第2話 君の名は② 徒労と彷徨

 *


「マジでふざけんなよ」


 僕は今絶賛迷子中だった。


 もう何時間も歩きまわってクタクタである。

 格好も部屋着のスウェットに靴下のみだ。

 草地とはいえいい加減足裏が痛くて敵わない。


 お腹も減った。

 最後に食べたのは深夜にクエストを始める前だから、丸一日近く何も食べてない。

 時刻は夕方を過ぎて、宵闇が濃くなってきていた。

 もう景色を楽しむ余裕はなくなっていた。

 こんなところで野宿などできない。一刻も早く帰らねば。


「というかホントどこだよここ……」


 人の足とはいえもう十キロ近くは歩いているはずだ。

 それなのに民家はおろか電信柱の一本も見つけられない。

 セーフモードにしていはいるが、こまめにスマホはチェックしている。

 相変わらず電波は入らない。

 僕は一体どんな未開の地に連れてこられてしまったのだろうか。


「くそ、そんなに僕が憎いのか……!」


 悪態は幼なじみの心深ここみへである。

 小学生の頃からの付き合いで、家は近所というお決まりのパターン。


 長期海外出張中でめったに帰ってこない両親に代わり、僕の保護者みたいなことを勝手にしている。

 勝手にというのは、まったくありがたくなく、むしろ迷惑極まりないからである。


 僕は人付き合いが苦手で、学校も休みがちだった。

 それでも受験の時、担任が進めるのでレベルの高い高校を受験した。

 合格したあとは、義務教育も終わりとばかり、家に引きこもってばかりいた。

 幼馴染の心深はそんな僕の部屋を訪れ、ずっと学校へ行くよう説得をしてくれていた。


 最初は僕も思うところがなかったわけじゃない。

 でも段々と、彼女の親切が煩わしくなっていった。

 僕が学校に行きづらくなったのも、元々は心深のせいでもあったのに。


 彼女は毎朝、僕のドアの前に来て言う。

 涼やかで美しい自慢の声で僕を諭すのだ。

 曰く、そんなことで将来どうするつもりなのかと。

 せっかく同じ高校に合格したんだから一緒に登校しようと。

 もう本当に余計なお世話にうんざりしているのだ。


「やばい。もう限界だ」


 すっかり日も暮れ、あたりは右も左も真っ暗だった。

 それでもうすぼんやりと明るいのは頭上の星々とお月様のおかげだろう。


「あれ……、なんか妙に月がおっきいような?」


 まんまるの満月である。月が大きすぎて気味が悪いくらいだ。

 スーパームーンなんて話、最近のネットで見かけたりしなかったけどなあ。


「んん?」


 目の錯覚だろうか。

 大きな月の影に隠れるように、もう一つ月があるような気がする。

 いや、そんな馬鹿な。月が二つあるはずなどない。

 見間違いだ。そうに決まっている。


「疲れた」


 そう、僕は疲れている。

 こんなに身体を動かしたのは数年ぶりだ。

 幻覚が見えてもおかしくないくらいクタクタだった。


 今僕は、疲れた身体を休めるため、森部に面した巨石に背中を預けている。

 ズルズルと草地に尻を着くと、ドッと疲れが押し寄せてきた。

 このまま寝たら不味いと分かっているのに、一歩も動けそうにない。

 思い出したように腹が鳴ってめまいまでする。

 あー、のどが渇いた。キンキンに冷えたコーラが飲みたい。

 

 スマホは……、もう見る気にもならない。

 これが本当に心深の手の込んだイタズラだとしたら、お手上げだ。

 ここまでのことをされて、最初は怒りしか感じなかったが、もうお腹を見せて降参したい気分だ。


 あいつひとりでこんな手の混んだことはできないだろうから、なんだろうな……おじさんもグルなのかな。主に僕をこんなところに運ぶために。


 ちなみにおじさんは僕の父方の弟だ。

 僕の両親は長く海外にいてめったに帰ってこない。

 おじさんも、僕が長く引きこもっていることをよく思っていなかった。

 そこで心深と結託して、僕を懲らしめようとしているのだろう。

 ちくしょう……!


「心深ぃ、どっかで覗いてるならいい加減にしろ! 僕の負けだ、要求は何だ!」


 カラカラの喉をなけなしの唾液で濡らし、精一杯叫ぶ。


「今朝いろいろ言ったことは謝る! 学校にも、本当は死ぬほど嫌だけど、たまには行くことを――前向きに検討する所存だ!」


 いい加減カロリー不足と疲労で息切れがする。それでもお腹に力を入れて叫び続ける。


「おまえがこの間置いていったDVDも全部見る! 言ってたイベントとやらの手伝いをしてもいい! だから――」


 頼む。

 いい加減に。

 出てきてくれ。


 僕の必死の懇願は、真っ暗闇に虚しく消えた。

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