第425話 特別編③ 映画オーディション? スポ根漫画?

 *


 車内では会話が弾んでいた。

 ジェラルミンはとても人懐っこい性格で、内気なタケル王にも積極的に話しかけていた。


 話の流れから、本場ハリウッドではなぜ映画のオーディションや撮影をしないのか、疑問に思っていたことをタケル王は聞いていた。


「つまり節税対策さ。いまやアメリカ国内で映画の撮影はあまりされていないんだ」


「へえ、そうなのか」


『所謂タックスクレジット(税金控除)というやつですね』


「そうそう。トロントやバンクーバーなんかが有名だな。カナダドルが米ドルに対して安いので撮影地によく使われているんだ」


 他にもルイジアナ州、ジョージア州も政策としてタックスクレジットを導入しており、積極的に撮影を誘致している。


 税金控除率によっては数千万単位で節税することも可能で、近年ではそれらの地域で撮影することが当たり前になっているのだ。


「お客さんたち、役者さんかい?」


 おもむろに、タクシーの運ちゃんが話しかけてきた。

 腕にいっぱいタトゥーをいれた、かなりファンキーな運ちゃんである。


「え、ええ、まあ……」


「そうだぜ!」


「そっかそっか。今日は仲間内からやたらと同じ場所に客を運ぶってなもんでな、何かあるんだなと。なにせここはトロント。ハリウッドはこの街が支えてるからよ」


 なるほど。どんなに情報を秘匿していても人の口に戸は立てられない。

 実際役者っぽい若い連中が空港付近からタクシーを使うとなれば噂も広まるというものか。


「ふ……がんばんなよ。将来の大スターを乗せたって自慢させてくれ」


「おう、まかせときなおっちゃん! ジェラルミン・キックの名前を覚えててくれよな!」


「…………」


『タケル様。ここは乗っかっておく流れかと(日本語)』


「いや、個人情報を知らないヒトに教えるのはちょっと(日本語)」


『見た目に反して一男一女の父親で、シングルファザーで苦労しているようですよ、あの運ちゃん(日本語)』


「ナスカだ。覚えなくてもいいぞ」


「キックにナスカだな。本日はクラウンタクシーの通称ドゥギーが運転を務めましたと。ほらよ、ここだ」


「ありがとうドゥギー!」


「世話になったな」


『ありがとうございました』


 約束通り運賃はジェラルミンが全額支払う。メーター料金より多めに払っていたのはチップだろう。カナダはチップ文化の国である。


「って、本当にここか……?」


 眼の前の建物にジェラルミンは一瞬たじろぐ。

 そこはどう見ても倉庫街。薬の売人が闇取引をしていそうな風味のボロボロ倉庫が立ち並んでいた


『タケル様、指定倉庫のB1はあちらです』


「ジェラルミン、こっちだ」


「なあ、本当にマキナって優秀すぎないか?」


『真希奈は優秀ですが、真希奈を作ったタケル様はもっと優秀なのです!』


 などという会話をしていると目的の倉庫にたどり着く。

 入口付近にはスキンヘッドのプロレスラーみたいな男が立っておりジロリとタケル王たちを睨んできた。


「……パスを」


 それがオーディション参加用のパスだと悟り、タケル王たちは渡されていたパスを提示する。


「ん。おまえたちで最後だ。すぐに説明があるだろう」


 ガガガガっとものすごい音を立てて引き戸が開けられる。

 中に入ると、そこはコンクリートが打ちっぱなしの床以外何にもない、窓すらない薄暗い空間だった。


「こいつらは……」


「ほほう。さしずめ俺たちのライバルってわけだな」


 小体育館くらいの広さの倉庫内には、数百人がひしめいていた。

 全員が若い。十代半ばくらいから二十代前半くらいの年齢で、役柄的に当然だが、全員が男性だった。


 ただし、街で見かけた不良のようなむくつけ共とは一線を画している。

 全員が小綺麗な髪型と服装をしており、シュッとしていてスタイルもいい。


 さすが、事務所に推薦されてやってきた役者という感じのものばかりだった。

 タケル王たちが倉庫内に足を踏み入れた瞬間、ザッと全員の視線が集まる。


 一瞬で値踏みされるタケル王とジェラルミン。

 あからさまにライバル心をむき出しにするもの。あいつらは敵ではない、俺のほうが上と見下すもの。オーディションはまだ始まらないのかとイライラするもの。様々だった。


「アテンション!」


 突如として怒号が響いた。

 倉庫内に声が反響し、中には耳を抑えるものもいたほどだ。


 タケル王たちが入ってきた入口とは別の、倉庫奥の扉から筋骨隆々の男が現れた。

 ベレー帽をかぶり、鼻の下には立派な口髭がある。

 上はタンクトップで下はミリタリーパンツにブーツという出で立ちだ。


 ザワっと、倉庫内が揺れる。

 全員が色めき立っている。

 タケル王は誰だ? と首をかしげた。


「ミスター・ファスナーだ……!」


 ジェラルミンが目を見開きながら呟く。

 名前を聞いてもタケル王にはわからなかったが、真希奈がこっそり教えてくれる。


『ファスナー・ノリス。元俳優で、現在はスタント・コーディネーター兼セカンドユニットディレクター……日本で言うアクション監督をしているヒトです。ヘルヒーローシリーズなどが有名ですね』


「ほーん」


 残念ながらタケル王は古い映画には明るくないので微妙なリアクションだったが、感激するジェラルミンを見るに、まさにレジェンドといった人物なのだろう。


「よくもこれだけ雁首揃えたものだな」


「サーイエッサー!」


 ミスター・ファスナーが口を開くと、彼の背後に控えていた軍服の男が大声で返答する。


『別に彼らは軍人ではありません。……ありませんが、軍隊的な演出をあえてしているようです』


「俺らは新兵扱いってことか」


 確かに、先程まで倉庫内にあった浮ついた雰囲気というか、これから始まるオーディションへのワクワク感みたいなものが一瞬で消えた。


 全員がミスター・ファスナーに傾注し、一言たりとも聞き逃すまいと、その一挙手一投足に注目していた。


「クロード、今日ここに集まった新米共は何人だ?」


「サーイエッサー! 321人でありますサー!」


「そんなにいるのか。ちょっと多すぎるな」


「サーイエッサー!」


「上からは最終的に15人に絞れと言われている」


 ザワッ――と、息を呑む声が倉庫内を満たした。

 300名以上が15人に。

 その現実に衝撃を受けたのだ。


 だが当たり前の話でもある。

 ブリザードブルーになれるのはたった1人。

 ここにいる320人は落ちる運命にあるのだから。


「よし、決めた。いいかお前ら、一度しか言わないからよく聞け。ここから東にあるCNタワーの展望台スカイポッドに行って、スマホで自撮りしてこい。合成チートはするなよ。写真情報エグジフもチェックするからな」


 突然のミッションに全員が自身のスマホを取りだす。


「制限時間は2時間だ。それまでに戻ってこい。一秒でもオーバーしたら失格だ。写真が撮れてないものも失格とする。写真を偽造したものは地獄に送るゴー・トゥ・ヘル


 おお……とちょっとだけ声が上がる。

 タケル王は知る由もないが、それはファスナー氏がヘルシリーズ映画で放つ決め台詞だった。


 脅しのなかにもユーモアとサービスを忘れない。

 さすがレジェンド俳優といえた。

 しかし――


「ちょ、ちょっとまってください!」


 倉庫内の誰かが物言いをつけた。

 すごいイケメン。金髪碧眼である。

 手を上げて堂々とファスナー氏へと抗議する。


「そんなことになんの意味が? もっと公平に、一人ずつ演技などで審査するべきなのではありませんか?」


 この言葉に、走りかけていたものたちも足を止める。

 中には彼に追従しようとファスナー氏に詰め寄ろうとする輩もいた。

 だが――


「馬鹿者ッ! 意味だと? それは俺達が考えるべきものであって、新人のおまえらが考えるものではない!」


 ファスナー氏の怒声に、質問した金髪はたじろいだ。

 彼を援護しようとしていたものたちも勢いをそがれる。


「だがまあいいだろう。教えておいてやるルーキーども」


 ファスナー氏は倉庫内の全員をたっぷりと眺めたあと、「はッ」と吐き捨ててから言った。


「なるほど、確かにおまえたちはいずれも各事務所エージェントによって推挙された逸材なのだろう。そして俺は、限られたスケジュール内でそんなお前たちの適性を確かめなければならないのだ」


 うんうんと、背後に控えるサポート的なクロード氏も頷く。


「ヒヨッコであるおまえらはまだ何者でもない。そんなおまえたちに価値を見出すとするなら――ひたむきさ、情熱、やる気、根性。そんなものくらいしかないのだ」


「そ、そんな、横暴です!」


 金髪イケメンは「エージェントを通じて正式にクレームを入れますよ!」と言った。


「クレーム大いに結構。だがな、俺が言ったことは役者として……いやさ人間として一番大切なものだ。そんな基本的な適性すら示せないものたちに大役を掴むことはできんぞ」


 歴戦の古強者を思わせる深い眼差しが全員を貫いた。

 そのあまりの迫力と重みのある言葉に、抗議していた金髪も二の句が告げなくなってしまう。


「クロード、時間は計ってるか?」


「いまのやり取りで5分無駄にしました。あと1時間55分です……あ、サー」


「くッ――!」


 金髪イケメンが走りだす。

 それに続けと300人からが大ダッシュする。

 こうしてオーディション……その一次試験は始まった。


「ひとつ言い忘れたが、地元のヒトたちに迷惑をかけるなよ! これから撮影で世話になるんだ、行儀よくするんだぞ!」


 などという声が後ろから聞こえてくる。

 人の波に乗りながらタケル王もタワーを目指す。

 と、ジェラルミンが近づいてくる。


「やれやれ、まさかこんなことになるとはな」


「なんだ、面倒になったか?」


「まさか。さすがはミスター・ファスナーの言葉だと感心していたところだ」


 ニカっとジェラルミンは白い歯を見せて笑う。

 タケル王も「ふっ」と小さく笑った。


「で、CNタワーってどこだ?」


『タケル様、前方右手奥を御覧ください』


「おお、なんだ、さっきからビルの隙間に見えてるあれか」


 なるほど。あそこに行って写真を撮るのか。


『真希奈ならエグジフも欺瞞できますがいかがいたしましょう』


「野暮なこというなよ」


 真希奈であれば写真に付随する撮影情報すら改ざんできる。

 だが、それでは面白くない。


 同年代に囲まれて何かを競うという経験が少なかったタケル王は、すでにしてこの状況を楽しみつつあった。


「さて、このペースだとどう考えても間に合わないな」


 321人の大移動である。

 だが、道幅は狭く、他の通行人もいる。

 そんな状況では当然のように渋滞が起きている。

 このまま集団で移動していては間に合うはずもない。


「おまけにミスター・ファスナーは地元に迷惑をかけるなと言っていたな。ということは他の客を押しのけて、俺達が展望台用のエレベーターを使用することはできない」


『ちなみに指定されたスカイポッドは147階、階段は1776段になります』


「――悪いがブラザー、俺は先に行くぞ!」


 行列から抜け出したジェラルミンが脇道に入った。

 多少入り組んでいても1人で移動できる分スピードを出せるとの判断だろう。

 気がつけばマラソン集団もチラホラと抜けていくものたちの姿が見えた。


「ふむ……真希奈、どうだ?」


『はい、街の各所には無線やスマホでやり取りをしている監視の目が複数あります。上空にはドローンも飛んでいるようです』


「僕らの姿は逐次見られてるってことか」


 スケジュールに余裕はなくとも、人員を割く余裕はあるようだ。

 それもそうか。ファスナー氏は「よし決めた」などと、さも今考えついたように言っていたが、あらかじめこのような試験を行うつもりだったのだ。


 ということは近隣住民への通知や、警察の許可も取り付けている可能性がある。

 不正はできない。トロント中の人々が自分たちを見ている。

 つまりタケル王お得意の魔法でひとっ飛び――なんてこともできないのだ。


「真希奈、道案内だけ頼む」


『かしこまりました。では左手の路地を進んでください』


「あいよ」


 タケル王はすばやい身のこなしで人がひとり通れるくらいの極狭な路地へと侵入した。背後を走っていたものからすれば、一瞬でタケル王の姿が消えたと錯覚するほどだった。


 倒れ込むよう極端な前傾姿勢になり、まさに風のように路地を疾駆する。

 魔法は使わないが魔力は使う。

 筋力を強化して一足飛びに路地を駆け抜ける。


『次は右。真っ直ぐ100メートルほど進んで左の路地に。監視の目はありませんので全力で行けます!』


「おう!」


 一見無駄な寄り道ばかりしているようだが、タケル王はとんでもないスピードでCNタワーに近づきつつあった。


 たまにわざと監視の前に姿を現し、僕ってとっても足が速いんだよアピールをする。そしてまた誰にも見られていない路地に入り鬼神のようなスピードで駆け抜ける。


 それを繰り返していくうち、眼前にはCNタワーがそびえ立っていた。

 高さ1815.39フィート(553.33メートル)の電波塔。

 トロントで一番のランドマークである。


「えっ、もう来た!?」


 展望台に続く階段前に行くと、明らかにオーディション関係者と思われる男がいて、慌てた様子でタケル王に道を譲った。


「ここから登ればいいんだな?」


「え、あ、うんそう」


 タケル王が確認すると、男はバツが悪そうに肯定した。

 まあ確認するまでもなく真希奈のナビでわかってはいるのだが。


「ふっ!」


 ダンッ、とワンフロア分の階段を二歩で駆け上る。

 反転しさらにもうワンフロア分。反転してさらにさらに。


 あっという間に姿を消したタケル王の背後で「マジかよっ!」という男の声が。

 その声すら置き去りにして、タケル王は1776段を踏破する。


「ふう。ここか」


 非常扉を開けると、そこは多くの観光客がひしめく展望フロア――通称スカイポッドがあった。


「絶景だな」


 大快晴の大パノラマ。

 視界いっぱいに雄大なオンタリオ湖が広がっている。

 太陽の光を反射して湖面がキラキラと輝いていた。

 あとで妻たちに見せてやろうとスマホのシャッターを切る。


「お、でっかいスタジアムもあるのか」


 タワーの真下にはトロント・ブルージェイズの本拠地ロジャーズ・センターがあった。タケル王はしばし、ただの観光客になって写真撮影を楽しむ。


 当たり前のことだが、彼は一切呼吸を乱していなかった。

 そんな様子を見て取った、これまたオーディションスタッフと思われる男が目を丸くしていたので、タケル王はわざとらしく「ぜはぜは」などと小芝居をする。


『タケル様、必要なのはセルフピクチャーですよ』


「わかってるって。苦手なんだよな自撮り」


 自分でスマホ構えてパシャリってなんだかなーと思ってしまう。

 なのでタケル王はいままで一度も自撮りをしたことがない。


 本来写真に残すべき被写体というのは我が家の妻たちや子どもたち、メイドたちで充分なのだ。なにが悲しくて自分の写真をストレージに保存しなければならないのか。


「面倒だ。おいあんた、撮ってくれ」


「……オーライ」


 呆れた様子でタケル王を見ていたスタッフにスマホを渡し撮影してもらう。

 なんともブスッ垂れた顔の男が、オンタリオ湖の絶景とともに写っていた。


「さて、戻るか」


 下りの時間である。

 上りよりも下りのほうがスピードは出しにくいし、段抜かしの危険性も高まる。

 だがそんなこと、タケル王には関係がなかった。


「ひゃっほう」


 まるで飛ぶがごとく。滑るがごとし。


 手すりすら足場にして、壁を蹴って方向転換し、なんなら階段なんてほとんど踏まずに地上まで一気に駆け下りる。


「うええええッ!?」


 階段前で会ったスタッフが仰天している。


「お、おま、もう戻って――」


 無線機に向かって何かを叫ぶ。


「マジか……」


 おそらく上のスタッフに確認を取ったのだろう。

 そうしていると、ようやく他のオーディションメンバー――マラソンの先頭集団がやってきた。


「こ、ここから階段を使って展望室に行ってもらう。エレベーターを使ったものは失格だ!」


 えええええーッ!? と不満の声が。

 彼らは激しく息を切らせ、額の汗を拭いながら、首が痛くなるほどのタワーを見上げる。


「「「「……………………」」」」


 全員の顔に絶望の二文字が見て取れた。


「行く、行くぞ! 俺はやるんだ! こんなところで負けてたまるか!」


「そうだ、俺だって! やってやる!」


「見ててくれママン!」


「ばあちゃん、僕ちんやるよ!」


「恋人のケイシー! 見ててくれ!」


「死んだオヤジ!」


「恩師の先生!」


 うおおおおお、っと叫びながら階段に殺到する。

 ここまで走り通しで、さらに1776段もの階段……上り切るだけでも、ざっと計算して40分はかかる。考えただけで足が重くなるだろう。


 だがそれでも、各々おのおののモチベーションで絶望へと挑んでいく。

 面白いものだ、とタケル王は同年代の若者たちを微笑ましく見送った。

 と――


「おい、おまえものんびりしてないで急いだほうがいいぞ」


 スペイン訛りの英語だった。

 見れば赤毛の青年が「来い来い」とタケル王を手招きしていた。


「そいつはいま下りてきたところだ。おまえらとは体力と運動能力が違うんだ」


「う、うそだろ……!」


 スタッフに事実を告げられ、赤毛の青年は真っ青になりながら階段へと挑んでいく。


 悪いな、とタケル王は心の中で舌を出す。

 これくらいのアドバンテージは許してほしい。

 どうせ演技ではキミらの足元にも及ばないのだから、と。


「さて、来たか」


 タケル王がのんびりしていたのには理由があった。

 知った顔が来るのを待っていたのである。


「おお、さすがだなブラザー……!」


 ジェラルミンである。

 彼は羽織っていたジャケットを腰に巻き、玉のような汗を流していた。


「先に戻ってるぞ」


「ああ、俺もすぐ追いつく」


 あいも変わらず彼は白い歯をニカっと見せると、「うおおお!」と階段攻略へと向かった。


『ギリギリ、なんとかなりそうですね』


「そうか。別にどうでもいいけど」


『またまたー、気になってたんでしょうタケル様。袖触れ合うも多生の縁ですよ!』


「うっさいな」


 素直でないタケル王は否定するも、真希奈から制限時間に間に合いそうだと聞いてホッとしたのも確かだった。


「戻るぞ」


『ナビいたします』


 そうしてタケル王はかなりの余裕を持って元いた倉庫へと帰還する。


「貴様、何者だ!? 化け物みたいな体力だな!」と、ファスナー氏から絶賛されるのだった。

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