宙の王家

さゆと/sizukuoka

第1話 サラ・キャロライン

 食事中は、姿勢よく座ること。

 ナイフとフォークは、正しく使うこと。

 おしゃべりは、不用意に行わないこと。


「……サラ。食事中につまらん顔をするな」


 向かいに座っていた義兄は、わたしを一瞥した。

 わたしの前には、カルボナーラとオリーブのサラダ、焼き立てのトーストが並んでいる。給仕がきびきびとした動作で、義兄のグラスにワインを、わたしのグラスにオレンジジュースを注いだ。


 わたしの身長・体重から割りだされた摂取カロリーの目安は、一日につき1828キロカロリー。そして、この食事は約1200キロカロリー目。レトルト食品を中心に、缶詰、など……野菜や果物などの新鮮食材は、地球との貿易船が到着したときの珍しいご馳走。信じられないけど、人間が地球にしか住んでいなかったころ、宇宙飛行士たちの飲み物はビニールパックに入れられて、彼らはそれを直接吸いこむように飲んでいたという。

 けどそれも、40年前にはすでになくなっていて、わたしたちはこうして地球上と同じように生活を送ることができている、らしい。


 わたしがレタスの突き刺さったフォークを置き、

「申し訳ございません。お義兄様」

と言うと、義兄は

「己の一挙一動に王家の意識と責任を持て」

と語気を荒くして、わたしをにらみつけた。


 彼はいつも、王としての役目を果たそうと躍起になっていた。そしてそれを、ただ利用されるために存在する義妹に押しつけようとした。彼は「王家の」「国家の」「同盟国の」が頭につくどうでもいい価値観をわたしに植えつけようとする。


 そうやって国の役に立つように仕込もうとしたところで、宇宙船国家 《キャロライン》の未来なんてわたしには関係ない。船への帰属意識なんてものはさらさらない。だから、

「サラ。お前の顔色を皆がうかがっている。国民に気を遣わせるな、敵に弱みを悟らせるな。この船にお前の味方しかいないとは限らない」

と言われても、いまひとつ実感が湧かなかった。


 彼はわたしを役に立たない置物のように思っているのだろう。でも、わたしは「王家に入れてください」なんて頼んだ覚えはないし、「義妹になりたい」なんて思ったこともない。

 わたしの父と母が命を落としたのは、この王家のせいなのだ。


 わたしが生まれたとき、すでに宇宙船国家間の戦争は始まっていた。

 先に宇宙へと乗り出し、小天体探索と研究開発によって地球外の莫大な資源を確保した先発船団と、後に発見された超科学文明の遺産の研究開発から生み出され、先発船団の出立後に宇宙へと乗り出した後発船団の争い。


 母は眠る前に、あたたかい腕でわたしをぎゅうっと抱きしめてくれた。わたしが地球の話をねだると、母は「同じ話よ」なんて言いながら、何度でも聞きたいのだと訴えるわたしに語ってくれた。

「お母さんにはね、賢いお母さんと強いお父さん、それから優しいお姉ちゃんがいたの」

 そのときのわたしの目は、きっときらきら輝いていたに違いない。母が懐かしそうに話す地球という星。その海王星に喩えられる青い海に、銀河のようにうずまく雲に、わたしは憧れていた。

 またたく星たちを見上げるベランダ、カーテンを揺らす夜のそよ風、望遠鏡のしぼりを調節する面倒見のよい姉……。今でも思い出せる数々の物語。


「《キリエ》が降伏した」


 そして、わたしのあたたかい記憶は、同盟国の敗北以降ちりぢりになる。

 《キャロライン》含む先発船団の宇宙船は、近い未来に小天体が追突すると予測された地球からの「退避」手段に過ぎない。宇宙兵器の搭載も十分でなく、自分たちで開発しようとも、そのための設備や量産体制など問題は山積みだった。先発船団はそんな状態のまま、地球産の最新鋭宇宙兵器を搭載した後発船団とぶつかり――宇宙空間への慣れと十分な探索による優位性頼りの戦局は、悪化の一途を辿っていたようだった。


 ある夜、わたしは布団にもぐり、眠ったふりをして両親の会話を聞いている。

「そう。……行くことになったのね」

「行かぬわけにはいくまい。他ならぬ王の頼みだ」

「どうか無事で帰ってきて」

「ああ、サラを頼んだぞ」

「必ず守って見せるわ、なにがあっても」


 その後、母とともに巻きこまれた《キャロライン》外縁部での爆発は、当時一四歳だったわたしに身体的にも精神的にも大きなダメージを与えた。

 頭が割れるように痛い。

 脚が潰されるように痛い。

 お腹が引き裂かれるように痛い。

 わたしはそのまま一年間、意識が戻らなかった。


 医療区画の一室で目を覚ましたとき、鈍く輝く真っ白い天井がまず目に入った。

 わたしの身体はひどく重く、力は少しも入らなかった。ひとみだけを動かして足のほうを見ると、わたしをこの世に繋ぎとめるためのチューブ群が身体のいたるところに突き刺さっていた。

 自分がまるで重病人の扱いを受けていることには実感が湧かない。魂はつい先ほどまで無意識の宙を漂っていた。身体と心が一体化するまで、わたしの身体は空くうだった。


 わたしの身体を見張っていたモニターがわたしの脈を読みあげ、同時並行で電子カルテに刻んでいる。点滴筒の中を無色透明の雫が、規則正しく落ちていく……。

 しばらくすると、ドクターがナースを従えて慌ただしくやってきた。わたしの意識は常にモニタリングされ、変化が起きれば担当者にすぐに通知されるようになっている。医療システムはわたしの目覚めを感知するとすぐに彼らを呼んだのだった。


 声がかけられる。わたしはひとみを動かし、彼らに応える。彼らは機器を操作し、わたしの内部状態を確認する。

 その間に、わたしの意識はまた空に飲み込まれていく。

 次に目覚めたとき、わたしの目の前には見たこともない女の子がいた。死の淵を漂っていたわたしをぼんやりと見つめていた彼女は、ハッとわたしの顔を覗きこみ、笑いかけた。


「はじめまして。よかった、君が目覚める気がしていたんだよね」

「……おか、あ、さ……?」

 酸素マスクに閉じこめられた唇を動かそうとすると、彼女は手のひらを動かして「無理に話そうとしないで」と告げた。

「ごめんね、あたしは違うよ。ただの入院仲間さ。あたしもここで長く眠っていたんだ」


 筋肉の落ちた身体は、意識を引きずり降ろし、わたしの思考力を奪う。思考はもやがかかったようにはっきりせず、わたしは彼女の言葉を理解しようとするのを諦めた。

 不思議な感覚があった。まぶたを広げる気力もなく、焦点の合わない世界でぼんやりと浮かび上がる母の面影。ただ髪の色が同じなだけで間違えるなんて……きっと、万全ではないからなのだろう。きっとそう。だって、もう母も、それだけじゃない、父だってこの世にいない――。


 やがて医療システムに呼ばれたドクターがやってきて、ナースと共にわたしの容体を確認した。名も知らぬ女の子は、ベッドから離れて彼らがせわしなく動き回るようすをじっと見ていた。

一通り確認を終えたドクターは、命の危機がひとまず去ったことをわたしに告げると、今後の処置について淡々と説明をした。そして最後に、

「以上のことは、我が《キャロライン》王に報告させていただくこととなります」

と付け加え、女の子を振り返った。


「君は、彼女のお姉さん?」

「いいや。でも同じようなものだよ、これからそうなるんだから」


 わたしは女の子を見上げた。酸素マスクで「ひゅー」という返事しかできないのをいいことに、好き勝手言われている。でも、なぜだか腹は立たなかった。彼女は裏表のなさげな、明るい笑顔をわたしに向けた。

「……あたしの名前はフィーネ。たぶんだけど、これからしばらくは一緒にリハビリすることになるでしょ。よろしく、サラ」

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