閑話 物語の裏側で(若宮凛)



「いらっしゃいませ!」



 カウンターから聞こえる彼の元気な声。

 私は順番を待ちながら、彼の様子をぼーっと眺めていました。


 自分の番が来ると、私はいつも通りドーナツを……。

 ――あ、財布……。



「お客様、番号札をお持ちになってお席の方でお待ちください」



 翔和くんはそう言うと私に番号札を渡し、並んでいた他のお客さんがいなくなると私のところに寄って来ました。

 制服の上からパーカーを羽織り、手に握られたトレーにはドーナツとレモンティーが乗っていました。



「ほら、ドーナツとレモンティー。どうせ財布を忘れたんだろ?」


「うっ……。すいません。ぼーっとしていました」


「ったく、凛はたまに抜けてるよなぁ」


「ふふっ。そうかもしれません」



 面倒くさそうな態度をしつつも、翔和くんの優しい対応に思わず笑ってしまいます。

 いつになっても、この優しさは変わりません。


 そう、あの時も――。



 ◇◇◇



「それは、たまたまよかったな。ま、とりあえず食べてくれ。いらなかったら悪いけど捨ててくれると助かる。んじゃ」


「あのっ!」



 私にポテトを渡した人は、足早にその場を立ち去って行きました。振り返りもせず、まるで何もなかったような行動に違和感があります。

 その彼の背中を目で追うとは、すぐ近くのお店へと姿を消しました。

 ――あそこでアルバイトをしているのでしょうか?



『ぐぅぅぅ……』



 渡された紙袋からの匂いに反応したのでしょう……。

 再びお腹が情けない声をあげていました。

 

 ……うぅ、顔が熱いです。


 私はポテトを一つ摘み、そのまま口に入れる。

 思わず食べてしまったところで、ハッとしました。

 ……なんで食べてしまったのでしょう。


 関わったことのない人からの貰い物には気を付けなければならないのに……。

 しかも、食べてしまったから『借り』まで作ってしまいました……。

 また、いつものような“しつこい男性”の可能性もあるのに……。



「……今日はついていないですね」



 私はベンチに背中を預け、天を仰ぎました。


 気分転換にどこかで勉強しようとして歩いていたら、財布を忘れてしまったことに気が付き、仕方ないので家に帰ろうとしたら鍵を忘れ……。

 そして、今日は親の帰りが遅い。しかも、定期テストの早帰り日でご飯を食べていなくて空腹……。


 まさに踏んだり蹴ったりです。人生最大の厄日と言っても過言ではありません。

 けど――



「……温かい」



 ポテトはまだ温かく、どう考えても廃棄の物とは思えません。きっと、後ろめたい気持ちにさせないような配慮なのでしょう。

 そう思うと、私の口元が自然と綻びました。

「ふふっ。随分とわかりやすい嘘です」

 私の頭にふと彼の表情が浮かんできます。

 ぶっきら棒で、気まずそうで……何か距離を感じる。そう、まるで俯瞰して見ているかのようでした。


 たしか名前は――『常盤木翔和』だったかと思います。

 入学式でそう呼ばれていましたから……。


 お父さんから聞かされた夢物語のようなことが頭の中で蘇ってきます。

 本当にそんな人がいるのかと、その話に興味は持ちましたが、『きっと演技か裏がある。脚色された話だ』と思っていました。


 しかし――まさか、自分がその当事者になるとは思いませんでした。

 私は、ベンチに背を預けるようにして空を見上げます。


 こういう時はどうすれば……。


 あ、確か加藤さんとさっきの常盤木さんは知り合い……? だったはずです。

 それなら琴音ちゃんに聞けばわかるかもしれません……。


 私は急いでスマホを取り出し、彼女に電話を掛けます。

 直ぐに出てくれるといいのですが――



『……凛、どうかした?』


「もしもし琴音ちゃん、ポテトってどう思いますか!?」


『……普通に芋じゃない?』



 電話から聞こえたのは呆れたような声。

 やってしまいました……。

 まだ、さっきの出来事に動揺していたようです。



『凛……?』


「すいません……。焦り過ぎて主語が抜けていました……うぅ……」


『……とりあえず落ち着いて。何があったの?』


「えっと……。色々とやらかしましたぁ……」



 私はさっきの出来事を琴音ちゃんに説明してゆきます。

 全てを話し終えるまで、ずっと黙って聞いてくれました。



『――こんな感じです……』


「……はぁ。まったく、変なところでドジなんだから」


『うぅ……ごめんなさい』



 ため息交じりの呆れた声。

 ただ、心配していることが伝わってくるようでした。



『……それで凛。急に電話ってことは……もしかしていつもの感じ?」


「そうですね……はい。たぶん……」


『……釈然としないね。何か引っ掛かることでもあるの?』


「特に何も言われなかったので……」


『……こういう言い方すると変だけど“珍しい”ね』


「そう……ですね」


 生きていれば、誰かのお世話になることは当然あります。

 “ない“という方がおかしな話です。


 ただ、そのお世話になるというのは一つの行為ですが、ニュアンスや意味というのは残念ながら異なってきます。


 ――善意によるもの。

 ――義務によるもの。

 そして――悪意のあるもの。


 私は、子供の頃から男性の人によく声を掛けられます。

 自分の見た目が母譲りで優れていることも理解しています……。


 そのせいか昔からトラブルは絶えませんでした。

 今では様々な防衛手段を覚えました。ですが……小さい頃は、誘拐されそうになったという経験から外に出ることへ対して怯えていたこともあったほどです。

 あの恐怖を忘れたことはありません。



 ――だから、私は人の悪意には人一倍敏感です。



 私に声を掛ける、何か手伝いをしてくれる。

 そんな男性からは邪な視線を感じることがほとんどです。

 そういった人たちは、この手伝いを足掛かりとして今後の繋がりを求めていたのでしょう。

 この話は必ずしも男性だけではありません。

 同級生の女の子を通じて、連絡先を知ろうとする人もいました。



 ――正直、うんざりです。

 しつこく何度も連絡先を聞いてきて、そして言い寄ってくるのは……。


 だから今回も“きっとそうである筈だ”と思いたいのですが……。

 彼からは何も感じませんでした。


 わからない……。

 けど、わからないからこそ――



「……今後の憂いを断ち切りたいので、貸し借りはなしにしたいと思います。恩に付け込まれて面倒なことになりたくないですし……」


『……律儀というか用心深いというか……。でも、その彼って、すぐに立ち去ったんでしょ? だったら本当に何も求めてないかもよ?』


「念には念を……。何かしらの形で返すべきだと思います」


『……凛は、面倒な性格してるねー。でも、今までのことを考えると仕方ないのかな……』


「そうですね……」



 思い返しても嫌なことしか出てこず、同時にため息が漏れ出そうです。

 私は嫌な思い出を追い出すように、頭を左右に振りました。



「ですので、彼のアルバイトが終わってから聞いてみようと思います」


『……わかった。けど危なかったら、すぐに連絡しなさい』


「はい。琴音ちゃん、いつもありがとうございます」


『……気にしないで。それで、相手は誰なの? あ、でも知らない人よね』


「いえ、一年D組の常盤木さんだと思います。何度かすれ違ったことがありますし、入学式でもお見掛けしましたから……」


『……相変わらず凄い記憶力。って……あれ? 常盤木ってたしか……』


「お知合い……あ、もしかして、加藤さん繋がりでしょうか?」


『……私はそんなに話したことないけど。健一はそうかも』



 やっぱり……。

 確かに思い返してみると、入学式で加藤さんと親し気だったと思います。

 でしたら――



「加藤さんに少しでいいので聞いて――」


『……隣にいるから、もう聞いた。“百聞は一見に如かず”だって』


「なるほど……。そういうことですか……」


『……凛のことだから、健一の話を聞いても自分の考えで決めるんでしょ? 自分の目で見ないと納得しないだろうし』


「そう……ですね」



 琴音ちゃんの言う通りです……。

 喩え、加藤さん『いい奴だよ』と聞いたとしても、私は納得せずに行動していたことでしょう。

 それをわかっているからこそ、加藤さんの言葉。


“百聞は一見に如かず”


 確かに、噂や伝聞を当てにするのは私らしくありませんでした。

 もしかしたら、動揺していたのかもしれませんね……自分が話の当事者になってしまったので……。



「決めました! 彼のアルバイトが終わるまで、ひとまず待ちたいと思います。何かあっても大丈夫なように防犯ブザーはありますし、ワンボタンで警察にも連絡が行くようにはしておきます」


『……用心深いね』



 こうして、私の恩返し……いえ、禍根を断つための行動が始まりました。



 彼の本性を確かめて、今までと同じような人なのかどうかを……。

 この時は『いつも通りすぐに終わる』、そんなこと思っていました……。




 ◇◇◇




「どうして、何もしてこないのでしょうか……」



 あの日から毎日のように接触を試みています。

 バイト先に通い、一緒に帰るなど隙を見せてみたり……。


 ですが、防犯ブザーの出番が一向にありません。

 それどころか――



「毎回あほか……。若宮さんはもう少し自分の存在を客観視した方がいい。毎回、こんなのを続けているのは良くないと思うよ。ここが勉強しやすいとかあったとしてもね」



 と注意までされる始末です……。


 そしてバイト中の彼を観察してわかったことがあります。

 あくまで一例でしかないのですが……。



『あ……芯が切らしています。買ってこないと……』


 そんなことを呟き、困っていると――


『ペンの拘りとかってある?』


『特にはないのですが……』


『んじゃあ、店に置いてあるこれを使って。アンケート書いてもらう用に置いてあるのだし、使っても文句は言われないだろ』


『ですが……』


『帰りにアンケートでも書いてってくれ、てきとーにな。それで貸し借りはなしだ』


 ……というやりとりをしたこともありました。



 その時は、『私の気を惹こうとしているのでは?』と考えたこともありましたが、私が関係ない時も彼の行動は一切の淀みもなく、変わることはありませんでした。


 喩えば、お店の中で周囲に迷惑をかけている人がいたら――


『お客様。他のお客様のご迷惑になるので、そういったことはおやめ下さい』


 普通は避けて見て見ぬフリをする場面なのに、しっかりと言いに行きます。

 いくら相手が怖そうな人でもお構いなしです。


 それには見ているこっちがひやひやしました。

 殴られることも恐れていない。寧ろ、殴られてもいいと思っているかのようでした。


 今回は相手の方々は、舌打ちをするだけで去って行きましたが、いつ危ない目に遭うかわかりません。

 そう思うと、心配になってしまいます。


 他にも目の前で全てを落としてしまった子供がいれば、


『君、間違ってお兄さん作り過ぎちゃったよ。これ良かったら貰ってくれる?』


 と言って、笑みを浮かべながら新しい商品を提供します。


 一見、店長による指示、つまりはサービスのように見えましたが……。その後、子供にプレゼントした分、お金を払っているようでしたので恐らく違うでしょう。



 ――これが何日か見てわかった常盤木さんでした……。



 どうやら彼は、自分がやっていることが、自分を犠牲にしてまでかける優しさが当然だと思っているようです。


 呼吸をするように自然と迷いなく行動しています。


 ……それはある意味“病的なまでの自己犠牲精神”と言うべきでしょうか。

 私はそのことに気が付きました。



 ――なんて危なっかしいのでしょう。



 まるで自分はいつ死んでもいい。

 いつ消えてしまっても構わない。

 そう言っているように…………私には、何故かそう見えてしまいました。


 そして、一向に要求してこない彼の真意はそこにある気がしました。



「今までと同じだったら、こんなに悩むこともなかったのですが……」



『男の人は下心ばかり。行動には裏がある』と私は今まで信じていました。

 これはあくまで、自分の経験に基づく結論のようなものです。


 実際にそうじゃない人もいるかもしれませんが、私からしたら都市伝説と一緒でした。


 そんな中、現れてしまった都市伝説。

 今までの事例と異なる謎の人。


 私は、正直なところ同じ事例に当てはめたかった。

 そうすれば『やっぱりそうだったね』と納得出来ますから……。


 しかし、一向に当てはまりません。

 それどころか、悪い噂が立たないようにと私に気を遣っているのを感じます。


 彼が女性に興味のない人とかでしたら、わかりやすくていいのですが……うーん。


 わかりません。

 彼がどんな人なのか本当にわからないです。


 私は天を仰ぎ、眉間にしわを寄せる。



「むかむか……モヤモヤします……。これは私らしくないですね……」



 思い立ったが吉日……確かめてゆきましょう、彼のことを。


 そして、それを知ればわかるかもしれません。

 彼がどうして要求をしてこないのか。

 今私が感じている、今まで感じたことのない――モヤモヤとした気持ちの正体も。


 明日、学校で話しかけてみましょう。

 校舎内ですと話しにくいですし……、帰り際の方がいいかもしれませんね。


 例えば、自転車小屋とかでしょうか……?


 最近、彼のことばかり考えてどうしたのでしょう。

 私はそんなことを考えながら、放課後を待つことにしました。


 

 ◇◇◇



 これが彼と私の間にあった出来事の一片。


 きっと、翔和くんからしたら『そんなことあったか?』と言うかもしれませんけどね。


 私は手帳を開き、これからの予定に目を通します。

 ハートマークがついている箇所に目を向け「ふふっ」と小さく笑いました。

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