ピカレスク・in・インドネシアの章 歩兵拡張装甲編

第106話 歩兵拡張装甲① 夏の日差しと女子高生〜優男にはご用心

 * * *



 これは、成華・エンペドクレス・タケルが地球帰還を果たす1年以上前の物語。


 インドネシア。

 東南アジア南部に位置する共和制国家。


 赤道にまたがる1万7000以上の島々で構成された国であり、人間が居住する島は約6000島にも及ぶ。


 フローレス海に浮かぶバダン島の沖合約20キロに、物語の舞台となるメルパカン島はあった。


 これといった観光資源もなく、島民の8割が漁業を生業としており、近年首都ジャカルタへの出稼ぎが多く排出され、急速な過疎化が進んでいる島である。


 そんなメルパカン島に住む一人の女子高生『マリア』は、幼いころ母と共に祖父のいるこの島へとやってきた。


 だが、四年前には母が。そして三年前にも祖父を見送り、以来彼女はひとり逞しく生活をしていた。


 年寄りと僅かな子供が住むばかりの島に於いても、マリアはひときわ美しい容姿をしていた。こんがり日に焼けた小麦色の肌に、父親譲りの金髪はセミロングに切りそろえられている。


 健康的に引き締まった肉付きは、たまにやってくる男性観光客の目を引いた。実際彼女は英語が堪能であり、島の観光協会からガイドを依頼されることも少なくない。


 そんなマリアの元に新たなガイドの依頼が舞い込んできたのは、独立記念日も終わった8月下旬のことだった。


 マリアはインターネットを利用した英会話講師と添削のバイトのほか、観光協会から頼まれた海岸線の環境調査で生計を立てている。


 環境調査、と言っても、ほとんどゴミ拾いがメインで、それ以外は気がついたことを日誌に書き込む程度の簡単なものだ。


 朝一でゴミ拾いを終えたマリアが観光協会の事務所に戻ってきたとき、見慣れない一人の男がこちらに振り向き、微笑みかけてきたのだった。


(何、このニヤついた優男は?)


 それが男に対するマリアの第一印象だった。

 大方酔狂な観光客のひとりだろうが、ヘラヘラとした笑いを絶やさないのでどうにも気味が悪い。


 いや、それよりなにより、さらに気味が悪いのは男の格好である。

 この炎天下で長袖に長ズボン。水色のカットシャツを襟袖までぴっちりと閉じ、オマケに両手に革手袋まで着用している。


 足元はこれまたゴツゴツとしたブーツを装着し、見ているだけでも暑苦しい。

 麦わら帽子にノースリーブシャツ、ホットパンツにビーチサンダルというマリアの格好とは対象的だった。


「やあ、あなたがマリアさんですね。はじめまして。ガイドの依頼をしたいのですが」


 男はゴールドブロンドに細面、身長はマリアよりも頭一つ分大きいが、唯一露出している顔立ちは典型的な白人のものだ。


 多くの観光客を見てきたマリアにはわかる。

 こいつは多分真っ当な客ではない。

 警戒心も露わにマリアは男に声をかけた。


「乾季のまっただ中になんて格好してるのさあんた。見てるこっちの方が暑苦しいよ」


「いやあ、空港を降りてからこちらにお邪魔するまでに、もう十回以上同じことを言われました。そして十回とも私は同じ返答をしてきました。平気ですよ、汗ひとつかいてないでしょう?」


 男はおどけた仕草でパチっとウインクする。

 途端マリアは胡散臭そうに顔をしかめた。


「まあ、なんでもいいけどね」


 別段男が平気だというのなら、マリアも見て見ぬふりをするしかない。

 こちらの精神衛生上、突っ込まずにはいられなかっただけだ。


「それでガイドだって? 観光協会の事務所で言うのもなんだけど、見るものなんて殆ど無いよ。ジャカルタやバリ、ギリ島に行ったほうがいいんじゃない? お昼の定期便で出て行った方がいいよ」


 事務所の奥のほうで、観光協会のおっさんが「うちを潰す気か。勘弁してくれ」みたいな顔でマリアを見ていたが構うものか。


 見終わったあとでぶつくさと文句を言われるくらいなら、最初から親切心で教えたほうがトラブルが少なくていいのである。


「いえいえ、ガイドと言っても観光目的ではありません。こうみえて私はフィールドワークの一環でメルパカンを訪れたのです」


「フィールドワーク? それじゃアンタ学者さんなの?」


「はい、昆虫学と民俗学を少々。メルパカンの動植物にも大変興味をもっています。英語が一番堪能だというあなたに色々なところを案内して欲しいのですよ」


「そういうことなら……まあ、いいけど。もしかして今から?」


「はい。あなたさえよければ是非。ダメならまた後日、あなたの予定が空くまでずっとお待ちしますよ」


「なにそれ、ナンパのつもり? 私軽い男って嫌いだから。あんまりそういうおべっか使わないで」


「これは失礼しました。ですが本心ですよ。私が女性に対する言葉はすべて嘘偽りのない真実です。私の信じる神に誓ってもいいですよ」


 そう言って男は右手を上げた。そういう発言が軽いと思うのだが、もうマリアは放っておくことにした。


「わかった。ガイドは引き受けるよ。それで、アンタの名前は?」


「そうですね……では『スミス』とだけお呼びください」


 青白い顔でにっこりと微笑む男。

 何もかもが胡散臭くて好きなれないな、とマリアは改めて思うのだった。



 *



「それで、どこを案内すればいいの。街の中心には品揃えの悪いスーパーと、一週間遅れの雑誌しか置いてない本屋と、あとはおっさんたちが唯一憩いの場にしているお酒を出さないパブもどきしかないんだけど」


 住民の七割がイスラム教徒のインドネシアだが、国教というわけではなく、宗教にはだいぶ寛容なお国柄である。豚肉はあまり食べないが、お酒は表向き出さないだけで、こっそり嗜むものが多い。なので表向きは取り扱ってないことになっているのだ。


「いやあ、思ったよりも深刻な過疎化が進んでいるようですねえ」


「大きなお世話だよ」


 歩きやすいスニーカーに履き替えたマリアは、スミスを伴って燦々と日差しが注ぐあぜ道を歩いていた。


 左手には海岸線が消失点までずうっと長く伸び、右手には鬱蒼と雑木林が広がっている。


『イリアンの炎』と呼ばれるツル科の植物が濃い緑の中に赤い花を咲かせ、綺麗なアクセントを添えていた。


「そういえば、色々と協会長さんから聞いていますよ。マリアさんは大変優秀な方だと。インターネットで英語の講師もさなっているそうですね?」


「ちっ。あのおしゃべりジジイめ。あとでとっちめてやろうか」


「やめてくださいね。私から話題を振って聞いたんですから」


「じゃああんたをとっちめればいいのか」


「一応私は客ですよ?」


 そんな風に話をしながら、マリアとスミスは肩を並べて歩いていく。

 本当にこの男は――炎天下の日差しの中でも、汗ひとつかかずに歩いている。


 マリアは日焼けした肌がジリジリと容赦なく炙られる感覚を味わいながら、そういうのが平気な体質なのかな、とスミスの顔色を覗き見していた。


「時に、マリアさんも将来的にはこの島を出て行かれるおつもりですか?」


「え?」


 唐突な質問に眉をしかめる。今までプライベートな質問をしてくる観光客はいたが、まるで学校の先生のようなことをいう。だが、だからといってマリアはその質問に付き合うつもりはなかった。


「なんだよ急に。そんなことあんたには関係ないだろう」


「メルパカンには高校も大学もありませんものね。通信教育だけでは限界があるでしょうし」


「だからそれがあんたに何の関係があるんだよ。観光協会のおっさんから何を聞いたのか知らないが、あたしは自分の身の上をウリ・・にするつもりはないんだ。ガイドされる気がないなら帰るよ」


「いえいえ、もちろんガイドはして欲しいですが、世間話くらい付き合ってくださいよ。それに、案内して欲しいところは少々頼みづらいところでして。きっと現地に住まう方はいい顔をしないと思うんですよね。私の方としてはあなたに案内してもらえないのは非常に困るので、軽く小粋なトークを交えつつ、もうちょっと仲良くなってから切り出したいのですが……」


 目元の笑みは絶やさず、器用に眉をハの字にするスミス。

 なんて口の回る野郎だろう、とマリアは渋い顔をした。


「きちんと金さえ貰えばどこでも案内するよ。時間がもったいないからさっさと目的の場所を言いな」


「ホントですか。では『イブリスの祠』をお願いします」


 ピタっとマリアが足を止めた。

 麦わら帽子の奥から驚愕の表情でスミスを見つめる。

 彼は相変わらず涼し気な笑みを浮かべてマリアを見返していた。


「なんであんたがその名前を知ってる……。地元の奴らしか知らないはずなのに」


「人の口に戸は立てられませんよ。どこからでも噂は流れるのです。あなた方島民が必死に『事件』を隠蔽していることも知っていますよ」


「隠蔽なんかしちゃいないさ。ちゃんと調査はしている。でも、そんな噂が不用意に広がったらこの島は終わっちまう。わかるだろう?」


「ええ、わかりますよ。インドネシア政府が推し進める『地方部出向制度トランスミグラシ』の候補から外れてしまったら、補助金も出ない、観光客も寄り付かない、逆に島民が脱出する事態になるでしょうねえ。でももう行方不明者が出ているのに、事件の調査は一向に進んでいない。あなた方は手を拱いて、見えない恐怖に怯えている。違いますか?」


「違わねえ。違わねえけど……、あんたは何者なんだ。どうしてそんなことまで知ってやがる」


「そうですね、私はあなたが思っている以上に色々なことを知っています。例えばそう、あなたのご本名なども。ねえ、マリア・スウ・ズムウォルト・・・・・・さん」


 その名前を聞いた途端、マリアの双眸に怒りの炎が宿る。

 それでもスミスはニコニコと、気持ち悪いほどの笑みを浮かべていた。


「インドネシアは基本的に苗字を名乗る必要がありませんからね。誰もあなたのフルネームを知らなくても問題ありませんでした。いやあ、調べるのに苦労しました。あなたがインターネットを利用してくれていて助かりましたよ」


「あんた、本当に何者なんだ。何しにこの島に来やがった……?」


「取り敢えず、ゆっくりお話ができるところに行きましょうか。悪いようにはしませんから」


 マリアにとってはこの男こそが悪魔イブリスなのではないか、そう思えて仕方ないのだった。


 続く。

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