「少女ふたりの、SF」の、少女ふたりのほうについて。

 書いてみて、思いました。

 というか近頃思うんですけどね。


 百合って、いいなあと……。



 私自身はおそらく異性愛者であり、そういったレベルで語っていくならば、あるいは百合というのも「同性愛を扱ったもの」というふうに捉えられてしまい、あくまでそういう狭い意味においては、現代の価値観に沿って言えば、微妙なのかもしれません。

 しかしこの場合の百合というのは、このようにウェブ小説をお読みのみなさまなら、当然のごとく、そんなの言わずともわかっているという話でありましょうが、あくまで創作文化においての「百合」――で、あります。


 私は百合をたくさん読んで育ちました。

 そしていまでも百合が好きです。


 とあるかたが、とあるところで、「百合というのは、女の子どうしの機微を描くから、好き」とおっしゃっていて、たぶんそういうことだと思います。

 女の子、どうし、というのは、じつにじつにいろいろある。



 私自身、「女の子ふたり」という関係性にはながく、ながく捕らえられてきたほうです。

 それはかつて少女だったすべてのひとに、どこかしら思い当たりがあると思います。

 人生においてのとある時期の少女たちはときにだれよりも親密になります。

 そう、だれよりも。家族よりも、ほかの友人よりも、恋人よりも、ずっと。


 少女の成長の過渡期に、少女ふたりというのは、欠かせないんじゃないのかなあ、とさえ思います。



 ……とはいえ。

 今回、KACでは、意識して百合作品を書こうとしていたわけではありませんでした。

 と、いうか、一部は、ただ「少女(っぽいの)ふたり」が出てくるというだけで、百合とは定義しきれないものもあります。


 ただ、とかく、少女ふたりの関係性において――物語が展開されていったことは、間違いない。



 どうしてなんでしょうね。

 なんででしょうね。

 少女だったころをとっくに過ぎても、その魔法は解けきってはいないのかもしれません。

 あくまで残滓というかたちで、人生のどこかに、とどまり続けるのかも。



 三作目まで書いて、気がついたらすべてが「少女ふたりの」物語になっていて、もうとっくに少女ではなくなった私は、ふーむ、とそう思っておりました、のでした。



 百合のよさとかも、掘り下げると、なかなか根が深そうですよねえ。

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