[短編(市場)]読書家は自らを何と見るか

 分厚い本を開く。この分なら三日もあれば……でもお金ないし、稼いで、あいつの食事も用意しておかないと……たまには替わってもらってもいいけれど。

 表紙をめくると、二回目のタイトルコール。一度、紅茶を一口だけ楽しんでからめくる。

 第一章、に続く余韻に、手は止まらない。

 文字だけが整然と並び、しかし彩りをもって踊る紙の世界。繰り返し、繰り返し、その情景をあるがままに描いていく。

 魔法を使うことで誰かと出会い、時に笑って、時には怒って。しかし旅を続けるしかない彼は、何度でも立ち上がって歩き続ける。

 と、現実に引き戻される。窓の外は真っ暗で、あわてて閉じる。そして、繰り返し呼んでいるやつのもとへと降りていく。

 こいつの買ってきたのは、また揚げ物だ。今回は衣が薄いから、さっくりとたべれたけど。

 ところでさぁ、と食うのも早い彼が口にする。

「本を読んでるときって、どんな気分なんだよ。僕は読みたいとも思わないけど」

 じゃあ聞かないでよ、と言うこともできたが、これは一筋の興味なのかもしれない。

「誰も知りえない世界に、足を踏み込んでる感覚、かしら……例えにくいけど」

 それを開こうとそう答えたが、ふーん、と退屈そうだった。たしかにこいつは、遺産にばっかり尻尾振ってるやつだし……でも似たようなもんじゃないのかしら。昔の生活を想像するくらい、あるでしょうに。


◆◆◆◆


 なんだか、動画投稿サイトにも小説に関するものが増えてきてるんですね。レビューとか、読まれる作り方講座とか。


 それに触れるということは、視聴してるということですが、ある書き方講座を見ていると、やはりもやもやとしてしまう……あくまで「なろう」と謂われているものの講座なので、ハナから私がその分類ではないということは自覚しています。


 それで、今回の短編を書くに至ったのは、その講座の中で「読者は主人公にだけ感情移入する」というワードでした。

 それが悪いとは思わないのですが、それにともない、主人公の株は上げ続けないといけないとか、別視点を書くにしても間接的に主人公を誉めないといけないとかに、違和感を覚えたんですよね。もちろん、それがweb小説界隈の生き残るためのテンプレ戦略なんでしょう。

 こう、何て言うのでしょう。やっぱり台本を読み上げる人形劇だなって。

 登場人物たちは登場人物それぞれの思想があるのにどうして主人公だけが特別なのか。自分が主人公になりきって、持ち上げられたいという自身の欲望を投影しても虚しいだけなんじゃないか、と思うわけですね。

 あるいは、私の淡々とした読み方が異常なだけでしょうか? ありとあらゆるイベントは、主人公と読者の欲望が投影され、彼らのために存在するものであるという基本を、私が忘れているだけでしょうか?


 いずれにせよ、私という一個人がこれを抱いたことは事実です。登場人物たちのいる物語は、登場人物たちのためだけにあるはずだ、と私は主張します。

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