第26話 神速のゲリュア part【2】

 『麗しき雌鹿は見る者全てを虜にする』


 これは、ゲリュアの捕獲クエストである『優美なる鹿を捕獲せよ』の謳い文句である。


 煽りに恥じぬ高貴さを眼前の雌鹿からは見受けられた。体長3メートル程の雌鹿は馬よりも大きく、背中には乗るための鞍が二つ取り付けられている。気性は大人しいが、人見知りの激しい彼女は、タオの後ろへ頭を隠す。しかし、タオが頭を優しく撫でて小さく囁くと、のっそりのっそり前に歩み寄ってくる。


「乗ってくれ。神速の意味を教えてあげるよ」


 好奇心に駆られた俺は引き寄せられるように歩き出してタオの後ろに乗り込む。


「じゃあ行くよ。ゲリュア! フィールド展開。目的地は王都メトロイアだ」


 タオが口にした瞬間、光のベールが俺とタオが居る部分を包み込む。穴一つない球体で出来上がると、ゲリュアは前脚で地面を擦り、甘美な雄叫びを上げると大地を蹴り出した。


「グレイ、瞬きする間もないよ?」

「え?」


 蹴り出して1秒にも満たない刹那の時。


 突然、風景は南エリアの魔法都市から中央エリアの城塞に変化する。光の速度とかそんな次元じゃない。瞬間移動や転移よりも速い移動方法に俺は口を開けたまま呆然としていた。


「さ、着いたよ」

「いや、待って。一瞬?これどういう原理?」


 タオの言葉で正気に戻るも、突如として見せつけられた現実のせいで矢継ぎ早に彼へ質問をぶつけていた。タオは焦る俺の肩を叩いて背後の王都メトロイアの城壁を顎で指す。


「落ち着いてまずは降りて。見つかるとヤバい」

「あ、あぁそうだな‥」


 言われるがまま降りた俺の前でタオは指を鳴らしゲリュアを何処かへ消した。


「ね、ゲリュアは速いって言ったでしょ? 」


 満面の笑みを浮かべるタオに俺は渇いた笑いしか出てこなかった。


「ゲリュアに追いつくのは基本的に不可能なんだ。敏捷がカンストしてても厳しいと思う」

「人力追尾不可能のテイムイベント。ユノが好きそうな理不尽だな」


 最初から無茶を押し付け、彼女はどうやって攻略するかを見ている。結果がないと破滅する世界で過程も気にしている。


「でも、魔物使いじゃない僕が捕獲出来たように、仕組みの穴はある。運が必要だけどね‥‥」


 彼は悔やんだ表情のまま自らの経験から視たゲリュアについて語る。


「ゲリュアはイベントに見せかけたシナリオクエストだ。一見関係の無い普通のクエスト達がフラグとして設置されていて、クリアによって遭遇率と捕獲率が上がっていく」


 その言葉を聞いて初めてゲリュアを見た時の事を思い出す。森林地帯で遭難し、奥地への入退場をゲリュアの目撃で決めていると判断してかの鹿を見つけた。


(あれは、初めてこの世界で感動した光景だった‥‥のに)


 しかし、それよりも以前に黄金の雌鹿を誂えたアイテムを『愚痴を聞く』という縁もゆかりもないクエストで手に入れていた。


 今思えば、あれがゲリュア遭遇とのフラグで、偶然クリアしていたから、俺達は奥地へ行き遭難してさそり座と戦ったと捉える事もできる。


「——運が良かった、か‥‥」


 ゲリュアとの遭遇は今の俺を作った要因の一つだ。それが良かったのか悪かったのかは、俺が死ぬ直前まで決められないのだろう。


「最期を迎える時にあれは良かったと思えればそれでいいか‥‥」


 これからの行動で過去を後悔から良き思い出に変えればいい。


「さっさと用事を済ませよう」


 そうして、俺達は中央エリアの王都メトロイアに突入する。


 ◇◇◇◇


 工房を訪れると、丁度ヴォルフは休憩している最中であった。事情を話すと、彼は快く二つ返事で了承する。


「ヴォルフ、修理はどれくらいかかる?」

「ま〜そうだな、1日はくれ。強化するなら一週間ってとこだ」

「今回は修理でいいかな。素材が増えたわけでもないし」

「了解だ。終わったらメール入れとくぞ」


 俺はヴォルフに挨拶をして工房を後にする。

 用事を済ませた俺は、次にルキフェル達が使っている宿屋に向かう。

 目的は蟹座討伐により解放された第三次職への転職。つまり、クラスアップ。


「こんにちは〜ルキフェル居るか?」


 挨拶しながら戸を開け宿に入ると、ロビーにあるソファの上でだらけきったルキフェルを見つける。彼も俺を見つけると、寝そべっていた身体を起こす。


「久しぶりだな。前にルキフェルが転職した司祭達に第三次職のランクアップをして欲しいんだけど」

「あれか?う〜ん、エルが居ないと無理な気もするが‥」


 ルキフェルは苦虫を噛み潰したような表情をする。そういえば話題の当人は姿を見せない。


「そういえばエルミネとティナは?」


 ルキフェルは都合が悪いのか唸りながら濁して答える。


「あいつらは『』に会いに行ってる。いつか紹介するよ」


 ルキフェルが旧友と言うならβテスターだろう。現時点で引き合わせないのは彼なりの理由があるのだろうが、余計な詮索をするつもりはない。


「そうしたら、普通の司祭に頼むよ。邪魔したな」


 宿を出ていこうとした俺の腕はルキフェルに掴まれる。


「待て。普通の司祭だとロクなクラスにならないぞ。一昨日アイシャが来て試してたけど意味が無いってボヤいてた」


 アイシャは俺と同じように、ルキフェルの転職の際に自分のも同じ司祭達で変えたクチだ。その彼女が少し前に王都メトロイアに訪れていたらしい。


「あいつ来てたの?」

「来てたよ。ゲリュア狩りに参加するからって言ってたし」


 その言葉で一つの疑問に納得する。スレッドで見た妨害するトッププレイヤーは彼女のことだろう。魔導士系クラスなら遠距離から姿を見せる必要がない。


「そうか‥アイシャが辞めたなら俺も遠慮しておく。エルミネが帰ってくるまで当分お預けか」

「だが‥気を付けろよ。お前ら以外は第三次職に成りつつある。東なんて闘争に明け暮れた奴らしか居ないって聞くし、向こうの人間が本格的に参加したら劣勢の戦いになるぞ?」

「あぁ、俺もとは心底会いたくないよ」


 実は、掲示板で東エリアの強豪プレイヤーを見ていたときに気になる名前を見つけていた。

 ルキフェルは目線を逸らして頬を少し吊り上げる顔に見覚えがあるらしい。


「その顔‥死んでも会いたくない奴がいる顔だ」

「どんな顔だよ‥まぁ正しいけど」

「嫌いなのか?」

「向こうが俺を嫌ってる。アキムネって奴で、もしかしたら殺したい程恨んでるかも」


 色々とあった人物だが、付き合いの長さはシンと同レベル。下手したらVRゲームで初めて仲良くなったアンナ姐さんよりも長いかもしれない。


「けど、行くんだろ? なら、早期決着で決めてこい。グレイの強みは連れと毒なんだから」


 ルキフェルのヒントに感謝し、俺は宿を出て外で待つタオと合流する。

 タオは出店で購入したアイスを食べながら王都を行き交う人々を眺めていた。


「お待たせ。クラスアップはお預けだった」

「まぁ大丈夫だと思うよ。ゲリュアに関してはガチバトルする必要無いし」

「それは俺も考えてた。多分、早期決着に俺が必要なんだろう?」

「うん。予想以上に時間がかかって困ってる。各地のプレイヤーが集まり過ぎなんだ。僕とアイシャじゃ手が足りないよ」


 掲示板で拾い集めた情報だけでも100人以上は捕獲しようとしている。その中に、捕獲行為に補正が入り、捕獲確率の高い魔物使いは半分も居ない。


「捕獲の可能性があり得る魔物使いはどれも低レベルなのが救いだな。このイベントで一気に強くなりたい勢だから、妨害が上手くハマる」

「代わりに配信者だらけで僕らは誹謗中傷の嵐だけどね」


 配信機能が解放されたことで、どんな人間が参加しているのかも情報として集められる。世論は不遇職と評価されている魔物使い達への救済イベント、という体になっていた。


「ジュノー見てると魔物使いは満更でも無いけどなぁ‥ヤバイくらい強そうなのも見たことあるし」


 俺の頭に思い浮かんだのは鯨座の主エンヴィア。ボスを丸々捕獲できるレベルにもなれば、確実に自分より強くなる。


「魔物使いは不遇じゃないよ。大器晩成なだけ」


 タオもβテストで恐ろしく強い魔物使いと面識があるのか、しみじみと思い出を振り返るような笑みを浮かべていた。


「強さを求めるには色々あるからな」


 ヒューガが巧さが強さに繋がると言ったように、魔物使いは強力モンスターに出会える運が強さに繋がるかもしれない。


「どんな形であれ、デスゲームで強くなろうとするのは尊敬するよ。こんな世界、逃げて当たり前なんだから‥‥」


 タオの言葉には、一言では言い表せない深みがあった。


「じゃあ東に向かおうか。最新の情報だと北のダンジョン街ケイトス付近に居るみたいだし」

「了解! 派手に飛ばせ!」


 だが、ケイトスに着いた俺達を待っていたのは、大勢のプレイヤーによる敵意の視線だった。街の中を歩いていると、俺達に向けて臆することなく暴言を吐いてくる。


「帰れ、トップランカーはお呼びじゃねぇんだよ」

「エルフの男も妨害してるって奴の特徴とよく似てるよな」


 刺々しい針のような視線の雨を歩いて行くのは流石に堪える。


「予想以上に広まってるなぁ‥どうするグレイ‥‥グレイ?」


 タオは出直すかどうか隣を歩く俺に尋ねようとしていた。

 残念ながら、今の俺はそれどころではなく、敵意の視線が最も多い目の前の集団に視線を釘付けにされていた。

 原因は集団の奥にいるたった一人のプレイヤー。


「マジか‥‥お前もこのゲームやってるのか」


 両眼に映る犬の獣人は、筋肉質な身体を見せつけて、敵意を向けるプレイヤー達の最奥で俺を嘲笑っていた。


「あの人、知ってるの?」

「昔の‥‥友達だよ。けど、トラブルがあって凄い恨まれてる」


 思い起こせば四年前。MBOを始める前のことだ。勝手にリミアの恋人にされてプレイしていたVRゲームに居づらくなり、それが原因で辞めた事件。

 あの事件の被害者は二人。勝手に恋人にされた俺と、片想いの女性が友達に取られた目の前の彼、『アキムネ』。


「四年ぶりだ、グレイ‥‥いや、灰里カイリ?」

「オンから離れすぎてネットマナーも忘れちまったのか? そんなんだからリミアに振られんだよ。アキムネ」



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