第02話 魔術学の落ちこぼれ
僕の目が丸くなる。と、同時に、膝に置いていた両手にぎゅっと力が入った。
「……何故、そう思ったんですか?」
シエルさんの問いに、僕は問いで返してしまった。
「その返答は、君が魔術を行使することが出来ない。……そう受け取ってしまってもいいという事かな」
探偵らしく問い詰めるように、シエルさんがそう告げた。改めて真っ向からそう言われると、心がずぶりと重苦しく暗い感情に沈んでいく。自分の顔がだんだんとこわばっているのを感じた。
それでも尚変わらずまっすぐと注がれる視線。なんだか気まずくて、僕は氷の入ったアイスティーへと目線を落とす。
「はい。……僕は、生まれつき魔力を扱うことができない体質です」
「やっぱり、そうなんだね」
ある程度、僕の返答には予測が立っていたみたいだった。何となく居たたまれない気分になって、そのまま視線の先のグラスを手に取る。
「アイスティー、頂きます」
「はい、どうぞ」
グラスに口を付けぐいっと傾けると、口から鼻のあたりにかけてアイスティーの良い香りが広がった。ごくり、と嚥下すると、段々喉の乾きが潤されていく。
アイスティーの香りと冷たさに先程のどんよりとした気持ちが少し抑えられたところで、シエルさんが切り出した。
「ところで、その体質についてなんだけれど。……話を聞かせてもらってもいいかい?」
「はい。まあ、ここらじゃ有名ですよ、『魔術学の落ちこぼれ』の噂話は」
「聞いたことがないなぁ……此処には越してきたばかりだからかな?」
首を傾げるシエルさんを眺めながら、僕の脳裏によぎるのは噂の内容。
個人名とか、僕自身を名指しするわけではないが、そういった内容の噂話が何故かこの
「魔力管に異常はなく、反魔力術式の刻印が
持ったままのアイスティーのグラスを、コースターの上に戻す。からん、と氷が鳴る。
「その噂の当人。それが僕ってだけのことです」
「……そう、なのかい」
「そんな顔しないでください、シエルさん」
目の前の端正な顔には、同情と、悲しみのような色が滲む。何度も何度も向けられた、学校の先生や、近くに居る大人と同じ顔だった。
もう、この体質をなんと言われようがどうとも思わない。慣れてしまったことが、擦れていると言われればそうなのかもと思うくらいには。
「……ごめんね、言いにくいことを言わせてしまった。話を変えよう」
今度はシエルさんが、アイスティーを手に取り、口をつけて、ごくりと飲むと、コースターへとグラスを戻す。思わず見惚れるくらいに、綺麗な所作だ。
「さて。先程のナナミ君の質問についてだけれど……、ナナミ君?」
「……あ、すみません。どうぞ」
不躾なくらいに見詰めてしまった。良くない良くない。くすっと笑みを浮かべてから、シエルさんは続ける。
「
僕は首を少し傾げた。独特の言い回しに、何か引っかかるような感覚。
「探偵だから、ではないんですか?」
「いいや、
「えっ!?」
まさか、探偵事務所を構えているのに自称!? これは最早探偵という肩書きすら、胡散臭いとしか言いようがない。それでも魔術師の称号を得ているのだから、一定数の稼ぎはあるってことなのか。
「魔術師でありながら趣味で探偵
シエルさんは、花が舞うようにへらっと笑いながら自慢する。
魔術師の称号を与えられた者の中には、ある程度名を馳せるようになると、その魔術師自身にちなんだ二つ名を与えられることがあると先生が言っていた。『火炎の魔術師』や、『雷光の魔術師』みたいな。シエルさんの場合は『月花の魔術師』ということらしいけれど、それよりも。
「……それ、自慢することじゃないのでは?」
「話が
話を断つように半ば強引にそう言うと、シエルさんが真面目な顔つきに戻った。何となく、居住まいを正す。
「
人差し指を立てながら、シエルさんは自ら再度問いを提示をする。
探偵だからと言わなかった。つまり、僕の服装や仕草から推理した訳ではなく、別の、魔術師だということに由来する理由があるということ。固唾を呑んで続きを待つ。と、彼は両手を使って長いその指で両方の目元を
「私の瞳は、他の人よりも少しだけ魔術に敏感なんだ。そして、君を真正面からしっかりと見詰めたときに判った」
そこで一区切りしてから、シエルさんは続ける。
「ナナミ君の身体には、物凄ーく巧妙に隠された魔封じの術が施されているということに」
「……魔封じ、って……魔術学で習う、
「そう、それだよ」
高位魔術の一つ、魔封じの術。世の中における神秘なるモノは全て、魔力を帯びている。神秘には魔力が付随し、魔力には神秘が付き物で、それは人間ですらも纏っているもの。それらから魔力を除く――つまり、封じるということが魔封じと呼ばれる。魔力がなければ、神秘も無きものとなることから、魔封じを掛けられるということは、魔術師たる資格を剥奪するのと同義だ。
そんな術が、僕に。
「でも、何故今まで判らなかったんですかね? 何度も大掛かりな検査をしたこともあるし、魔術師に診てもらったことだってあるのに……」
「言っただろう? 私の目は魔術に敏感なんだ、って。君に刻まれた魔封じの術は
僕がよく頼っている反魔力術式は、魔力の繋がりを絶つ術だけど、確か魔封じの術式は魔力の性質を半永久的に打ち消す術だった筈だ。その根底の概念の違いは、よく魔術学で問われてたっけか。
だからこそ、傍目には見つけられなかったという可能性はある。
「確かに、僕は神秘の何たるかがずっと理解できなかった……。シエルさんの言う通りであれば、それは魔封じの効力の所為という事になりますね」
疑問は残るが、シエルさんのその説明には一理はあると感じられる。
「その口ぶりだと、信じてもらえていないようだね。まぁ、いきなり自称・探偵の
「や、あの、七割がた信じてるんで! そんなに落ち込まないでください」
見るからにしょんぼりとしたシエルさん。なんというか、相手が
「七割、かぁ。それじゃあ、残りの信頼を勝ち取る為にも、ナナミ君の魔封じの術を解くことにしよう!」
「解けるのですか!?」
勢いよく立ち上がってしまう。僕自身でも驚くくらいの食いつきように、シエルさんは初めて驚きの表情を浮かべていて。
「すみません、驚かせてしまって……」
「いや、……本来なら容易に想像できることだよ。君がその体質に困らされていることなんて、今までの会話でよく理解していたつもりだったんだけどなぁ」
私もまだまだだね。そう申し訳なさそうに言うシエルさん。立ったままというのも居心地が悪く、僕は元々座っていたようにソファに座りなおした。
シエルさんが僕と視線を合わせて口を開く。
「さて、魔封じの術をについてなんだけれど。……一息に全ての魔封じの術を解く、というのは難しいんだ」
「……知りませんでした」
「うん。魔術学で習う事はまず無い分野の話だからね、知らないのも当然だよ」
そう言いながら、グラスを手に取る。そして一息吐くかのように、シエルさんはアイスティーを
「基本的に、魔封じの術は解くことを想定されていない魔術だからね。だって、そうだろう? 解くなんてことは、考える必要がない」
言われてみれば、その通りだ。
「……では、どうして――」
「おっと、その先は
唇に人差し指を当てて、遮るようにシエルさんはそう言う。にこりとした笑みは優しげながらも有無を言わせないその雰囲気に、僕は口を閉じた。
「解くとしたら、一部分ずつ、少しずつ
目。人間は、外部からの情報の八割を視界から得ていると聞いたことがある。
魔封じの術が掛けられているから、僕の見ている世界には神秘も魔力も何一つ感じられないのか。術が少しでも
「
「さあ。それは現段階では何とも言えない、かな。どうする? 試してみるかい?」
シエルさんは、ただ微笑んで見ていた。無理強いをするつもりはないらしく、どうするかは僕に委ねている。
いつだって、決断するのは自分だ。何か変化するかも分からない。もしかしたら、何も変化することは無いのかもしれない。
なら。
「――お願いします」
真っすぐと眼を見て、言った。
その即決ぶりに驚いたらしい。おや、とシエルさんは意外そうな顔を見せる。
「そんな早くに決断してしまっていいのかい? 私が嘘を吐いている可能性もあるんだよ?」
「確かにそうですね」
「うわぁ……、肯定されると地味に傷ついちゃうなぁ」
間髪入れずに返答したのに対して、自分で言ったことなのにしょげるシエルさん。でも一つ言ってやりたい、その謎の
それは置いておいて。まあ、なにも僕だって考えなしに頷いた訳じゃない。少し口角を上げて笑みを浮かべてから、口を開く。
「以前、魔道具屋の『
「え?」
シエルさんが、きょとん、とした顔になった。よく分かっていないみたいだけれど、そりゃあそうか。
「あー、行ったとも。それが、どうかしたのかい?」
鞄の中にある、折りたたまれた胡散臭いチラシ。貰っておいてよかった。店主に今度、お礼を言わなくちゃな。
「あのお店の店主さんは、何かと僕を気にしてくれる方なんです。そんな店主さんが此処のアルバイトを紹介してくれたんです」
「……そういう、ことか」
シエルさんは探偵らしく、先読みして話の意図を理解したみたいだった。それでも、僕は最後までちゃんと自分の口で伝えたい。
「店主さんが信用した貴方を、僕は信じることにしたんです」
にっと笑う。可能性があるなら、それを信じてみたいと思う。
「……成程ね。では
シエルさんが席を立つと、長い髪がふわりと揺れる。間に在ったローテーブルを丁寧に退かすと、目の前に立った。見上げる形でシエルさんの顔を見る。座っているからか、余計に背が高く見えるな。
「目を瞑って。触れるけどいいかい?」
「……はい」
瞼を下ろすと、シエルさんの大きな掌で僕の両目が覆れた。暗闇の中で感じる、ひんやりとした冷たい手。自然と聴覚を研ぎ澄ましたところで、低い声が響いた。
「空に月と満点の星を。地に咲き乱れる花々を」
言葉が、映像を脳裏に浮かばせる。それは綺麗で、どこか切なくて、美しい。
「この世は美しいもので溢れている――故に輝き、光る瞳となる」
聞こえてくる調べは、詠唱というよりは誰かに語り掛けているみたいだった。
「偽りを捨てよ。その
その瞬間に瞼の裏側、ありもしない光を僕は見た。パキリ、と何かが砕け散る音を感じたような気がした。
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