第03話 女神、お願い事をする

 二階の一番奥にある部屋の前まで来たローラが、扉をノックする。


 返事はない。


 ローラからしてみれば、神に気を使わせたのだからノックをしただけでも感謝してほしいくらいだと思っていたりする。ただそれも、ローラが神の転生体であるなどと、誰か想像できるだろうか。故に、その思考を頭を振って消し去る。


 忙しいのかしら? とローラが小首を傾げてから背伸びをしてドアノブに手を掛けたとき。


 少しくぐもった、「入れ」と、そっけない男の招き入れる声がローラの耳に届いた。


(あれ? 一人なのかしら?)


 聞こえた声が、執事のスコットのものではなかったため、ローラはそう判断した。仕方がないので、背伸びをする。五歳のローラにとってドアノブは高い。つま先立ちの状態で扉を押し開けると、その勢いのまま部屋の中へと躍り込む。よろめきながらも体勢を整えたローラが、すぐさま扉を閉めて正面へと向き直り、部屋の主に向かってペコリと頭を下げる。


「おとうさま、おねがいがあってまいりました」


 頭を元の位置に戻し、乱れた金髪を手櫛でかしながら、ニコリと笑いかけるようにしてこの部屋の主に視線を向ける。執務机の書類と格闘するように忙しなく筆を走らせていたローラの父――ダリル――は、訪問者がローラであることに気付くや否や、椅子を蹴飛ばすような勢いで立ち上がった。


「ローラぁぁぁあああーーー!」


 こともあろうか、倒れた椅子をそのままにしてダリルが、ローラの元へと飛んで来るのだった。


(ちょっとちょっと、子供相手にその勢いで飛び込んで来るんじゃないわよ!)


 慌てたローラが、アクセラレータ――身体強化魔法の速度強化――を使い、ダリルのダイブをすっとかわす。基本スペックが低いものの、これくらいのことであれば造作もない。本来であれば、五歳児のローラに身体強化魔法を使えるだけの魔力は、無い。


 それならば何故? という疑問が浮かぶだろう。ヒューマンに転生したが、これまでの記憶がある。神の知識とも言い換えてもいいかもしれない。ローラは魔力操作のすべを熟知している。ダリルの突撃を避けるのに十分な量だけの魔力を、両脚に集中させたにすぎないのだ。


 避けられたダリルが、弾けるような音をさせて顔面から扉に衝突し、その場にずり落ちる。無様な格好のダリルをジト目で見て、ローラが嘆息する。

 

(そうだ、このダリルがかなりの親バカなのをうっかり忘れていたわ)


 ローラが両膝に手をつき、ダリルの顔を覗き込む。悪いことをしたと反省している訳ではない。


「お、おとうさま、だいしょうぶ?」


 子供らしい声音で問い掛けるのは、ダリルを気に掛けるローラの演技である。聞こえが悪いが、ダリル相手には、それで十分だったりする。


「なーに、これしき父さんにはなんとも無いさ」


 にかっと笑って無事を伝えるダリルだが、鼻血が垂れてきており、端正な顔立ちなのにだいぶ間抜けに見える。栗色の髪は乱れ、茶色の双眸には涙が滲んでいた。


(あー、痛かったのね……これでも凄腕騎士なのだから、親バカはある種の病気よね)


 親バカダリルにこれ以上付き合っていられないローラは、そのことを隅へと追いやり、本来の目的を切り出す。


「それで、おねがいなのですが……」

「良いぞ」

(はっ?)


 おもむろに立ち上がりながら身だしなみを整え、衣服をはたいていたダリルが、ローラのお願いの内容を聞く前に許可を出したのだった。 


 一瞬、呆気に取られながらもローラは、これなら親バカも良いものだ、と前言撤回する。


「ありがとうございます」


 ローラが五歳児らしくはにかんで見せると、ダリルの顔がデレデレと崩れ、「天使の微笑みだ」とかなんとか言いながら気持ちの悪いことになっていた。気が緩んでいる証拠でもある。


「おとうさま、こっち」

「ん、どこへ行くんだい?」


 抜け目ないローラが、すぐさまダリルの手を取って引っ張る。外の修練場へと向かうのだ。


「おそとに」

「おお、外へ行きたいのか。それなら、ほら」


 結局、抱きかかえられてしまったローラは、修練場へ行くための道を指してダリルを誘導することにした。



――――――



 石積みされた簡易的な壁で囲われている修練場にローラたちが着くと、少年と少女が砂埃を巻き上げながら細身の両手剣を打ち合っていた。数メートル離れた奥の方には、金髪をした筋骨隆々の壮年の大男が、地面に刺した大剣の柄に手を添えて見守っている。剣術の稽古をしている最中のようだ。どの剣も刃引がされている。


「なんだ、テイラーとモーラに会いたかったのかい?」


 稽古している二人を見たダリルが、ローラの願いを兄と姉に会うことだと勘違いしたような発言をする。少年が九歳の兄テイラーで、少女が一一歳の姉モーラだ。因みに、大男は剣術指南役のラルフである。


 そりゃあ、そう思うのがふつうよねー、とローラが内心で苦笑いしながらも、ダリルを見上げて顔を左右に振ってそれを否定する。


「ちがいます。わたしもおなじことをしたいのです」

「そうか、仲間外れが嫌なんだね」


 違う方向に勘違いをしながら、ダリルが胸に抱いたローラの頭をヨシヨシと優しく撫でる。


(ち、違うってば! このポンコツ!)


 五歳児を演じているローラは、口が裂けてもそんなストレートな表現で言い返すことは出来い。


くなる上は……)


 こうなることは、ローラもわかっていた。予め用意していた理由をここぞとばかりに吐き出す。


「あのね、おとうさま。わたし、しっていますのよ……ぼうけんしゃのかたがたが、おかあさまをたすけてくれなかったら……わたしがうまれていなかったこと。だから……わたしもつよくなって……だれかをまもれるようになりたいの」


 瞳を潤ませ気味にダリルを見つめ、子供らしく舌足らずに話してたどたどしさを演出するのを忘れない。


(どうよ! これならあんたも理解できるでしょ!)


 完璧に演じきれたことに満足してからダリルの反応を窺う。


 が、


「「「ローラぁああー!」」」

「ローラ様ぁああー!」


 聞こえてくる声の数が異常に多かった。ふと、ローラがダリルから視線を外して首を巡らす。模擬戦をしていたはずのモーラとテイラーの他に、ラルフまでもが目の前におり、一緒になってローラの名を叫んでいたのだ。


(おっ、これは上手くいったかしら?)


 思わず口元が緩むのを感じたローラだったが、過剰な反応を見せる四人から、ローラの作戦が成功したのかどうかは、判別不可能だった。

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