第50話 聖都④ 黒猫と混浴
*
裕福な家庭にはロウソクがあり、でも普通は竈の炎や焚き火を囲んだりするのが一般的であり、これが魔法師になると、セーレスが作ってくれたような魔法の灯り、四大魔素それぞれを表す鬼火を作り出したりする。炎は赤く、水は青く、風は緑を湛え、土は明るい黄色になる。
この世界の夜の闇は濃く、人々は極力夜間の外出を控えるよう、子供の頃から躾けられている。それでも夜間、外出をしなければならない場合は、星明かりやムートゥの明かりを頼りに、手には松明やランプを持たなければとても歩けないのだ。
暮六つの鐘と共に、突如現出した人口の
街を彩る数多の白光。
その光景は地球の夜の街の風景を髣髴とさせる。
「冗談だろ……、なんでこの世界にこんなものが……!」
僕は魔族種の目を使い、煌々と灯る街路灯を仔細に観察する。
間違いない。球体ガラスの中にフィラメントを入れ、ジュール熱輻射を利用した白熱電球だ。
LEDが普及した現代を知る僕には前時代的だが、でもそれは確かに科学の恩恵による文明の利器だった。僕からすれば懐かしい街灯――電灯も、この魔法世界で見るなら、空恐ろしいほどの違和感とともに、とても先進的に見えるのだった。
そしてアナクシア商会に帰り着いた僕は、さらなる驚愕に打ちのめされることになる。
「お帰りなさいませナスカ・タケル様。いかがですかな、聖都の夜の姿は」
こちらの反応を心待ちにしているようなニヤケ顔でマンドロスが聞いてくる。
驚いたことは確かなので頷いてやるしかない。
「ああ……、すごかったよ」
「そうでしょうそうでしょう。私も最初は開いた口がふさがりませんでした。どのような原理かは存じませんが、油や魔法の火を利用しない灯火が存在するなどとんでもないことですからな。実は今でも信じられないのですが、これも
アナクシア商会の廊下や各部屋に取り付けられたランプには、街灯に使われていた白熱電球とは違う、より明るい円錐型の電球が使われていた。
僕の家では使っていなかったが、あれは多分ハロゲン電球だろう。
アメリカ映画やなんかで、広めのガレージなどを照らすのに使われたりしているのを見たことがある。上等な電球を使ってるつもりなのだろうが、過剰な光量が目に痛い。
「ささ、ナスカ・タケル様、お食事の前に当館自慢の湯殿へどうぞ」
「ああ」
僕は侍女に案内されるがまま風呂場へと向かう。
そこは、まるで貴族が所有するような豪勢な作りの風呂場だった。
聞いてみれば、これよりも遥かに規模の小さい風呂も、聖都では一般市民の各家庭にも必ずついているという。
天井からは電球色の柔らかい光が注いでいる。
そして地球の銭湯にあるのと同じようなカランがあり、蛇口をひねると当然のようにお湯が出てきた。ガス……、いや、多分電熱ヒーターを使うタイプの給湯器が使われているのだ。
マンドロスが自慢するだけのことはある。
原初の時代、炎は闇を削る聖なる光と呼ばれていた。
そして近代になり、電気というエネルギーを安定的に得るようになった人類は、さらに闇を削り生きてきた。
蛇口からはいつでもお湯が出るし、多分それ以外の場所――、例えば調理場には電熱コンロかIHコンロが置いてあり、もしかしたら冷蔵庫だって置いてあるという。
そして各部屋にはベッドを照らす卓上ランプがあり、女中にはドライヤーやアイロンも支給されているそうだ。
俺にそれを教えてくれた女中は、これも
街並みこそ中世欧州の世界だが、中身は完全に近代の地球である。
科学の利器を知ってしまっては、もう他の街に住みたいなどとは誰も思わない。
確かにこれならば、巨額のお布施を支払ってでも聖都にヒトが群がってくるのも頷けるのだった。
*
「あ、あの、失礼します……」
思考の波が急速に引いていく。
入り口の引き戸を僅かに開け、アイティアがちょこんと、こちらを覗き込んでいた。
「えっと、何かな?」
石鹸とかアメニティが切れていましたので補充に、とかだろうか。
いや、きっとそうに違いない。
ありがとう。入り口近くに置いたら下がってくれたまえ。
「ど、どどど、奴隷教育の一環として、その、あの、お背中を流すようにと、マンドロス様が……!」
「なん、だって……?」
マンドロスめ、どういうつもりだ――!?
「バ、バカ言うな。男のいる風呂場に入るっていうのがどういうことか知ってて言ってるのか?」
「マ、マンドロス様が、タケ――龍神様には多少商品価値が下がっても構わないと伝えるようにと。私には失礼のないように、っておっしゃってました」
もう絶対に不眠不休で無茶な行脚はしない!
黒猫族の生娘を捧げても惜しくないほど
「だから、その、失礼します」
アイティアは手ぬぐい一枚で前を隠しながらおずおずと湯殿に入ってきた。
(こ、この黒猫は――大人しい顔して!?)
アイティアは手ぬぐい一枚では到底隠しきれないほど大きな胸をしていた。
貫頭衣みたいなボロを着ていたり、顔や体型を隠すため大きめのフードを被っていたりしたのでまったく気づかなかった。
真っ白くてキュッとくびれた腰の左右から、ツヤツヤの黒毛尻尾が戸惑うように揺らめいている。顔は紅潮していて、進む足は緊張のためかぎこちない。湯船の前まで歩み寄ると、お湯に浸かっている僕を見つめなら、ゆっくりと膝をつき、そのまま待機姿勢になった。
「……何してるの?」
「龍神様が湯船から上がるのを待っています。十分温まりになってからお背中をお流しします」
顔を逸らしながらも、真っ赤になってチラチラ僕を見ている。
ギュッと自らの肩を抱くもんだから、胸の谷間がメチャクチャ強調されている。
手ぬぐい越しとは言え凶悪極まりないシロモノだった。
「あのさ、さっきは言うの忘れてたんだけど、マンドロスの前では絶対に『龍神様』なんて呼ばないでよ?」
「は、はひ、ふ、ふたりっきりの時だけにしますです!」
ボッ、とアイティアは赤い顔を増々赤くさせた。
なんか変な勘違いしてないといんだけど……。
そうこうしているうちにアイティアは「へぷちっ」とかわいいくしゃみをした。
「寒いんなら、お湯、入れば。広いし、もうひとりくらい入れるでしょ」
というかそもそもこの風呂はふたりで入ることを前提で造られてる気がするぞ。理由はもちろんエッチなことのために……。
「そそ、そんな、奴隷がご主人様と同じ湯船になんて入れません!」
「僕はおまえのご主人様なんかじゃないよ。風邪ひかれても困るから入りなよ」
「りゅ、龍神様がそうおっしゃるなら……」
立ち上がるアイティアから僕はそっと視線を外す。
緊張しているからか、さっきから前を隠すのを忘れてやがるのだ。
おかげでモロに見ちゃったよ……。
そしてちゃぷん、と音を立てて彼女が入湯してくる。
「はああ〜、暖かいです〜」
「そりゃよかった」
ざああああ、とアイティアが入ったせいで嵩が増したお湯が湯船からこぼれていく。アイティアはチョコンと膝を抱えてお湯に浸かっているが、ブクブクブク……としたり、ウーッと首を伸ばしたりしてずいぶんリラックスしているようだ。
しかし、この世界の貴族がどんな趣味嗜好を持っているのかは知らないが、亜人奴隷と風呂に入るのが絶対NGってことはないだろう。そもそも獣人種を嫌悪しているなら奴隷として購入などするはずがないし、女の子と一緒にお風呂に入って色々愉しむ方法もあるはずだ。
地球にいたころ、ネットに触れていれば、そっち系の知識も自然と目についた。
もちろん僕はそんな経験ないし、今はセーレス一筋である(←コレ大事)。
だから黒髪ロング+猫耳+尻尾+着痩せする隠れ巨乳――などとという凄まじいスペックな上に、段々僕に対する恐怖感も薄れて従順になりつつある女の子と同じお湯に浸かっていたとしてもまったく変な気分になったりはしないのである。
うんうん、と僕が頷いていると、「失礼します」なんて声がすぐ近くで聞こえた。
「ちょ、おまえ――!」
油断した。アイティアは僕の股の間に腰を下ろし、胸板に背中を預けて、ふーっと頭を預けてくる。
前言撤回だ。恐怖心が薄れるどころじゃない。多分僕は舐められてると思う。
「はああ~、気持ちいいです〜、私こんな広いお風呂に入るの初めてです~」
アイティアの長い黒髪は一本にまとめられポニーテールになっている。
猫耳があるから結いあげたりはできないみたいだ。
しっとりと濡れた彼女の首筋がすぐ目の前にある。
なんだか目がチッカチッカした。
「先に出る」
「あ、私も」
「ちゃんと温まってろ」
「はい……」
ブクブクブク、と顔半分までお湯に浸かるアイティア。
僕はカランの前にある木製の椅子に腰を下ろす。
顔を上げると大きな鏡があった。
これもアークマインの恩恵によって、この世界の研磨技術では考えられないレベルで磨かれたものなのだろう。
鏡の中に写る僕の姿。
魔族種となって以来、初めてまともにみる自分自身の姿だ。
元々太ってはいなかったが、セーレスとサバイバル生活をしているうちに、身体はどんどん引き締まっていった。
それが今ではうっすらと筋肉を纏って、全体的に張り詰めた印象になっている。
肌の色は若干日に焼けたように浅黒くなっていた。
もちろん、牙やウロコ、角なんかは生えていない。
そして、僕の身体で最も人間だった頃の面影を残すが――
「うわあ、龍神様、すごい傷痕ですよ?」
湯船から上がってきたアイティアが僕の背中を覗き込んでいた。
そんな無防備な格好で前かがみになるなと――もういい、無視しよう。
「そんなに酷い?」
「なんか、拷問でも受けたみたいです……」
受けたのだ拷問を。
僅か一ヶ月半ほど前、僕はヒトだった。
セーレスと共に
偶然にも、のほほんと捕まっていたディーオ・エンペドクレスと邂逅し、彼の力を引き継いで魔族種となって蘇った。それでも、僕が全身に受けた悪意の傷痕だけは、なんの嫌がらせなのか、未だに残り続けていた。
気持ちが無限に落ち込みにそうになった時だった。
頭から豪快にお湯をぶっかけられた。
「おい、アイティア……?」
「頭を洗いますね~、ちゃんと習ったんですよ私。このドロドロの液体を着けて髪を洗うんだって。うーん、いい匂い~」
天然もここまで来るといっそ清々しい。
おかげで落ち込まずに済んだので成すがまま身を任せる。
蓋をした陶磁器製の中身は粘性の強い液体のようだ。
香料を含んだそれがまぶされ、僕の頭はすぐに泡だらけになった。
「ご主人様、カユイところはございませんか~?」
「あー、強いて言うなら背中が痒いかな?」
「背中のどこらへんですか?」
「右の肩甲骨の背骨側らへん」
「うーん、両手は泡だらけなので……はむ」
「ちょいッ!?」
何をされたのか一瞬わからなかった。
だがどうやらアイティアは唇を寄せてゾロリと舌で舐めてきたようだった。
僕は「やめてくれ」というと、彼女は「はーい」と頭を洗う作業に戻った。
「なあ、今みたいのって奴隷教育で習うのか?」
「今みたいって何がですか?」
「だから痒いところを口で、その、なんとかしようとするやつだよ」
「習わないですよ?」
やっぱり天然か。
こりゃ教育係もさじを投げるレベルじゃないだろうか。
僕は目をつぶり、ワッシャワッシャと洗われていく。
ふと――、思い出した。
最初にこの世界で目覚めた翌日、セーレスに無理やり水浴びをさせられたっけ。
水の触手に絡め取られ、嫌がる僕を彼女は笑いながら水辺に沈めて洗ってくれたのだ。
こんな風に、指の腹を使ってゴシゴシと頭を――
「え、龍神様、どうかされましたか!?」
「いや、大丈夫。シャンプーが目に染みただけだから……」
しゃんぷーってなんでしょう、などとトボケタことを言うアイティアに、僕は身体のすみずみまで洗ってもらうのだった。
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