[日記]お題と、書いて報われること

 第二回のお題が発表された。

 どんなものを作れば、書けば、編集すれば聴衆を呼び込めるだろうか?

 簡単にはいくはずがない。共感を得られるのか、読もうとする人はいるのか、目に留まるのか。特に難しいのは、好みという弱点にストライクを狙えるかどうかだ。

 そもそも、癖を自覚している読者が得られるのか、という話にも繋がるが。


 そこで一つ、工夫をする。

 思いきってタイトルとキャプションに問いかけをつけるのだ。そしてあらすじとかに、最後まで読めば解答があるよ、と導く。

 するとはてな、と首をかしげて見ようとする人が現れるのだ。そこそこの作戦ではないだろうか? もちろん、これは先導しているだけだから、面白いと感じてもらえたのかは別の話だ。中身を充実させなければ。

 その結果は、今晩から審査結果の間に分かることだろう。もとから書いて報われるものだとは思っていない。誰だって文字は書けるから。漢検などの資格があって初めて価値を持つなんてこともない。


 そこから思い付く。ならば文字書き検定でも作ればいい。そこをクリアした人だけが初めて作家を名乗る資格を持ち、作品を公表できるようにすればいい。

 だがそんなことをすれば、才能がー、とか自由がー、という言葉が飛び交うことだろう。

 だから、そんな資格は用意されていない。自由に書くといい、と開かれたノートは、最終的には黒で塗りつぶされる。

 それを誰も誉めも称えもしない。あるとすれば、漢字の練習しただけ丸をつけるくらいだ。

 もし、何かの形で報われたいなんて考えるなら、絵の具をぶちまけた方がよっぽど早い。文字なんていう誰にでもできて、できないことを為していることなんて、誰も見向きはしないのだ。

 白紙に線を引いて、理想郷を殴り描け。文字なんかよりも飛び付いてくる烏合の衆は多いぞ? 楽をしたいなら報われたいなどと思うな。楽をしたいなら手段を選んで修行するべきだ。その登り坂は、やがて単なる舗装された道になるのだから。

 報われたい。そう思うなら、文字なんてものを使うべきではない。


◆◆◆◆


 お題のアイデアから、ふと派生して、ひたすらに書いてしまいました。


 単に人気者になりたいなら、文字なんて使うべきではないんですよね。二次とか流行りものでイッパツ狙うよりも、絵とかCGとかでイッパツ当てたほうが、それ以降も使える可能性が高いですよね。

 私は、報われたいとは思ってませんが、そっちもやりたいなぁ、と思っています。

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