第78話 なぜか、リア神と夏祭りに行くんだが②


 ——1週間ほど前



 夕食を食べ終えた俺は、いつもと同じように食後のデザートを頬張り、のんびりとした時間を満喫していた。


 今日のデザートはチョコブラウニー。

 勿論、これは凛の手作りである。


 よく作ってくれるお菓子ではあるのだが……。

 うん。これがとんでもなく絶品。



「まだありますから、食べたい時は言って下さいね?」


「おぅ、さんきゅ。いや〜、美味すぎて食べ過ぎないか心配だわ」


「ふふっ。それは良かったです。ただ、流石に限りはありますし、食べ過ぎは気をつけて下さい」


「ん〜、無理! 食べ続けたくなるこれを作った凛が悪い」



 俺の言葉に凛の目が鋭くなる。



「では、次に用意する時は単語暗記とセットにしましょうか。1つ食べるごとに単語10個です」


「げっ!? 流石にそれは酷くないか……?」



 何度か作ってもらい、今ではお気に入りのこのお菓子……。

 それを取り上げられたら……ショックで死んでしまう。


 いやあのチョコブラウニー……マジで美味しいんだよ。

 単純なチョコだけではなく、飽きないようにナッツを入れたりしっとり具合を変えたりなど、色々な種類を作ってくれてさ……。


 あ〜!

 これが食べれなくなったら“チョコブラウニー渇望症”になるのは間違いない。


 机の上に頭を乗せて、顔だけを凛の方向に向ける。

 俺の表情が弱々しく見えたのか、凛が「そ、そんな悲しい表情をしても駄目ですからねっ!」と若干慌てたように言った。


 このまま粘れば『もしかしたら大丈夫なのでは?』と思ってしまうのは気のせいだろう。

 そんなに凛が甘くないわけないし……。


 凛は軽く咳払いをすると、綺麗な姿勢で俺の横に座り直した。



「いいですか翔和くん。人が動くためには、何事も原動力が必要です。そのための1つと、今回は考えて下さい」


「はぁ……。頑張れば、本当に作ってくれるか?」


「勿論です」


「じゃあ頑張る。全てはチョコブラウニーのために!!」



 俺はその場で単語帳を開き、チョコブラウニーを咀嚼しながら暗記を始めた。


 うん、なんかいつもより捗る気がする。


 そんな俺の様子は凛が唖然とした様子で「……あの翔和くんがここまでやる気になるなんて……。やはり、胃袋が重要ってことですね……」と小さく呟いた。


 確かに食べ物には釣られたが……。

“あの翔和くん”は余計だと思うぞ?



 ブーブーブー



 そんな俺のやる気に水を差すように、スマホがぶるぶると震え出す。


 俺は睨むようにスマホを一瞥し無視しようとすると、凛がくすりと笑い「電話は出た方がいいですよ」と言い画面が見えるように差し出してきた。


“健一”と表示される画面を見て、大きなため息が口から漏れ出る。

 そして渋々スマホを受け取ると、表示されている通話ボタンを押した。



『うっす! 翔和!! 前に言った通り——』


「このお電話は、お客様のご都合によりおつなぎできません」


『え、マジ!? まさかの着信拒否!?!?』


「…………」


『いや、こんな覇気のない声は翔和しかありえねぇか』


「失礼だな、おい」


「ははっ! 悪い悪い! んじゃ早速用件だけどなっ!!」



 電話越しに聞こえるテンションの高い声。

 反射的に“通話終了のマーク”へ手が伸びる。



『そろそろだから行く準備とかしとけよ〜?』


「………………」



 おっと、危ない。

 電話を切るところだったよ……。



『おい……今、変な間があったけど……。まさかと思うが、切ろうとしなかったか?』


「そんなわけないだろう……ってか、行くってどこへ?」


『忘れたのか? 夏祭りだよ! な・つ・ま・つ・り!!』


「あー。あったね、そういえば……」



 嫌なこと過ぎて記憶の片隅に追いやってたわ……。


 リア充達の集まり。

 とにかく騒ぐ奴ら。

 コスパが悪い出店。


 ——祭りの全てが嫌いだ。


 まぁ今回は凛と約束してしまったから、行くしかないけど。

 本来だったら絶対に行きたくない夏のイベントである。



『だから翔和、荷物の準備をしとけよ?』


「うん? 荷物って……祭りに行くのに財布以外で持ってく物ってあるのか?」


『いやいや〜着替えとか必要だろ? 夏場は汗をかくし、泊まるわけだから』



 ——泊まる?

 健一から聞こえた不穏な言葉に口角がぴくぴくと引きつる。



「……なぁ健一。祭りって地元のじゃないのか? あの小規模の……」



 凛からの提案で行くことになっていた夏祭り。

 あれは地元の小規模のやつで、しかも8月の初旬に終わってしまう。


 今は8月の半ば……。

 そう、もうとっくに過ぎているのだ。



『あーそれな。最初はそのつもりだったんだが、悪天候とかで色々とずれ込んだらしくこの時期になったんだとよ〜』


「いや、でも……あの祭りやってたぞ? 家の前をチャリで通過するリア充がいたし」


『ああ〜。たしかにやってたなぁ。ってか翔和〜、勘違いしてるだろ?』


「は? 勘違い?」


『俺は8月の初め頃とは言ったが、“地元”とは一言も言ってないぞ?』



 ——思考停止

 スマホを持ったまま固まってしまった。


 そんな俺を凛が心配そうに見つめ「大丈夫ですか?」と服の裾を何度か引っ張った。


 その可愛らしい仕草にドキッとし、すぐに健一に声をかける。



「健一……。俺を嵌めただろ……?」


『ははっ! ま、いいじゃねぇーか!」


「全くもってよくない」


『まぁまぁ落ち着けよ。地元じゃない祭りを選択したのは、翔和への配慮なんだぜ?』


「……配慮?」


『ほら、地元じゃなければ顔見知りと会うリスクは減るし、その方が気兼ねなく楽しめるだろ?』



『翔和がな!』と笑いながら付け足す健一。

 ……ったく、変な気を回すんじゃねーよ。


 俺は思わず苦笑し、心の中で悪態をつく。



『つーわけで、準備よろしくな! 場所は後で送るから若宮と確認しててくれ。ちなみに今更、怖気づいて行かないとかはなしだから、そこんとこよろしく〜』


「……へいへい。言いたい事は多々あるが……約束は守るよ」


『んじゃ、ちょっとだけ保護者に代わってもらってもいいか?』


「保護者ってお前なぁ……」



 俺は凛にスマホを差し出す。

 健一とのやりとりを聞いていたのか、凛は隣でくすくすと笑っていた。



「はいよ……。ほら、凛。健一が『代わってくれ』だと」



 スマホを受け取り、「代わりました。若宮です」と抑揚のない透き通るような声で電話に出た。


 電話をする時は、トーンが上がると言うが凛の場合はより聴き取り易くなるって感じである。


 俺は電話の様子をお茶を啜りながら、ぼけーっと見守る。

 健一に何を言われたかわからないが、時折見せる凛の慌てた様子が新鮮で微笑ましく思えた。



「はい。残念ながら持ってはないです……」


『………………』


「えっ!? 本当ですか!?」



 大きな瞳をぱちくりさせて、何かに驚いている。

 だが、話は全く入ってこない。


 ただ凄く嬉しそうなのは確かだ。



「ですが流石にそこまでしていただくわけには……」


『………………』


「……え。そう……なのですか?」


『………………』


「……お言葉に甘えさせていただいて……」


『………………』


「ありがとうございます! 本当に重ね重ね——」



 この後、ペコペコと何度も頭を下げる凛と電話を代わり、健一と『最近どう?』『宿題やったか?』『勉強は捗ってるか?』みたいな取り留めのない会話をした。


 会話の途中で『……健一は雑』と聞こえたから、きっと藤もいたのだろう。

 小言を言われる健一の姿が、なんとなく目に浮かんでくるようだった。



 ◇◇◇



 ——と、まぁこんなことがあり今に至るというわけだ。



「ん……。翔和くん、それ……間違ってますよ……」



『寝言でも俺の面倒を見てるのかよ!』と内心でツッコミを入れる。

 そんな凛の様子に自然と口元が綻ぶ。



「さて、目的地までなんとか頑張るか……」



 俺は大きな欠伸をして、凛を起こさないように手首だけストレッチをする。

 そして、鞄から事前に買っておいた眠気覚ましの飲み物を取り出し、それを一気に口へと流し込んだのだった。

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