第3話 凛と終わりゆく夏休み②

 電車を乗り継ぎ1時間ほど、俺と凛は海浜公園に来ていた。


 さっきまで燦々と輝いていた太陽はもう沈み、空には群青色が広がっている。


 海から吹く突風のような強い風は、夏の夜にも関わらず冷たく上着が欲しくなるほどだった。

 

 そのなんとも言えない風は、まるで夏の終わりを告げているようにも思えて、俺の胸に空いた“穴”を執拗に刺激してくる。


 もうそろそろ夏の終わりか……。


 そう思うだけで、胸が締め付けられる気がしてしまうのは不思議だ。

 今まで、こんなことを感じたことはなかった。


 ああ。理由はわかってる。

 長い孤独の果てに出来た繋がりが、いつの間にか大きく俺を蝕んでいたからだ。


 そんな俺の複雑な心境を表したように、目の前に広がる海は、真っ黒に染まっていた。


 ——ザーッと波の音が耳に迫る。


 そんな海を眺めると、目の前に見える夜の海の、銀波の上に半分になった月が出ていた。

 

 水面に月が反射し、満月にも見えてしまう。

 そして、月と目の前を歩く人物が丁度重なり、月から現れた使者のように見えた。


 その光景は幻想的に思え、つい見惚れてしまうほどである。


 そして——



「翔和くん、ちょっとカッコつけてます?」


「……別に」



 目の前を歩いていた凛が俺の顔を覗き込む。

 可愛らしい顔に大きな瞳が、至近距離まで迫っていた。


 感傷タイムは終わりか……。

 俺は凛から一歩遠ざかり、苦笑した。


 いいじゃん……少しぐらい。

 ほら……夜の海に男が独り。


 なんか哀愁漂う雰囲気とか、男の憧れる像じゃない?



「まぁなんだ。えーと、とりあえず……そんなことより凛。ちょっと思ったんだが……」


「話を流しましたね? 別にいいのですけど」



 俺をジト目で見る凛に俺はわざとらしく咳払いをする。


 だが、それでも凛は気にする様子はなく、相変わらず俺を見つめ続けている。

 そして俺が顔を逸らすと、くすっと笑いながら「誤魔化しても無駄ですよ?」と意地悪な笑みを浮かべて、頬をつんと突いてきた。



「突くなって……」


「翔和くんだって、私の頰をよく触るじゃないですか。今なら、頰を突く気持ちがよくわかります……この心地は病みつきですね」


「俺のは、そんな触り心地がいいわけじゃないと思うけどけどなぁ」



 凛みたいに女神級のきめ細やかさはないし。

 男子なんて、ゴツゴツしているだけだから、正直微妙な筈。


 まぁ、健一レベルになると手入れまで完璧だから綺麗だけどね。



「私が好きだからいいんです」


「なぁ、凛。ちなみに拒否権は…………って、まぁ当然ながらないのか」


「よくわかってますね」


「無理矢理にでも拒否したら?」


「そうですね。もし、拒否された場合は『女性の武器』を最大限利用して叫ぶとかどうでしょう?」


「おい、えげつないこと言うなよ……。凛が言うと洒落にならないからな?」


「ふふっ、わかってますよ。勿論、冗談です」


「ったく……」



 悪態をつき嘆息する。


 もし凛が仮に『痴漢!』とか『セクハラされました』なんて言ってみろ……。

 比喩的な意味じゃなくて、本当に人生が終わる。


 いや、下手したら物理的に終わりにさせられる可能性だってある……。


 想像しただけで、恐ろしいわ……。



「ってか凛。夜の海に来るのって普通に危なくないか? 学校でも禁止されていたと思うけど……」


「あ…………。は、入らなければ大丈夫です」


「おい。今、絶対に忘れてただろ」



 凛が目を逸らし、『何も聞こえません』みたいな澄まし顔でそっぽを向く。

 まるで、都合の悪いことが聞こえなくなる子供のようで、それがおかしく思えた。



「案外、子供っぽいよなぁ。昔はもっと深窓の令嬢みたいだったのに」


「確かに翔和くんの前では、だいぶ砕けた気がします」


「そうだなぁ。ちょっと前が懐かしく思えるよ」



 初めて見た時は、警戒心の塊のように見えた。

 それが今となっては、じゃれついてくる猫と変わらなくなってきている。


 そう思うと、ちょっと笑えるな。



「……翔和くん」


「何……?」


「少し、お話ししてもいいですか?」



 さっきまでの様子と違い真剣な目で見てくる。

 その瞳からは、不安が見てとれるような色を感じ俺はわずかに息を飲んだ。

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