第30話 悲劇の射手座 part【2】

 私を殺してくれませんか。


 その言葉を頭に入れるまで、かなり時間がかかったと思う。未だに納得も理解も追いつかない。俺の引き攣った間抜け顔を彼女はどう捉えているのだろう。目の前の少女は真っ直ぐ此方を見上げ此方の出方を伺っている。幸い、周りに人は居ないので、少し踏み込んだ質問をする。


「……ロイヴァスと月下さんとの戦闘で何があった? 悔しいけど、俺にはロイヴァスが簡単に死ぬ男だと思えない。よほどの事が起きなければ、そんな発想は出てこない筈だよ」

「それは…答えますよ」


 早速話してもらおうとすると、彼女はその前に、と前置きを加える。


「その前に、約束して下さい。私を…私をちゃんと貴方が自分の手で生きる為に殺すと」

「出来るわけないだろ! 例え君がロイヴァスを殺してても、俺は君を殺さないからな!」


 死にたがりに向ける武器は無い。何の為に俺達が武器を手に取って立ち上がるのか、それは帰るため。仲間を殺して得るためでは無い。一度決めた事をそう易々と覆せる程、甘い信念では無い。


「それなら、みんなの為に殺して下さい」

「どういう……」


 詳しく聞こうとする前に、俯いたマナロはボソリと呟く。表情は分からないが声色は妙に落ち着いていた。それは、悲しさを大義で塗りつぶしたせいなのか。


射手座サジタリアス———起動おきて


 彼女の周りから円を描くように等間隔で配置された結晶が輪っかを作り出す。幾多の輪っかがマナロを包むと、目を覆うような光が発せられ、思わず目を閉じてしまう。やがて、光が収まった場所には翡翠色の宝石を胸に装飾した白磁のプレートを見に纏い、背中に矢尻の形をした小型無人機を自身の周囲に円を描かせて浮遊させる少女が此方を見下ろしていた。そして、その少女の名前はマナロではなく——確かに、サジタリアス、そう記されていた。

 驚きで言葉も出ない俺に向けて生まれたばかりで世間を知らない我が子を見守る母親のような慈愛のある微笑みを見せる。


「グレイさん、さぁストーリークエストですよ。射手座ですよ。私を殺さなきゃ、誰もお家に帰れませんよ?」

「何で…そんな…あり得ない…」


 瞳孔は見開き、手に力が入らない。彼女は、俺がおかしな事を言っているかのように笑いかける。


神の居るユノのゲーム、不可能はありません」

「いつ射手座に…」


 ストンと彼女から笑顔が消え去る。グダグダと質問しかしない俺に痺れを切らしたマナロは射手座として、ついに動きだす。射手座の能力か、宙に浮かんだマナロが手を差し伸ばすと、円を描く矢尻型の無人機たちは矛先を一斉に此方へ向く。


「死にかければ殺してくれますか? 射抜け、鏑矢かぶらやたちよ!」


 狙いを定めた無人機たちがミサイルのように俺を目掛けて放たれた。だが、迎撃をすることは出来ない。弓矢で全弾を弾くには間に合わない。しかし、武器を切り替えた所で撃ち落とす時間は限りなく短い。咄嗟に背後へ跳んだ俺は、弓を棒切れのように振って直撃狙いの無人機を払い落としにかかる。


「ぐっ…」


 運の良いことに、殆どは外れて一二発が肩を掠める。地面に着地した俺はダメージを確認して顔を顰める。掠めて半分HPを持っていかれた。そんな火力はマナロには搭載されてない。十中八九、射手座の恩恵である。厳しい表情の俺を見た彼女は、余裕の笑みを崩さない。


「死にますよ? 射手座の力はプレイヤーの比じゃありません。少し力を入れればプチっと消せます」


 彼女が語る中で、俺はなぜ射手座に目覚めてしまったのかを必死に考えていた。


(ユノが選ぶにしたってプレイヤーを強制的にリタイヤさせるのは最初の宣言と矛盾する。そうなると、マナロは、どこかで…死……)


 脳裏に浮かび上がったのは、レーネ沼の一戦。終わってから彼女の態度が変わり、しこりの残った大蛇との戦い。


「あ…あれか…うみへび座の時…なのか?」


 余裕があったマナロの表情に歪みが生じる。歯を食いしばる彼女は、俺に悟られたくないようだった。白磁の兵装の背後に取り付けられた機動用のスラスターが銀色を光を噴射する。流星のように目の追いつかない速度まで加速したマナロは、瞬く間に俺の眼前に現れると、装甲で武装された右腕を振り抜く。鈍い痛みと後ろへ吹き飛ぶ感覚が身体を伝わる。草原に打ち付けられた俺に難なく追いつくマナロは馬乗りになって、首を両手で締め上げる。このゲームに窒息死は存在しない。しかし、射手座の筋力で締め上げればダメージは蓄積されていく。それが例え、首に手を優しく覆い被せただけの、どんなに弱いものでも、着実に命の限界時間は訪れる。


「あの一撃で、俺を庇って、死んだのか?」


 下ろした前髪のせいで彼女の表情は読み取れない。しかしながら、沈黙は肯定である。俺はその瞬間に、抵抗するのをやめてしまった。恨まれているならここで殺されても良いと思ってしまったのだ。それが、彼女の自尊心を更に傷つける。


「何で抵抗しないんですか……」

「ごめん」


 一向に抵抗しないことに気づいたマナロは力を強める。


「抵抗すればこの程度貴方なら簡単にっ!」


 泣きそうな声の彼女に謝るように、ここに居ない彼らに届くように俺は声を出す。


「悪りぃみんな。マナロを助けてやってくれ…」


 HPが危険域に突入するのを横目に、後に託すための遺言をフレンド欄から全員に送ろうとする。それを見抜いたマナロは立ち上がり、俺の胸ぐらを掴んで吸い寄せる。鼻と鼻がぶつかる距離で彼女は叫んだ。


「ふざけないでっ!」


 大きく振り回された俺は宙へとほうり投げられる。地面に叩きつけられてから勢いで十メートル程転がり回って横たわる。立ち上がる気力すら見せない俺に、彼女はために溜め込んでいた胸の内をぶつけた。


「こんなっ、こんな弱虫に私は託すわけじゃない! 私の気持ちを覚悟を…何が悪りぃよ! 無責任で自分勝手で臆病で……死んで責任取るくらいなら私の言うこと聞きなさいよ!! ああああああ!!!」


 怒りに呼応して、小型無人機たちが彼女の頭上に集まり始める。やがて、それらはプロトΣと似通った弓を左手に装備した人型機械が降臨する。そして、弓に番られた矢は、黒い流線型に色取り取りの小さな星々が散りばめられ、まるで宇宙の一部を切り取ったかのような神秘的一矢である。


「銀河の矢を、サジタリアスッ!!」


 サジタリアスと呼ばれた人型機械は俺に狙いを定めると躊躇なく矢を発射する。手持ちの武器じゃ英雄絶技を使っても飲み込まれそうな底知れぬ一撃に俺は絶望の気持ちは一切込めず、ただマナロの人生を自分を庇ったせいで奪ったと身に刻むように、最期の言葉を口にする。


「ごめん、俺に君を討つことは出来ない」


 目を閉じて、くそったれな仲間たちに心の中で別れを告げる。メッセージは送れなかったけど、きっと俺が居なくても何とかなる。きむと、マナロをどうにかする方法を見つける。きっと、クリアしてくれる。死にゆく凡人に出来るのは未来への期待のみであった。


(これにて、グレイのデスゲームは終了。戦績はリタイヤだね)


 力を抜いてなるようになれと息を吐く。


 だが攻撃が届く直前、足元の砂場が周囲数メートル丸ごと消え去る。文字通り、消え去って俺の身体は重力プラス何者かに引き寄せられる引力で落ちてゆく。


「身体が軽い…あぁ穴…穴ッ!?」


 息つく間もなく俺は深淵の穴に落ちていった。突然の出来事に目を開けて上を見上げると、眩しく輝く光が穴を蓋していた。後一秒遅ければ、飲み込まれていたであろう光が視線の先で小さくなっていく。そのまま俺はそこの見えない深淵へと落ちていった。


 ◇◇◇◇


 マナロの一撃は斜め下向きに撃ったことで大地を削るも、遠く離れた場所まで被害を与えることはなかった。土埃が晴れた着弾地点には数メートルにかけて凹んだ地面のみが残される。グレイを倒した殺した、その事実が我に返った彼女に漸く襲いかかる。全員のために殺されるつもりが、結局自分可愛さを怒りのせいにしてグレイにぶつけてしまった。何もかもが中途半端ではちゃめちゃな自分への嫌悪感と、殺してしまったという実感に吐き気を催す。


「はぁはぁ……ゔっ……」


 地面に蹲っていたマナロだが、一向にユノから連絡が来ないことを疑問に持つ。なぜなら、射手座の敗者復活戦はグレイを殺すことで終了する筈だった。なのに、ユノから連絡が来ない。自分のステータスを確認する。そこには、まだ悲劇の射手座と書かれた自身の名前が残されていた。それはつまり、グレイが死んでいないことを意味する。


「オツカレー逃したね。最高の脚本を即興で駄作に変えるなんて、ゴミ主演とゴミ助演だよ?」


 聞き覚えのある声が背後から聞こえてくる。木陰から姿を現したのはエンヴィアであった。マナロは悠々とした彼女を睨みつける。


「何が最高の脚本よ…このゴミ脚本家。死を受け入れるなんて聞いてない。それに逃げられた」


 マナロはエンヴィアが必ずグレイに自分を殺させることが出来ると大見得切って協力を申し込んできたのだ。最高の演劇にすると言って誘ってきたケートゥスの一件。あれ以降、マナロはエンヴィアと連絡を取り合い、今この場所も他のプレイヤーが来れないようにエンヴィアが仕込んでいた。自己犠牲をする悲劇の少女とそれを乗り越えて強くなる少年の物語。エンヴィアの書いた脚本通りにグレイは動くと伝えられていた。しかし、実際はグレイが倒すどころか抵抗すらしない。動揺したマナロはグレイの言葉に苛立ち、あんな結果になってしまった。


「まぁ、生きてんだから次頑張ろ〜よ。必ずカレは戻ってくる。味方は連れて来ない。アンタを助けに戻ってくる」

「……はい」


 エンヴィアは渋々納得したマナロを自らの陣地である鯨座ケートゥスに招き入れる。その際に、彼女はグレイが突然消えた原因を考えていた。


(本土でやったのは失敗だったなぁ…敵地だと不確定要素が抜けないし、次は鯨座でやるか……でも、誰の仕業だろう? 知ってるβテスターの反応は全員別の場所なんだけど)


 エンヴィアはユノによって知らされたβテスターたちの現在地を確認し、誰も半径3キロメートルに居ないことを確認すると、グレイの逃亡を支援した何者かを警戒するのであった。

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