[日記]破壊と創造への信仰
かつて活気のある街だったのだろう廃墟。
しんと静まっているこの、時間が止まり朽ちていくだけの世界。私の時間だけが動いている。
今日の雨風をしのぐために立ち寄った場所だが、やはり廃墟は、好きである。
ここには歴史が、文明が築かれていたのだ。
かつて狩人だった人が作物を作ることを思いつき、腰を落ち着けた。そしておのが身を、家族を、一族を守るために、家という多くの閉鎖空間を作り出した。
そして大きくなった集団は壁を築き国を作る。壁はなくとも街を作る。畑があるならば柵を作る。
そして、営まれていた生活が崩れ去る。
皿は割れ、椅子だったものは床だった地面に倒れている。食事中、突然のことだったのだろう。慌てて立ち上がった名残が、そこには残されている。
壊された壁。籠もっていたが無駄なあがきだったのだろう。妙に開けた空き地のような空間には、家があって、燃やされてしまったのだろう。
何があったのか、想像はできても確認するすべはない。
拝借できるようなものはないから、明日はさっさと去ることにしよう。
◆◆◆◆
なぜ両極であるこの二項に魅力を感じてしまうのか。比重はありますけれどね。
おそらく、美術分野に該当するこの2つ。書いているうちは創造側なんですが、思い、読み返すことは破壊になるとふと、思いました。
前者はそのままですね。物語を作り出すこと。描いて提示することです。そこにやりきった感とか、充実感とか、賭ける思いやイメージはきっとそんな側面が強いと思います。
しかし、読み返してみればシーンのちょっとした部分が鼻についたり、ああいう展開の方がもえたかな、と思ったり。分解することでやっと反省ができたり、自身が読者となってまた興奮してみたりと、壊して得るものもまた、存在するんですね。
今日は更新が遅くなりました。というのも、雨がふるふる詐欺に遭ったのと、面白い作品に出会えたので…まだ熱が納まりません…。
では、また明日。
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