[創作論]●●●END

 終わり。そこに名前がつけられるようになったのはいつからなのだろうか。

 主人公が、事件から生き残ることができずに幕を閉じる。あるいは単身、生き残る。はたまた、生き残ることが最悪の終わりにつながることだって。

 ヒロインが考えを変えて、運命をねじ曲げる。はたまた意中の人にとことん付き合い、共に生きることを選んだり。

 名脇役は与えられたきっかけで行動するが、そううまく行くわけもなく。


 様々な終わり方を示す物語が、一般的にそう呼ばれるようになったのは、おそらく多くのゲームが作られ、遊ばれるようになってからだったろう。しかしその概念は作者と読者、創作者と観覧者の間に横たわり続けていたことであることには変わらない。

 すなわち、小説に限ったものではない。終わりのある物語全てに存在するものだ。いつか誰かが思い描いたそのときから終わりという概念が生まれ、そこに名前が与えられた。

 ハッピー、バッド、トゥルー、全滅、グッド、エンドナンバー。

 終わり方。本来ならばひとつの時間の濁流のなか、ひとつしか選べないものに異なる結末を求めたくなる。だから終幕に名前が与えられた。

 同時に全体を通して、物語に名前がつけられることもある。


 はたして、私の描いてきたものはハッピーなのか、バッドなのか。少なくともトゥルーであることは確かである。

 続きはあるかもしれないが、彼らの物語はそこで終わっているのだから。

 これから描くものは、はたしてどこへ向かうのか。今からでも楽しみである。


◆◆◆◆


 ゲームという仮想の世界だからこそ、ifを求めたがるんでしょうね。現実でも事実、そんなものは掴めないので。


 今回は終わり方、について。

 簡単にバッドハッピーエンドと口にしますが、果たしてそれは本当にそうなのか、と。結局は作者はコトを書いていて、こういったことが起こったのである、と記しているだけ。

 そこには実は、バッドもハッピーもなく、物語の事実だけがある。主人公が笑っていてもバッドかもしれないし、彼がいなくなってもハッピーなのかもしれない。

 結局は第三者が評価を下すだけ。

 もちろん、こう終わってほしいという願望はあるでしょうが、本当にそうなるかは別のお話。


 だからこそ最後まで読む、体験する。そして結末がよいものかわるいものかを判断する。誰かのよいわるいだけで作品がそうである、と決めつけるのも、悪習のひとつですね。

(あぁ、なんかまとまりのない感じになってしまった)

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