つま先立ち

@Lunatic_Artist_Team

つま先立ち

 校門から下るこの坂道も、これで二度目の春を迎えた。

 等間隔で立ち並ぶ木々は風に揺られ、薄く色付いた桃色の欠片を宙に舞わせている。交差しながら舞うそれらは、背景の水色とマッチしていてとても綺麗だったので、その踊りの先で待っている男性に近づくに連れて、私は自然と歩幅が大きくなった。

「ハヤト先輩、お疲れ様です」

 あと数メートルというところで私がそう口にすると、スマートフォンに目を向けていた彼はこちらを向いて静かにほほ笑む。

「お疲れ様、ユキ」

 黒く短い髪の毛はワックスで固められており、私の髪とは正反対で風が吹こうともびくともしなかったが、漂ってくる甘い香りに鼻が擽られる。

 周りの生徒がこちらに視線を向けるので気恥ずかしかったが、彼は気にすることなく、スマートフォンをスラックスのポケットにしまうと、「行こうか」と私に投げかけ坂道を下り始めた。

「あの先輩、待ちました?」

「全然」

 いつもの雰囲気と少し違うように感じた私は戸惑いを覚えながらも、人一人分空いた彼の右隣に歩み寄る。先輩の隣を歩く景色は新鮮で、ふと意識が戻るといつもより早く脈打つ自分に気がついて急に顔が熱くなった。

 新学期が始まった期間限定の話ではあるが、普段はお互いに部活動があり、暗くなった時間に帰ることがほとんどのため昼間に帰ることは珍しい。

 私は吹奏楽部、彼はサッカー部に所属している。そのため、一緒に帰るときは大体が部活動の話であるが、今日に限った話をすれば春休みの話がほとんどだった。ちなみに春休み中どんな話をしていたかというと、宿題で分からない問題を教えてもらったり、休み明けのデート予定を組んだりと、高校生カップルなら誰しもがやるであろう他愛もないことである。

 けれど、今日も次のデートの話していているのに、どこかいつもと違う雰囲気の彼にどうしても引っかかった。

「それで、友達が休み中に彼氏と遊園地に行ったとか言うもんだから、次のデートは私たちも遊園地に行きたいなって思うんですけど、どうですか?」

「……」

「先輩?」

 私と話をしているにも関わらず、先ほどまでは打っていた相づちを打たなくなった彼に、私は何か怒らせるような事をしたのか不安になる。確かにここ最近の私たちの会話といえば、私の事ばかりがメインであり、彼の話を聞くことはほとんどなかったような気がしたからだ。

 私は立ち止まって一度深呼吸をすると、恐る恐る彼に質問をする。

「あの、先輩。私、何か怒らせるようなことしましたか?」

 吹き抜けた風が、火照っていた体を一瞬で冷ました。

「考えていたんだ。これからのこと」

 先を歩いていた彼も立ち止まり、少し間を開けるとおもむろに口を開いた。ゆっくりと目を合わせると言葉を続ける。

「今年で俺は三年生だ」

 真面目な顔でそう言う彼に、私は「はい」としか答えることができず、只々彼の言葉を待つことしかできなかった。

「部活もあるし、受験もある」

 ひとつひとつの言葉に重みを置きながら、静かに続けた彼のその後の言葉になんとなく想像はついたけれど、私は無言のままじっと待つ。

「だから、別れたいとかじゃないんだけど、少しそういうことを控えたいと思うんだ」

「……」

 言葉が出なかった。

 あまりに唐突だった。

 別に別れを告げられた訳ではない。彼だって『別れよう』とは言わなかった。けれど、そう言われたも同然であった。

「勘違いはしないで欲しいんだけど、少しそっちに集中したいだけなんだ。今まで通りメールもするし電話もする。ただ、少しだけ自分の時間を貰えないかな」

 顔に髪が張り付く。先ほどまでは気持ちの良かった風が鬱陶しかった。

「私が先輩のご迷惑になっているってことですよね」

「違う、そうじゃない。これからサッカーの方も大会が控えているし、受験勉強もしなくちゃいけない。そうなると必然的に、ユキと過ごせる時間が減ると思うんだ」

 私と過ごす時間に比べたら、彼の一生に関わる話である。当然だ。他の誰でも同じことを考えるだろう。

 けれど、私は欲しかった。はっきりとした言葉が。

「先輩、はっきり言ってください!別れようって……」

「だから、大学に行って卒業したら結婚しよう」

 間髪入れずに彼から放たれた言葉に頭が真っ白になる。何を言っているのか理解するのに私は時間を要した。

「不安なのは分かる。俺にはサッカーしかないし、頭も決して良くない。結婚したくないのも分かる」

 沈黙を続けた私を促すように彼は続けた。

「だけど、絶対に幸せにする。大学を卒業したら一流の企業に就職して、ちゃんとユキを幸せにするから。だから、考えてくれ」

 普段から真面目な先輩ではあるが、いつも以上に真剣に私に訴える。

 別れ話だと思ったのは私の勘違いで、最初から最後まで全部私の早とちりだった。悪い癖である。

「今すぐ答えが欲しいとは言わない。これから先、ずっと長いこと一緒にいて、その時になったら答えてくれればい良いんだ。だから、そのために、俺に時間をくれ」

 真面目に考えた末の彼なりの答えに、私もちゃんと答えるべきであろう。

「その時なんて言わない。待ってる。ずっとずっと、先輩が……ううん、ハヤトが良いって言うまで」

 これが私の答えだ。

「ユキ、本当に良い……んむっ!?」

 私は先輩に思い切り近づき背伸びをする。途中まで出かけた言葉は音を出すことはなかったが、私はそれをしっかりと受け取った。

 この景色を見て下るのは、これが初めての春である。

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