07:44

 化け物との遭遇で一気に疲れた僕は、仕事部屋のドアの前で動けなくなってしまった。腰が抜けたとでも言おうか。情けない話だが、そんな僕をこの見知らぬ女性は甲斐甲斐しく介抱をしてくれている。


 女性に促され、寝室へと戻り布団に横になった。どうやら、僕は思った以上に疲労していたらしく、布団に横たわったまま、根が張ったかのように動けなくなってしまった。


 朦朧とする中、なんとかこの状況を理解しようとするが、どうにも頭が回らない。先ほどの化け物といい、この見知らぬ女性といい、またしても混乱をもたらす要素が増えてしまったのだから、頭がついてこない。


 ちらと女性に視線を向ける。


 とても地味な女。それがパッと見の印象だった。


 ぼさぼさの長い黒髪、不健康と思わせるほどの華奢な体つき。ビン底のようなレンズをした眼鏡。そしてそんな眼鏡をかけているにもかかわらず一目でわかる目元のクマ。もう何日も寝ていないんじゃないかと逆に心配になるぐらいだ。


 どれだけ記憶を探っても、僕が知らない女性。だが、この女性は、僕への接し方からして、どこ.か親し気な雰囲気を醸し出している。話すのも疲労のため億劫に感じたが、気力を振り絞り、女性に話しかける。


「ありがとうございます。見ず知らずの人間にこんな親切にして頂いて・・・」


 この言葉に女性はキョトンとし、しばし考え込んでしまった。何か変なことでも言ってしまっただろうか。


「・・・先輩、私の事を覚えていないんですか?」


 ビン底メガネの女性は、じっと僕を見つめたままそう言った。


「・・・存じ上げません」


 僕の答えに、女性は、ふむと小さくつぶやき、考えこんでしまった。


「思った以上に、薬の効果が出ているのか、それともルームの影響か・・・」


 薬?ルーム?

 謎の単語を発しながら、何かブツブツと呟いている。それに、彼女は僕の事を先輩と呼んだ。もう一度自分の記憶を掘り起こすが、これほど印象深いビン底メガネをした知り合いがいるのならそうそう忘れないような気もするのだが。


「あまりのんびりもできないので、仕方ありませんが自己紹介させていただきます。三枝さえぐさと申します。研究所で一緒に働いていたあなたの可愛い後輩ですよ」


 自分で可愛いなんて太太しいことを言う。


 いや、待て。


 それよりもっと気になることを聞いたぞ。


「同じ研究所?待ってくれ、僕はただの在宅ワーカーで・・・」


「どんな在宅ワークをなさっているのですか?」


「それは・・・」


 思い出せない。確かに僕は家で仕事をしていたことは覚えている。それこそ、徹夜なんて当たり前で、必死に机に噛り付いていた。でも、一体なんの仕事をしていた?

 思い出そうとするが、まるで頭に靄がかかったように呆としてしまう。


「おそらく、その軽度記憶障害は薬によるものです。一時的に記憶を眠らせる薬で、おそらくルームに入れられる前に・・・。ちなみに、ルームとは、今私たちがここにいる部屋の事なんですが、本当にそっくりですよね、先輩の部屋に」


「ちょっとまってくれ。入れられたって、どういくことだ?それに、そっくりって、ここは僕の部屋じゃないのか?」


「はい、この部屋は私たちの世界と最も近い別の世界線に存在する部屋です」


 突然の言葉に唖然とする。今まで僕がめぐってきたいくつもの部屋は並行世界と睨んではいたが、まさか、僕の部屋まで並行世界だったとは。


「なんで、そんなことが・・・。それになんで僕がその並行世界にいるんだ?さっき入れられたって言ってたけど・・・」


「順を追って、説明します。まずは、先輩の事について」


 すると三枝は、脇に置いてあったカバンから、分厚い書類を取り出し、僕に差し出した。


「あなたは、我が国のエネルギー開発局の上級研究員で、昨今世界中で問題となっているエネルギー不足に対し、既存のエネルギーに依らない新たなエネルギー源の開発チームの一員として働いていました。歳は三十二歳。独身、彼女無しです。残念でしたね」


「・・・余計な情報はいい。続きを」


「あら、残念。もっと面白い反応を期待していたのですが」


 ビン底のような眼鏡のせいで表情がうかがい知れないが、彼女はどこか楽しんでいる様子だ。まったく、どんな神経をしているのか。仮にも、彼女の話が本当の事であれば、自分が異世界にいることになるわけだが、こんなに冷静でいられるものなのだろうか。


「では、続きを。先輩は将来を有望視される優秀な研究者でしたが。とあるポカをしでかしまして、その罰としてこのルームに入れられました。しかし、私はその処分を不服として、個人的に先輩を助けに来たわけです。そういうわけなので、一言お礼を言っていただきたい」


「そんな話、すぐに信じられるとでも?」


「いいから、まずお礼を言ってください」


「だから、君の話を信じるには・・・」


「お礼を言って」


 淡々とした口調だが、その言葉には重みがあった。色々な意味で。


「・・・あっ、ありがとうございます」


「どういたしまして」


 ぺこりと、三枝は頭を下げた。どうにも彼女、なかなか不思議な子かもしれない。それにしても、えらくざっくりとした説明だったな。


 どう考えても怪しさしかないが、現状、彼女を信じるほか無さそうだ。疑ったところで、何が真実か分かるわけでもない。今は流れに身を任そう。


「それでは話の続きを。この部屋、ルームについてですレポートのこの部分、そう、このページです。こちらをご覧ください」


 三枝がレポート指さす。そこには、並行世界の発見、及び、効率的資源回収の提案、とあった。


「私たちの世界は、イナゴの如く資源という資源を食い尽くし、環境を破壊し、取り返しのつかないところまでいってしまいました。自然は消え、放射能で汚染された大地は数知れず。既存のエネルギー源の確保が不可能と判明し、破れかぶれでぶち上げられた土台無理な計画だったはずでした。しかし、それでも僅かな希望を抱き研究を続けた結果として私たちは思いがけない成果を上げることができたのです」


「・・・それが、並行世界の発見?」


「はい。ほんとうにこれは偶然の出来事でした。私たちは空間に満ち満ちている原子から、どうにかエネルギーを吸い出すことは出来ないかと研究をはじめました。その過程で、無限に存在する並行世界を発見したのです。そこには、我々と異なる未来を迎えた世界がいくつも存在したのです。その中には、手つかずの資源や清浄な世界も数多く存在したのです」


「なんとも、壮大な話だが・・・。まぁ、いい。つまり、破滅を免れた世界線もあった。ということか」


「はい。ところが、強欲かつ不遜極まりない我らの世界の指導者たちは、この並行世界のあらぬ活用方法を思いついたのです」


 明らかに、彼女の語気は怒りを含んでいた。指導者たちが、何をしたか想像に難くない。


「彼らは、並行世界に存在する、資源や清浄な世界を奪うことにしたのです」


 予感的中。まったく愚かとしか言いようがない。


「君は、そのやり方に反対なんだね」


「はい。そして、先輩も・・・」


 三枝は、僕をじっと見つめている。その眼差しに僕は既視感を覚えた。思わずハッとする。妙にリアルな既視感が彼女の言っている事に対し、何か信憑性を与えた気がした。


 三枝は説明を続ける。


「ここで、先輩のポカに繋がります。先輩は、黙って仕事をしていればそれだけで人生安泰、金と権威と栄誉が思うがままになる程の功績をあげたわけですが、突然研究の凍結を訴えはじめまして。どころか、必死で自分が今まで積み上げてきた研究を破壊しようとしたのです」


「随分と思い切ったことをしたもんだね」


「何をおっしゃいますか。あなたがやったことじゃないですか」


「記憶にないから、どこまでも他人事としか思えなくてね」


「それもそうですね。ともかく、先輩はせっかく世界を救う新技術を破壊しようとした罪で、このルームに入れられました」


「なんとなく流れは分かったが、そのルームってのは、一体何なんだい?」


「それでは、次にこちらのページをご覧ください」


 彼女の説明は淡々と続いていく。


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