第22話 創作の夏


 忙しなく騒ぎ立てるミンミンオーケストラが、夏休み中ずっと新作の原稿を書き続けている俺の身体を労ってくれない。


 パソコンで時刻を確認すると、午前八時と表示されていた。昨日から一睡もしてないせいか、頭がぼんやりしてきた。一度顔でも洗って何か食べたほうがいいかもしれない。

 新作の執筆は起承転結でいう“転”に入ったところで、書いていて一番楽しいときだった。


 イケメンサイドカーとの邂逅から既に一ヶ月。あの後SNSのダイレクトメッセージを介して彼とやりとりをして、勝負の舞台となる新人賞を決めた。業界内でも三つ目くらいに大きなライトノベルの賞で、既に応募を受け付けている。最終的な締め切りまでは大体あと一ヶ月半というところだ。第一稿の完成までに多めに見積もってあと一週間、推敲にかける時間を一ヶ月と考えると、なかなか良いタイムスケジュールにも思える。


 新人賞の過去のデータベースを見てみると、一度に集まる作品数が一四〇〇程度、一次選考に残る作品が、大体そのうちの10%、二次選考ではさらにその数が三分の一にされてしまう。受賞する作品は大体五作品。その確率はなんと0.35%。数字だけで見ると驚異的だな……。


 わかってはいたことだけど、狭き門だ。自分で物語を考えて、それでお金をもらおうというのだから、こんなに楽しい仕事ってない。なりたい人はごまんといるはずだ。


 小説はマンガと違って、読み始めるのにある程度のパワーが必要なのに、生み出す側はマンガ家よりも溢れ出てしまっているような気がする。その上、イケメンサイドカーのようにウェブで人気の作品をバンバン書籍化してしまえば、それだけ読者の触れられる本も限られてくる。需要と供給が上手い具合にいってないんだ。

 ――本当に、これで良かったんだろうか。


 小説家になって、俺なんかがヒット作を生み出せるのだろうか。アニメ化できるような作品を書けるのか? 世に出た本の何%が人気作になれるんだ? 何万部売れたら人気作と呼べるんだ? そもそも、俺は本当にデビューなんてできるのか? ついこの間までまともな日本語さえ書けていなかった一般人が小説家なんて。やっぱり思い上がり過ぎなんじゃないのか。ユメの……余計な負担になっているだけなんじゃ。


 あの日、少しだけ怒っていたユメのことを思い返す。

 そんなとき、こんこんとノックの音が聞こえた。

「どうぞ」返答すると、ガチャリと扉が開いた。


「おじゃまします。アオハルママがアイスくれたよ」


 長い髪を一括りに束ねたユメが、アイスキャンデーを渡してくれた。


 チェアをユメのほうに向けると、彼女が驚いた表情で俺の顔を見た。


「えっ、アオハルもしかして徹夜!?」


「あー……気付いたら朝になってた。いやー書いてるの楽しくてさ。他にやることもないし……あっ、ていうかその前にこのシーンなんだけど、ユメの意見が聞きたくて」


「……アオハルがちゃんと寝てからなら、見る」少しふくれっ面に言うユメ。


「ちょっと。ちょっとだけだから」


 朦朧とする意識と重たい瞼のまま、少しのワガママを言った。


「……もうっ。しょうがないな。どれどれ?」とユメが身体を寄せてくる。

 ふわりと甘い匂いが香ってくる。途端に彼女が女性なのだということに目が覚める。どうにも物語のことに頭が回っているときは、周りの物事に疎くなってしまうみたいだ。


 ユメは白シャツにミニスカート姿のまま前傾姿勢になった。それに連なって胸の重心がたゆんと下に向かう。薄い生地だからか身体のラインが綺麗に出ていて、もうたまらない感じだった。でもとりあえず平常心を貫くことにする。


 俺とユメが少しばかり創作談義に花を咲かせると、すぐに一時間が経過した。

 この夏は小説のことばかり考えていて、そのほかのことはまったくと言って良いほど手を付けていない。そうは言っても例年通りならネトゲ三昧ってだけなんだけど。


 そこで……大変なことを思いついた。俺、受験生じゃん。


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