[創作論]この世界の正義と悪について

彼は語る。

正しいことなんてない、と。

だから反論する。

魔物は、私たちを襲うから、悪だ。

すると彼は薄ら笑いを浮かべる。

やつらは身を守ってるだけさ、と。

身を守っているのはこちらの方だ。襲われているのはこちらだろう。

じゃあ、お互いに身を守っているから、おあいこじゃないか。

話にならない。彼は何を口走っているのだ。こんなこと、教会の人に知れたらどうなるのか分かっているのか。

じゃあ、やつらに襲われたら、あなたはみすみす殺されるのか。

んなわけないだろう。そのときは武器を持って応戦するさ。

そうなると、あなたは魔物を倒すという善行をしているのだ。正しいことじゃないか。

そうはならないよ。そもそも、殺すことと正しいことは、全く違う価値観だ。行為と、それを評価するものは同一になるはずがない。

訳が分からない。

例えば、今のご時世、食料は貴重なものだ。これを食べ残すことと、これを悪いこととすること、それぞれ別の論理だろう?

悪いことではないか。それを明日に食べるというなら別だが。

やれやれ。じゃあ、子供のわがままで食べ残すことは、悪いこと、と教育すべきだな。では、食べられない子供が食べ残したとき、食えと怒るのか? 口にしたらその子が死んでしまうかもしれないのに。

毒でも入っていることを仮定するのか? 馬鹿らしい。

話が通じないな、と彼は諦めた。


◆◆◆◆


善行と悪行、もしこの2つについて色々と資料がほしい場合、宗教関係の本を手に入れれば大いに参考になることでしょう。

少なくとも、事実と評価というものは、別々に考えるべきだと思いますが。


さて、結局、善も悪も、後付けの精神論なんですよね。

肉体による欲求が満たされることで、本能的に善いことだと知っているにも関わらず、そこに善行と悪行という精神価値を付与する。そして自らを評価してキラキラしたりすると。

肉体の損傷という、本能的に悪いことが起こっているにも関わらず、前世の罰が償われたのだと、善い方向へとらえるなど、後付けの精神論です。


そして、ここに善と悪の対立項しか、現実には存在しないのだと信じ込むことで争いができたり、魔物という絶対悪の存在が発生する、と。


しかし、人間らしさが出てくる部分なんですよね。仲間を捨てるか助けるか、とか、国の掲げる正義を疑うだとか。

キャラクターたちの中にある葛藤、いいですよねぇ。忠義を貫く物語もまた楽しいですけれども。これがいいとは一つに決められない…。


市場では、個人が自由に動いているのでこういった善悪の考えは存在せず、それぞれの目的に沿って動いてもらっています。

しかし、誰でも日常を壊そうとする者が現れれば、それを悪として挑むことてしょう。あぁ、テレアさんは引きこもりっぱなしでしたか。まぁ、それはそれとして…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る