[創作論]感動ってなんだろう

私は最後の最後で、守君と栄子が約束を果たせたことに感動した。

私は彼が諦めずに夢を、目的を達成したことに感動した。

私は、彼女の思い出を捨てずに最後まで意志を貫き通す姿に感動した。


感動するとは、「美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、心を奪われること。」(コトバンク様より引用)ということですが、これは能動的に使われるものであって、受動的なものではないですね。


それを考えたとき、コンテンツとして感動というものを提供する、ということはどれだけ難しいことなのか。

某映像コンテンツでは苦労話を取り上げたり努力での達成を、視聴者に感動コンテンツとして提供しているわけですが、私としてはあまりそう感じたことはありませんね。

私の持論としては、人一倍努力したのは彼らなのに、その努力を借りて自分の感動にするべきではないと思うから、です。

例えるなら、私が難病にかかり、奇跡が重なり助かったとしましょう。その奇跡に私は感謝感動こそすれ、この奇跡に感動する第三者は何に感動しているのでしょうか?

そこが分からないんですよね…。


さて、では作る側の視点から見た感動コンテンツを考えてみましょうか。

正直なところ、先述の通り、作ろうと思って作れるものではないと思っています。

感動というのはコンテンツ享受者の能動的なものであり、受動的なものではないからです。

つまり、感動する恋愛物語を書くぞっ、と意気込んだとして、目論み通りに感動するなんてことはなく、読者の一握りに過ぎないことでしょう。

筆者が感動する恋愛小説。それを読んで感動する読者。感動しない読者。

感動そのものが、「人間が自発的に」現すものですから、性格とか人生観に影響され、こうなるのでしょう。


そういった意味では、作品の目標付というのは、「こういうものを描きたい」という自発欲求であるべきなんでしょうね。「こう感じてもらえるものを作りたい」なんて無謀の極みです。

ユーザは後から付いてくる、とはよく言ったものですね。

冒頭の話も、これに関係しているのかも…

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