[ネタ]ツボに入っては琴線にふれる
クックックッ。
これ以上吐き出す空気は肺のなかには残っていないと、前のめりになり、腹筋に力を込めてさらに吐き出そうとしている友人に、そんなにツボったか、と尋ねてみると、まだ治まらないらしく、右手の平をこちらにかざしてタイムを求める。
いや、そんなに面白かったか? この話。
ふと思い出した、何でもない話のつもりだった。笑いのツボがおかしいのは、今に始まったことではないのは確かだが。
それから、彼が顔をあげたのが五分後くらい。顔を真っ赤にして、マラソンでも終えたかのように息をあらげて。
「よし、なら俺からもとっておきだ」
少しずつ引いていく熱の中、語られたのはちょっとした感動的なものだった。涙腺こそ刺激されないが、胸のうちがじんわりと暖かくなるやつ。
実話なのかと尋ねると、脚色以外は全部、と答えられる。そんなドラマみたいな話、あるもんなんだなぁ、と感心する。
「笑えよー。面白くなかったか?」
そうではない。面白かったが、笑いの面白さではない。ベクトルが違う。ともすれば、彼はまた、ひきつった笑いを、思い出し笑いを一人で繰り広げ始めた。
ほんと、ツボってのは大きく違うものなんだと、こいつを眺めていて考える。
◆◆◆◆
笑いにはツボがあり、心には琴線がある。しかしどちらも、ベクトルが違えど同じことを言っているのではないか、と思い付いた次第です。
表にでるものがことなるばかりで、その実、意識の中で起こっていることは、実のところおなじなのでは。
要は、どちらも感情を突き動かす感動、に分類されているわけです。それが表に、感情として、行動として出力されるのか、それとも内側に響くような影響を及ぼすのか、の違いだけなんですね。
もちろん外野から見てて面白いのは笑いの方なのは間違いありませんが、無反応であることと琴線に聞き入っているのはまた別の話なんですよね。
もしかすると、インプットを落とし込んでいる最中なのかもしれない。その先のことを考えているのかもしれない、と思うと、すぐに反応があるからといっていいものである、とは限らないですね。
そういえば、小説にしろ漫画にしろ、何かしらのイベントに対して行われる反応というのは、多くが即時的なものか無反応、ですね。
第三の選択肢、吟味する、という行動を使いこなすと、表現の幅が広がったりしないでしょうか。冷静なやつ、というキャラ付けでも、あくまで頭に血が上らない、程度だったりするわけですし。
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