホンを押すと、聞き慣れたベルの音が聞こえる。
「ナナミ君かな?」
扉を開きながら聞こえた言葉。目が合うと、ふっとその青い瞳が、表情が綻ぶ。
「はい、おはようございます。
「
優雅に亜麻色の長髪を揺らしながら、中へと誘致をする。靴を脱ぐことなく入って中で、ふわふわと浮遊する魔力の玉。ゆったりと明滅をしている。
「今日はね、アールグレイを淹れてみたんだ」
「いつも有難うございます」
「うん。自信作だから、よーく味わっておくれよ」
「勿論!」
いつもの応接間に、昨日と同じように向かい合って座る。ローテーブルの上には、昨日とは別の絵柄のティーセットが置かれていた。お茶請けはボックスクッキーで、毎度ながら好待遇過ぎるな……。
「じゃ、味見をしてもらえるかな?」
ティーポットから注がれるアールグレイの良い香り。頷きで返して、差し出されたティーカップを手に取る。
「頂きます」
カップを近づけると、柑橘類の爽やかな香りが強くなる。縁に口付け、一口。
「……美味しい」
昨日のダージリンとはまた違った味付けで、まろやかっていうか、苦味が少ない感じだ。柑橘系の香りが鼻にスッと通って……僕はこっちの方が好きかな。
「ふふふ、今までの中でこれが一番ナナミ君の反応がいいね」
「どういうことですかソレ……」
「美味しそうに飲む度合い、かな」
真意の見えない笑みを浮かべる
「そーですかー」
本題に入ろう。肩掛け鞄の中からファイルを取り出して、
「これは……」
「
「有難う。早速見てみるよ」
受け取ると、ファイルから紙の束が取り出された。小学校から高校の今に至るまでの魔術学の内容をまとめていたら、紙が七枚分になってしまった。改めて、沢山のことを学んでたんだなと思わされる。
「あの、
「なんだい?」
書類から視線を上げた
「……よろしく、お願いします」
「
一拍おいて、花が咲くように笑った
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