入れ替わる部屋

:DAI

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 静寂に包まれた自室。


 聞こえてくるのは自分の呼吸と、布団の衣擦れのみ。


 深夜に目が覚める事は決して珍しくはないが、静寂で目が覚めるというのは珍しい。住んでいる地域も閑静な郊外であれば、深夜ともなれば物音一つ聞こえなくとも不思議ではないのだが。


 それでも時折遠くから聞こえる電車の走っている音や、車の走っている音、あるいは風の音など、何かしら生活音は聞こえてくるものだ。


 それすら聞こえない。完全な静寂に包まれている心地がして、どこか気味が悪い。それほどまでに自室が静まり返っている。


 現在時刻を確認するために、枕元に充電しておいたスマホを手に取る。


 しかし、スマホの時計は時刻が零時零分を表示したまま点滅しているのみだった。おまけに電波は圏外。WIFIも反応なしときている。これは珍しい。電波の入りは決して悪くない地域のはずだがと、スマホの圏外表示を見て首をかしげる。しかし、これは不便だ。


 スマホ一台あればいいと、時計の類いは他に置いていない。テレビも無いし、時間の知りようがない。こんな事があると、アナログの利便性というものを改めて痛感させられる。


 僕は仕方なくパソコンの電源をつける。スマホが駄目でも、パソコンがあれば時刻は分かるだろう。眠気眼を擦りながらパソコンが立ち上がるのを待つ。異様なまでの静けさ。パソコンの起動音でさえうるさく感じてしまう。


 やがて立ち上がったパソコンの画面を眺め、僕は落胆した。


 パソコンの時計も、表示は零時零分で止まり、点滅したままだった。おまけにネットにも繋がらない。これはめんどくさいことになったかもしれない。


 この状況に少々苛ついてしまった僕は、気持ちを落ち着かせる為に部屋を出てダイニングへと向かう。


 コップに水を注ぎ、シンクに腰を預けながらグイっと水を喉に流し込む。


 乾いた喉に冷たい水が流れ落ちるのを感じながら、潤っていく感覚を味わう。


 特段、時間が分からなくても、ネットがつながらなくても、直ちに困る、ということは無い。明日は仕事でもないし、急な用事もあるわけではない。だが、日常に忙殺されているせっかち人間としては、こうした些細なトラブルはストレスの元だ。


 深呼吸して、部屋を見渡す。


 リビングから二つのドアが見える。一つは、寝室。もう一つは仕事部屋だ。


 2LDKの間取りは一人暮らしには少々もったいない広さとも思えるが、部屋が二つあると、それぞれの部屋で目的を変えることが出来るのはとても便利だ。ワンルームにすべてを詰め込むのも嫌いではないが、寝室と仕事部屋を分けられるのは中々便利なものだ。


 とはいえ、ミニマリストよろしく、最低の家具家電しか置いていない我が家は殺風景そのものだ。従って、目につく家財道具はリビングにおいては、冷蔵庫や電子レンジ、炊飯器の他は、小さな座卓と一枚の座布団しかない。客人が来る事も無いので、座布団を買い足すことはないだろう。


 寝室には、1人用のせんべい布団が一枚。仕事部屋にはパソコンデスクと椅子。なんとも味気ない。


 この二つの部屋は左右対称になっていて八畳ほどの広さがある。広さで言えば便利だが、この部屋同士に扉はなく、リビングを通らないと隣の部屋に入れないという奇妙な作りになっているのは不便だが。


 この部屋に住んでもう何年になるだろうか。代り映えしない部屋。いくら見渡した所で、何の変哲も無い、僕の部屋。寝直す為に寝室へと向かいドアを開け部屋へと入る。


 その時だ。異変に気づいたのは。


 クサい。


 いつも自分の部屋で嗅ぐ臭いではない。何か甘い香りがするのだ。僕には芳香剤の類を置く趣味はない。


 一体、どうしたことかと不審に思いながら部屋の明かりをつける。


 「えっ・・・」


 思わず声が漏れる。


 それもそのはず。この部屋にはいつも使っているせんべい布団がなかったのだ。


 代わりに、お洒落な木目調のベッドが部屋の片隅に置かれている。


 それだけではない。部屋はインテリアに溢れ、さながらショールームの様なお洒落な空間に仕上がっている。


 これは一体何の冗談か。コップ一杯の水を飲む僅かの時間で部屋の装いがガラッと変わってしまうなどありえない。


 ただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。思考が停止し、これ以上の思考を拒否した僕は、そっとドアを閉めた。あり得ない事が起きた時、人間はかくも現実から目を逸らすものだ。つまりは現実逃避である。


 だが、今見たものは目の錯覚かもしれないし、自分が寝ぼけているからこそ見間違えたのかもしれない。


 僕はもう一度、ドアを開け部屋を覗く。


 そこには、今度は金属フレームのロフトベッドがおかれ、寝室と言うよりは納戸ではないだろうかと思う程散らかし尽くした部屋がそこにはあった。暗くじめじめとした空気は気分を害するには十分な程だ。


 僕は再びそっとドアを閉めた。


 おかしい、これは明らかにおかしい。


 今起きている事は、ひょっとしたら夢ではないかと疑ったが、極めてリアルな明晰夢にしてはあらゆることがリアルすぎる。


 考え難く突飛な発想だが、今僕の部屋は何か超常的な、あるいはSF的な現象が起きているのではないだろうか?


 だが、そう考えると今目の前で起きた現象が起きた事についてはひとまず納得できる。いや、そう納得させなくてはならないだろう。部屋が入れ替わるなど、ありふれたモチーフだが、対応を誤ればろくなことにはならないだろうことは容易に想像がつく。


 背中に悪寒が走り、冷や汗がダラダラと背を流れていくのを感じた。


 僕は意を決し、再びドアを開ける。

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