第18話 女神、甘味に癒される

 デミウルゴス神歴八四一年、五月一八日、更始こうし――テイラーの曜日。

 ラルフ式トレーニングを開始してから、もう間もなく三か月が経とうとしていた。はじめの一か月は、最初の跳躍でつまずいていた三人も、二か月もすれば走り込みも同じ時間で周回できるまでに上達していた。


(やっぱり、子供の吸収力って凄いわね。そろそろ次の段階、魔力操作と身体強化魔法に取り掛かろうかしら?)


 着実に成長している三人の訓練を監督しながら、ローラが次の計画を練るのであった。


 その二日後――五月二〇日、冥王――ディースの曜日。

 安息日だ。


 パンの焼ける良い臭いに誘われたようにして、ミリアの両親が営むパン屋――カールパニート――の扉をローラが開ける。どうやら、安息日でも関係ないようである。


「ミレーネさん、こんにちは」

「「こんにちはー」」


 扉を開けると、ミリアの母親であるミレーネがカウンター越しに立ちながら、フキンを折り畳んでいた。


(うーん、この親にしてあの娘ありね)


 ローラが唸った原因を隠すように金髪を前に流しているため目立たないが、豊満な胸がカウンターの上に乗っている。本来、エルフ族はスラっとした体形が多いのだが、ミレーネは例外だった。


「あら、ローラ様、ご機嫌如何ですか?」

「いつも通り絶好調ですわ。それで、ミリアはいらっしゃる?」

「申し訳ございません。ミリアなら領主邸へ配達に伺っておりまして……途中でお会いになりませんでしたか?」


(そっか、今日は安息日だったわね)


 かつて、この世界を混沌の世界へと誘った冥王ディースが五日に討たれたことから、それ以来、五の倍数の日は安息日とされている。それ故に、領主の館で働く者たちも一部を除いて休みである。配達と称して焼き立てパンを届けているのは、領主を気遣ったミレーネたちなりの好意なのだとか。


「いえ、お気になさらないでください。ディビーたちを呼びに行っておりましたので、行き違いになってしまったようですわ」


 申し訳なさそうな表情と共に頭を下げようとしたミレーネに対し、ローラが顔の前で手を振って止めさせる。安息日であるため訓練の日でもない。ただ単に、ローラが試したいことを思い付いての突発的な行動だった。責めるつもりはない。


「そうでしたか。それでは、いつもの場所でお待ちいただけますか?」

「そうですわね。では、そうさせていただきますわ」

「ディビーちゃんとユリアちゃんもこんにちは」


 ミレーネは、真っ先にローラの対応を行ってから、ようやくローラの後ろに居る二人の挨拶に返事をした。ただの子供であるローラであっても、領主の娘である。対応の差別化を図らなければならない。ローラとしては、無駄な行いだと考えているのだが、敢えて指摘をすることもしない。ただ単に、それ自体が面倒なだけである。


 それはさておき、ローラたちが店内のテーブル席に腰を下ろして雑談をしていると、一旦工房に下がっていたミレーネが奥から台車を押して戻って来た。


「丁度アップルパイが焼きあがったので、良かったら召し上がりください。ハーブティーも一緒にどうぞ」


 こんがりとパイ生地が焼けた香ばしい香りをさせたアップルパイとティーセットが、ローラたちの前へと並べられていく。


「わーい、ありがとうございます」

「「ありがとうございます」」


 実は、これもローラの目的の一つだったりする。


 何度も説明するが、ミリアの家は、パン屋を営んでいる。小さな村の割に、魔獣が頻繁に出現する東の森が近くにあるため、冒険者も立ち寄ることがあるようだ。今のところローラが冒険者に遭遇したことはない。そんな冒険者が立ち寄り易いように、喫茶店のような飲食できるスペースが併設されているのだ。


「うーん、最高です」


 アップルパイを一口食べ、目を線のように細めて微笑むローラ。


「まあ、いつもありがとうございます。ローラ様の笑顔を拝見できるだけで、私は最高の気分です」


 ここのアップルパイはローラのお気に入り。当然そのことを知っているが、領主の娘に褒められたミレーネも嬉しそうに微笑んだ。「一々大袈裟なんだから」と思いつつ、ローラがハーブティーを飲もうとティーカップを持ち上げる。


 するとユリアが、


「なあ、ローラ」

「ん?」


 ユリアが難しい顔をしていることから、何事かしら、とハーブティーを口に含んでからユリアに向く。


「なんでミレーネさんが様付けしているのに何も言わないんだ?」


(はっ? 何よそれ……)


 思わずハーブティーを吹き出してしまうところだった。しっかりと飲み下してからローラが指摘する。


「ユリアだって最初はわたしに敬語だったじゃない」

「いや、そうなんだけどさ。ローラってそういうの嫌いみたいだし」


 本気でわからないのか、ユリアがしきりに唸っている。いくら小さな村だといってもどこの誰が聞いているかわかったもんじゃない。テレサ村が所属するサーデン帝国は、実力主義の軍事国家。尚且つ貴族至上主義の国家なのだ。


 ローラがお披露目会で会った貴族たちは、必ず複数のCランク以上のステータスを有していた。特に、クニーゼル侯爵、ガイスト辺境伯とベルマン伯爵の三人は、複数のBランクステータスを有しており、ローラとしてもそれなりに評価していた。


(子供たちはポンコツだったけどね。あっ、でもベルマン伯爵の息子、ジェラルドは別格よ。今でも、我が騎士団に入れたいわ)


 当時のことを思い出し、ローラがジェラルドのことは惜しいことをしたと、改めて悔しく思った。


 閑話休題


 サーデン帝国の貴族は、皇帝からはじまり、公爵、侯爵、辺境伯、伯爵、子爵、城伯、男爵、準男爵、そして最後は騎士爵。そして、領地を持てるのは、城伯以上となる。それが今までのサーデン帝国での通例だった。ローラの父であるダリル・フォン・フォックスマン・テレサは、領地を持てない騎士爵にも拘わらず、領地を下賜されるほどの実力者である。異例中の異例と言っても過言ではない。もはや、英雄扱いである。


 つまり、その娘であるローラは、領民が気安く接してよい相手ではないのである。たとえ人口が二、三〇〇人の極貧村であっても、だ。そういった諸々の事情をユリアに説明してから、それを理解しているミレーネにローラが問う。


「簡単に言うなら、大人の事情かしら? そうですわよね、ミレーネさん」

「まぁ、ローラ様は、本当に聡明でいらっしゃるわ」


 ミレーネが凄いと感心したように手をパチパチと叩いてローラを誉めそやす。これは、おべっかでも何でもない。目を見開いていることから、本気で感心している様子だった。


 一方、ユリアは未だ渋い顔をしている。


「ふーん、大人って難しいんだな」

「そうよー。まだ先のことだけど、わたしがいないときに呼び捨てにして話していると、とがめられることがあるから気を付けなさいよ」


 念のためにローラが釘を刺すと、ユリアが頷いた。


「あーそういうのは気を付けているから大丈夫だと思う」

「そう、それなら良いのよ」


 そんな風にして三人は、アップルパイとハーブティーをいただきながら、他愛もない話で時間を潰してミリアの帰りを待つ。三人でホールのアップルパイを平らげ、お代わりをするか悩んでいたとき。


 店舗の扉が開き、鈴が鳴った。


「ママ、ただいまー。って、ローラどうしたの? しかも、ディビーとユリアまでいるし。何か約束してたっけ?」


 予定にない訪問者の姿を認め、ミリアが驚いたように入り口で固まっていた。


「ちょっと良いこと思いついたから来ただけよ。このあと、時間大丈夫かしら?」

「なんだ……それなら大丈夫よ」


 ミリアは、約束をすっかり忘れていたのかと心配した様子だった。それでも、ローラの言葉を聞いてホットと息を吐き、かごを胸に抱えたまま近付いて来る。


「それで、良いことって何?」


 空いていた椅子に座りながらミリアがローラに尋ねた。


「それはね……」


 いたずらな笑みを浮かべたローラが手招きしてみんなの顔を近付けさせる。皆の顔が十分近付いたことを確認し、ミレーネに聞かれないように詳細をコソコソとローラが説明を始めるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る