[ネタ]智を集めること何千里
ラジオ。それは耳だけを傾けて、のんびりと聞くのがいい。作業の横で、見知らぬ誰かが話している。それだけでいい。
そんなこともあるだろう。
ところで、雑学というものが存在する。興味の有無や度合いは置いておくこととして、それらを耳にすることに対し、不愉快を覚える人はいるのだろうか?
当然、その知恵は間違っている、という観点からすれば不愉快極まりないが、そういう場合を無視した場合は、そうそうないことだろう。
人々は、インプットする分には、自由であるだからだろうか? あるとき見たツイートに、インプットすることで批判されることはない、というものを見たことがある。たしかにそうである。
本を読み漁る。資格の勉強をする。遊園地にいく。美味しいものを食べる。何気ないことばかりだが、それらは全てインプットになることは容易に分かるだろう。
なぜなら体験しているのは私であって、私が批判される筋合いがない、と逃れられるからだ。
では批判されるなら? もちろん行動を起こしたときである。称賛されることもあるだろうが、多くは妬みが向けられる。
そういったことに深い負い目というか、そういうものを覚えてしまうと、じゃあもうやらないでおこう、とインプットだけにまわることになるのだろう。
最近の話だとおばあさんの当たり屋の話があったろうか。そんな体験をすれば、もう助けないでおこうと思うのが道理だ。
さて、インプットする分には、の話に戻ろう。
色々な知識の雑談をするチャンネルを見つけた。時折流すのだが、それがまぁ関心をくすぐる。もちろん聞くだけなのでインプットにしかならない。
だがひたすら、つらつらと並べられる歴史の物語よりもはるかに面白い。何年に誰が来航したとか、ある人種が大移動をして、だとか、そんな上辺だけの物語なんかより、当時はこうだったとか、法律が、銃がどうだとか。専門的ではないが、だからこそネタとして使いどころがありそうだとにやりとする。
まさしくつまみ食い。目が冴えるようだ。
で、話はさらに逸れるが、物語のキャラというのは、基本的に能動的である。
だが私たちのように、インプットばかりを求めるようなキャラがいたらどうなるのだろうか? 個人として評価を下されることを嫌い、ただ最低限の生活以外はインプットに勤しむ、そんなキャラクターだ。
そいつにとっては良い評価も悪い評価も同じもので、過剰に反応しすぎることに疲れたから、とそういう生活をしている。
だが実際のところ、モブの多くはそうなのではないだろうか? 不利益を被るのはごめんだと、ただ取り入れることにだけ刺激を求めているのではないだろうか?
モブにはモブの事情があるにしても、噂好きとか、そういうキャラ付けは、インプット脳の代表格とも言えるだろうか。
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