第二話 甘味処のあやかしたち
「──、─よ」
ぼんやりと声が聞こえ、夢から覚めて現実へと浮上する。心地いい微睡みの感覚。
気持ちよく寝てるんだから、まだもう少し寝かせてくれてもいいのに。
「起きなさいよ!ちょっと!!」
誰かの怒声と共に顔に冷たい何かが降ってきて、反射的に目を開け上体を起こす。
目の前には桶を片手に私を見下ろす赤い着物を着た女の子。どうやら冷水を私の顔に掛けたらしい。
真っ黒の艶のある髪の毛を低い位置で二つのゆるい三つ編みに括ってあり可愛らしい印象を持つが、何故かその頭に猫の耳のようなものがあり、つい目が釘付けになる。
「やっと起きたわね。うちの店の前で行き倒れないでよ!店の評判が悪くなっちゃうじゃない!」
「え…」
ふん、と小さく鼻を鳴らして背後にある扉の横に掛けられた小さな木の板を手馴れた様子でひっくり返してスタスタと建物内へ入っていった。
木の板には黒い文字で「開店中」と書かれてある。
建物の全貌を見れば白壁に黒い瓦で造られた二階建ての家。女の子が入っていった玄関らしき引戸には深緑の暖簾がかかっており、黒文字で
一見古い老舗の蕎麦屋さんみたいな雰囲気だなと思った。
「嫌だ汚らしい…」
「
「あの服も、異国の物じゃない?」
ふと聞こえてきた言葉に顔だけ後ろに向けると、私を遠巻きに囲む様に野次馬が出来ていた。そこにいる全員が着物を纏い、口元を隠すようにひそひそと話している。
そして私を見ている全員に人間では無い何かがついている。
右の女性は手に水掻きがある。隣の男性は黒い羽根が生えている。その横の小さな男の子は舌が蛇のようになっていて、言い出したらキリがない。
そういえばさっきの女の子も猫の耳のようなものがついていた。おかしい、ハロウィンはもうとっくに終わったはずだ。
私がじっと見ている事に気付き、関わりたくないと思ったのか野次馬はぶつぶつと言いながら少しずつ散らばって行った。
「…」
きっとあやかしなのだろう。でもだとしたらあまりにも数が多い。それに今まで私が見てきたあやかしの姿と違っていて少し動揺もしているが、とにかくこのまま地面に座り込んでいる場合ではない。
水をかけられ髪と上半身はずぶ濡れだ。お気に入りだったワンピースも買い替え決定の上、ストッキングは伝線し下半身も砂まみれ。もう見れたものではない。
未だ背中に通行人の視線を感じながら目の前の店に入ろうと立ち上がる。
手の中に意識を手放す前に握りしめた翡翠があることに安堵してから近くに落ちていた鞄を拾いささっと手で払える汚れを落として引戸を引いた。
店の中は茶色で統一されていて壁には温かい光を灯す花の形をしたウォールランプがあちこちに掛かっていた。
ウォールランプを挟むようにテーブル席が四つ。カウンター席が六つ。そしてカウンターから調理してるところが少し見える仕組みになってある。
まだ開店前なのかお客は誰も居ない。お店の奥には先程の女の子がせっせと何かをしていた。
さっき呼ばれていた千鈴ってのがこの子の名前なのかな。
「…ねえ、千鈴、ちゃん?ここって何?黒い円に引き込まれたら急に…」
おそるおそる話し掛けると女の子はこちらを向き、露骨に嫌そうな顔をした。
確かにこんな姿をした見ず知らずの女に話し掛けられたら嫌だろうけど、今はなりふり構ってられない。
まだ高校生くらいの年齢だろうか、など考えながら少し女の子の近くに寄る。
「黒い円?というかあなた誰?この辺じゃ見たことないわね」
「あ、私はあかり」
「あかり〜?聞いたことないわ」
興味無さそうに腕を組んで柱に寄りかかり、頭からつま先まで視線でなぞられる。
「あの、今お祭りとかやってるの?」
「お祭りって何よ。ここは
「甘味処…なるほど。でもその耳とか」
「アタシは猫又。耳も尻尾もあるに決まってるじゃないの」
「そ、そうなんだ」
よくよく見れば短めの着物の裾から猫の尻尾のようなものが2本あり、自慢するようにくねくねと動いている。
やっぱりあやかしなんだ。と見ていると怪訝そうな顔で近付いてきて私の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、アンタもしかして人間なの?」
何故だか、はいと答えてはいけない気がした。
先程から薄々と気付いていたこと。この時代に、全員が着物を着て歩いていること。見た目が人離れしていること。町並みがまるで時代劇などに出てくるような建物ばかりの上に人間が一人もいない。
全てがおかしくて、けれど確信も無かった。でも、目の前に居る猫又と名乗る女の子のその問い掛けで一気に現実を突き付けられた気がした。
ここは、あやかしたちの世界なんだ、と。
「…人間だと、思う?」
「そうねえ。あやかしの特徴が全くないけれど…匂いは完全な人間じゃないのがひっかかるわね」
黄色の目を怪しく光らせ私をじっと見つめた後なにかを思い出したように、こんなことしてる場合じゃなかったわ。と店の奥に足早に行ってしまった。
まだ誰かが私に仕掛けた壮大なドッキリなのではと思ったりもしているけど、きっとそれも無いんだろう。この世界で私はどうしたらいいのか。祓い屋の血を継ぐ女とあやかしなんて水と油みたいなもの。
しばらく頭を動かしてひとつの考えに至り、千鈴ちゃんの居るカウンターの奥に勝手に入らせてもらった。
戸の方に背を向けていたから気づかなかったけれどちらほらとお客さんが入ってきていて、注文が飛んで鍋で白玉が踊っていたりきな粉や黒蜜、果物が調理台の上に沢山置かれている。
「あっ、ちょっと!ここは客は立入禁止よ!」
「私、人間なの。だからこの世界のこと、教えてほしい」
お客さんに聞こえないように、それでもしっかりと千鈴ちゃんには届くように告げる。
私の言葉に忙しなく動いていた千鈴ちゃんの動きが止まり、黄色の瞳が私を見定めるようにじっと見つめる。蛇に睨まれた蛙の気分だ。
「…何か覚悟したのかしれないけれど、私今忙しいの!!」
見て分かるでしょ!と飾り付け用の苺を綺麗に切っていく。
確かにお客さんも増えてきて今言うべきことじゃなかったなと少し反省しつつ途方に暮れていると、厨房の隅に居られるのが鬱陶しくなったのか千鈴ちゃんが私の腕を掴みカウンターとは逆に厨房の奥に引っ張った。
厨房の奥はカウンターから見えないようになっていて、膝くらいまでの段差があるが木で出来た踏み台が置かれていて楽に上り下りできる仕様だ。踏み台の下は空洞になっていて小さめの下駄が仕舞ってある。
段差の向こうはちゃぶ台や今はなかなか見ない桐たんすが置かれて休憩できる六畳くらいの畳の部屋と、その横に二階に上がる階段がついていた。
鼻緒が赤の少し厚い黒い下駄を脱いで階段の下から二階に向かって「ちょっとー」と声を掛ける千鈴ちゃん。
私はこんな砂まみれの汚れた足では上れないので大人しく待っていた。
少しの間をあけてドタドタと上の廊下を走り階段を降りてくる音がした。
顔を出したのはツンツンとした赤髪で、灰色の
「なんだよ千鈴、もう手伝いか?」
「アンタ今暇でしょ。風呂沸かしてこの子入れて面倒ちょっと見てて。頼んだわよ」
言いながら桐たんすからピンクの着物と白い大小のタオルを取り出して男の子に押し付けている。
え!?と混乱したような男の子をそのままに下駄を履いて店に戻っていく。
残された私達は呆然とするばかりだ。
「あ〜…えーと、千鈴の友達?」
控えめに男の子が口を開く。
そりゃいきなりボロボロの女を頼んだわよと渡されても困るよね。
「友達っていうかなんていうか…。私あかりって言います」
「んぁ〜、まあとりあえずこれで足拭いてオレに付いてきて。オレはリュカって言うんだ」
桐たんすの小さな棚から緑色のタオルを渡された。
これは汚れていい用なのだろう。段差に腰掛けて足を念入りに拭き、上がらせてもらった。
こっち、と案内してくれて付いていくと脱衣場と広い湯船のついたお風呂場。
「はい、ここに置いとくからな。石鹸も何でも好きに使っていいから。あ、タオルは使い終わったら後ろにある籠の中に入れといてな」
洗面台の横の棚に着物とタオルを置いてテキパキと教えてくれる。
しっかりしてるなあ。
「じゃあオレ湯沸かしてくるな〜」
「…えっ、待ってそんなすぐ沸くの?」
脱衣場から湯殿を覗いて湯船を見る。三人くらい入ってもまだ少し余裕がありそうなくらい広いお風呂になみなみと水が張ってある。
これを沸かすとしたらだいぶ時間が掛かりそうなのだけれど。
「えっ?オレ、サラマンダーだから一瞬だぜ」
にひひ、と笑って脱衣場の扉を閉め遠ざかる足音。
サラマンダー?って、
そんなことを思いながらも今の服は確かに早く脱ぎたいし髪も洗いたかったので早々に脱ぎ、翡翠を鞄の中のポケットに入れてから小さいタオルを持ってお風呂場への扉を開けると、生暖かい湯気が私の目の前を覆った。
まさか。と思って目を湯船に向けるとさっきまで水風呂だったのが本当に一瞬でお湯に変わっていた。
「すっ…ごい…!」
目を輝かせて手を少しお湯につけてみる。熱すぎなくてちょうど体がほぐれる適温。早く浸かりたいと急いで髪と体を洗った。
シャンプー、リンス、石鹸は全部同じメーカーなのかさくらんぼのような甘い香りがした。
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