第28話 女神、実演してみせる

「ねえ、お願い。いきなりどうしたのよ。ちゃんとわかるように説明して!」


 無理やりモーラの手を引き、ローラが修練場へ向かっていると、後ろでモーラが喚くように叫んでいる。大人しいと思っていた妹の突然の行動に、混乱するのは致し方ないだろう。ローラより六つも年上のモーラが、力を込めて踏み止まろうとしているにも拘らず、ローラは速度を落とすこともなく、軽々とモーラを引きずるような勢いで歩を進める。ローラは、全てを承知した上で、モーラの言葉を無視し続けているのだ。


 修練場の簡素な壁が見えてくるころ。もはや、ローラには、モーラが何をいっているのか意味不明だった。それほどまでに、モーラの混乱はピークに達しているのだろう。そんな風にして到着した修練場は、うららかな青空の下、燦燦さんさんと陽の光が降り注いでいる。きっと、モーラの心境は、正反対に曇っていることだろう。


 修練場に到着してようやくローラが、モーラの手を離して口を開く。


「魔法詠唱の問題を改善できたらどうする?」

「え?」


 振り向きざまにローラがいい放つと、モーラが間の抜けた声を漏らした。肩で息をし、疲れた様子のモーラが顔を曇らせている。意味がわからないのだろう。いや、パニックから復活できていないようだ。モーラが何かをいおうとして口を開くが、直ぐに口を閉ざしてしまう。


(ちょっと強引だったかしら?)


 質問に中々答えないモーラに、「ねえ、聞いてる?」というように、ローラが首を傾げて催促する。


 ローラが発した言葉の意味を考えているのだろうか。モーラが、いぶかしむように目を細めている。


(でも……ここで中途半端な態度は、お姉様のためにならないわね)


 いつものニコニコとした妹の姿を消し去ったローラは、モーラへ真剣で厳しい視線を向ける。ローラの気迫にたじろぐように表情を強張らせたモーラは、両手を揉みながら首を傾げた。そして、声を震わせる。


「そ、それはどういうこと?」

「いいから答えて、お姉様。魔法詠唱の問題を改善できたらどうする?」


 ローラは、頑として同じセリフを繰り返す。


(さっきの話しぶりからすると、詠唱ができないから、翼竜騎士団の誘いを断ると言っていたわ。そんなの、詠唱の問題が解決すれば翼竜騎士団からの誘いを断る必要がなくなるじゃない。わたしは、ちゃんとモーラ姉さんの口から聞きたい)


 ローラは、モーラの騎士学校でのことを詳しく知らない。それでも、成績がかなり優秀だと、ダリルとセナが話しているのを耳にしていた。おそらくそれで、翼竜騎士団の方から接触してきたのだと、ローラは結論付けている。


 モーラは、翼竜騎士団への入団を希望している。

 翼竜騎士団は、優秀なモーラのことを欲している。


 その障害が魔法の詠唱だとしたら、本当にくだらない。確かに、この世界の常識として魔法の三大原則という物がある。だがしかし、デミウルゴス神教が提唱している原則は、完全に嘘っぱちなのだ。女神だったローラだから知っているだけであり、デミウルゴス神教徒であるモーラがそれを疑う訳もない。


 が、そんなことはローラにとって些末事だ。そんなことは、これからローラが教えるのだから。

 ローラは、唇を真一文字に引き結び、一切言葉を発さない。先ずは、モーラの意志を確認したいのだ。


「そ、そりゃあ……」


 ゆっくりとではあるものの、ようやく、モーラが語りはじめる。


「当然、私だって詠唱の問題がなければ翼竜騎士団に入りたいわ……でも、勇者様たちが魔族に殺された今となっては、私たちでどうにかするしかないの。魔族領からサーデン帝国まで大分距離があるけど、いざ魔族たちが攻め込んできたら、きっとアイトル陛下は、マルーン帝国に援軍を出すと思うの」


 マルーン王国とは、前回の勇者が召喚された国である。三年前の夏、サーデン帝国の帝都サダラーンの近くに広がる、サーベンの森の奥のダンジョンでスタンピートが発生した。当時、帝国騎士学校一年生のモーラが、その影響で早めの夏季休暇で帰郷してきたことがある。かの国には、その際に勇者パーティーの援軍を送ってもらった恩義があるのだ。


「……そうなったら、真っ先に派遣されるのは、翼竜騎士団だわ。べ、べつに魔族と戦うのが怖い訳じゃない、の。中途半端な私が、足を引っ張ることが許せないの!」


 ローラは、胸の内を吐露するように語ったモーラの言葉を聞き、不敵な笑みを浮かべるのだった。


(なんだー、やっぱり楽勝じゃないの。そう卑下ひげして言うのは、自信が無いだけよ。このわたしが、お姉様の夢を叶えてあげるわ)


 ローラの口元が自然と緩み、ニッと白い歯を見せる。


「な、何がおかしいのよ。こう見えても騎士学校では首席だったのよ!」


 笑われたとでも勘違いしたのか、モーラが聞かれてもいないことを叫んだ。普段、冷静で温和だとローラが思っていたモーラは、白から赤へと頬を染ま上げていた。怒っているようだ。


 成績優秀とはいえども、首席だったとは、さすがのローラも思わなかった。それでも、やはり自信が無いだけなのだと悟った。


 ローラからしたら、


『首席だか何だか知らないけど、所詮適切な訓練をしていないモブどもの能力など、どんぐりの背比べよ』


 と、それほど考慮する必要のない些末事さまつごとなのだ。


(同じような連中と比べて得た称号を振りかざすなど、本当に無駄よ……)


 ローラは、危なく思ったことを口してしまいそうになるが、なんとか堪える。今は、それを言うべきときではないだろうし、余計にモーラのことを傷つけるだけだ。それ故に、ローラは、モーラに見せていた妹に戻り、優しい口調で弁明する。


「そうじゃないわ……うん、違うの、お姉様」


 不敵な笑みを消し去り、モーラの記憶の中にあるであろう、お転婆で、でも甘えん坊な可愛い可愛い妹のはにかんだ笑顔を浮かべるのだった。


「それだけの問題なら、わたしが解決してあげるわ」

「え?」

「ちょっとそこで見てて」


 戸惑うモーラを押しやり、少し離れてもらう。そのころになると、ダリルたちも勢揃いしていた。せっかくだからダリルたちにも見てもらおう。


 みんなの視線が集まるのを確認し、トテトテと修練場の中央へ移動したローラが、詠唱を開始する。


「大地に眠りし炎よ、我の問いに応えその熱を呼び覚ませ――」

「ローラ、あなた、いったい……」


 ローラの突然の行動に、モーラが戸惑うように双眸を見開き、碧眼に不安の色を滲ませている。いいからそこで大人しく見てなさいって、とローラが視線だけで制止させる。


「その炎荒れ狂う業火となりて――」

「ちょ、ちょっと、ローラまさかっ」


 そこまで唱えると、拳大ほどだった火球が、直径一メートルほどの燃え盛る炎へと成長していた。第三節の内容を聞いて何の魔法の詠唱をしているか気付いたのか、モーラが戸惑いから驚きの表情へと変化させる。


「すべてを燃やし尽くせっ――」


 第四節まで唱えると、球体だった炎が変形し横に広がっていく。あまりの熱量に頬が焼かれ、瞳が溶けそうな錯覚を起こすほどの熱風が生じる。あとは魔法名を唱えれば炎が荒れ狂う嵐となって周辺を焼き尽くす、ファイアストームが発動する。


「ローラ、よせっ!」


 遠くの方でダリルが慌てて叫ぶがもう遅い……


 が、


 ここで発動させたら何の意味もない。


「待機よ」


 ローラの言葉に反応するように、目の前の炎が右手に収縮される。一〇メートルほど離れていたモーラのところまでも熱風が届いていたハズだが、すっかりその熱も治まっている。


「な!」

「えっ、どういうこと!」


 ダリルとモーラが、それぞれ驚きの声を上げたのに対し、「うしし、良い反応をするじゃない」と、ローラはほくそ笑む。


「何って、見ればわかるじゃないの。魔法を待機させたのよ」


 さも当然といったローラに対し、モーラは意味がわからないと眉根を顰めた。


「待機?」

「そうよ、お姉様。だからこういうこともできるの」


 ファイアストームを待機状態にさせた赤色に輝く右手に左手を重ねてこねる。すると、その輝きが左手にも発生する。ただし、右手だけのときより、その両手の輝きが弱まっている。


「行きなさい、その壱! その弐!」


 ローラが叫ぶと、時間差でファイアストームが二度発動した。


「な、何が起きてるんだ一体――」

「お父様、私にもわからないわ!」


 非常識な現象を前に、モーラとダリルの二人が、口を半開きの状態のまま固まっている。いつの間にやら、修練場の入り口で遠巻きにして見ていた全員が、モーラの元まで来ており、みな思い思いに驚いて騒いでいた。


 通常より弱めのファイアストームを二分割したため、一つ一つのそれは大した威力ではないが、ローラの意思でその二つをぶつけて相殺させる。そもそも意識的に威力を弱め、二分割することなど、この世界の常識ではあり得ない。


「ねえ、お姉様」

「な、何かしら……」


(ちょっと、天然記念物を見るような目で見ないでほしいわ。まあ、そういってもわからないと思うけどね)


 もの凄く珍しいものを見るような目でモーラから見られたローラが、内心で抗議する。が、「当然よね」と嘆息してから、ローラがモーラへと提案する。


「もし、一週間訓練したら、さっきと同じことができると言ったら……」


 ローラが勿体ぶるようにいうと、モーラの白く儚げな喉が、唾を飲み込むように動いた。


「やる?」

「やる!」

「えっ、はやっ!」


 もう少し混乱したままだとローラは思っていたが、まさかの即決だった。むしろ、そう聞くとわかっていて、待ってましたといわんばかりの反応速度だ。本当は、もう少し、アレやコレを聞かれると思っていたローラであったが、完全な肩透かしを食らったのだった。


 何はともあれ、それからの一週間、モーラだけではなく、ラルフも含め、フォックスマン家の全員に魔法の稽古をつけることになったのは、いうまでもないだろう。

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