エッセイ「普通に考えてみると(四)」

@SyakujiiOusin

第1話

           普通に考えてみると(四)


                               百神井応身



1. おんぶジジイ


 子供の頃、アラビアンナイト(千夜一夜物語)というのをよく読んだが、考えて見れば物語ができた発端がそもそも恐ろしい。

 昔々、ササン朝ペルシャにシャフリヤールという王がいた(:物語上の架空人物)。

 王は、妻の不貞を知り、妻と相手の奴隷たちの首をはねて殺した。

 女性不信となった王は、街の生娘を宮殿に呼び一夜を過ごしては、翌朝にはその首をはねた。街から次々と若い女性がいなくなっていくことに王の側近の大臣は困り果てたが、その大臣の娘シェヘラザードが名乗り出て、この悪習を止めるため、王の元に嫁ぎ妻となった。

 一夜でも話が途切れたら命がない中、シェヘラザードは命がけで、毎夜、王に興味深い物語を語り聞かせ続ける。しかし話が佳境に入った所で「続きは、また明日」と話を打ち切る。

 王は、話の続きが聞きたくてシェヘラザードを殺さずに生かし続けて、ついにシェヘラザードは王の悪習を止めさせることになった。


 その物語の中に「シンドバッドの冒険」というのがある。

 日本にも子抱きジジイという妖怪がいるらしいが、シンドバッドに出てくるのは「おんぶジジイ」というかなり質が悪い爺さん。


 シンドバッドは冒険の虫が動き出し、知り合いの船長に頼んで船に乗せてもらうことにしたのだが、その船は難破してしまい、シンドバッドは一人小さな島に流れついた。

 その島にはやせこけて心細げなおじいさんが座っていた。シンドバッドはかわいそうに思い、その爺さんに親切にすることにした。

 爺さんが自分をおんぶしろ、というのでそのようにすると、爺さんはあっちへ行けこっちへ行けと命令し、自分ひとりが木の実をムシャムシャと食べ、シンドバッドが食べようとすると足で蹴飛ばして食べさせない。あまつさえ、しっこもうんこも背中で垂れ流す。

 やっと眠ったかと思ってそおっと離れようとするとすぐに気づいて、ぐいぐいと首を締め付けてくる。

 どうやっても引きはがせない爺さんの言うがまま、シンドバッドはよろよろと島中を歩かされ続けた。

 ある日のこと、シンドバッドは瓢箪が落ちているのを見つけた。そうだ、この中にぶどうの実を入れてぶどう酒をつくろう。そして爺さんに飲ませて酔っ払わせ、その間に背中から振り落と考えた。

 いい匂いの立派なぶどう酒ができあがると、シンドバッドはそれを飲み酔ったふりをして気持ち良さそうに踊りだした。すると爺さんもそれを欲しがり一息に飲み干した。

 酔っぱらった爺さんは大騒ぎ。シンドバッドは今こそ爺さんを振り落とす好機だと思い、首すじをつかんでドボーンと川に叩き落した。

 逃げ出すことのできたシンドバッドは、いかだで海に乗り出し風の吹くままに流されていると、通りかかった船に助け上げられたのだった。

 その船長さんは言った。「おんぶジジィーにつかまって生きて帰った者は一人もいない。お前さんは幸運な子だ」と。


 日本はおんぶではないが、抱き付かれて往生しているように思えてならない。



2.お手玉遊び歌


 戦後に幼少期を過ごしたが、当時はまだ女子供のお手玉遊びはまだ残っている頃で、意味は判らなくても数を追う歌を歌いながら遊ぶことが珍しくもなく見られた。

 今、こんなのを歌ったら、目くじらを立てる人がいそうだが・・・


 一列談判破裂して

 日露戦争はじまった

 さっさと逃げるはロシアの兵

 死んでも尽くすは日本の兵

 五万の兵を引き連れて、

 六人残して皆殺し

 七月八日の闘いに

 ハルピンまでも攻め寄せて

 クロパトキンの首を取り

 東郷大将 万々歳


 大人が口遊むような歌ではなかったし、意味の解らない子供が遊ぶときに歌ったものだったから、自然に消滅してしまって、今に至るも覚えている人は殆どいまい。

 ロシアの国土面積は 約1,710万k㎡で、日本の 約 45倍。世界一であり、資源も豊富である。

 日露不可侵条約を一方的に破棄し、日本に襲い掛かった。北方4島には日本が戦争をやめた後に侵略して占拠した。明らかに不法占拠だと思うが、返還はされていない。

 ロシア人口は1億4千万人余で日本と大差ないが、その彼らが言っているのだという。

 「我が国は戦争で日本に勝ったというのに、負けた日本より発展が遅れているのは何故だろう?」と。

 体制やイデオロギーの差だともいえようが、歴史の培ってきた民度、ことに戦争には負けたがそれでも残った精神性の違いがあるように感じる。



3.コラトゥーラ


 日本人の身体を支える食の基礎の調味料は、何と言っても味噌と醤油がその土台となる。

 そこに、鰹ダシや昆布ダシ、いりこダシや椎茸ダシが加わって、深い味を作り出す。


 東南アジアなどで造られる魚醤も味わい深いが、イタリア料理などでは、カタクチイワシの魚醤を熟成した万能型調味料のコラトゥーラと呼ばれるものが使われる。

 日本の料理にこのコラトゥーラを何滴か隠し味として使うと、なんとも言えない美味しさを増します。

 古くから培われてきたそれらの調味料は、国の違いを越えて、味の世界を広げてくれます。

 世界の伝統文化を素直に取り入れることで、まだまだ豊かさは広がる。



4.ご勘弁頂くこともある


 人はこの世に命を与えられて生まれてくる。

 誰もそんなことを意識してはいないだろうけれど、この世には精神の磨きをするために生まれてくるのだというから、今生での目的というのを選んでのこととなる。

 そうであれば、乗り越えられないほどの試練を抱えて生まれてくる筈はないのに、実際には苦しい思いを山ほど経験する。

 楽しいことも織り交ぜて経験するように望んで生まれてくる筈なのに、それはどこかへ行ってしまいさえする。


 命という字を分解すると、人は一度は叩かれるという組み立てになっている。

 一度どころか、何十回も何百回も叩かれるのが普通だから、よほど気を確かに持っていないと精神的に折れてしまう。

 その分、余計に修行させてもらえたのだと思えれば良いのだが、なかなかそうは行きにくい。

 全部の場面で真剣に対応して乗り越えるのが厳しいと思ったら「まあ何とかなる」と、ちょっと気を緩めてみることも必要なのかもしれません。

 そうすることで生を全うできるとしたら、そうした方が良い。

 さもないと、精神を傷つけたり命を縮めることになりかねない。

 今生でできなかったことは、来世で生まれ変わったときでの宿題ということで、神様にご勘弁頂き、猶予を与えてもらわないと無理なこともある。

 できる限り他人様に迷惑をかけないようにしたいとは思うが、幸せになるために生まれるのだということが第一義なのだから、楽しいこともあって良いのだと思う。



5.ザクロと鬼子母神


 鬼子母神には108人もの子供がいたのだという。神様とはいえ、随分子沢山である。

 仏教の伝説によると、釈尊在世の頃、この鬼女が王舎城に出没して民衆の子供を浚っては食っていた。お釈迦様がそれを見かねて、ある日この鬼女が留守のときに、子供の一人を隠してしまった。帰って来た鬼女が子供が居ないことに気づき、半狂乱になってそこらじゅう探し回った。一人居なくなっても判るくらい、全ての子を愛していたということは、今どきの親は見習うべきであろう。

 お釈迦様が現れ「それ見よ。沢山いる中のたった一人がいなくなっても、親と言うのは心配し悲しがるのだ。人間の親の悲しみを考えて見よ。」

 釈尊に教導され、五戒を受け、以後王舎城の守護神となったといわれる。日本では主として、安産・保育の神として信仰されている。

 このとき、お釈迦様から人間の子供の代わりにこれを食べよと言って渡されたのが、ザクロだったのだという。

 その味が似ているのかどうか我々には判らないが、食すると甘酸っぱくて美味しい。

 そんなオドロオドロシイ話ではなく、ザクロは「女性の果実」とも言われ、イラン・エジプト・インドでは薬用/食用として、ヨーロッパでは調味料として、日本やアメリカでは健康維持食品・美容食品として広く親しまれています。花も美しい。



6.しようとしない


 漢文の時間に孔子だの孟子だのの教えというのを聞きかじったことがあったが、諺のように使われているいくつかの熟語を覚えているのみで、それを知っているということだけで、徳を高めるような行いをしてきたかどうかはわからない。

 部分部分を知ったからといって、自分が神髄に迫るほどの勉強をしたわけでもない。

 けっこうひねくれた感想さえ当時は抱いたものだった。


 論語(孔子)にいう、「巧言令色、鮮(すくな)し仁(ジン)」もそうだった。

 「巧言」は、口先がうまくて、心にもないお世辞を言うことで、 「 令色」は、顔色をよくして、人の気に入るように顔つきを飾ること。 「鮮(すくな)し仁( ジン)」は、人の本心の徳である、真心(まごころ)はほとんどないと言う意味であると習った。


 しかし、世に出て自らの志を果たそうとするならば、一定の評価を得られるまでは言葉を慎み、居ずまいを整えるのは当然ではないのか、と思うようにはなった。

 歯の浮くようなことしか言わない人が、いつまでも受け入れられるわけがない。

実力も無いのに上っ面ばかりを飾り立てて“おべんちゃら”を言うのは、言われなくても誰でも区別できるではないか、と思って聞いていたのにも拘らずである。


 それでも、孟子の、王の王たらざるは、為さざるなり、能(あた)わざるに非ざるなり(できないのではなく、しようとしないのである。)というのは、そうかも知れないと思っていた。

 やってみなくちゃわからない、ということもあるが、できないできないという人は、得てしてやらない理由を見つけてやらない人が多いと思ったからでもある。

 それでも、どう頑張ってみたところで、頭からその能力はないだろうと思える人もいた。


 本心からやりたいと思うことであれば、途中で諦めることなく、それが叶うまでやり続けられるものなのだということは理解できる。

 年はとったけれど、なにかちゃんとやることを見つけて、続けようと思う。



7.そろそろ勇気を出して


 未来に進むために勇気をもって過去を見つめなおさなければならない、というような内容のことを、偉い作家の先生がこのほど仰ったのだという。

 その通りだと思うから、それに反論するつもりはない。

 但し、事実については、ということを付け加えてということにならなかったら意味がない。巷間いわれてきた捏造まがいのことまで含めてということではない。


 戦後まもなく小学校に入学した年齢だから、学校で習うことは、何もかも日本が悪かったという一億総懺悔の授業であり、そういう時代に育った。

 神話も道徳感も、それまで地域に存在していた習慣も、古いものは全て否定された。

 戦争に負けたということはそういうことなのであり、命が助かった事だけでも有り難いことであるとして、ずっと世界に謝り続けて行かなくてはならないのだと思わされていた。

 国内の復興にもお金がかかり、なかなか豊かにはなれない国であったが、努力して、成人になるころまで、国は賠償金を払い続けていた。(そのころまで賠償使節団の駐在している施設があって、そこでの駐在員は威張っていたのを現に見てもいる。)


 ものごとには、どちらか一方だけが全面的に悪いなどということは無いと思いつつも、そんなことを口に出せる時代ではなかった。

 外国からよりも、国内で日本人がそれを言わせない勢力の動きというのが強かった。


 一所懸命働いて、世界の平和に貢献することで贖罪し、やがては認めてもらえる国になろうと励んでいたのが、周りに居た殆どの人の姿だったように思う。


 時代は進み、多くの国々と友好関係を結べるようになってくるにつれ、日本のものが全て悪かったのだとは言い難いものが次々に明らかになってきて、良いものは良いと認識して評価されることが増えてきた。

 何をされても、歯を食いしばって努力を重ねてきてくれた先人たちのお陰でもある。


 歴史というものは全事象を包括し総合的に判断しなければ解らないことなのであろうが、そこまで要求することはできない。

 しかし、明らかに捏造だと判ることによる理不尽な言いがかりにまで、屈服し従うということまで、いつまでも受け入れるわけにはいくまい。

 事実に基づくものに対しては真摯に対応しなくてはならないにしても、理不尽なものに対しては、それは違うと言う勇気をもたなくてはならない。


 止むを得なかったとはいえ、そういう理不尽さを放置してきたことが、未だに貶められ続け、健全な関係を構築できないでいる原因のように思えてならない。

 条約すら反故にして憚らないような動きさえ見せつけられる有様では、国の尊厳は保てない。それをいつまでも放置すれば、国民が国を見限る。

 捏造プロパガンダ教育をしているいくつかの国との関係修復がいつまでも残されることになるのは、事実ではないことを基にしているからではないのか。

 人であれば乗り越えられように、互いにとって不幸なことである。



8.トルコ系


 アゼルバイジャンはカスピ海に接している国で、石油の埋蔵量が多いことで知られている。

 ソ連の崩壊で独立を果たしたが、トルコ系の民族の国でありトルコと共に親日国である。

 エルトゥールル号の遭難を救助して以来、トルコ系の人は今に至るも日本には恩義を感じていて、日露戦争で日本が勝利したことでは我が事のように喜んでくれた民族である。

 トルコには、イラク戦争の時、日本では法の制限があって自衛隊が出動できず、邦人の救出ができなかったとき、危険を侵して救出機を飛ばしてくれた恩義がある。

 時の日本駐在大使は脱出後、我々を救ってくれたのは、戦前の日本であったとのコメントを残してもいる。


 東南アジア諸国にも親日派が多い。

 むかしアセアンの会合があったとき韓国の代表が「我が国の自国防衛力が弱いのは、日本が統治していた30数年があったからだ。」と日本を責める意見を述べたとき、インドネシアの将軍であった要人が、「何を言っているんだ。アジアで国の存亡をかけて戦ったのは、日本だけだったのではなかったのか。朝鮮はロシアが南下してくる脅威に対して自ら戦ったことがない。やむなく日本が日露戦争を戦ったのであって、それがなければ朝鮮は今もロシア領だったのではないのか。」と遮って黙らせたのだという。

 東南アジア諸国は自ら戦って植民地支配から脱却し独立を果たしたから、言う言葉に重みがある。


 中国はアヘン戦争によるように、不当なイギリスと大して戦いもせず易々と降伏して領土を割譲した。内陸部に引き込んで戦ったら、英国といえども勝てたかどうかわからない。

 大国であったのに、西欧諸国の植民地と大して変わらなかったし、太平洋戦争は独立戦争というより西洋諸国の側について戦ったのである。

 共産党軍は逃げ回っていただけで、後に内戦で国民党軍を台湾に押しやっただけであり、戦勝国というには内容が伴わない。


 歴史に自信が持てないと、特亜3国のように、捏造してでも大声を出し続けねばならないことになるのだと思えてならない。先にある友好の道を考えたほうが、自国の為にも世界平和のためにも良いと思うのだが、何故かそういう動きにはならない。



9.ノーサイド


 ノーサイド(No-Side)。試合が終われば敵味方の隔てはなくなる。力を尽くして戦い合ったからこそ、健闘を称え合い尊敬しあえる。


 勝ち負けに拘泥したりズルをしていたりしたのでは、こういう関係は築けない。

 死力を振り絞ったあとは気持ちがサッパリするし、互いの努力を認めることができる。

 日本には武士道に代表されるように、稽古事の究極に位置するのは「道」。技の熟練の先にあるのは、精神的な高みなのであると思う。

 徹底的にやるだけやったら、結果の如何を問わず潔い。


 自らやらなければならないことをしなくて、他人の所為ばかりにしていると、残るのは恨みだけであり、その負のエネルギーは過去にいつまでも捉われるから、先に開ける幸せからは遠のく。

 そんな恨みを子々孫々にまで伝えていくというに及んでは、愚かと言うほかない。

勝てない敵ばかりを増やし続け、鬱屈した不満ばかりがいつまでも付いて回る。

正々堂々、卑怯未練のない振る舞いをした経験が無いと、理解が及ばない世界なのだと思うが、先に開ける豊かな社会を共に目指すということは、そんなに難しいものなのだろうか?言い分というものは、どちらの側にもあるのである。



10.ハッキリさせたいことは


 昔、消防署の方から来ましたという詐欺まがいの商法というのがあった。

 最近は、NTTからのお知らせです。来月から料金改定がされますので、これから言うことをメモして手続きをして下さい、という電話がかかってくるなんていうのがあるが、これは何なのだろう?

 「区役所の国民年金課ですが、医療費の還付がありますので・・・」という電話もかかってくる。

 お役所がそんな親切なことをしてくれる筈がないのにと思いながら、「医者にはここ何年もかかっていないのですが、何のお金を返してくれるのですか?」と尋ねると、突然電話は切れるなんていうのもあった。


 これとは違うのだろうけれど、国連の外郭団体で何の権限もなさそうなところが、日本に慰安婦問題で人権がどうのこうのと注文を付けてくるというのがある。

根拠は、A新聞の捏造記事と、裏付けの検証もされていない慰安婦の口を開くたびに変わる証言だというから、何とも説得力にかけるのだが、これをさもさも権威あることのように扱う日本のマスコミや野党議員がいるというのには恐れ入る。


 国会では、いまだにモリカケしか頭にないというような質問が繰り返されて、かなりウンザリする。証拠は提示できずマスコミの記事頼みだから、なんともならない。

 これまで国会で時間を空費して、何の違法性も明確にできなかったのだから、疑いがあるというなら、もう司法に任せればよいではないか。

 その場合は、国会で居丈高に喧嘩口調で質問をしていた議員さんにも、憶測記事を書いたマスコミさんにも、捜査の手が及んで然るべきだと感じる。

 献金その他の疑惑が囁かれていても、答弁者側が質問者に逆質問ということは国会の場ではないように思えるから、それもハッキリさせた方が良い。


 野党の質問がモリカケ問題ばかりに限るのであれば、質問時間の配分が変えられても仕方あるまい。重要な審議にそれは使われて然るべしだと思う。

 クリーンハンドの原則などというのを言い立てるつもりはないが、司法がやった方が効率的だと思われることが多いように思える。国会でイメージ操作ばかりでは困る。

 ハッキリさせたいことは専門分野でやってもらった方がスッキリできよう。



11.ハルノート


 「神風特別攻撃」をどう思うか?「貴方だったらそれはできるか?」という質問を現代の若者に投げかけて答えを引き出そうとする動きというのがマスコミにはまだある。

 「愚かなことであった」という答えを引き出したい下心が丸見えである。

 先の大戦がどういうものであったのか、現実的にどのような状況下にあったのかについて、判断できるような知識を持たない人に突然質問したら、返ってくる反応は聞くまでもなく判っていることをやるのは、かなりあざとい。

 おまけに「天皇の為に」という枕詞がついているからなおさらである。

 日本の過去を貶め、全てを否定したいとする思惑があるように見えてならない。


 神風特攻で戦死された方々は4000人にも上る。

 その攻撃によって沈めた軍艦は30隻を超え、大破させた空母その他の艦船は300隻にも及ぶのだという。

 これにより、日本各地が空襲を免れたことは事実であろう。

 すべての特攻隊員がそうであったとは思わないが、国や愛する家族を守るために命を捧げることを選んでくれたのだと思う。

 そうでなかったら、4000人にも及んだ人たちが反乱を起こしたって不思議はない。

 TVで、それを犬死だったと公言している人が居たが、人間性を疑ってしまった。

 戦争を美化しようというのではない。彼らの志を深く受け止めて上げなかったら、彼らの魂は浮かばれない。

 現憲法下でも、天皇は象徴ということになっているが、天皇は長い歴史の中で「権威」の象徴ではあっても絶対的「権力」を振ったなどという時代は殆ど無いのではなかろうか。

 権威の象徴であったからこそ、長い歴史を乗り越えて、皇統は続いてきたのだと思う。


 戦死した人も特攻に出た人も、自分が命を懸けてでも守らねばならないとした人たちの為だということを、一口で端的に表せるものが「天皇」ということだったのだと思えてならない。


 日本は満州事変に続き日中戦争を起こし、中国大陸へ勢力圏を広げる軍事行動を続けていた。昭和16年(1941年)7月23日、日本はフランス領インドシナの南部(南部仏印)に軍を進駐させて占領した。

 この事態を受けて、アメリカは8月1日に対日石油輸出禁止を実行した。

 当時の日本にとって、アメリカから石油を輸入できないのは、どれほど大変なのかということは、想像を絶する。資源小国の日本が輸入する石油の77%がアメリカから輸入するものであった。前年の昭和14年(1939年)では緊急輸入もあって、90%にも達していた。

 それが、昭和17年には石油の備蓄が尽きると言う危機的状況に陥ったということになる。

 アメリカ以外で石油を輸入できる所はあったが、それがオランダ領インドネシア(蘭印)であった。

 日本は蘭印政府へ、今までの50万トンの輸入から100万トンに増量して欲しいと交渉していたが、オランダは当事イギリスと同盟を組んでドイツと戦争を戦っていた。

 アメリカとオランダからの石油が止められ中国と戦争を続け、ドイツの同盟国としての日本を警戒するイギリス。

 石油が止まったら、日本の軍艦は動かなくなる。

 だったら戦争なぞしなければいいではないか、というのは短絡的過ぎよう。

 当時の世界は植民地主義が強かったのであり、日本の軍艦が動かなくなれば、日本は植民地化されても仕方がない状況下にあったのである。

 この4ヶ国に囲まれ、石油禁輸など経済封鎖を受ける状況に、昭和16年の日本は追い込まれていた。

 昭和15年から鉄屑や鋼鉄・工作機械の輸出停止など、アメリカらからの経済的圧力を受けていたこともあり、日本の軍部はアメリカとの開戦は回避できないと考えていた。

 一方で、外務省や総理大臣の近衛文麿は外交交渉で何とか解決を図ろうとしていたが、軍部の強硬さに流されてしまいがちだった。結局、昭和16年10月16日に近衛内閣は総辞職してしまうことになった。

 それに代わっての政権を担ったのが、近衛内閣で陸軍大臣をしていた東条英機であった。

 東条英機には、陸軍を抑えてアメリカと和平に向かうことが望まれていた。

 天皇陛下からも「外交的和解に努力せよ」とのお言葉を頂き、外交による解決を第一に考えてはいた。

 東条内閣と軍部は、日独伊三国同盟で日本は自動参戦しない、中国大陸から撤兵などを盛り込んだ「甲案」を出すが、アメリカとの交渉は進展しなかった。

 東郷外務大臣は、仏印からの撤兵に触れる乙案と言う譲歩案を強硬に押し通そうとした。

 東条内閣は二つの譲歩案でアメリカとの交渉に望みを繋げたのであった。

 この譲歩案が通らなければ、軍部からの圧力によって開戦に踏み切る気運が一気に強まる絶体絶命の状況に陥っていた。

 アメリカ側は諜報活動によって「乙案」を最終案だと伝える外務省から日本大使館への通信を知って、アメリカ政府は日本政府が開戦に向けて動いていると解釈してしまった。

 11月26日、アメリカ政府のハル国務長官(日本で言う外務大臣)から日本政府への要求書が提出された。いわゆる「ハルノート」である。

 中国大陸への進出による権益取得に出遅れた米国は、黄色人種である日本をどうしても叩きたかった。

 内容は、日米間の新たな経済関係作りが多いのであったにしても、仏印と中国大陸からの全面撤退という日本の軍部が受け入れられない内容が主であった。

 石油備蓄もなく、アメリカと軍部に時間をかけて説得できないのも「ハルノート」を最後通牒と受け取ってしまう背景となった。

 ハルノートを受け入れても、米国は何か仕掛けて、強引に戦争に持っていったと思われる。

 ルーズベルトは戦争がしたかったし、何よりも何故か日本を憎んでいて滅ぼしたがっていた。

 これは、ルーズベルトの側にいた人たちが、後に証言していることである。

 降伏して植民地とされる屈辱に甘んじるか、敵わぬまでも乾坤一擲戦って活路を見出すか、という選択肢しか、当時としてはなかったのだと感じる。

 後の時代になって、そういう苦衷を思い遣ることもなく批判することは簡単だが、それでは浮かばれないことが多すぎる。

 開戦やむなしということに至ったそれらの判断を、認めることはできないにしても、理解しようとするくらいはしないでは、一体何様だということになりかねまい。

 大きな犠牲の上に今があるのである。



12.ペトログリフ


 日本には古代遺跡から発掘された土器や石器、住居跡などが多いということは誰でも知っているが、実はペトログラフというのも非常に多いのだという。

 ペトログラフとは、岩石などに刻まれた文字や絵のことを指すが、日本の考古学は世界的水準から見てどの程度のところにあるのだろうか?

 土器の編年などについては、各地の遺跡からの出土物の 収集・整理の点で目を見張るほどの成果があがっているかに見える。

 しかし 、欧米諸国と比較した場合、その研究対象と関心の範囲は、極めて限られたもののように感じる。

 遺蹟の発掘調査の場合、欧米ならば天文学・生物学・ 地質学から言語学・民族学・宗教学などあらゆる関連部門の学者が参加し協力して研究しているように思えるが、日本では、縄張り意識というかどうかしらないが、限られた専門家の意見に従っているかのように感じる。


 ペトログラフといえばシュメール文化のように理解していたが、日本のそれもシュメールのものと酷似しているのだという。

 どちらが古いといって争う心算はないが、シュメール文化は2000年~5000年前のこと。

 日本の縄文文化はもっと古くて、15000年まえのことになる。

 世界は何らかの形でつながっていたのだろうか?

 日本のペトログリフは、神社の脇や、ちょっとした山の上にある岩石に刻まれているものが数多く発見されているという。他にも古代文字というのがあるらしい。

 是非とも解読して、世界の歴史に役立てて欲しいものである。



13.宇宙人だったのだろうか


 星空をながめると、冬の大三角から春の大三角に代わる時季。

 その三角の中に、おとめ座というのがある。

 ギリシャ神話によれば、昔、人間が仲良く暮らしていた時代は、神もまた地上で人間と共に仲良く暮らしていた。

 しかし後に現れた人間たちは争ってばかりだったので、神々は人の世界に愛想をつかして見限り、1人ずつ天に帰っていってしまった。

 最後まで残ったのが正義と天文の女神アストライアーで、1人地上に残り人間に正義を教えていたが、やがて彼女も人間に失望し、自ら天に昇っておとめ座となった。

 手に持っているのは麦の穂、使っていた正義を計る天秤は、天秤座となって付き従った。


 日本の神々は、人を見捨てることなく、身近にいて護っていてくれる。

 日本人の先祖は、プレアディス星団の「昴」からやってきた末裔だという説がある。

 遺伝子的にいって、他民族と違うらしい。


 2000年程前にその文化が杳として途絶えてしまったシュメール文化というのがある。

 シュメール人は日本人との共通点が多いのだと言われる。

 彼らは、彼らが残した文字によると、ニビルという星からやってきたのだという。

 「ニビル」とはシュメール語で「交差する星」という意味なのだとか。

 メソポタミアで発掘された粘土板には、「ニビルという星に住むアヌンナキが地球にきた」と書かれていて、そこから地球に渡ってきたのがシュメール人の先祖なのだということらしい。


 日本には、漢字が渡来する前にカタカムナ文字というのがあったのだという。

 古代から何か他民族と違うものが有って、それが芯のところで息ついでいるのだろうか?

 何か大昔のことには壮大な夢がある。



14.金輪際


 「金輪際〇〇しない」というように、下に否定語を伴って、決して〇〇しないという用語として使われる。

 「金輪際」の元は仏教用語。 「金輪」は三輪と呼ばれるもののひとつで大地の世界を意味し、その下 に水輪、風輪と続き、さらに虚空があるとされる。

 金輪際は金輪と水輪の接する部分で 、金輪の最も奥底にある場所を意味した。


 その意味から、「底の底まで」「とことんまで」 という意味で用いられるようになり、江戸時代の滑稽本『東海道中膝栗毛』の中で、「聞きかけた事は金輪際聞いてしまはねば気がすまぬ」という記述が見られるように、打ち消しを伴なわない表現がされていた。


 最近、金輪際御免だと付き合いをやめたく思ってしまう国ができてしまった。

 十数年前までは、そんな感情を抱くことは無かったし、仲良くしていこうと思っていたのに、否定的に見てしまうのは、こちらの所為ではない。

 経済的に発展してきたことにつれ、そこに至るまでの援助を惜しまなかった我が国への恩義を忘れ、どうやっても追いつけない我が国への妬みからか、日本を貶めることで比較対照的に優位に立とうとすることに国を挙げて血道をあげるようになった国に対してのことである。

 何故に優位に立とうとするかといえば、上位の者は下位の者に何でも言うことを聞かせられるという、長きに亘る中国の属国暮らしの中で染み付いてしまった澱のようなものが有るからだと思う。

 次から次へと嫌われるようなことをし続け、それによって嫌われると、更に輪をかけて嫌われることを作り出す。

 面倒なことこの上ないし、関係のない国まで巻き込んで騒ぐことは迷惑千万なことである。

 放って置けば付け上がって事実化しようと目論むし、捏造まで世界に向かってするから、黙ってばかりもいられない。

 もはやDNAレベルとなってしまった性癖が治ることはあるまいが、これ以上の譲歩は金輪際御免蒙りたい。



15.月代(さかやき)


 正月はお酒を飲む機会が多い。最近は見ることがなくなったけれど、昔は酒焼けといって、飲み過ぎが習慣化した結果、顔が赤黒くなってしまっている人がいたものです。

 「サカヤケ」と「サカヤキ」赤と青。1字違いで随分異なるものです。

 時代劇を観ると、男は前頭部から頭頂部にかけての頭髪を剃り上げ、髷を結った姿をしている。この剃った部分を月代という。

 さかやきを剃った髪型のことを半髪と表現するのだという。

 月代を「サカヤキ」と読むのはどうしてなのだろう?

 兜を被った際に頭が蒸れるのを抑えるために始まった風習とされるが、平時は側頭部および後頭部の髪をまとめて髷を結ったのだという。

 時代劇等で一般男性の髷として馴染みとなっているのは銀杏髷であり、髷が小さい丁髷とは異なる。

 髷を解いた髪型を「童髪(わらわがみ)」といい、「大童(おおわらわ)」の語源となっているのだとか。

 武士階級でなくても月代を剃っているのは、蒸れとは関係なさそうに思えるのだが・・・


 「サカヤキ」の語源、また「月代」の用字の起源は諸説あるらしい。

 一説にさかやきはサカイキの転訛であるという。戦場で兜をかぶると気が逆さに上るから、そのイキを抜くためであるという伊勢貞丈の説が広く認められていると、ウィキペディアに出ていました。

 文明開化により髷を落とし、現在では、髷を結っているのは相撲取り以外で見ることがない。

 身形というのは時代と共に移り行くのかも知れないが、それぞれに意味があるのだとして考えると、面白い発見もある。



16.犬を食べる?


 正義だの人道だのと言い立てる人の多くは、自分の価値観から一歩も出ないで他を責めることが多いが、それが度を過ぎることがまた多いようにも感じる。

 人類不偏の価値観というものが有るのだとしたら、世界に争いは起こらないのだと思うが、政治にしろ宗教にしろ食料にしろ、そんなものはあるまい。


 食料ひとつを取り上げてみても、主張は感情的にまでなってもつれるし、決して自分の主張を譲らない。

 例えば、欧米諸国では、韓国が年間200万頭もの犬肉を食べるのが怪しからんといって批難する。羊頭狗肉という熟語が有るくらいだから、中国でもそれを食べるのであろう。

 それを饗されたら食べるのか?と訊かれたら、確かにご勘弁願いたいとは思うが、他人がそれを食べるのを非難したり蔑んだりすることはできない。トンスルも同様である。

 牛や豚や鳥は食べても良いのだとすることで抗弁できないからでもある。


 狩猟で斃すことだけの動物殺戮は、眉を顰めることもなく平気でできる人たちが、鯨や海豚は可哀想だとする根拠だって、かなりいかがわしい。

 正義というものはあるのかも知れないが、一方的に主張できる絶対的なものでもあるまい。どこまでを認め合い、どこまでで折り合うかということになろうが、長い歴史の中で文化として定着してしまっているものを否定し排除することが果たしてできるのだろうか?それによって人間同士がいつまでも争うとしたら、本末転倒だと思う。

 そもそも、生ある動物の命を奪って食していることの根拠だって、かなり怪しい。

 他の命をとって食べるしかないのが人間だから「いただきます」と言って、その命を体内に取り入れる感謝をするだけでなく、それらの動物の塚を作って祀る感性を持つ日本人としてみれば、それもできていない外国人にとやかく言われたくない。


 犬肉食は兎も角として、今度は加藤清正が苦しんでいる姿の像を作って、日本人観光客の誘致を目論んでいるのだという。

 捏造慰安婦問題で騒ぐことには行き詰り、今度は400年以上も前のことを引っ張り出して嫌がらせを継続しようとしての苦肉の策とすら思える。

 発想の原点が根本から狂っているとしか思えないが、それが異常だと思えないところに異常性があるのであろう。つける薬はない。



17.元日本軍にいた韓国人


 何十年か前、一度だけ韓国に旅行に行ったことがある。

 現地で案内してくれたバスの添乗員は熱心だったし、向上心も持っていて真面目だった。

 彼は、まだこの国では給料というのは月額で日本円の1万円に届かない人が殆どだが、日本のように発展しようと皆頑張っているのだと話した。

 ただ、この国の人は何かを作る時、9割くらいできるようになるとそれで良いとして、その先を学ばない人が多いから、日本のように優れた製品を作れないのだと、鋭い感想を述べてもいた。

 物というのは、最後の数パーセントに完成品としての精度が込められているのだと思うが、それを理解できない人が多いことが限界だとも嘆いていた。

 更には、「韓国人は、そこそこ優秀だと思うけれど、何人かが集まって共同してものごとに当たる時、決して日本人のように協調して取り組むことができず、俺が俺がという人ばかりで纏まることができず、総合力を発揮できない国民性であることも、この先難しい局面を迎えるかもしれない。」と言い、冷静な見方もできていて、好印象が残った。

 街中で出会う年配者は日本語も話すことができて、友好的であった。


 それが何十年か経ち、韓国が経済的にも発展してくるにつれ、国家ぐるみで反日に凝り固まってしまったのは何故なのだろう。

 世に言われている通り、反日教育の結果なのだと思えてならない。

 友好を阻害するようなことばかり教え込んで、幸せになどなれないのに・・・

 捏造によるかどうかは別にして、何のためにそうしたのだろう?恨みつらみは、韓国人の国民感情に馴染んだのだとしても、行きわたりすぎた。


 聞くところによると、それでも日本がしてくれた良いことを評価し、韓国側が多くの嘘を言っているのだと知っている人も多数いるが、そんなことを口に出すことができないのだという。

 日本の統治時代が良かったと言ったご老人が、若者に殴り殺されてしまったという痛ましい事件もあった。その若者が反日無罪ということで英雄視されてしまうというような国情となってしまっていたのでは、この先も日韓の関係修復は難しい。

 少なくとも、支持率を上げるために反日行動を考える大統領が出るうちは変わるまい。



18.言葉には言葉で


 読売新聞が900万部、朝日新聞は400万部の発行部数だという。

 朝日新聞の凋落ぶりは凄まじいが、まだまだ発行部数は減り続けるだろうといわれているらしい。


 何年か前の流行語大賞には「幼稚園落ちた、日本死ね。」というのが選ばれた。

「死ね」などのテロ語に等しい悍ましい響きをもった言葉がそんなに流行ったとは思わないが、朝日新聞が喧伝したこともあってか、何故か選ばれた。

 授賞式に得意満面で現れた議員の顔の異様なギラツキをもった表情が、後味悪く記憶に残っている。


 その後、自らがなした一連の捏造報道や偏向報道を咎められ、「朝日新聞死ね」と書かれたらしい。朝日は躍起になって、これを封じ込めようとしているのだという。

 それも言論によってではなく、法的手段に頼ってということらしいから、そういうダブルスタンダード的なところが更に信用を失墜することに繋がる。


 口の悪い人は、「朝」は morning ではなくて、korea だとまで言うようになっている。

 そういわれてみると、彼らが嫌う旭日旗に対しても、社旗の模様が狂信的な韓国人の槍玉に上がらないことにも頷けてしまう。

 なぜか、中国・韓国贔屓の記事が多いからかも知れない。

 この両国は、前に向かって進むことよりも過去にとらわれて、捏造してでも日本を貶めたいということで一致している。

 戦うことで得た正当性を持った強固な政権基盤ではないということも一致している。


 中国は、植民地支配しようとして浸蝕してくる西欧列強と戦うことはなかった。

ましてや、現共産中国は一体どこで日本と戦いどこで勝ったというのか?

 国として認めないということではなく、内戦で国民党軍を台湾に追いやってからできた政権なのではないのかとまで思ってしまう。

 連合国側が勝ったことでおこぼれをいただいたのだという忸怩たる気持ちが残っているように思えてならない。

 合わせて言えば、韓国がいつどこでどこと独立戦争をしたというのか?そんな歴史は一度としてあるまい。

 日清戦争も日露戦争も、日本の為のことばかりではなかったが、1兵すら出していまい。


 日本は前に進むために、国の存亡をかけて徹底的に戦った。敗れはしたが、その気概まで失われはしなかったから、焼け野原の中から急速に復興し、以前に増す発展を遂げた。

 血のにじむような努力の賜物としての結果であるが、それに引き換え、地道な努力をさしてしていないから発展できないことを棚に上げて、日本が繁栄していくのを見るのが悔しくてならないらしい。

 日本を貶める唯一の手段としている慰安婦問題も、証拠写真だとして提示している写真には、KEEPだのOFLIMITTだのやら、米兵が写り込んだものを平気で使い、日本に持ち込むとすぐにばれるから、判断力の希薄な韓国内や日本以外の国でばらまくお粗末な捏造ぶりを繰り返す。

 そんな国に屈服するわけにはいかない。


 後ろ向きなことばかりに囚われていないで、共に協力して前に進むことを考えれば、大東亜共栄圏の理想は実現できるのにと思えてならない。

 まごまごしていると、特亜3国だけが取り残されるということだってありそうに思えてならない。

 国内向けの捏造教育だけでは、いずれ限度が来る。敵視するより協調して繁栄を目指すという建設的な考えを取り合えば、平和で幸せな社会を現出できようものを。



19.効果的な対応を


 国とは何かということについては、いろんな要件があると言われている。

 その中でも領土というのは、重要な構成要件であることは疑いがない。

 北方領土も尖閣諸島も竹島も、我が国固有の領土であることは、歴史上からも証拠からみても否定できない。

 教科書で、ようやくそれを正しく教育することになったということは、喜ばしいことである。

 日本人であれば、それに異を唱えることは無い筈だと思うのだが、A新聞などでは社説で取り上げて、それを政府見解だというが如き扱いで書いているらしい。もし他国の領土だと言いたいのであれば、証拠を示して主張すべきなのではないのか。

 領土というのは国民が一致して守る気概を示さなくてはならないものだと思うが、いつものことながら、どこかの回し者かと疑ってしまいたいような変な日本人や、日本人の振りをした人たちが水を差して、世論に楔を打ち込もうという動きをする。


 領土以外にも捏造歴史を基にして、合意事項を反故にしてでも日本を貶める発言を、懲りずに繰り返す国もある。

 オリンピックが終わったらそれをするだろうと予想されていた通りというのが情けない。

 二国間では論破されてしまって敵わないから、事情をよく知らない他国に行って、同情を引くような拵えをして蒸し返すから質が悪い。

 そうなのかと勘違いする人が一人でも出れば儲けということなのかも知れないが、約束も守れない言動を恥ずかしげもなく続けるのでは、どうにもならない。先様がこれでは、この先も決着はつくまい。


 日本側が今まで譲り過ぎたということで、日本相手なら何をやっても構わないと勘違いさせてしまった弊害もあるだろうし、遺憾だということだけで終わらせてきたことにも原因がありそうである。そろそろ効果的な対処法をとらねばなるまい。



20.国を捨てるだと?


 自国が最高だと自慢しているその口の裏でヘル朝鮮を叫び、国籍すら捨てる人が急増しているのだという。

 韓国の移民政策研究院が7日に発表した資料によると、過去10年間で韓国国籍を離脱した人の数は22万3611人に上る。異常に多すぎないか?


 2007年に2万3528人だった韓国の国籍離脱者は減少傾向をたどり、15年には1万7529人を記録していた。

 しかし昨年は3万6404人を記録し、前年より約2倍も増加した。

 韓国の国籍を離脱した人が最も多く取得した国籍は米国で、その数は9万4908人に達する。

 次いで日本(5万8870人)、カナダ(3万2732人)が続いた。

 嫌いだと常々公言している日本に、何故来るのだろう?

 一方、韓国国籍を回復した人の数は2万2974人に過ぎなかったという。

 今も機会さえ得られれば韓国から出たいと思っている人の割合は、かなり高いのだという。自国に不満を覚え、誇りさえ持てなくて、改善する気概さえ放棄するということなのだろうか?


 米国籍を得るには、米国への忠誠を誓わなくてはならないが、日本でそれをさせようとしたら猛烈な反対をする人がいるだろうから、日本では変なことになる。

 祖国に愛着をもつのは解からなくもないが(それなら国に残れば良いのにとは思うが)、日本に来てまで反日活動をするのでは堪らない。生活保護まで狙っている としたら猶更である。


 外国に出れば、自国では判らなかった歴史事情や世界の社会通念というものにも触れるから、真実というものに気づき、自らの誤りを匡すことができそうに思うが、そういう風にはならず、反日行動を繰り返す。いうなれば獅子身中の虫が増える結果となる。

 揉め事が増えるのに対することへの策というのはない。


 日本がその昔、ブラジルやアメリカに移民として出た人々は、その国に骨を埋め、その国の為になろうと覚悟して努力を重ねることで信頼を勝ち得たのだと思うが、どうやらそういう方向には向かない状況が現実的にはあるように感じる。

 残念ながら犯罪率も高いようで、通名ではなく本名が後に判る事件も多い。

 せめて安全が脅かされない社会構造を、と願ってやまない。



21.国民はかなり冷静


 最近、TVを余り見なくなってしまっている。

 一時幅を効かせていた「つ・と・た」3Tジャーナリストの偏った煽りも色褪せてきて、お一方は亡くなってしまったし、お一方は自滅したし、お一方は相変わらず凝り固まって変なことをいっているが、あまり相手にされなくなってしまっているように見える。

 「インドやパキスタンの核はよくて、どうして北朝鮮の核は駄目なんだ?」などと三白眼を引きつらせて主張するに及んでは、もはや論外でしかあるまい。

 その主張をするのなら、「日本だって核武装してよいではないか。」ということに直結するという誤謬に気づいてもいないということに哀れさすら覚える。

 核を見境なく使いかねない国だと、世界各国が危惧しているからだということなのだが、自分の思想が絶対なのだという捉われから抜け出せないのだから仕方がない。


 日本のことを悪く言うのが生き甲斐のような、SやOなどというのもまだ居るが、自分と違う意見を持つ人の中に入ると簡単に論破されて鼻白んだ姿を晒すのだから、国民が何を考えているのかを汲み取る勉強をしたほうが良い。浮きまくった少数意見だとしか思われていまい。

 反日・護韓で統一していた番組も、このところ渋々ながら韓国批判をするようになった。

 是は是、非は非として公平にとらえないと、もはや通用しなくなったということかも知れない。


 反日で左翼的思想を主張するのがジャーナリストなのだと思っているとしたら、時代錯誤も甚だしいのではないのか?

 彼らの言うことに従わない人を右翼だと決めつける手法も、もはや陳腐としかいいようがない。

 もしそうだとしても、左翼よりよっぽど良いと国民の多くが思うようになってしまったのだと感じる。

 右傾化などと言われて怯んでいては国の安全は保てないし、彼らのような自国を悪くいうだけの主張に辟易した国民の大半は、極めて正常な中道精神で物事を判断するようになったということであろう。

 判断材料となるニュースは、マスコミの報道以外に手に入れられるのだから、見くびらない方がよい。

 何でもかんでも政権批判に結びつけようとしたところで、底が割れて、報道への信頼を失うだけである。たまには成果を認めて褒めることも織り交ぜないと、偏りが際立つだけで終わってしまうように思うが・・・

 国民は賢明であり、冷静なのである。大声をあげていれば通用するような時代ではない。



22.国連安全保障決議


 オリンピックが終わると、北朝鮮の核を廃棄させるための国連制裁決議というのがいよいよ厳しさを増しそうである。

 国連の活動はいろいろ報道されるが、果たして法的拘束力というのはあるのだろうか?

 唯一、安全保障理事会の決議事項は、法的拘束力があるのだという。


 ウィキペディアによると、

 国際連合安全保障理事会決議(UNSCR, United Nations Security Council Resolution)とは、安全保障理事会の構成国の票決による決議のこと。

 理事15か国中、9か国以上の構成国が賛成し、かつ、常任理事国の反対が一切なかったときに承認される。

 安全保障理事会の表決は、国連憲章第27条3項に規定されており、各国1票ずつの投票権を有し、「常任理事国の同意投票を含む9理事国の賛成投票」が決議成立の条件となっている。

 常任理事国のうち、1か国でも拒否した場合は、「拒否権」の行使として、決議は成立しない。

 常任理事国の「棄権」は「同意」ではないので、27条を文言通りに解釈すれば、決議の成立を妨げることになる。

 しかし、常任理事国の棄権は決議の成立を妨げないとされ、他の9か国により決議が成立させる運用がなされている。

 法的にこれを説明するためには、「後の慣行」によって暗黙に憲章が改正されたとか、棄権についての規定がもともと欠缺していたなどと説明する他はない。

 安全保障理事会決議は、法的拘束力を持っているとされているが、国際連合憲章においては、安全保障理事会が決定 (decide) した場合のみに法的拘束力をもつ(国際連合憲章25条)。

 そのため、議長声明、公式コミュニケ、非公式となるプレスステートメントの順で拘束力が弱く、これらはコンセンサスで決められる。

 コンセンサスは全会一致が必要のため、プレスステートメントでも非常任理事国の1カ国でも特定の言及記述をブロックできることはあまり知られていない。


 さて、2395号という強烈なのがあるらしいのだが、これは議決されたのだろうか?


 2017-12-27 安保理2395:12月21日に国連安保理で決議2395が出され、このことは殆ど全てのニュースで報じられていない。

 これは何か言えば、世界的に高まるテロの危険に対処するため、国連がそれをなんとか防ごうという動きである。

 具体的には、各国が危険な団体を指定し、その情報を国際的に共有し、その動きを封じる動きをとろうということである。

 どうやって封じるかというと、空港で飛行機に搭乗させない。そのためにはハイジャック防止を企図する国際民間航空機関とも連携する。

 そのために、各国は危険団体を報告する。

 日本では、オウム真理教と赤軍、YAKUZA、それ故指定暴力団の組員はこれに該当する。

 次には、テロ予備軍として破防法の監視対象団体としての極右、極左グループと、未だに暴力革命を目指すことをやめない共産党のlistupが検討されている。

 飛行機は国際線のみならず国内線も対象になる。

 共産党は一時、暴力革命により現政権を転覆することを謳っていたため監視団体に指定されたが、その後この意思を変更したかどうか明白でないために今でも監視団体となっている。


 この決議がなされると、二重国籍者やマネーロンダリングを目論む人たちにも、大きな打撃となる。


 危ない人が世界を股にかけ混乱を引き起こすのを防ぐには、やむを得ない仕儀かもしれないが、不便を被る人が居るかもしれない。

 現代の技術を使えば、パスポートに多くの情報を組み込むことはできようから、パスポートコントロールでカバーすることができるようになるのかも知れない。



23.識者ってなに


 TVを点けたら、識者に聞くとかいうのをやっていたことがある。


 識者というのを辞書で引いてみると、物事に対して正しい判断を下す力のある人。学識・見識のある人。ということになっている。

 だが、この「正しい」というのが、どうにも曲者に思えてなりません。何をもって正しいとするのか?ということです。


 呼ばれて出演していた識者というのは、司会者或いは主催者の思惑に、いかようにでも合わせることができる能力は確かに持っているようであるし、自分が普段唱えている主義主張に合致させる為なら、論点をすり替えてでもそこに結論を持っていこうとする執念もまた、確かに合わせ持っているように思えました。

 しかしながらそれらは、国民国家・社会の為にというよりは、捉われた自説に従ってということであって柔軟性には乏しく、あくまで自説を曲げないためのようにしているとしか思えてならなかった。

 周りの状況が変わり新しい条件が加われば、考え方に変化があって然るべきだと思うが、他人の主張を聞くよりも自説を押し付けたがっているようにしか見えない。

 イデオロギーというのは、協調性を育むにはそぐわない考え方なのかも知れない。

 他の価値観を否定しないと、理論を構築できないということなのか、聞く耳というのがないのか、他の人が話しているのを遮ることを繰り返していた。

 与えられた諸条件のなかで、最も良いと思われる意見にまとめるということよりも、自分の主張を絶対正義と思い込んでいるらしいのが、不思議といえば不思議なのだが、どういうわけかそれを国民を代表する意見のように信じ込んでものをいうから、尚不思議に思えてならない。


 まあ、それは個人個人の考えだから良いとして、司会者が自分の思惑通りに話を進めようとしているのが余りにあからさまなのには鼻白んでしまった。。

 司会者は、自分の意見を述べる場所ではないのだ、という認識が不可欠なのだと思うのです。


 全員が同じことを言ったりするようになるのは、どこか胡散臭く感じられてしまうのだが、そんなのばかり集めてきて識者だといわれても、現状乖離の空論にしか聞こえない。

 そして多分、自分の言ったことに後から責任を取ることもない。そんなものを見たこともない。



24.手を振る


 人は別れるとき、自然に互いに手を振りあう。

 何故手を振るのであろうか?

 手を振るのは、相手の魂を呼び寄せるという行為なのであるのだという。そもそもは袖を振るというところから来ているらしい。


 茜さす 紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る

 天皇の、蒲生野(かまふの)に 遊猟(みかり)したまひし時に、額田王の作れる歌。

 茜色の あの紫草の野を行き その御料地の野を歩いてるとき 野の番人は見 ていないかしら 、 あなたそんなに袖を振ふらないでよ ・・・恥ずかしいではありませんか。

 不倫だったのでは?



25.朱雀


 朱雀(すざく)は伝説上のものであって、龍と同じく実在しないのだという人が多いけれど、霊格としてそれは居るのだと信じる人も多い。その方が精神的には奥行きが感じられる。

 紅孔雀とは違う。

 朱雀は、方位でいうところの南方を守護する神獣とされる。季節としては夏を表す。

 風水上では南側の開けた場所、あるいは湖や海を指すようです。

 翼を広げた鳳凰の形で表されるが、朱は赤のことであり、五行説では南方の色とされる。

 鳳凰・不死鳥、西洋ではフェニックス、インド神話ではガルーダと同一視されることもあり、類似が指摘されることもあるが、あくまで神格のある神獣であり、信仰の対象ではある。

 朱雀は、所謂悪魔類ではないことが特徴でもある。

 北を守る神獣、玄武と対をなして崇められる。

 むかしの人にはこれが見えたのだろうか?描かれた絵をみると、真に迫っている。



26.神の遺伝子


 先祖を辿るのに、遺伝子を調べるという手法が使われるようになった。

 日本人にはYAP遺伝子というのが有るらしい。

 Y染色体は、男子にのみ受け継がれるが、日本の男性の多くにこの遺伝子が受け継がれているという。

 この遺伝子は、チベットの一部とユダヤ人に認められるというが、中国や韓半島には無いというから、日本人のルーツは今まで言われてきた中国や朝鮮半島から渡ってきたのではなく、そもそも日本に住んでいた縄文人であったのか、或いはそれよりかなり昔に渡来して来た人が土着していたのか解らない。

 学術的にみると、中国人や朝鮮人と同じではないことだけはは確かなようである。


 父系のルーツを辿ることができるY染色体ハプログループは、数万年にわたる長期的な追跡に適しており、1990年代後半から研究が急速に進展したのだという。

 それに伴い、現代日本人は、従来考えられてきたよりも色濃く古モンゴロイド的縄文人の血を引き継いでいる事が判明してきた。

 崎谷満氏の分析では、日本人は主にY 染色体ハプログループD1bの縄文系と、ハプログループO1b2の弥生系を起源とする事が明らかになってきたという。


 他にも、縄文遺跡から出てきた米の遺伝子を研究した結果、稲作は半島から齎されたのではないということが証明されたという。

 1万年以上の昔、日本列島全域にわたって栄えた縄文文化は、もっと詳しく研究されるべきなのだと思う。

 世界の歴史すら変わるかもしれないのである。

 それにしても、今まで我々が習って来た歴史は、一体誰がどのように唱えた結果なのか判らないが、証拠が明らかになってきたら修正すべきなのではなかろうか。



27.成功した後に


 人は誰も大抵は、その心の中に成功を願っている。

 しかし何をもって成功とするか?

 富や財産であったり、権力であったり、芸事や武術の卓越した練度であったり、学問上の成果であったり、商売の繁盛であったりと様々であるが、それによって何を為そうとするのであろうか。

 切磋琢磨して競い合い、互いが向上しようとするのは解るが、他と較べて優位にあるとして満足するのでは、目指す先が違うように思えてならない。

 人は誰もが同じわけではないし、較べてどうこうを言えない得手不得手の持ち分というのがある。

 頭脳明晰な人も、体力が衆に優れている人も、それとは逆に五体すら不自由な人もいる。努力できる人もいれば、それができない人もいて何の不思議もない。

 確かに一番にならなければならないという分野はあるだろうが、そのことによってそれが達成された後に何をしようとするのかがないと、何かが足りない。

 何をなすべきかに気づく人も居れば、そんなことにお構いなしの人も居る。

 その差は一体どこから生まれ、それが何を意味しているのかを意識する人は少ない。

 しかし、どんな人であったとしても、その域に届いていると、何かの折に人としての優しさを自然に表すことができる。

 それなくして人類が生き続けることはできまい。全ての先達ではなく一握りの人であっても、それが発現されることをもって、全体が成り立っているのかも知れない。

 いわゆる成功という域に達していないから考えてしまうのだが、成功した人には何か重大なお役目があると自らが気づける啓示があるのかも知れない。



28.相手によって違う


 基本的に、相手が何国人であっても、日本人は差別的に対応することはまずないし、可能な限り友好関係をつくろうと思って接する。

 しかし、どこの国に行っても均一的ではなく、友好的な人も居ればそうではない人も居て、それはどうなるものではない。

 それでも、大まかに親日的だとこちらが思い込んでいる国というのはある。

 だから相手もそうであろうと思ってみても、相手が全てそうだとは思いこまない方が無難である。


 むかしドイツの最高峰であるツークシュペッツに登ったことがある。

 9月の中旬は過ぎていたと思うが、頂上付近は深い雪に覆われていて、下山した時にはかなり疲れていた。

 時間的に遅くもなっていたし、麓近くでホテルを探し、そこで一泊した。

 朝起きて外をみると、そこはすぐそばに湖があり、なかなか良い場所であった。

 朝食を摂りにレストランフロアーに行き、眺めの良い席を選んで座った。

 食べ始めて少しした頃、二人ずれの宿泊客が入ってきて、私が食事中のテーブルの側を行ったり来たりしてもの言いたげである。かなり不満そうな顔つきをしていた。

 どうやらその席は、彼らがいつも座る定席らしく、こちらにどけと言わんばかりの態度を露骨に表し始めた。

 そんなのは此方の知ったことではない。座る前にリザーブ席だとの表示はされていなかったし、事実レストランのスタッフからもそんなことは告げられていない。

 こちらがマナー違反を侵しているわけでもないのに、誇り高き日本人としてはムザムザ席を譲るわけにはいかないから無視した。

 今後の日本人客の扱われ方も考えれば、ゆえないことを要求されてスゴスゴ引き下がるわけにはいかない。

 東洋人と侮っての振る舞いであったようだが、態度物腰からどうやら此方が誇り高き日本人であると悟ったらしく、諦めてほかの席に移って行った。

 言葉なんか通じなくても堂々としていることは大切である。

 それは別段争いを求めてのことではなく、むしろそれとは逆である。



29.誰が味方なのか


 ざっとおおまかに調べてみるに、韓半島に存在した国と王朝には、文化的にも技術的にも政治的にも軍事的にも、日本を凌駕できるものはなかったのだと思う。

 唯一つ自慢の種にしてそれに縋っていたのは、中国に近かったということだけであろう。

 それは彼らにとって、結果的には事大主義、大きなものに仕えるという根性が染み付いただけである。


 地勢的には致し方ないにしても、国と言うなら限度はある筈が、歴史的には卑屈そのものであった。

 確かに昔の中国は、周辺諸国を南蛮・北荻・西戎・東夷と蔑称しても不思議ではないほどの文化を誇っていた。中華思想というものもむべなるかな、と言えよう。

 しかし、周辺諸国中で、中国から最下位の属国扱いをされていた朝鮮が何を勘違いしたのか小中華を僭上し、何の根拠もなく、海を隔て遠くにある日本を野蛮人の国と決めつけていた。


 気が付いてみると、日本は朝鮮の宗主様である中国に対抗できる強大な独立国であった。

 それは根拠なしに見下していたことも含め、反省改善すべきことが多々あったが、朝廷内の権力闘争に明け暮れるばかりでそれができなかった。

 中国からの独立などは考えることすらできず、迎恩門などを作り拝跪服従していた。


 独立の最大の機会であった日清戦争にも、朝鮮は1兵も派遣することなく見ていただけであったが、日本が勝ったことで結ばれた下関条約により、棚ぼた式に独立できた。

 もし1兵でも出して戦っていたら、その後の展開は違った筈である。

 直ちに迎恩門を破壊し、独立門を建てた。現在の韓国人が日本からの独立を記念して建てたと信じてやまない門のことである。

 彼らは漢字が読めないから、礎石に書かれている説明文が理解できないし、建てられた年次から判断することもできない愚かさというよりない。


 実力もないのに思いあがって下に見ていた日本からの恩恵により、恨み骨髄の中国から独立できたということは、気位だけで生きていた彼らにとっては屈辱であったろう。

 努力をしなかったのを棚に上げて、悔しくってたまらなかった。

 それが反日感情の遠因として続いているように感じる。


 40年弱前に韓国に旅行したことがある。日本語の話せる年配の人たちは親しみをこめて話しかけてきたし、極めて友好的であった。

 それが今のように反日で染まってしまったのとは隔絶の感がある。

 日本の統治下にあったときより悪いではないかという不平不満を逸らすためには、徹底して反日をするよりない。まさに王朝が替わったときに前王朝を全否定するという手法である。

 国を挙げて発展するための旗印が、敵国を想定することにしか知恵が及ばなかったことが哀れである。

 日本は、焼け野原から復活を遂げ、現在の発展を果たすのに敵国など想定しなかった。


 虎の威を借るか、安易に他国の文化・技術をパクルかで、自分たちの地道な努力の積み重ねを怠ってきたから、根本的国力はいつまでたっても育たず脆弱である。

 経済的危機を囁かれることも度重なるが、支援することはどの国も躊躇う。

 それはそうであろう。うまくいったときは自分の手柄、うまくいかなかったらそれは全て他人の所為として恨むとするやり方は、全世界に知れ渡ってしまった。


 安全保障も経済状況も切迫しているこの期に及んでも、右顧左眄、蝙蝠外交の癖から抜け出せないから、誰からも信頼されない。

 このままでは何もできないままに北朝鮮に飲み込まれ、独裁者に隷属して、またまた不平不満、恨みつらみを抱え込んで生きるしかなくなると思う人は居ないのだろうか。

 どう考えたって、最終的に味方してくれたのは日本だけだったと、感情を抜きにして冷静に判断できればそうなる。誰が味方なのか判断もできないのだから仕方ない。



30.知らせない自由


 NASAが公開した夜の日本海の衛星写真というのがある。

 そこに映っているのは、大挙して押し寄せた韓国のイカ漁魚船群である。

 どうして韓国の船だとわかるかというと、集魚灯の色が日本の物とは違うからわかるのだという。

 違法操業であり、漁方法が乱暴だから、資源が激減する恐れがあるのだという。

 この他にも、まだ育っていない小鯖も違法に乱獲しているのだという。食用に適さないから、飼料や肥料にするしかないと言うが、きちんと取り締まらないと、やりたい放題にしていては、漁業の行く末が思いやられる。


 北海道沖に大量に現れる北朝鮮の木造船の跋扈も、危機感を煽る。兵士やスパイが混じっていないと言う保証はない。


 新聞は紙面の都合があり、放送では時間の限度があるからと言われれば、なんともいうことはできないが、韓国・北朝鮮がらみの不都合なニュースは何故か伏せられる。

 これに限らず重大な問題を含むニュースというのが有ると思えるのだけれど、報道しない自由ということで取捨される基準というのはどのようなものなのだろう?

 ヘッドラインだけでも知らせるということはできないものなのだろうか。

 関心や反応が大きかったものについては、後からでも詳細を報道できると思うが・・・



31.朝鮮通信使


 朝鮮通信使が世界遺産に登録されるまでの経緯というのをTVでやっていたが、途中で見るのをやめてしまった。

 例によって韓国側の学者が口角泡を飛ばして彼らの主張を述べているのを聞いて、どうせ日本側が大幅に譲歩して纏まったものなのだろうとしか思えなかったからである。

 朝鮮が日本にいろいろ教えてやったのだと言うが、わざわざやってきてまで親切にものを教えるような民族ではあるまい。

 日本は、学びたいことがあれば、こちらから出かけていくというのが古来からの姿勢である。

 浅学との誹りを受けようとも、少なくとも江戸時代以降に、彼らが日本に教えられるほどのものがあったとは思えない。

(登録資料を見たわけではないから、余り大きなことは言えないが、基礎的なことは前に読んだことがあるから、あながち此方の身勝手とは言えないと思っている。)


 「朝鮮通信使」とは、室町時代から江戸時代にかけて「李氏朝鮮」より日本へ派遣された外交使節団のことである。戦国時代には途絶えていた。

 江戸幕府は朝鮮通信使の来日については「貢物を献上する」という意味を含む「来聘」という表現を専ら用いており、使節についても「朝鮮来聘使」と称するのが一般的であった。

 即ち朝貢外交に来ていたということになる。

 主たる目的は、日本が朝鮮に軍事侵略する動きがあるかどうかを探ることであったと思われる。

 今の韓国人が主張するような、日本に文化や技術を教える為であったなどということでないことは確かであろう。なぜなら彼らにそんなものはなかったからである。


 李氏朝鮮には、支配階級の両班、中人、常人がおり、被支配階級の奴婢、白丁と言う制度があった。支配階級の最上位である両班は、中人、常人を使い奴婢、白丁から収奪をするだけで、労働をすることを蔑んでいたにもかかわらず、中国に冊封されて成り立っていた王朝である。

 李氏朝鮮時代の500年、支配階級は徹底した悪政を行い、極悪非道の利己主義的な方法によって国を支配していた。権力の座に座った者は暴虐の限りを尽くし、民衆はただ搾取の対象でしかなかった。奴隷(奴婢)が、国民の大半を占めていたのである。


 日本側から見れば、李氏朝鮮という暴力団が、幹部が捏ねる口先の小理屈のもと、朝鮮半島内を縄張りとして身勝手な暴虐暴政を行っているだけの未開の地域でしかなかったと言える。

 その社会といえば、李氏朝鮮は相互不信社会で、誰であろうと、いつどこで、誰に裏切られるかわからないという不安があり、お互いに嘘で騙し合っていたのである。裏切りはお互い様で、騙される方が悪い。

 朝鮮では「とにもかくにも人の上に立て」と教えこまれた。下になったら、何もかも奪われる。どんな卑怯な手を使ってでも上に立った者が勝ちというのが、彼の国の古来変わらぬ常識となってしまっている民族なのである。


 韓国が「李氏朝鮮」を"美化"するのには理由がある。その後の日本統治時代を暗黒時代として描くためには、捏造してでもそうせざるを得ない。

 朝鮮通信使についても同様で、あくまで「日本に対し文化を教えてやった立場である」としないと、韓国が捏造する歴史の整合性がとれなくなってしまう。

 反日感情の一番大きな問題点は、彼らが日本統治以前の李氏朝鮮を知らないということである。「今の自分たちのようにとてもよい暮らしをしていたのに、ある日突然日本が襲ってきて」という捏造教育による錯覚があるからである。それが日米のお陰なのだということに考えが及ばないような刷り込みをされているからであろう。

 韓国人は、李氏朝鮮がいかに地獄の様相を呈していたかを教えられる事はない。

 韓国政府が都合良く作り上げた大嘘の国定教科書で勉強し国民の殆どが盲目的にそれを信じてる

 ネットで調べるだけで、それが大嘘だと判るのに、それはしない。


 江戸への旅で、過剰な接待を受け続けた朝鮮通信使の一行は、甘やかされた子供のように、躾をされていない犬の如く、どんどん傲慢になり、傍若無人な態度をとるようになっていたことは、日本各地の通過地にそれらの言い伝えが残っていることでそれと知れる。文化人などといえるような代物ではなかった。

 「朝鮮通信使」が、鶏を盗んで乱闘になっている有名な絵 も残っているし、宿泊施設の旅館では、部屋にある布団から、花瓶や、食器、掛け軸まで盗まれて、朝鮮通信使が去った後の部屋は、まさに「引っ越した後の空き家」状態になったといわれている。


 日本で目にした技術や文化は当然報告された筈だが、それを獲り入れることができない文化程度であったから、木を曲げる技術すら身に付かず、水車も荷車も木桶もつくれなかった。

 日本は、戦前も戦中も戦後も酷い目に会っているのである。こういうことはキチンと教えた方がお互いのためだと思う。



32.鳥も大変なのである


 我が家では、玄米を購入して家庭用の精米機で白米にして食べることがある。

 出てきた糠は、鉢植えの植物の肥料にするため、庭の容器で発酵させる。

 このところの寒さや雪の影響なのか、それを食べに鳥たちがやってくる。

 見るともなく見ていると、小鳥たちは一口啄むごとに顔を上げて周りの様子を窺うから、何とも苛立たしい。

 そのように用心深くないと生き残れないのかもしれないが、大型の鳥以外に天敵はいなさそうなのだが・・・

 来れば可愛いと思うから、粟なども撒いてやるということになる。

 ツガイでやってくる鳩がいるのだが、こと餌ということになると譲り合いなどということは無くて、先を争って食べる。畜生の浅ましさということなのかも知れないが、考えてみれば人間だって同じようなものかもしれない。

 食べて行くのは、お互い大変なのである。



33.天才的珍回答


 子供たちのテストでの珍回答だというが、それを見ると天才だとしか思えない。

 この子たちの発想力は、将来花開くに違いない。


 そうは言っても、問題の出し方も決して良いとは思えないが・・・


次の文章を読んで、思ったことを書きなさい。

Q:お父さんは、裸のままお札を差し出した。

A:お父さんは、ヘンタイかも知れない。


次の慣用句の意味を書きなさい。

Q:大は小を兼ねる。

A:大便をするとき、一緒に小便もする。


Q:「先生が来る」を敬語にしましょう。

A:先生が降臨する。


カタカナ部分を漢字にする。

Q:政治家のオショクジケン  (汚職事件が正解らしい)

A:政治家のお食事券

Q:父とセントウに行く

A:父と戦闘に行く  (銭湯が正解らしい)


Q:冷凍食品ばかりで不足するのは何でしょうか

A:愛情


次の文を過去の文にしなさい。

Q:I live in Tokyo.

A:I live in Edo.


Q:(もし~なら~)を使って文を作りなさい

A:もしもし、奈良県の人ですか。

Q:(まさか~だろう~)を使って文をつくりなさい

A:鉞(まさか り)かついだ金太郎

 笑い話にして終わりにしてしまうには惜しすぎる。



34.日本の染色


 韓国の宮廷ドラマなどを見ていると、鮮やかな色の韓服を纏った人たちが出てきて、こんな文化があったのかと惑わされるが、それは捏造だという人がいる。

 朝鮮では染料は高価であり、貧しくてとても買えるものではなかったと。

 事実、残されている朝鮮王朝末期の頃の風俗を写した写真は、首都といえども藁ぶきの家が並び、そこに屯している民はどれも粗末な白い衣服しか着ていない。

 少なくとも、庶民はそうであったと思われる。


 日本ではどうだったのかというと、平安時代の昔から、四季折々に見られる自然の色を衣服にも取り込んだ鮮やかな衣装を着ていた。

 大抵の色は染めることができたらしい。

 そういう色を四季に合わせ身にまとうのが貴族の教養であり嗜みとされていたから、グラデーションも考えた色使いも美しい。

 十二単に代表される日本の装束は、植物染料によって染められていたというが、発色を高めたり色落ちを防ぐために、媒染処理を行っていたとされる。

 太陽神を信仰する日本人は、赤に対しての意識が強い。

 一口に赤といっても、それは50種類にも及び、その一つ一つに名前が付いている。

 黄色い花を咲かせる紅花から黄色の色素を捨て、藁灰のアルカリ、米酢の酸で赤色を抽出し、梅から取り出した酸で布や紙に染め付けた知恵というのはどこから出てきたのだろう?


 古い絵巻物にも描かれているし、書物にも色の記述は多い。

 庶民にもそれらの色は広まったようであるが、江戸時代に入ると奢侈禁止令などが出され、身分によっては使えない色ができた。

 そうなると庶民は工夫して、使える色のものでも種類を増やした。

 利休鼠などは有名であるが、四十八茶百鼠とか、藍四十八色と呼ばれるように、色彩感覚がすぐれていないと区別できないものを沢山作り出した。

 反骨精神の強い人は、表地は粗末に見えても裏地に贅を凝らすなどということもした。

 浮世絵などに描かれている色や模様は、技術文化の高さを窺わせる。


 染色技術に加え、織りの技術が布の芸術性を高めたが、それらの多くは職人たちによる分業である。総合力が芸術作品とも呼べる物を造りだしたのだということは、彼らが互いの技術を認め合い信頼し合っていたことになる。何とも凄い世界を作り出していたのだと言える。



35.日本発


 日本発で、中国や韓国で反日歴史カードとなって使われているものが多いのだという。


 古くはA新聞のK・H記者による「中国の旅」だとか、近くは吉田清治の慰安婦狩りだとか、日本を貶める記事が日本から広まり、多くの日本人がそれに騙された。


 事実であればまだしも、一部を切り取ってプロパガンダに加工されたものが多そうである。

 三光作戦だとか人体実験だとかも、その実情が明らかになってきつつあるようである。

 吉田清治の大嘘がバレて以来、中国にある記念館から本多勝一に関する展示が外されてきているともいう。


 国連にわざわざ20回も出かけて行ってまで、性奴隷を定着させた日本人弁護士Tなども居るように、日本が火をつけ燃料を補給するような動きがとまらないのは何故なのだろう?

 何でも言える何でもできるという日本人であっても、許される範囲を超えてはいないだろうか。


 いずれ真実は明確になっていくのであろうが、定着してしまったことを覆すのは非常に難しい。

 丹念な掘り起こしと検証という研究を続けるには、膨大な時間を要するであろうが、一つ一つ根気よく進めていくしかあるまい。

 願わくは、油を補給するような日本人が少なくなって欲しいものである。



36.平和ボケ


 何をするか解らない北朝鮮が脅威であることは間違いないが、脅威はそればかりではない。

 中国の核ミサイルが日本の人口30万人以上の重要都市を標的にしているというのは、かなり昔から知られていることであるが、一般人はそこから目を逸らされている。

 今更取り立ててどうのこうの言っても始まらないが、相手国からの攻撃が最初になされれば、日本はそれだけで壊滅する。

 自国の防衛を真剣に考えるなら、国際的常識である対抗手段を講じておく必要があるということになる。

 理想的には同等の軍事力を持つということで抑止力となるのであろうが、少なくとも飛来するミサイルを迎撃できるように備えるくらいのことは、いかに専守防衛だという制限があったとしても、許容範囲であろう。

 相手からの攻撃があってからでないと反撃できないと主張することは、壊滅的な被害を先に受けてしまうことを甘受せよということと同義であり、一旦攻撃を許してしまえば、反撃の機会なぞ望むべくもない。

 少なくとも、飛来するミサイルを迎撃できる備えを、またそれを攻撃されても壊滅からは逃れられるように、山岳地帯の地中深くに構築しておくことに国民の合意を得るくらいのことはしておかないと、抑止力にもなるまい。

 中国の核弾頭は水爆であるから、廣島長崎の比ではない。

 数発打ち込まれただけで、日本は瀕死の重態になることは想像するまでもない。

 アメリカが頼りになるとは思えない。というより間に合わないであろう。

 これにきっちり対抗するのなら、反撃体制を温存できる体制をとる必要があるが、それには日本も核武装し、原潜を5~6隻造ってSLBMを装備するしかないのかも知れないが、そこまで日本側ができるかどうかということになると難しい。

 しかし、現実がどうなっているかということから目を逸らしているばかりでは、実情に合わせた安全は保てないのではなかろうか。

 尖閣諸島に原潜を派遣するなど、日本組みしやすしと見くびり、挑発を繰り返してくるのを、安閑として見逃していてはなるまい。

 うかつにはことを構えられないと躊躇させるのが抑止力である。



37.幼いころの記憶


 もう70年以上昔のことであり、父も母も居なくなってしまった今となっては、確かめるすべはもはやない。

 それでも、とぎれとぎれにではあっても、僅かに思い出す記憶というのがある。

 4歳の時に満州から帰還したのであるから、それが両親にとって如何なる困難を伴ったことであったかは、想像を絶する。

 体の弱かった母を、黒い負ぶい紐で背負って連れ帰ろうとしている父に「私は置いて、子供たちだけでも連れ帰って」といっていた姿を、幼いながら覚えていて思い出す。

 5歳年上の兄と、2歳年下の妹、5人の家族がどのようにして帰国できたのであろう。


 明日は出発という日の夜、隣の喧嘩相手であった男の子が石炭置き場で泣いていたのも記憶にある。

 きっと帰れない事情があったのであろう。

 かくいう私も、途中で食べた物にあたったのか、半死半生でようやく両親の故郷にたどり着くことができたらしい。

 残留孤児として、かの国に残されても不思議の無い状況でありながら、戻れたのである。


 多分、日本に着いてからのことだと思うが、父の背中から見た道脇に生えるアカンボウノキ赤い新芽の記憶があるが、降りた駅からどの道を辿ったのだろう?


 日中の国交がなって、彼の地に旅行することが可能になったとき、母に「昔住んでいたところに行ってみたいか?」と尋ねたことがあったが、言下に断られたことがあった。

 母にはその後二度とそれを尋ねることはしなかった。


 帰国はしたが、戦後の厳しい時代の中、育てて貰った恩がある。

 そんな簡単なことさえこの年になるまで思うこともなく、親不孝を重ねてしまったのではないかとの取り返しようもない後悔はある。

 百歳近くまで生きてくれたのだから、もっと優しくすれば良かった。

 せめて時々は思い出して、手を合わせ感謝したいと思う。



38.龍


 龍は想像上の霊獣だとされているが、果たしてそれだけなのであろうか?

 現実にそれが存在することを体感した人も居るに違いなく、描かれた画像は微細部分まで真に迫っているように感じる。

 一般人でも、いわゆるパワースポットと呼ばれる場所で、その霊気を感じたという人も多いと聞く。


 そもそもは中国から伝わったというが、中国の龍は神獣・霊獣であり、皇帝は龍に認められてその地位に就くことができたのだとされるから、皇帝のシンボルともされている。

 龍はその啼き声によって雷雲や嵐を呼び、時に棲息している淵から竜巻となって天空に昇り、自在に天空を飛翔すると言われる。

 口辺に長髯をたくわえ、喉下には一尺四方の逆鱗があり、手の鈎爪には宝珠を握りしめていると言われる。

 西洋のドラゴンが悪の化身とされるのと違い、東洋では霊力の有る神獣として崇められる。

 辰は竜を意味し、十二支の一つとして数えられてもいる。


 様々な文化とともに中国から伝来し、元々日本にあった蛇神信仰と融合したとされている。

 日本神話に登場する八岐大蛇も龍の一種だとされることがある。

 遺跡や古い神社などに見られる四神として描かれる青龍の他にも、水の神として各地で民間信仰のの対象となってもいる。

 九頭竜伝承であったり、潅漑技術が未熟だった時代には、八大龍王に高僧が祈りを捧げるといった雨乞いの儀式などもが行われた。

 目に見えないものだからと言って否定するのではなく、大いなる自然現象に神を感じて崇めるということは、感性としても大切なことのように思える。



39.歴史の真実


 科学が進歩することで、考古学上言われていたことが全く変わってしまうということは有り得る。

 歴史と言うのは本来、イデオロギーや国同士の思惑で決まるものではないのだが、教えられることにはその影響が色濃く出る。

 しかし、科学によって明らかになってくるものを、歴史修正主義ということは出来ない。事実が事実として解明されたということになるだけのことである筈。


 「中国から漢字が伝えられるまで日本には文字がなかった」と、日本人の大多数はそう信じ込んでいる。義務教育の小・中学校はいうまでもなく、高等教育の場でも繰り返し、そう教えられてきたからだが、実際にはそれ以前に日本にも文字は存在していた。


 平成3年7月、佐賀県大和町の東山田一本杉遺跡から出土した弥生前期末の甕棺から、「古代南インドの象形文字」が発見された。

 日本人考古学者が見逃していたものを、たまたま調査に訪れた、インド人考古学者ポンナムバラム・ラグパティ博士が発見したものである。

 意味は不明だが、甕棺の側面に、縦十五センチ、横十九センチの大きさで十字に引かれた線の先端が熊手状の文字が描かれていた。ラグパティ博士は「紀元前三世紀頃まで南インドの土器に描かれていたグラフィティという古代文字と同じだ」と語り、驚きの声をあげたという。

 しかし、この程度で驚いてはいられない。紀元前2500年から紀元前300年頃に使われていたと思われる古代シュメール文字やバビロニア文字、ギリシャのピロス文字、中国の甲骨文字のルーツと思われる文字が、西日本一帯において、続々と発見されているのだという。(日本ペトログラフ協会調べ)


 つまり、インドどころの騒ぎではなく、超古代の日本人が世界各地と交流していた形跡が見られるのである。

 ただし、それらの発掘物が、世界各地から古代文化を伝えた部族が集団で日本列島に渡来し、それぞれのルーツを伝える文字を岩に刻み込んだものなのか、逆に日本で発明された古代文字が世界各地に伝えられ、定着し完成するに至った形跡を示すものなのか、これだけでは判らない。

 いえることは、いずれの文字も、超古代文明の遺産とされる巨石文化遺跡の大岩に刻まれた状態で残っているところを見ると、紀元前2500年どころか、その起源はずっと古くまでさかのぼる可能性があるということである。

 そして、日本列島が、古代文字の発祥の地だった可能性があるということでもあり得るということになる。


 岩石に刻み込まれた文字や模様をペトログラフという。具体的には巨石に刻み込まれた岩刻文字・文様のことを指すが、このペトログラフ こそは数千年から数万年前に存在した古代文明に古代文字が存在していたことの証明 であり、日本のみならず世界中に分布・発見されていることから、古代人の行動範囲を 推測する重要な手がかりとして、最近とみに注目を集めている新しい学問なのである。


 日本各地で発見される縄文遺跡からわかってくることも多い。

 稲作は朝鮮半島経由でもたらされたとされてきたが、縄文遺跡から出土した稲のDNAを調べると、どう考えても、日本から朝鮮半島に渡ったのだという結論になるのだという。

 人もまた同じで、Y染色体を調べてみると、日本人は頭初から独自の染色体構造をもっていたことが判明したことで、それが半島や中国の人たちには全く存在しない染色体だというから、半島経由で渡ってきて住み着いた人たちが主とはならない民族だということになる。

 渡来人が多かったことは事実としても、そもそも日本人の祖先が既に居た地ということになる。

 天皇家の継承は男系でなくてはならないとするのも、Y染色体は男系のものだからという説にも起因するらしい。

 縄文時代にしてすでに、列島内に何らかの流通経路はできていたとしか考えられないこともある。

 例えば、日本国内の一部地方でしか産出されない黒曜石や翡翠などが、日本全国で発掘されるからである。


 時代は下って古墳時代の遺跡ともなると、日本独自の形式である前方後円墳が、多数韓半島で見つかっているのだという。

 韓国では、日本の支配が半島に及んでいたことを示すそれらの遺跡は、自国の主張にとって都合が悪いから、それらを躍起になって破壊しているのだというが、そんなことをしたからといってどうなるものでもあるまい。中国や日本の古書に、日本の支配が及んでいたことが示されている。

 いずれにしても、歴史と言うのは政治・経済イデオロギーで都合よく説明しようとする対象のものではない。

 事実は事実であって、良いも悪いもないのだとする姿勢を保って研究しないと、真実にはたどり着けないものなのではなかろうか?認めるべきは認めるということから学問は進む。



40.アジアの評価


 日本関連のマスコミ報道に「アジアでの評価が低いのが際立った」というのをよく目にする。

 しかしながら、それらは「中国・韓国」のみなのではないのか?

 この国々は反日教育をしているから、日本が何をしても否定し、非難する国である。中韓について述べたいのなら、せめて東アジアと言うべきで、意図的な記事には猛省を促したい。

 長年東南アジア諸国に住んだ経験のある人たちが、疑問を呈することが多い。

 特にアジア諸国(ベトナム、フィリピン、マレーシア、タイ、ミャンマー、ラオス、インドネシアの東南アジア各国、ネパールなどや中東諸国での日本への人気と信頼は絶大なのだという。そしてどこの国の人間も「中国は最も嫌い」と言い、韓国はK-POPの人気は高いが、一般韓国人と一緒に働いたり接した経験がある人は、「韓国人は最も粗暴な人種」というのが、殊に東南アジア諸国の人たちの共通認識だという。


 世界は中国・韓国を信用していない。だから、何を言われたとしても、私たちは自信を持っても良さそうである。



41.如何ともなし難い


 人には如何とも為しがたいものがある。

 それらはいろんな関わりの中での想念となって現れ、それに捉われると、精神を苛まれる。

 外に向ける想念が強ければ攻撃的になり、内に向かえば鬱状態となって、そこから抜け出せないから、それが原因となって長く続いてしまうものを「業(ごう)」という。

 人は今更悔やんでも取り返しがつかないような過ちを犯してしまう。

 誤った想念や行動は、ある日突然「苦しみ」となって自らの身に現れる。

 原因となることがあって、因果の法則が働いているということであるから、身に覚えがないといってばかりもいられない。過去世の過ちが今表れたのかも知れない。


 しかし、苦しみとして表れたということは消えるということであり、消すことのできるチャンスなのである。

 消える為にあらわれたのに、それを新たに掴みなおしてしまうから、業として更に強まりいつまでも残る苦しみとなってしまう。

 大いなる意思(神様といってもよい)は、人間にそんな苦しみを負わせ続けるわけがない。何故なら、大いなる愛であり大いなる慈愛としての存在が神だからである。


 ではどうするかということになるが、どんなに自分勝手なことかとは思わないで、現れたからには必ず消え去ると信じ、先ず自分を許す。自分を許すのだから他人も許す。そうして自分を愛し人を愛す。以後、愛と誠の言行を為し続けるように努力する。


 日本には昔から「禊」という風俗がある。自然に身に付いた知恵なのだと思えてならない。

 もっと言えば、正月という行事があるが、昨年1年間のもろもろをリセットして、新たに始めるための手続きなのだと思う。

 捉われから抜け出すためなのだと思えば、意味が深いことを長きに亘って培ってきたのである。



42.エルサレム


 エルサレムとは、アラビア語で平和を表す語から来ている名前だというが、流血の歴史がある地としてのイメージの方が強い。遠く離れた地にあるから、その地域の紛争が身近には感じられないが、知らないでいてよいとはならない。


 米国務省が在イスラエル大使館を5月に現在のテルアビブからエルサレムに移転すると発表したことで、「トランプ大統領はいったい何を考えているんだ。そんなことをしたら、アラブ諸国が騒ぐに決まっているではないか。」という報道ばかりがされているが、本当にそうなのだろうか?

 トランプ大統領は、かなり冷徹に状況を見極めて決断しているように思える。


 そもそも外交を担当する大使というのは、派遣先の国の元首に信任状を渡して仕事を始める。

 その国の元首が居るところは、その国の国会議事堂がある首都であるから、大使はそこで活動するに決まっているし、大使を派遣している諸国もそうしている。

 アラブ諸国が騒ぐというが、アラブの両雄ともいえるエジプトとサウジアラビアは、どうみても静観の構えである。

 なぜなら、イランの脅威の方がそれどころではなく重大な問題で、揉めている場合ではないからだという。


 以下は、イスラエルの歴史をネット上で拾ったものです。

 調べてみると、どうも巷間いわれているような、ユダヤ人がパレスチナ人を武力により追い出して国を作った国であるということとは違うようです。


 イスラエルは、紀元前586年には新バビロニア(現イラク)によって征服され、その後、勢力を伸ばしてきたローマ帝国によって征服された。そうなるともう、ユダヤ教のユダヤ人たちはここに住んでいられなくなって、世界各地に散らばっていくしかなかった。


 614年にはペルシャによる侵攻。636年にはイスラム帝国がこの地を占拠、7世紀ごろからはアラブ人もこの地に入ってくるようになり彼らはイスラム教徒になっていった。


 このようにして、この地はいろいろな国、民族、宗教が移り変わっていったから、エルサレムという場所はユダヤ教、キリスト教、イスラム教と3宗教の聖地ともなった。


 キリスト教徒は11世紀の後半から十字軍を遠征させ聖地奪還を目指したが、一時的なことに終わり、、16世紀にはイスラム教のオスマン帝国という強い国がこの地域を支配することによって長い戦いの歴史にも終止符が打たれることになった。

このオスマン帝国の時代がどれくらい続いたかというと、なんと400年あまりとなる。そしてオスマン帝国では、この地域をパレスチナと呼ぶようになった。


 一方で世界各地に散らばっていったユダヤ人たちであるが、彼らは、勤勉で超優秀だったから、大成する人も多くいたが、国を持たない悲しさ、やっかみ、迫害を受けてパレスチナの地域に戻ってくる人も出てきます。殊にロシアから遠い先祖の地を目指した。

 しかし、パレスチナにはアラブ人がすでに住んでいた。そこでどうしたかというと、地主から土地を買い取り、双方が納得してそこに共存するようになった。

 パレスチナの地に戻ったユダヤ人たちとアラブ人の間には多少のいざこざはあったにせよ、彼らの関係性は比較的穏やかに暮らしていた時代だったといわれる。


 そんな中、第一次世界大戦が始まった。オスマン帝国はイギリス、フランス、ロシアと対立することになったのだが、この時にイギリスがとんでもない約束をしてしまう。


 まず、イギリスはアラブ人に対して「イギリス軍に協力するなら君たちの国家をつくるのに強力する。」と持ちかけます(フセイン・マクマホン協定、1915年)。

 一方ではユダヤ人の金融資本家から資金提供を受けるために「お金だしてくれるならユダヤ人の国家を作るのに協力します。」と明らかに矛盾した約束をしてしまうようなことをした(バルフォア宣言、1917年)。

 これが、現在に至るまでユダヤ人とアラブ人との関係がこじれてしまう原因である。


 結局、イギリスはどちらも裏切り、パレスチナを委任統治領としてしまった。

 ユダヤ人を優遇はしていたので1920年代には少しづつユダヤ人が増えていくことになる。

 1930年代になると、そのユダヤ人の移住が急増します。年間20万人というものすごい数となった。これはドイツのナチスが力をつけユダヤ人を迫害したことなどが原因である。


 パレスチナという土地は狭く、日本の四国と同じくらいの面積である。そこにユダヤ人がどんどん入ってくる。アラブ人がそれに怒り、対立が深まっていくことになった。


 1947年。第二次世界大戦後には、イギリスがパレスチナにおける治安維持能力を失い、この地を放り出して撤退することにし、国連の決定に委ねることになった。

ユダヤ人とアラブ人の対立が激化しすぎて、それに手を焼いたイギリスも嫌になったということである。


 イギリスに丸投げされた国連が出した決断は、「パレスチナ分割案」。

 しかし、この国連の分割案にはユダヤ人にかなり有利な分割案となり、水利が整っている地域はユダヤ人に、荒地はアラブ人に・・・。これにはアメリカの強い後押があったといわれています。


 こうして、この国連分割案にそって1948年にはイスラエル国が独立宣言されることになったが、アラブ人が黙っているわけがない。イギリスが撤退した後を狙い、近隣のアラブ諸国に力を借りイスラエルへと侵攻することななった。これが第一次中東戦争である。

 この時にエジプトが攻め込んだのが今の「ガザ地区」。そして、ヨルダンが攻め込んだのが「ヨルダン西岸地区」で、現在のパレスチナ自治区とされている場所である。

 この戦争はアメリカの支援もあり、イスラエルが勝利した。

 結果として、国連の分割案ではパレスチナ人の領土となるはずだった場所もイスラエルが領土拡大で持っていき、ガザ地区はエジプトがちゃっかり支配。ヨルダン川西岸地区はヨルダンが占領することとなって、パレスチナは踏んだり蹴ったりの状態になってしまって、それがそのまま続いているのではないのか?

 現時点では力の差は派歴然としており、互いが憎み合ってしまった結果を引きずっていては、うまくいくはずがないように思える。



43.オランダ


 阿蘭陀、又は和蘭(オランダ)と呼んでいるのは、日本だけかも知れません。

 ネーデルランド(Nederland)というのが正しい。これは「低地の国」「低地地方」を意味する普通名詞に由来するためできた名前だという。


 日本で何故オランダというようになったかというと、幕府の役人がオランダ人を尋問した際「どこから来たのか?」という問いに対し、船員がホランド州出身だったので、「ホランド」と答えたことによるのだという。

 因みに、ニュージーランドの国名も、オランダのジーランド(seeland)州の名前からついたらしい。

 西洋でポルトガルの次に強さで名を成したのはオランダで、イギリスより先んじた。

 海を渡り、オーストラリアを見つけたのもオランダなのだという。


 鎖国中の日本が中国以外で唯一受け入れていたのはオランダであり、外国の優れた文物や情報は、オランダにお世話になったから、日本人はオランダに親近感を持っているが、オランダ人が日本のことを好きかというと、それはなんとも判らない。オランダが東洋に持っていた植民地は、日本のせいで全て失ったのだから。


 オランダの次に世界で覇を唱えたのは、産業革命を早くに成し遂げたイギリス。 地図で目にする英国の面積は、たぶん日本より狭い。

 しかし英国は一時期日の沈まない国と呼ばれるくらいの強国であった。

 なんのことはない。世界中に植民地を持っていたから、そのどこかは必ず昼間の時間であったからである。江戸時代末期の頃の世界の情勢を較べて理解しないと、明治以降も解りにくい。



44.お先棒を担いだ


 蒙古襲来のお先棒を担いだ高麗25代王・忠烈王(在位1374-1308)。

 蒙古の侵攻に抗しきれなかった高麗は、蒙古の属国となるほかなく、彼は人質として蒙古で暮らしていた。

 この時から‘祖’や‘宗’のような先王に対する廟号が消え、高麗はモンゴル帝国の諸侯国になった。‘忠誠’の‘忠’の字の付いた王が‘帝国の辺境’を委任統治することになったのである。


 その地で、元の世祖フビライ(在位1260-94)の娘婿になった忠烈王であるが、フビライの野心が日本列島のまで及んだ時代であり、高麗は倭征伐に向かわなければならなかったというが、日本侵攻を奨めることで蒙古のご機嫌取りをしようとしたのではないのかと思われる。

 その結果は惨めである。

 軍船の建造を期限を決めて900隻も押し付けられ、若者の多数を兵として出さざるを得なかった。しかもその大半は海に沈み、生きて国に帰れなかった。


 1281年の2次征伐は戦艦5000隻、16万人の兵を超える大規模な遠征隊だったが、その圧倒的多数は当時征伐を終えたばかりの南宋の軍人だった。結局、烏合の衆の‘敗残兵’が日本遠征の主力になったのだ。このうち10万人が帰還できなかったという。上陸もできずに暴風を受けて溺死し、なんとかたどり着いた兵も敗走したため、数万人が敵地で孤立し、殺戮された。


 集団戦に慣れない日本側が苦戦したと歴史では習ったが、実際には長射程の長弓を使い騎馬で戦う鎌倉幕府の武者は勇敢で、地形を利用して戦ったので強かったのだという。

 神風が吹いたというのも定説になっているが、高麗が作った船は粗製乱造であり、互いがぶつかり合うとすぐに沈んでしまったらしい。


 忠烈王は2度の求婚、5年を待って39歳の年齢でフビライの17歳の娘と結婚した。高麗武人政権がようやく終末を告げた時期である。王権強化のための政略としてモンゴル帝国の皇帝の娘婿になったが、その代価は過酷なものだったということになる。


 なんのことはない。朝鮮も日本に侵攻してきたのである。



45.ゴールデンブック


 第二次世界大戦時にドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺(ホロコースト)が東欧のドイツ占領地で進む中、ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1100人以上ものポーランド系ユダヤ人を自身が経営する軍需工場に必要な生産力だという名目で絶滅収容所送りを阻止し、 その命を救ったという実話があり、「シンドラーのリスト」という映画にもなったから、これを知っている人は多い。


 杉原千畝氏を「東洋のシンドラー」として絶賛する番組は多くある。彼は手書きのビザを発給することで、多くのユダヤ人を救った。

 しかしこの杉原千畝氏より多くのユダヤ人を助けた樋口季一郎氏の名を知る日本人は少ない。樋口氏はイスラエル建国の功労者の氏名が刻み込まれた、エルサレムにあるゴールデンブックにその氏名が刻み込まれているというのにである。

 ゴールデンブックとは、モーゼ、メンデルスゾーン、アインシュタインなどの傑出した ユダヤの偉人達を顕彰するためのものだというが、それに混じって上から4番目に「偉大なる人道主義者、ゼネラル・樋口」と言う記述があり その次に樋口の部下であった安江仙江大佐の名が刻まれているのだという。

 ユダヤ人しか登録されない筈のゴールデン・ブックに、実は6名の日本人が登録されているのだという。安江仙弘陸軍大佐、樋口季一郎陸軍中将、小辻節三博士、内田康哉外務大臣、手島郁郎、古崎博。

 なぜ、樋口季一郎氏をマスコミは取り上げないのだろうか。氏が軍人だったからなのだろうか?

 それとも終戦後北海道を占領しようとして軍事侵攻しようとした旧ソ連を彼が撃退したためか?

 後にスターリンがGHQに樋口季一郎中将の引渡しを求めたとき、マッカーサーが鼻で笑って拒否したことが気に入らないのかだろうか?

 彼の助命嘆願には、恩返しするのはこの時とばかりに、ユダヤ人が働いたという。

 樋口季一郎中将の功績には、ユダヤ人2万人にも及ぶ満州での救助(数千人~3万人と諸説あり)活動があるが、その他、1943年キスカ島からの日本軍人5000人の奇跡の撤退指揮というのがある。

 前述の通り、昭和20年8月15日以後のソ連軍による北海道占領阻止も挙げられる。

安江大佐も満州猶太人機関の責任者であった。彼は満州で死亡しており、戦後あるユダヤ人が安江大佐宅を訪ね、墓を作るようにお金を置いていったという話も伝えられている。

 ナチスに追われたユダヤ人たちが極寒のシベリアを死に物狂いで越えて、満州国境まで逃れてきたが、餓死や凍死寸前であるのに入国を拒まれていた。

 樋口はこの惨状を見かねて、ユダヤ人に対し、直属の部下であった河村愛三少佐らとともに即日給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施、更に膠着状態にあった出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等を行った。


 多くの日本人のみならず、世界の人々も知らないことが沢山ある。

 当時、関東軍ハルビン特務機関長だった樋口少将が、新京に司令部を置く関東軍参謀長に、ユダヤ人難民の入国の許可を求めた。

 当時の参謀長は、東條英機中将だった。日本が入国を許可しなければ、ソ連がユダヤ人たちをドイツに送り返すところだった。

 東條は「民族協和と八紘一宇の精神」に従って、2万人のユダヤ人の入国に許可を与えた。

 ドイツ外務省が日本政府に対して、強硬な抗議を行ったが、東條は「当然な人道上の配慮」だとしてその抗議を一蹴した。

 その東條は、東京裁判で事後法である「人道に対する罪」とやらにより「A級戦犯」として、処刑されてしまった。

 以降、悪人としてのイメージだけが定着してしまっているが・・・



46.コツ


 コツを掴むという言葉があります。

 物事を行う上で、抑えておくべき大事な点のことを言い、別の言い方をすれば、 極意 ・ ポイント ・ 要領 ・ 秘訣 ・ 勘どころ、ということになります。


 思い出すと、未だ中学生だったころのことだったと思うが、米俵1俵をひょいと肩に担ぎあげて運ぶということが自分には簡単にできていた。

 今風に言えば、それは60kgの重さがある。地面に置かれたそれを持ち上げるだけでも、今の人たちには大変なことであろうが、苦も無くそれができたのは何故だろう?

 コツが有るのである。大人たちがやっているのを見て、重さに捉われないやり方を自然に覚えたのだろうと思う。


 そうして考えてみると、武術というものもそうなのではなかろうか。

 体力が有り余る若者、あるいは壮年者が老人より強いということにはなっていなかった。そうでなければ、戦国時代の武士は、歳を取ったら戦場に出て手柄をあげることなぞできなかった。

 経験を積むことや修行によって、体や武器の使い方のコツを身に着けていたからこそできたのだと思う。


 歩き方もそうである。明治以降、手と足は逆に振り出して歩くようになったが、江戸時代まではナンバ歩きと呼ばれる手足を同方向で出すことが普通であったという。この方が疲れず速く長距離歩るけたのだという。


 近代になると理論が重視され、筋力トレーニングやら何やら、科学的に説明できないと受け入れられなくなってしまったが、大事なものを見失ってしまっているかも知れない。

 武術は、筋肉を反動で使うのではないという。


 普通では考えられないようなことができてしまうコツというのが、現実にはある。

 先人の知恵を伝えていくことは大事なことだと思うが、それを知る機会が少なくなっている。



47.シナ


 「支那」というのを「しな」とPCで打ち込んで漢字変換しようとしても、一発では出てこない。何らかの制限があって一覧からは排除されているのだろうか?

中国が嫌がるからなのだろうか?


 本来「支那」は、支那大陸を初めて政治的に統一した王朝・「秦(シン)」がインドに伝わって訛り「シナ」となって、支那を指す総括的語彙とされたものだとされる。

 それがわが国にも古代に伝わり、または別に西洋にも伝わって「China」「Sina」と呼ばれたものが再び江戸時代末期に再輸入された語である。

 日本語の特性として、「支」も「那」も「シナ」の音を当てはめただけで、特に意味を持っていない。国名をつけるのに、そんなことを考える時代ではなかった。

 逆に朝鮮・支那人が日本を侮蔑する「倭奴」「鬼子」「チョッパリ(豚の足の意)」などなどは、日本の国名の音を表すような語ではなく、は字義・語義から言っても差別的である。


 「支那」というのは、「震旦」「脂那」「至那」などのいくつかの候補の中から支那人自らが選び出した呼称なのだという。

 従って西洋人が「China」「Chinese」に何ら侮蔑的意味を込めず普通に呼んでいるのと同様、「支那」の語の使用にも何ら他意は含まれていない。


 今は「中華人民共和国」と呼ぶが、英語ではPeople's Republic of Chinaということであり、シナという音はそのまま残っている。



48.ジャパン


 ニッポン(或いはニホン)のことをどうしてジャパンと呼ぶのだろうか?

 マルコポーロによる「東方見聞録」に「黄金の国ジパング」と書かれたことで、この「ジパング」が「ジャパン」に変化した、というのが通説となっているという。

 しかし、ニホンとジパングでは、音に隔たりがあり過ぎる。

 マルコ・ポーロは、どうして日本のことを「ジパング」と呼んだのでしょう?という疑問が湧く。

 ここで気になるのが、マルコ・ポーロ自身が実際には日本に訪れたことは無いという説。

 彼は、中国で伝え聞いた話をもとに日本を「ジパング」と紹介したのだというのである。

 つまり、彼は「にっぽん」「にほん」ではなく、中国語の「日本」(当時の発音では諸説あが、「ジーペン」のように読まれていた。)というのが有力な説となるようです。

 「ジーペン」が由来なら「ジパング」という表現も納得できます。

 シナをチャイナと呼ぶのも、そういうことなのであろう。



49.シリアに絡んで


 国益が合致すれば、旧敵同士だった国々であっても共同して動くというのが国際関係である。

 紛糾しているシリア問題を解決できるのは、アメリカではなく、ロシア・トルコ・イランなのだという。

 この3国は、シリアの戦争に大きく関わっているが、政治的、軍事的、宗教的なものであるから、決して簡単ではないけれど、話し合いの場を持ったのだという。


 ロシアはオスマン帝国と241年間で12回の戦争を戦っている。平均して19年ごとに露土戦争が起きている計算になるが、トルコはロシアと12回戦って10回負けた。

 その都度、トルコは領土を大きく失ったから、いわば不倶戴天の敵ということになる。

 トルコが親日的なのは、その憎い強敵ロシアに、日露戦争に勝ったということも、大きく影響しているのだという。

 その他にも、日本ではあまり知られていないが、「エルトゥールル号事件」というのがある。

 トルコの軍艦が日本訪問しての帰路、折からの台風による強風にあおられ紀伊大島の樫野埼に連なる岩礁に激突、座礁したエルトゥールル号は、機関部に浸水して沈没した。

 樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。颱風により出漁できず、食料の蓄えも僅かだったにも拘わらず、住民は衣類、卵やサツマイモ、非常用のニワトリすら供出するなど、生存者たちの救護に努めた。この結果69名が救出され、生還することが出来た。

 遭難事故の20日後、日本の軍艦「比叡」と金剛」により神戸港で生存乗員を分乗させ、オスマン帝国の首都・イスタンブールに送り届けた

 これを多として忘れていなかったトルコは、イラン・イラク戦争勃発時、日本ができずにいた邦人の救出を、危険を省みずやってくれた。有り難いことであった。


 イランも親日国として知られている。

 しかし、遠く離れた国とは仲良くできるが、近隣諸国ということになると、歴史上も良好関係を築くことは難しく、上記3国が同一歩調を組むことなぞ考えも及ばなかった。


 シリアに問題があることは確かだし、ロシアは現政権と結んだ軍事基地の権益を、強かな国であるから決して手放しはしないだろうが、中東がいつまでも戦争していることは良くないことだというのも確かである。



50.セクハラ


 セクハラ問題が大きく取り上げられている。

 解らないではないが、被害を受けたのではない女性が、眦を決してヒステリックに叫ぶ女性を目にすることが多いが、冷静に話した方が良いと感じる。

 この問題に意見を述べるのは勇気がいるから、人はなかなかそれに触れたがらないので、代弁者として前面に出てくれているかも知れないが、どうしても声高に言う人の意見に引きずられるから、セクハラは破廉恥であり撲滅した方が良いと考えている大多数の真面目な人たちが、眉を顰めてしまうことだってある。問題解決のためにはいろいろ明確にして冷静に議論する必要がありそうに思える。


 男性から女性へのそれのみが取り上げられているが、逆バージョンだって存在している。

 難しいのは、ハラスメントだと感じるのに個人差があるということもある。それくらいは何でもないという人が、現実には居るようでもある。

 セクハラは許されないということには同感するが、ギスギスしすぎる方向に向かえば、会話は全て録音しておかなければならなくなりかねないし、男女が1対1で話すということも用心のために避けるということにもつながり、それが仕事や生活上のスムーズさを阻害することも考えのうちに入れておかなければならなくなる。


 この問題が出ると、セットのように女性の権利問題がそれに続く。

 ことに仕事上や社会的地位における機会均等性に差別があるということを主張する人が増える。

 そういう側面は確かにあるだろうが、これも簡単に解決できるようなわけにはいかない。

 能力も覚悟も実績もある女性が認められて然るべしだとは思うが、男性だってそれが同じくあるから全て認められるというわけではなく、厳しい競争社会の中で生きている。

 女性だからということだけで差をつけられる、ということがない社会が構成されるということに、どう結びつけていくかということであろう。


 志を立て、家庭を犠牲にしてまでして仕事に没頭することで実績を上げ評価されている男性というのは多い。この場合は、家庭を守ってくれる主婦が互いの信頼感の下、大きな役割を分担して果たしていることに疑いはないし、それを奥さんも喜んで協力している。


 これの逆のパターンがあっても良い。

 能力もあり志も高い女性が外で働き、それを主夫が家庭を守ることで支える。

 そういうことが自然にできる社会をつくるということができれば公平である。


 その場合は、間違っても、困難な状況に置かれたときに女性だから勘弁してほしいということであってはなるまい。

 そして同時に、女性はその特性を生かした役割を分担し、男性もそれをするのが良いのだと思っている方々が現実には多いのだという現実も無視できない。

 誰でも同じ考えだと決めつけて動くのがよいかどうかの検証も必要であろう。

 画一的に括れない内容を含むものは、感情的になると解決が難しい。















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エッセイ「普通に考えてみると(四)」 @SyakujiiOusin

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