第07話 イツツ杜の扉

 確かに、言われてみれば。


「あー……アレか。噂話みたいなもんじゃないか? 逸話って程じゃない気がするけど」

「えー、そっかな?」


 ちょっと嬉しそうに返す絢香。師匠せんせいが興味津々だからって……もう、僕と師匠せんせいへの対応が違いすぎないか?


「その話、詳しく聞かせくれるかい? アヤカちゃん」

「はい、勿論!」


 雇い主が親友をちゃん付けで呼び、何も感じずに親友が溌剌はつらつと快諾する。そのやり取りを複雑な思いで聞き流した。まったく。


(十分前の自分自身を殴ってやりたい……)


 僕は、ただ美味しい珈琲を飲もうと思っただけなのにな。と、悔やんでも仕方ないので、せめてもの慰めにアイスカフェラテを無言で啜った。美味い。


(それにしても、『イツツもりの扉』ねぇ)


 ストローをくるりと回すと、グラスの中で氷がカラリと音を立てる。涼しい空気とアイスカフェラテで、火照っていた身体はすっかり冷えてきていた。


教授せんせいは、御影市には緑地公園があるのを知ってます?」


 そう切り出した絢香に、師匠せんせいは顎に手をやり思案する。


「緑地公園、か……。あ、ナナミ君。もしやして御影タワーから見えた、森のようなところだったりするかい?」

「ああ、はい。まさにそれですよ、師匠せんせい


 展望台から見えただろう、計画都市らしい配置になっている森が、通称『イツツ杜』と呼ばれる緑地公園だ。

 御影タワーを中心にして存在する同心円の環状道路。それに面して等間隔に造られた緑地公園があり、その数は、丁度五つ。


「森みたいですよね? でも、緑地公園なんです。それで、数が丁度五つあるから、『イツツもり』って呼ばれてるんです」


 その『イツツ杜』に纏わる扉の話が、『イツツ杜の扉』という名の――逸話、だ。

 世間一般の中では広く浸透していないものの、御影で育ち成長した大人や、小学生から大学生まで、多くの学生の間では一度くらいは話題に上るもの。


「成る程ね……。それで、『イツツ杜の扉』というのは、どういうお話なんだい?」


 あやふやな存在にも関わらず、『イツツ杜の扉』の話が根強く残っている理由は、新たな目撃証言が定期的に噂となって学校を出回るから。

 先を急かす師匠せんせいに、絢香は悪戯っぽく笑って告げた。


「それはですね、『イツツ杜には、異界に繋がる扉がある』、というものなのです」


 それに、少し目を見開いてから師匠せんせいは苦笑いを見せて返す。


「……聞き捨てならないなぁ、それは」


 目に映る、師匠せんせいの魔力の流れが変化する。視線がいつもよりも鋭く、そして纏っている空気が違う。


「全く、扉と言うものは本当に良くない。何処に繋がってるかにもよるけどね」

「そうなんですか?」


 僕が問うと、はっと気がついたように魔力が、空気感が元に戻った。何もかもを包み隠すように柔かく微笑んで、師匠せんせいは視線を寄越す。


「これは私独自の見解だからね、また今度話すとしよう。話を切ってごめんよ、続きをお願い」

「はいっ」


 どうやら、まだ話すべきことではないらしい。有無を言わせぬ雰囲気だった。僕がまた黙ってカフェラテを味わうと、師匠せんせいの視線を受けた絢香が話し始める。


「……事の発端は、ある一人の少年の話だと言われているんです」


 少し疲れたし、二人で喋る必要もない。説明役は全て絢香に任せることにしよう、頼んだ。


「『イツツ杜』は、大まかに子ども達が遊ぶ公園の部分と木が生い茂る森の部分に分けられるんですが……その森の部分で『光り輝く扉を見た』と学校の友達に言ったらしいんです」

「ほう」


 僕や絢香も幼い頃は『イツツ杜』でよく遊んだものだった。鉄棒、砂場、大きな滑り台があって、他にも雲梯うんていやブランコ、シーソーとか一通りの遊び道具は揃っていたな。


「勿論、確かめに行っても森の中に扉があるはずもありません」


 今では懐かしい思い出だ。最近もよく走る練習とか障害物を避ける練習の為にイツツ杜に行っているから、今となっても馴染み深い所、なんだが。


「だけど、今度は違う子がまた、『イツツ杜の中に、ポツンと扉があった』と証言をしたのです」

(あー……、これは、駄目だ)


 スローテンポなジャズ、囁くような騒めきと丁度いい照明の薄暗さが、睡魔となって襲ってくる。今にも瞼が落ちてしまいそう……!


「それが断続的に続いている、と言ったところかな?」


 これは駄目だ。眠気覚ましにならないか、と残りのカフェラテを飲み干すが、瞼が、言うことを、聞かない。


「はいっ、そういうことです! 流石さすが教授せんせいですねっ」

(……少しだけ、休憩するだけ)


 肩肘を付いて、目元を手で覆う。途端に音が遠くなって、意識が薄れてく。


「そんなに尊敬されるようなものじゃないんだけどね……ってあれ?」

(少し、だけ……)

「――ナナミ、君?」



  *    *    *    *



(――……ん)


 かちゃ、と何か硬いものがぶつかる音がする。生活の音。誰かが居る音。

 寝返りを打つ。慣れない、それでいて嫌いじゃない花の香りが、鼻腔をくすぐる。


(あたたかい……)


 揺り籠の中のような、安心感。このまま、ずっと、眠っていたい――。


「……っ?!」


 勢いよく半身を起こした。薄暗い部屋の中、見慣れぬベッドの上に居る。何故だ、どうして。最後の記憶は何だった?


師匠せんせいを御影タワーに案内して、『珈琲ブラック&アンド砂糖シュガー』で休憩して……)


 それから。


(それから?)


 それからの記憶が、無い。

 微睡まどろみから急速に目が醒める。冷や汗が背筋を伝うのを感じた。周りを見渡すと、呑気にふわふわと魔力が漂って発光している。


 また、カチャカチャ、と音がする。食器のぶつかる音だと今度ははっきり聞き取った。


 本格的にベッドから降りようと、掛けられていた薄い布団を綺麗に畳んで避ける。床を見ると、きっちりと揃えられた僕の靴が目に入った。

 西洋風の造りの家など、一つしか知らない。


(迷惑を、かけてしまった……)


 靴を履いて、さっと靴紐を結び直すと、生活音が聞こえる方へと歩いた。部屋を出て、廊下を通って、音の鳴る方へ。


「……おや、起きたみたいだね」


 そこはキッチンだった。白い明かりが眩しく感じる。背中で結われたままの長い亜麻色の髪が揺れ、振り返るようにして青い双眸そうぼうがこちらに向けられる。その片手には硝子ガラスのティーポット、反対の手にはティーカップ。


「おはよう、ナナミ君。……丁度今、起こそうかなと思っていたところだったんだよ」

「……おはようございます、師匠せんせい


 どうやら聞いていた音は、紅茶を淹れていた音だったらしい。甘い穏やかな花の香りがキッチンに漂っていた。


「あの後は……」

「『珈琲ブラック&アンド砂糖シュガー』で、君が寝た後のことかい? ……無断で悪いけれど、私が運ばせてもらったよ」

「迷惑をお掛けして申し訳ありません……」


 片手でこめかみを抑える。アルバイト初日にこんな失態を仕出かすとは。この恩を忘れずに、より一層仕事をしていかなければならないな。

 そんな考えを巡らせていると、師匠せんせいがにっこりとした顔を見せて続きを告げる。


「お姫様抱っこで」

「……ソウデスカ」


 駄目だ、恩を忘れて白い目で見てしまった。何故その情報を握り潰さなかったのか。今度はふふっと笑うと、師匠せんせいは一つティーカップを差し出す。


「そんな顔しないで、はい。カモミールティーだよ」

「有難うございます、頂きます」


 落とさないように気をつけながら、ティーカップを受け取る。先程から香っていたのは、カモミールだったらしい。

 漂う甘い香りを楽しみながら、一口、口に含んで味わう。


「……美味おいしい」

「それは良かった。カモミールティーは、何だかほっとする味がして好きなんだ」


 そう言うと、師匠せんせいがカップに口を付けた。味わうように嚥下するのでさえ、様になっている。最早何とも思わない。

 もう一口、カモミールティーを味わったところで、ふと気がつく。

 

「……ところで、僕は何時間くらい寝ていたんでしょう?」


 至極普通の疑問を、口にした。すると、師匠せんせいが気まずそうに視線を逸らす。これはなんとなく嫌な予感がする。


師匠せんせい、今何時ですか。正直に答えてください」


 じーっと見詰めると、ちらりと視線だけを投げられる。そして、ようやく開かれた口から溢れた言葉は。


「……午後七時半すぎ、かな」

「へ!?」


 思わずティーカップを落としそうになった。幸いにして落とさなかったし、中身も溢れなかった、危ない危ない。てか、そんな時間なら帰らないと色々とまずい。


「……長い間休んでしまってすみません。紅茶を飲み終えたら、失礼しますね」

「そうだね。一応、アヤカちゃんには遅くなるかもしれないと伝えてはおいたよ」

「有難うございます」


 流石さすが師匠せんせいだ、抜かりはない。その手際の良さはとても有難いが、それよりも何よりも。


(いやいや、寝すぎだろ……)


 『珈琲ブラック&アンド砂糖シュガー』に訪れたのが大体午後三時半くらいだったから、単純計算で四時間ほど眠りこけていたことになる。

 少し歩いただけでそれ程までに疲れるとは思えない。そこまで貧弱ではない、はず。


「いやー、ごめんよ。……これは、私の所為せいなんだ」

「? ……どういうことですか?」


 唐突に謝罪をする師匠せんせい

 不思議な顔をしているのを見て、ティーカップを近くのテーブルに置いてから師匠せんせいは説明を始めた。


「これは、ナナミ君の身体が魔力に適応したことへの反動reactionだよ」

「リアクション……反動、ですか」

「そう」


 そこで、師匠せんせいは手頃な鈍色に輝くスプーンを一つ手に取った。弄ぶようにして扱う。


「魔力とは縁のない生活を十年以上もの長い間、送ってきていたナナミ君の身体にとって、魔力に適応したというのはとても重大なだったんだ」


 こんな感じにね。

 と言いながら、師匠はスプーン曲げよろしくグニャリとスプーンを折り曲げてみせる。無残にもぽっきりと首元で反対方向に曲げられている。


「本来あるべき形と認識しているものとは、別の形に変化してしまったようなものだ」

「……つまり、したからこそ、気がつかない内に身体に変調をきたした、と」

「そう。大きな変化ほど反動reactionも大きい」


 スプーンを摘むと、元に戻すように師匠せんせいはまたぐにゃり、と捻じ曲げた。そして、形状の戻ったスプーンをこちらに見せる。


「だから、本来あるべき形にへと整えるために、君の身体は長い休養を欲したという訳さ」

「……一理いちりありますね」


 成る程、そういう絡繰からくりなら頷ける。まあ、それだけじゃなくて、夏のバテや日頃の疲れもあってのことだろう。


「この件は私に責任がある。変調に気が付かなくて、本当にごめんよ」

「いえ、お蔭様で休息が取れて今とても気分が良いんで。……そんな、気に病まないでください」


 本当に先程から体の調子というか、気分が良いのは違いない。今まで溜まっていた疲れが、ぐっすりと寝たことでだいぶ抜けたようだった。


「我が弟子は気が利くねぇ」


 微笑む師匠せんせいに、にっと笑って返す。残っていたカモミールティーを一息に飲み干すと、甘い香りが鼻を通り抜けた。


「ご馳走さまでした」

「はい。あ、ティーカップはテーブルに置いてくれるかな。君の荷物を取ってくるよ」

「あ、有難うございます」


 キッチンを後にする師匠せんせいを見送る。先程師匠せんせいが置いたティーカップの隣に、自分の持っていたティーカップを並べた。

 人の目がない間に、ここぞとばかりに部屋を見渡す。キッチンのシンク、コンロ、戸棚、食器棚、テーブル、椅子。そうして見ている内にただ漠然と感じた。


(生活感が、無い?)


 何となく、それらの家具や調度品は存在してはいるものの、使ように思えた。何故、だろう?


「お待たせ。はいこれ、君の荷物だよ」


 そこで丁度、師匠せんせいが戻ってきた。


「有難うございます」


 斜めがけの鞄を受け取る。買ったダガーも無事なようだ。キッチンから廊下へ出て、玄関口の方へ歩く師匠せんせいに付いていく。


「心配だし、家の近くまで送るよ」

「え、大丈夫ですよ。一人で帰れます」

「だーめ。付いてくよ」


 流石に子どもじゃあるまいし。そう思ったが、師匠せんせいは頑なに譲るつもりはないようで。ガチャリ、と音を立てて探偵事務所から外へと出ると、そのまま玄関の鍵を閉めてしまった。


「……では、お願いします」


 諦め混じりに苦笑すると、師匠せんせいはふわっと笑みを浮かべた。


「ああ。それじゃあ――」


 しかし、それも束の間だった。


「――急ごうか」


 声色が変わったのを聞き取る。何かを見て、師匠せんせいは明らかに、その朗らかな笑みから余裕が無くなった。


師匠せんせい?」

「……ほら、ご覧」


 そう言って視線を向けた先にあったのは、半分のお月様。その纏う色に、目が釘付けになる。


「月が、紅いからね」

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