[創作論]大○△□

「そもそも、なぜ我らがそう呼ばれるようになったのか」

 ある場所で、悠々と翼を広げるのは一頭の獣。風を司ると云われ、時には瓦礫を作り、時には花弁を舞わせる、気まぐれものと。

「勝手に呼んどるだけやろう? 好きにさせとけばええ」

 さざ波のように色を変える草原に伏しているのは、体に蔓をからませる一頭の亀。ゆっくりとした動きで、風の獣を見つめている。

「でもねぇ、祠をそこらじゅうに立てて、なんでもかんでもお供えしてるのも困り者よねぇ」

 ぼうぼうと燃え盛る篝火を手にしているのは、前の二人とは比較にならないほど小さな、人間である。

「いや、人であるお主がそれを言うかね。なぜ止めん?」

 ぷかぷかと浮かぶ水の中、ヒレを彼女に向けるのは一頭の海獣。

「待て待て。俗世から旅立ったそいつにそれを言うのもおかしい話だろう」

 制止するのは土くれの巨人。パラパラと地面に土を落としつつ、ゆっくりと人間の方へ向く。


 彼らは五大精霊と呼ばれており、今日は気が向いたためにこうして集まっている。とはいっても、亀がぶらぶらしていると獣、海獣と集まってきて、ゴーレムに人間が乗ってきたという、偶然が重なった結果だが。

 だが彼らは、確かに強力な魔法を使うことができる。かといって一個人の独立した精霊であり、時折、こう口にするのだ。

 なぜ一括りにされるのだろう? 別に人間たちも魔法が使えるというのに。彼らは首をかしげるのだった。


◆◆◆◆


 物語において、超常的な複数の存在を大○△□なんて言いますよね。○には数字、△□には精霊とか魔法とか、存在を包括する単語がきます。

 なんでこう言うようになったんでしょう? 例えば精霊だったとしても、互いに面識があるのが当たり前なのか? 実はお互いに興味のない対象だったりしないでしょうか?


 どうしてまとめるんでしょうか? もちろん、説明しやすいし、危険なり、価値なり、同列の存在だとまとめて説明できるから楽なんでしょう。

 しかし物語が進むにつれて、常識とされていた△□は実はこういうもので、別物でした、とか、大○珍味と云われていたけど、うちひとつは、組織が画策している麻薬でした、とか。そういう使い方もできるんじゃないかな、と思った次第です。

 一括りにまとめてしまうのもいいですが、本当にその括りである必要があるのか? 考えてみてもいいのではないでしょうか?

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