第01話 女神、感情を知る
デミウルゴス神歴八四三年、三月一六日、復元――モーラの曜日。
今日も今日とてローラたち仲良し四人組は、カールパニートのアップルパイに舌鼓をうち、鼻孔をくすぐるハーブティーの香りを楽しんでいる――
(はぁ、なんだか味がしないわ……)
――ことはなかった。
「ローラ? おーい、どうしたんだよ」
ユリアの声は、確かにローラに届いている。けれども、ローラはどうでもよく感じて何も答えない。いや、ローラでさえ、自分自身のことがかわからないのだ。
「なあ、本当にどうしたんだ?」
「さあ、こんなローラを見るのは、はじめてよ。ママのアップルパイを食べれば元気になるかなと思ったんだけど、無理みたいね」
「だなー」
ユリアとミリアが心配そうに相談している。普段のローラであれば、「余計なお世話よ」と間違いなく一蹴する。が、そんなことはしない。ミリアの気遣いを知ったローラは、嬉しく思いつつ、悪いとも思ったのだ。
モーラが帝都へ旅立って数日が経った今日も、ローラは何をするにも注意散漫で、明らかにおかしかった。
実際、ユリアと剣術の型稽古で打ち合いをしたとき、ローラは集中できず、まともに剣を受けてしまったのだ。
結果、ラルフがこれ以上の訓練は危険だといって今日の訓練を中止にした。着替えの際にミリアが、「お茶会をしよう」といい出したのは、やはり気遣いからであったようだ。
ミリアの提案に対し、ローラは、何もしないよりはましかしらと思い、誘いを受けることにしたのだった。
お茶会といっても、お菓子タワーに色とりどりで流行りのお菓子が所狭しと並べられる、貴族の邸宅で開かれるような豪勢な様式ではない。ミリアの家兼パン屋のイートインコーナーで、一つのホールアップルパイを四人で囲い、ハーブティーを片手に突いているだけである。
つまり、いつも通り。
が、
(やっぱり、おかしいわ……)
ローラがハーブティーでアップルパイを流し込む。
「味がしないわ……」
「おっ、やっと反応した。何がしないんだ?」
ローラの呟きが聞こえなかったのか、ユリアが聞き返す。
「味がしないの、まったく……」
ローラがいい直した途端、工房の方から何かが割れたような盛大な音がした。
「ちょっ、ママー!」
ミリアが声を上げてカウンターを越えると、工房の入口で立ち止まった。
「うわ、どうしたのよマ、ママ」
「ああ、ごめんなさいね。手元が滑ってしまって……」
どうやら、何かを落として近くにあったお皿にでも当たってしまったのだろう。
すると、工房から出てきたミレーネが、沈痛な面持ちで真っ直ぐローラの下までやって来た。
「ローラ様……」
さすがのローラも、ミレーネを無視できる訳もなく、顔を上げる。
「あ、はい、何でしょうか?」
「申し訳ありません!」
言下、ミレーネが、いきなり神の御前というように両膝を地面に突いた。そのまま、両手を胸元で組む姿勢で、ローラに謝罪を述べたのであった。
「え!」
いきなりのことにローラは、驚くことしかできなかった。
「いつも以上に美味しくしようと焼き上げたのですが、お口に合わなかったようで申し訳ありません」
あ、そういうことか、とミレーネの言葉を聞いてローラは納得した。つまり、味がしないとローラがいったから、ミレーネを誤解させてしまったようだ。
「ミレーネさん、そんな恰好は止めてください。ミレーネさんのせいでは無いのですわ。ここ数日、何を口にしても味が曖昧でよくわからないのです」
「そ、それじゃあ……」
「ええ、ミレーネさんのアップルパイはいつも以上に美味しい……と思いますわ。ただ、味を感じられないのです」
ローラがいい訳をすると、ミレーネが安心したように胸を撫でおろしていた。
ローラが領主の娘とはいえども、ここはたかが貧村、テレサ村である。貴族に対する不敬罪が存在するため丁寧な対応を求められるのは、当然かもしれない。が、まるで皇帝の不興を買ったことに対する謝罪かの如く大袈裟な反応をミレーネがしたものだから、ローラは驚いたのである。
ただそれも、ミレーネの場合は、事情が事情なだけに仕方のないことかもしれないと、ローラは思う。
ミリアの両親であるカールとミレーネは、テレサから馬で三日ほど北上した森付近の出身らしい。その故郷は、サーデン帝国の南にあるバステウス連邦王国との戦争の際に焼かれ、いまは廃村となっている。
当時、ミレーネたちが命からがら避難している際に、敵の王国兵に追いつかれ、もう駄目だと思ったとき。ミレーネたちに剣を振り下ろさんと迫っていた王国兵の前にダリルが立ち塞がり、彼女たちの命を救ったのだとか。
どうやら、皇帝アイトルを擁するサーデン帝国の本軍の救援が間に合い、その当時、近衛騎士団長をしていたダリルも同行していたらしいのだ。
その数年後、ダリルが領地を下賜されて地方を開拓するという噂を聞きつけたカールとミレーネは、ダリルの元を訪れた。以来、テレサ村の開拓民としていまに至るという。
詰まる所、自分の命を救った英雄である娘に不敬があってはならない的なものを抱えているのを、ローラはミリアから聞いていた。
ローラとしては、
「助けたのはわたしじゃないからそんな対応は不要よ!」
と強くいいたかったが、あまり無下にもできない。
ただ、勘違いをさせたままでは居心地が悪いと感じたローラは、ここ数日のことをミレーネに詳しく説明し、すべてを聞き終えたミレーネは、なるほどと微笑んだ。
「そうですか……モーラ様とのお別れが、予想以上に心の負担になったのでしょうね」
「そうなのかしら。今まではそんなことは無かったというのに――」
「別れ、とはそういうものなのですよ、ローラ様。また会えるとわかっていても遠く離れれば悲しくなるものです」
ミレーネの言葉が心に染み渡る。
(ふーん、そうなんだ。これが、悲しいという感情なのね)
思い返してみれば、別れというものをはじめて経験したかもしれない。
女神から転生し、フォックスマン家の次女として生まれて以来、色々な人に囲まれてヒューマン的には何不自由無く過ごしてきた。周りには、変わらずローラに愛情を注いでくれる人々が大勢いる。帝国騎士学校に進学してからもモーラは、休暇には必ずテレサに帰って来ていた。
けれども、モーラが騎士団に入ったからには、次会えるのがいつになるのかわからない。
ローラは、モーラのことを沢山いるヒューマンの内の一人と思っていた。実際は違ったようだ。モーラの存在が、知らぬ間にか大きくなっており、心の中に居ついていたようなのである。
確かに女神のころのローラであれば、魔法が苦手なことにモーラが悩んでいても、完全に無視していただろう。
でも、結果はどうであっただろうか?
色々と口出しをし、ついには無詠唱のことまで教えた。完全に仮面を脱ぎ捨てたのである。
(いったい、わたしはどうしちゃったんだろう)
モーラに対して取った行動の不可解さに気付いたローラは、心の変化を知って戸惑う。
そのあとのローラは、どうやって自室に戻ったのかも覚えていなかった。身体だけではなく、心までも弱く変化したことに恐怖を覚えたローラは、自室に籠りきりとなり、自問自答する日々を送るのだった。
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