第10話 女神、バチが当たる
相も変わらず東の森は、何の変哲もない森だった。テレサ村からも見える距離にある名もない森。ただ単に、村から東にあるから東の森と呼ばれている。昔はちゃんとした名前があったようだが、いまとなってはテレサの住人でそれを知る者はいないらしい。
かつてこの地域に住んでいた人々は、サーデン帝国とバステウス連邦王国との戦火に追われるようにして、故郷を捨てて去ってしまったのだ。
ローラたちは、その戦争に参加していたラルフの説明を聞きながら東の森を歩いている。
「――と、いう訳で、ここは敵国、バステウス連邦王国の領地だったのです」
「へー、そんなの知らなかったわ」
ローラは、素直な感想を漏らす。
「いや、そんなはずは……マチスから教わっておりませんか」
政務官をしているマチスは、一般教養を教える先生でもある。貴族の子息子女は、学校へ進学する前に家庭教師から一般教養を習うのが一般的。けれども、フォックスマン家は、貧乏貴族。余計に人を雇う余裕はない。
つまりは、既に俸禄を支払っている従者が家庭教師役を兼ねているのだった。が、戦うこと以外に興味のないローラは、それを真面目に聞いていなかったのである。
「ん? あー、教わった、かしら?」
「はぁ、それは……なんとも……」
ラルフは、ローラの表情と言葉からマチスの講義を聞いていなかったことを察したのだろう。マチスのことを気の毒に思ってか、天を仰ぐのだった。
「いいですか。これから教えることは、くれぐれも私から聞いたといわないでくださいね。マチスは、素直に聞いてくれていると喜んでいたのですから」
「ええ、約束するわ」
こうしてローラたち四人は、魔獣に出くわすまでの間、ラルフから歴史の授業を受けることになったのだった。
先ずは、基本から。
テレサは、サーデン帝国のガイスト辺境伯が治めるガイスト地方に含まれていること。
ガイスト辺境伯は、サーデン帝国の南の国境防衛を一手に引き受ける帝国ナンバースリーの実力者であること。
スティーグ・フォン・ガイスト辺境伯――その名を聞いたローラは、嫌なことを思い出してしまい、表情にもろに出してしまうのである。
「ローラ様……そんな嫌そうな顔をしないでくださいよ。ダリル様の血を引くローラ様にとってこれは、大切なことなんですよ」
ローラの表情からこの手の話が苦手なのだろうと勝手に解釈し、ラルフが諭すようにいった。
ローラは、女子である上に次女である。
当然、家督を継ぐ可能性は限りなくゼロに近い。というよりも、既に長男のテイラーが次期当主として任命されている。ローラの立場は、この世界の常識で考えたら他の家に嫁ぐことになるのだ。故に、貴族の娘といえども、それほど気にすることではないとローラは考えていた。そもそも、嫁ぐつもりは毛頭ない。
詰まる所、諭すようにいったラルフに対し、いやいや、そんな重要じゃないでしょ! と、ローラは内心で突っ込みを入れる。さすがに、口に出すことはしない。
「本当に、大切なことなんですよ」
ラルフは、念押しするように困った表情を浮かべている。ラルフとしては、領地を治める貴族の娘として、成り立ちくらいは知っていてほしいとでも考えているのだろう。
このままでは、勉強の時間を増やされて訓練どころではなくなってしまう可能性を感じ取ったローラは、表情を曇らせた理由を一応説明することにした。
「ああ、違うわ。べつのことを思い出しちゃったのよ」
突然、ユリアが閃いたようにパンと柏手を打った。
「あー、わかったぞ」
「やっぱりわかっちゃう?」
ローラが苦笑いしながら片方の眉を吊り上げる。
「わかるに決まっているだろ。これまで二回とも断っているんだし」
「ああ、そういうことね」
当然だろ、というようにいったユリアの後半のセリフを聞き、ミリアも理解したようだ。ミリアがローラのお披露目会のことを思い出すように遠い目をしている。
ローラがディビーにも視線を向けると、彼女もまたコクコクと頷いている。
「えーっと、何のことでしょうか?」
ラルフだけがわからない様子で首を傾げる。
それは、二年前の出来事。ローラ七歳のお披露目会にガイスト辺境伯は、子息を連れて来ていた。
ガストーネ・フォン・ガイスト――ガイスト辺境伯の長男で、ローラにご執心のようなのである。
「ラルフにいうのもアレなんだけど、わたし、ガストーネが苦手なのよ」
「苦手? ガストーネ卿をですか?」
「そうよ」
ローラは、ぶすりと答える。
「それまたなぜです? 私は、とても明るくて気の良い少年に思えるのですが」
ラルフは、ローラが苦手意識する理由がわからない様子だった。嫌なものは嫌としかいいようがないため、ローラはどう説明するべきかと悩む。
ガストーネの潜在能力は、オールCのバランサーでかなり珍しい。が、結局C止まり。ともなると、いくら修練を積んでも、魔王討伐の戦力としては期待できない。
潜在能力を見抜く能力があることは、家族含めラルフにも神眼ではなく魔法眼の能力として認識されている。
しかし、Cランクと伝えたところで、ステータスが一般的ではないこの世界で説明しても、理解されないため意味がない。
ローラは、ガストーネから好意らしき視線をずっと受けており、ただ単にそれが気持ち悪かったのである。
「ふむ、そうですか……だから誕生会の招待を二回とも断っていたんですね」
ローラが答えないでいると、ラルフがユリアの発言から答えを導き出したようだ。
「まあ、そういうことよ」
「しかし、それは不味いですね」
ラルフは、「うーん」と唸り、立ち止まった。
「どうしたのよ」
ローラたちも足を止め、ラルフに注目する。
「その、ジェラルド卿のところへは今度行くのですよね?」
「そんなの当然じゃないの」
ラルフの質問をくだらないとばかりに、少し睨むようにしてローラが答えた。
ジェラルド・フォン・ベルマン――熊獣人であるベルマン伯爵の長男。彼は、今度の七月で一〇歳になる。ローラたちは、ジェラルドの誕生会に参加するつもりでいた。
「それが不味いんですよ。ガストーネ卿は、仮に子息といえど辺境伯。しかも、ダリル様の寄親より遠く離れた伯爵家の誕生会に参加して、数日の距離のガストーネ卿の誕生会に参加しないのは、よからぬ噂が立ちかねません」
サーデン帝国は、実力主義が色濃い軍事国家であるが、やはり貴族至上主義なのには変わりない。矛盾するようだが、実力が高い故に高位の爵位を得られるのであって、一応、筋は通っているのだ。
「じゃ、じゃあ――」
「ローラ様、その通りです」
ローラは未だ答えていないのだが、肩をがっくし落とした様子を見たラルフが先回りして答えた。
こうして、ローラは、来月開かれるガストーネの誕生会に出席せざるを得ないことを知ったのであった。
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