[創作論]難しいと楽しいの反復横飛び
これは面白いのか?
そういうことは、作る上で考えてはいけないことだ、とされている。面白いと思った発起人である作者が、何かの拍子に思い浮かぶのだ。
まぁそれは必然として捉えるとして、面白くないと考えてしまうのはなぜなのてしょうか。
自分が面白いと思っていたものが、つまらないものの代表格のように写る。穴が見えたり、はたまた詰めていくうちに身動きがとれなくなったり。
思うのは、手の内がばれてしまっているから、なのでしょう。
作者自身は読者ではない。だが閃きが舞い降りたとき、自身は読者であるから、ではないでしょうか。
例えば一作、自分の面白いと感じたものを思い浮かべてください。どうして面白かったのか、を考えてみてください。
そこには明らかになっていく情報や、展開などがありませんか?
影響というのは何にしても受けるもので、そういった未知が既知となった展開というものは、自身の描くものに反映されてしまいます。
するとオリジナルという形でいくら出力しても、そこには脚本通りのシナリオしか発生しません。未知が存在しないんですよね。
既知、既知、既知。どれだけ見渡しても心踊ったあの未知は存在せず、つまらなく感じてしまう。
しかし作ることっていうのはそういうことで、あなたは台本を用意することはできるし、飾り付けも自由にできる。
ただ、そこに未知はない。予定していた通りの形になってしまう。
そう考えると、誰かの未知を用意することは、作る側としては非常に難しいことなんですね。
維持するには気分転換がいいとは言いますが、さて、根本的な解決になっているのかどうか、顧みてみてもいいかもしれません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます