祓い屋があやかしの世界に呼ばれました。

第一話 お守りは大事に

　新しい年、それは何かの節目。何かが終わり、何かが始まる。

　季節は春。今日から私は大学二年生になる。

　幼い頃は進級することが一大イベントのようでとても喜んでいた記憶があるが、この歳になると進級くらいでは動じなくなってしまった。大人になったという事だろうかとしみじみとしてしまう。

　リビングの窓を開けて新しい空気を招き入れる。

　春といってもまだ少し風は冷たくて肌寒い。外の様子を眺めているとピンポン玉ほどの黒くて丸いものが近付いて家の中に入ろうとしてきた。

「ほら、あっちに行って。この家を根城にしようと思ってるのなら祓っちゃうから」

　その黒い奴を人差し指でつんと突き言い放つと、少し震えてすぐさまどこかへと逃げ去っていった。

　よく見ると逃げたもの以外にも数匹がこちらの様子を遠巻きに伺っているが、私の放った一言で近付くか尻込みしているように見える。

　まあ害は無いかと思いつつ窓を網戸にして隣の和室に移動し、仏壇の前に置いてある座布団へ座る。

「おはようお父さん、お母さん。無事に大学三年生になったよ」

　仏壇に飾ってある父の写真を見ながらお線香をあげる。

　私の家庭は父子家庭だった。母は私が幼い頃に亡くなったと聞いている。元々病弱だったらしく、そんな姿を撮られるのを嫌がったため写真は一枚も無いのだそう。

　そして父は一年前に亡くなった。還暦を迎えずに旅立った父、夫婦揃って早すぎる死としか言いようがない。

　最近体型を気にしてきていた父だったが持病などは持っていなかった。仕事から帰ろうと車を運転している時に前方不注意で突進してきた車と衝突し、即死だったと聞いた。

　父は娘の私から見ても素敵な人だった。そして同時に、優しすぎる人でもあった。

　私が先程の黒い奴ら"あやかし"が見えるのは父の遺伝である。父は西園寺（さいおんじ）というその道では有名な祓い屋一族の一人息子だったらしく、その力を活かして祓い屋を生業（なりわい）としていた。

　だけど私は両親の祖父母に一度も会ったことがない。父と母は駆け落ちをしたと昔に聞いたことがあるから、きっと縁を切ったか切られたのだろう。

　払い屋とは簡単に言うとあやかしの事で困っている人たちを助ける仕事なのだが、父はあやかしを大切にしていて私にも大切にするようにと耳にたこができるほど何度も言われたものだ。

　頼まれた依頼も本当に悪いあやかしの時だけ退治し、話し合えば納得してくれるあやかしは密かに逃がしていた。

　幼い頃からあやかしが見えた私は父について回り様々な術式を教えてもらったが、私が術式を覚える度に父は決まってこう言った。

『この力をあかりが使う時が来ないことを願うよ』

　昔から霊力が強かった私は触れただけであやかしを消滅させかけた過去がある。

　それを見た父がとても慌てふためいていたのが未だに記憶に残っている。その日から私は力をコントロールする努力をして、何とか自在に操れるようになったのだ。

　母が居ないため、昔から身の回りの事も一通りは一人で出来た。けれど一人に慣れたわけじゃない。少しくらい友達も作っておけばよかったな、と今になって思う。

「あ、そろそろ家でなくちゃ。いってきます」

　時計を見ると七時前をさしていた。仏壇に向かって挨拶をした後、春らしい薄いピンク色のワンピースに着替える。

「財布持った、ハンカチ入れた、ブレスレットもオッケー」

　確認しながら鞄に荷物を詰めていく。

　視界に入る私の腕には翡翠のブレスレットがあり、今日もその存在を発揮している。これは私があやかしが見えるようになった頃に父がくれたものだ。お守りだからこれからずっと肌身離さず持っているんだよという言葉をきちんと今でも守っている。

　重くなった鞄を肩にかけて家中の戸締りをして家を出る。

　さっきまで思い出に耽っていた頭を冷たい風に現実に呼び戻され、駅に急ぐ。

「ご飯は大学につく前にコンビニで買っていこう…今日くらいいいよね」

　急ぎ足で曲がり角を曲がると木の棒を持った小学生の男の子たちに腕がぶつかってよろめく。

　咄嗟にごめん！と謝るもその男の子たちは気にもしない様子で走っていった。子供はいつも元気で全力だなあと思いつつ私も急ごうとずり落ちた鞄を肩にかけなおした時だった。

　バラバラ、と腕にしていたブレスレットが千切れて道路に散らばる。

「え…」

　うそ。もしかしてさっき引っかけた？

　慌てて散らばった翡翠を拾おうとしゃがみこむとくらりと目眩がして、足元が沼のように沈んで行く感覚に襲われた。

　咄嗟に足元を見たのがいけなかった。

　私の立っている場所の下に黒塗りの円が現れ、その円が段々と大きくなっていく。私の体はもう腰まで円の中に飲み込まれていた。

　深い深い闇、まるでブラックホールだ。手を伸ばすも壁にもどこにも届かない。

　そのまま円は私の抵抗を嘲笑うように首元まで飲み込んだ。

　恐ろしくて現実離れした怪奇現象に声も出ず手に取ったたった三つの翡翠を握りしめ強く目を瞑り円に全て包まれることしか出来なかった。

　生暖かくて、水に包まれてるような感覚。

　それ以上の事を考える前に、私の意識は途切れた。