[創作論]カメラとマイクはどこですか?

 ケンカを売ってきた相手が、吹き飛ぶ。それはもう気持ちいいくらいの放物線を描いて。

 風魔法をちょっとだけ使っただけなのに、俺よりも一回り大きい体はふわりと浮かび、地面に横たわった。

 野次馬からヒソヒソと声が聞こえた。聞き取れないが、きっとこの暴君を倒してくれて感謝しているのだろう。

 さぁ、称えよ。この偉業を成し遂げ、ここに立つ俺を!


 そう思っていた時期が、ありました。ほんの、数分前のことです。

 ケンカをするとは何事だ、と倒した相手と並んで、教師にガミガミと怒られている。いかにも口だけは達者そうな教師は、昼休みのすべてを説教に費やして、解放された頃には次の授業時間だった。

 そもそも、こいつがケンカっぱやいのが悪い。俺はそれに応戦しただけなのに、なんでこうなるのか。とぼとぼと教室に戻ろうとして、半歩後ろにやつがいることを聞きつつ、ひたすらに無言を貫くことにする。

 ほんと、なんでこうなった。こいつが全部悪いのによぉ。


◆◆◆◆


 書いていく上で、誰視点なのか、という情報は大事ですよね。特にオチもない先述のものは、一人称でした。


 それでなんですけれど、登場人物、主人公が読者に観られているということを自覚させると、イキり主人公や無自覚主人公たちってどんな反応をするのでしょう?

 良く魅せようとするのか、それとも真っ赤になってこっち見るな、とか叫びだすのでしょうか? だったらそんな立ち振舞いするなって。だから嫌われるのよ? そもそも、モブやら仲間やらに見られているにも関わらずドヤるなら、その仲間たちはワッショイするための要員ばかりであることが予想されます。

 それこそ、三人称視点のカメラとマイクがあそこにありますよ、といった感じですね。


 自分はすごいんだ(ドヤ)をするのは結構ですが、それは自身の中にある劣等感をごまかすために使っていませんか?

 いざ作品にそれを投影して人気になったとしても、ふと向けられたカメラを前に、堂々と胸を張れる主人公は、あなたは、そこにいますか?

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