[創作論]今、ここに立つ
気がつくと、地に足をつけていた。
柔らかいような、固いような感触が身体を支え、背筋はぴんと伸びている。なんとなく、足を踏み出して、目に見える、広がる世界が続いていることを確かめながら、高鳴る鼓動を耳にしながら歩いていく。
草木が生い茂り、あるところでは見覚えある村が、集落があって、洞窟や、大地の裂け目、あるいは獣がいて、辛くも退けたりして。
無意識に、走り出していた身体の握り拳に、ギュっと力が入る。
生きている。その実感に拳を握りしめる。
世界の端っこの岬に立って、夕日を眺めて。下に浜がないことを確かめてから飛び込んで。ぷかぷかと波の赴くままに流されてみたり。
心地いい。誰にも邪魔されず、好奇心のままに駆けるのは、なんとも。
だがそれも、ふと視界の隅に写り込んだ三本の針をきっかけに、シャットダウンする。
いままであったはずの世界が消失したことを見届け、ぐっと背伸び。少しだけ歩けば、有限の体力を癒す布団がある。
さ、明日も頑張ろう。
◆◆◆◆
趣味を積極的にこなすことを、現実からの逃げだ、と言いますが、なら現実ってものから逃げ出したくなるような思いを抱えるような状況ってなんでしょうか。
それに対して、ゲームを遊ぶのも小説を読むのもいいですよね。だって、誰かが用意してくれた世界を見て回るだけでいいんですから。
そこに、満たされない渇望を満たしてくれる何かを見いだせば、もうあなたはこれらの虜です。そして、無料で十分な快感を得られるならば、もう財布を開くのも馬鹿馬鹿しくなることでしょうね。
そう、自分で思い描いたものを、ボトルメッセージとして流すのも。
さて、いささか攻撃的な内容だったかもしれませんが、あなたが立っている場所ってどこですか、というお話です。
例えば某クラフトゲームで、用意された部品で何かを組み立てるようなのが好きなのか。はたまた無地の世界に刺繍を施すようなことが好きなのか。それとも全てが用意された世界を闊歩するのが好きなのか。
世の中には色んな方がいます。ゲームを遊べればいいという人もいれば、何か製作していないと気がすまない人も、あるいは、ちょっとしたものを用意できれば満足という人も。
それぞれが、自分はそれで楽しめてるから、その立ち位置にいるんですよね。
私は、何かしていないと落ち着かない、とかではないですが、妄想想像の出力先として製作をしています。
それで、なんでしょう。既にある世界の存在に自己を落とし混むって、私にとっては違和感の塊なんですよね。
私にとっては、作った世界というのは、私の考えた設定やシチュから発生する物語であって、決して私がこういう役で、というものではないんです。
自分を無双キャラに投影して酔うなら、創造神となって酔う方がよっぽど健全だと思うんですよねぇ。私だけの感覚なのでしょうか?
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