夕暮れのシルエット~友達になりたくて手紙を書いて渡したら恋人になった百合話~
シイカ
夕暮れのシルエット
「お友達になってください」
わたしは
受け取った手紙を読んでわたしの顔を交互に見た戸島さんは低めの声で訊いた。
「ええ、はい。うん。……私で良ければ。……いいの?」
わたしはそのとき今まで人に見せたことが無いほど目を輝かせていたと思う。
「よろしくお願いします!」
戸島さんに失礼のないよう身体を45度倒し頭を下げた。このお辞儀の仕方は『最敬礼』と言って一番丁寧なお辞儀らしい。 幸い放課後の教室はふたりきりだったので周りの視線を気にしなくていいけど、この状況をほかの人が見たら戸島さんがわたしを謝らせてるようで誤解するかもしれない。
不肖、
よく、友達なんて自然にできるっていうけど、戸島真琴さんは自然には友達になれないタイプな気がした。
わたしにとって特別なんだ。
正直、戸島さんとわたしの接点はクラスが同じ……以上! その他に何も無い。
戸島真琴さんの印象はクールというのが最初だった。短い髪、声をわざと低くしているのか元々なのか少年声みたいでクールな印象に拍車がかかる。
彼女が授業で返事するときの声は女子校ではけっこう目立つ。
対象的にわたしは髪は肩より長くて、声は仔犬に例えられるほどに高い。
戸島さんと初めて面と向かうと自分とのギャップを感じざるおえなかった。
もちろん容姿についてのこと。本音をいうと、ぜんぶ。
彼女は、わたしになくて、わたしが憧れるものを、すべて持っている。
戸島さんを意識した日は特別でもなんでもなかった。ただ、早く起きただけ。
制服が夏服から冬服に衣替えして数日。
金木犀の匂いのするやわらかい風がふく朝。
教室に着いたら本を読んでいる彼女がひとりいた。
わたしが入ってきたことにも気づかないほど、本に集中していたらしい。
私はそんな彼女をカバンも置かずに眺めていた。
図書室で何年も眠っていたのが一目でわかるほど黄ばんだ本を読んでいた彼女がとても印象的に見えた。
わたしには何年も借りられていない古い本を探して読むという、他人にいわせると、ちょっと変わった趣味がある。
だから、余計に意識したのかもしれない。
戸島さんは誰とも一緒にいない人だった。図書室。屋上。街を見下ろす校庭の端。
いつもひとり。わたしも、おなじ。
そんな誰とも一緒にいない人だったから放課後呼びだすことができた。
できてしまった。
それで真っ白な封筒に入った手紙を差し出して「お友達になってください」……だ。
ちょっと唐突すぎるかなあ……とも思ったけれど、やはりというか、戸島さんは目を見開いていた。
クールな戸島さんでもいきなりこんなこと言われたりすれば驚くんだと、ちょっと意外に思った。
気が付いたらだいぶ時間が経っていたらしく夕陽が教室のわたしたちを照らしていた。
「ええと。鴻池さん、遅くなってきたし、もう帰ろうか」
「あ、あの一緒に帰って良いですか?」
わたしは恐る恐る尋ねた。
「もともと、そのつもりだよ」
思わずわたしは戸島さんに勢いよく抱き着いてしまっていた。
「戸島さん優しい!」
勢いよく抱きついってしまったので倒れないように戸島さんは踏ん張りながら言った。
「ふ、普通だよ!」
「ごめんなさい! うれしくて!」
これが戸島真琴さんとお友達になった経緯である。
下駄箱まで不思議と会話が無かった。というより、会話ができなかった。でも、放課後まで付き合ってもらったから、わたしからこの沈黙を破らなければいけない。
「戸島さん、ありがとう。お友達になってくれて」
「私も鴻池さんのこと、気になってたから」
わたしは取ろうとした靴を掴んだまま固まった。と、戸島さんがわたしのことを気になっていた? それは、どのように? 良いほう、良くないほう?
訊きたいけど頭の処理が追いつかず、なんとか言葉を紡ぎ出すことだけができた。
「え、へへへ。うれしい」
これがわたしの精一杯の言葉だった。
丘陵の稜線に沈みかける夕陽が空を虹色に染めていく夕暮れの情景が、いつもより綺麗に、キラキラとして、虹より美しい夢色に輝いて見える。
一日にいちど、たった三十分にも満たないマジックアワー。
緩やかに流れる大きな河と、そのすぐ背後に迫る、山というには低く丘というには高い高地帯に挟まれた、わたしたちの街、新田ヶ丘。
ここは戦後昭和と呼ばれる時代に開けた住宅街なので、あちこちに名物の梨を作る農地や水田、江戸時代から僅かに残る旧家の蔵屋敷が点在する静かな街だ。河を渡れば都心部まで急行電車で二十分というのが信じられないぐらいに長閑かな街。……街というより『町』という字が似合う、そんな場所。
でも、わたしはこの町が好きだ。だって背の高いビルが殆どないから空が広いもの。
陽が暮れて暗緑色に染まった丘陵の斜面にぽつんぽつんと建った団地や住宅のひとつひとつに明かりが灯っていく様子は星空が空から降りてきて地上とつながったみたいで面白いし、違う世界の入り口なんじゃないかって、子どもの頃から思っていた。
だから、この夕暮れ刻に真琴さんとふたり長い下りの坂道を歩く今が堪らなく愛しい。
ああ。街道沿いの辻堂にいらっしゃるお地蔵さま。わたしと真琴さんに幸せを下さい。
賑やかなのは丘陵の頂にある遊園地だけ。若者が集まる場所は学校ぐらい。
わたしたちの通う学校は、標高七十メートル。丘陵の頂近くにある。
戸島さんとお友達になった次の日の放課後、わたしは戸島さんに一生のお願いをしてみようと心に決めていたのだ。
「鴻池さん、一緒に帰ろう」
わたしが心に改めて決意を刻むと同時に戸島さんの少年声がわたしに降りかかる。
気が付くと戸島さんはわたしの席の前に来ていたのだ。
「あ、う、うん。良いよ」
あまりにもぎこちない返事をしてしまった。戸島さんは気にした風もなく、わたしを待っていてくれた。
学校から出てわたしは開口一番に言った。
「戸島さん……。あの、実は、お願いがあるんだけど……」
「お金以外だったらなんでも聞く」
「つまり、お金以外ならなんでも良いということですか」
「飛躍しすぎだけど、そうかも」
お金以外……だから平気だよね……。
「わたしのこと、下の名前で呼んで……ほしいな……」
戸島さんはキョトンとした顔をしたあと微笑んだ。
「鴻池さんのことだからもっと無茶なこと言われるかと思ったよ。それぐらいだったら良いよ。鴻池……。えっと鴻池……あれ……鴻池…… 」
鴻池……。鴻池……。と何度も繰り返す戸島さんを見かねてわたしは口を出した。
「静枝だよ! 覚えていなかったの!」
全く、予測していなかった。まさか、名前を覚えてもらえていなかったなんて。
「私は人の苗字を覚えるだけで精一杯なんだ。えっと……し、静枝……さん」
戸島さんが私を下の名前で呼んでくれた! 言わせたに等しいけど嬉しい! さん付けじゃなくても良いんだよって言おうと思ったけど、なんかお嬢様学校みたいで良い!
「フフフ、わたしも戸島さんのこと真琴さんって呼ぶね」
真琴さんは意外そうに目を大きくしていた。
「私の名前覚えててくれたんだ」
そんな真琴さんの反応が面白かったのでわたしはちょっと調子に乗ってみた。
「自慢じゃないけど、わたしは当日にクラスメイト全員の名前を覚えたんだ。どうだ、すごいだろ。エヘン、エヘン」
「静枝さんってさ……かわいいね」
切れ長の凛々しい目が笑う。
戸島さん、いや、真琴さんにかわいいって言われた。
「はい!?」
わたしも負けずと真琴さんに言ってやることにした。
「そ、そういう真琴さんはカッコイイよね」
「うん。よく言われる」
……こちらは言われ慣れていらしたか。
「背が高いからかな?」
「声……。わたしは真琴さんの声、カッコイイと思うの」
「声? うーん、それは初めて言われたかも」
本当は本を読んでいる姿で一目惚れしたんだけど、引かれそうと思ってあえて言わなかった。それに、わたしの胸の内にまだ秘めていたいとも思った。
「あと、よく言われるのは、いつも本を読んでいるところ……とか?」
誰だ、言ったやつ。切り刻んでやろうか。
しかも、よく言われるとまで言われてしまって、もう言うタイミングが完全になくなってしまった。いや、声をカッコイイと言ったのはわたしが初めてみたいだし、つまり、初めては死守したわけだから、むしろ良かったのではないか。
見知らぬミーハーに怒りを感じつつ話題を変える方向にすることに。
「ま、真琴さん、本好きだよね」
「うん。静枝さんは本好き?」
「人並よりは読んでる……と、思う」
これは意外なことにも嘘じゃなく。昨今の若者の活字離れとは逆行し、わたしこと、静枝さんは本を読む人類なのだった。
「それじゃさ。今度、私の家に来ない? 珍しい本ね、いっぱいあるの。どう……?」
「は、はい。喜んで行かせていただきます!」
突如として真琴さんとのデートが決まった。
高校に入学して初めての自宅訪問が真琴さん家になるなんて夢みたい。
実はわたしには真琴さん以外にも友達がいるんだけど、塾やら部活やらがあって一回も予定がかみ合ったことがない。
わたしも真琴さんも塾にも部活にも入ってないという奇跡。というか、クラスでわたしたちだけが部活に入っていないのだ。たぶん、わたしと真琴さんが仲良くなった理由は帰宅部つながりということだと周りは思って見ているに違いないとわたしは睨んでいる。
真琴さんが部活に入ってないのが少し不思議だとは思っていたけど、たぶん、図書館に費やしているんだなというのが、最近、なんとなくわかった。
そして当日。微かだった金木犀の匂いが香ると表現するほうが相応しくなった秋の日。
わたしはデートに定番と思われる純白のワンピースにカーディガンを着てきた。
「うわあ」
真琴さんの部屋はまるで男の子の部屋みたいだった。
男の子の部屋を見たことないけど。
「このゲーム機。わたしたちが生まれるずっと前のやつだ! スゴイ」
「お姉ちゃんのおさがりなんだ。レトロマニアには結構たまらないものらしいよ」
「へー」
お姉さんがいたのも意外だったけど部屋のモノに次々と目が行ってしまう。
本も漫画もポスターも新しいモノと古いモノが混ざりあっていて面白い。
「映画のソフトもすごい充実してる! わたし映画見るの好き」
さり気に真琴さんの趣味に合わせようとして歩みよって見る。人並に映画は見るから間違いではない。
「静枝さんも映画好きなんだ。なんだか、静枝さんの一面がちょっと知れて嬉しい」
そう言いながら映画棚に近づいた真琴さんはその中から一本を取り出してわたしに見せてくれた。嘘は言ってないけど、真琴さんほど映画に詳しいかは自信がない。
「静枝さん、この映画って見たことある?」
「タイトルは知ってるけど見たことない」
「じゃあ、観よう!」
臨場感を楽しむために、カーテンを閉め、電気を消した。「ちょっと待ってて」と言った真琴さんはお菓子とジュースを持ってきた。あっという間にミニ映画館の完成だ。
家の中とはいえ、ワクワクする。体育座りのわたしのとなりに真琴さんは胡坐で座ってきた。真琴さんの匂いを感じてドキドキした。
どんな内容なのかまったく知らなかったけど名作らしいっていうのは知っている。
宇宙ロケット開発を描いたアニメ作品だった。題材が題材なだけに難しい言葉も出てきて少し難しかったけど、登場人物たちが人間として描かれているのが余計に胸に来る。昔の映画とはいえ、良い作品はいつ見ても良い作品だ。映画を見終えたとき、わたしは鼻をすすって涙したし、真琴さんの映画の趣味にも感動した。
世の中にはこんなに素晴らしい映画があったのに、わたしは今まで何を見てきたんだと心の中で自分を責めた。
「わたし、思わず涙でちゃった! こんなに良い映画があったなんて……?」
映画に集中して気づかなかったけど、隣から微かに寝息のような音が聞こえる。
「スー……」
「あれー……真琴さん……寝てたのね……」
隣でこっくりこっくりとなってる真琴さんがわたしの肩に頭を預けてしまい、あまりの無防備さに、わたしはドキドキ。どうしたら良いかわからず、ゆっくりと膝枕の態勢にまで持っていった。枕を敷いてあげれば良かったんだけど、真琴さんの寝顔で母性が反応してしまい。隠さずに言うと下心でやりました。
それから三十分ほど真琴さんは起きなかったので、わたしは勝手ながら、つとめて静かにリモコンを操作して当時のCMとか特報とかが入ってる特典映像まで隅々まで見させてもらった。やがて、ふいにパッチリと目をあけるなり真琴さんは、わたしの膝に頭をおいたまま、微かに紅潮した頬を両手で覆った。
「ごめん! この映画、いつも途中で寝ちゃうから静枝さんと一緒なら大丈夫かと思ったんだけど、やっぱり、恋人とケンカするシーンでいつも寝ちゃうんだ!」
ゆっくりと半身を起こしながら、真琴さんは申し訳なさそうに唇を尖らせた。
「わたしが一番感動したシーンなんだけどな……」
そもそも真琴さん好みの映画をわたしは知らない。
せっかくの機会なので聞いてみよう。
「真琴さんはどんな映画なら寝ないの?」
「うーん……やっぱスピード感があって派手で見終わったあとに、あー、おもしろかった! ……ってなる系の映画かな?」
「さっきの映画ひとつも当てはまっていないじゃん。よく見る気になったね」
「そ、それは、お姉ちゃんが……」
ちょっと俯いた真琴さんが、珍しく口籠った声で何か弁解したようだけど、よく聞こえなかった。たぶん、お姉さんの趣味が……とか、そんなのだろう。
「……で観るのに良い名作だって、いつも言ってたから……」
「はあ。なるほど」
わたしはお姉さんとの方が趣味は合うんじゃないかなと思いつつも、真琴さんのかわいい一面を見られたのかなとも思った。
「でも、静枝さんの膝枕のおかげで気持ちよく眠れてたみたい」
「もう。今度、映画見るときは無断で寝ないでね」
そのときも膝枕するけどね。……とは、さすがに言えなかった。
真琴さんは大きく伸びをしてから立ち上がり、時計を見た。
「もう、お昼だね。ご飯にしよう。膝枕のお礼に私が作る。食べられないものってある?」
「食べられないものはないよ。でも、わたしも手伝うよ」
「うーん……それなら洗い物をお願いしようかな。静枝さんはお客さんなんだし、それに、私の料理も食べてもらいたいし」
「じゃ、じゃあお願いします」
真琴さんはエプロンをつけ早速料理に取り掛かった。
スリーブレスの黒いチューブトップに黒いスリムのジーンズ。桃色のエプロン。
わたしはそんな真琴さんの後ろ姿をジッと見つめた。人が料理してる後ろ姿って良いな……。それとも真琴さんだから良いと思ってしまうのかな。
ぼんやり見とれている間に真琴さんは料理を完成させていた。
匂いで薄々気づいていたけど、カレーだ。純白のワンピースにカレーのシミを作らずに食べるのは至難の技だ。できるかな。
「ご、ごめん! 静枝さんの服考えてなかった! これ着けて!」
真琴さんは気づいてくれたらしく、着けていたエプロンをわたしに掛けてくれた。
「作ってくれたのすごい嬉しいよ! それにエプロン貸してくれてありがとう」
真琴さんの温もりが残ってるエプロンを身に着け、席に着いたところで食事になった。
「いただきます。おいしい……美味しいよ! 真琴さん!」
「へへへ。ありがとう」
本が好きで映画が好きで料理ができる真琴さんか……どれくらいの人が彼女のこういう一面を知ってるのかな。もちろん家族以外で。ふーむ、それにしてもおいしい。
「真琴さんは良いお嫁さんになるよ。わたしが保証する」
「へ!? あ……そ、そう? 大げさだよ! あはは!」
彼女にしては珍しい反応だった。意外にもこういう話題は苦手だったのかな。
なんだか、ちょっとかわいいと思った。
「フフフ、ほんと、真琴さんってかわいい」
「え、ええ!? もしかして、さっきから、からかおうとしてる?」
「本当にかわいいと思ったから言ったの。ほら、わたしって素直だから」
真琴さんは急に顔を手で覆って黙ってしまった。あ、ちょっとからかい過ぎた?
「あの、真琴さん……なんか気に障っちゃたかな……ごめん」
「ち、ちがうの! し、静枝さんに褒められたの嬉しくて……」
そう言った彼女の顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
「そ、そんな。わ、わたしも照れちゃうなあ」
わたしもつられて赤くなっていた。
真琴さんをずっとカッコイイと思って見てたけど、わたしの中で彼女がどんどんかわいい人になっていく。
「食べ終わったから片付けるの手伝うね」
「うん、ありがとう」
食器洗いならわたしもできる。
いつも一緒に帰ってるときとは違う、真琴さんと過ごす時間。
まだ赤みがかった真琴さんの横顔が今度はとても色っぽくみえる。
「真琴さん……」
「ん? なに?」
「人妻みたい」
「え? それって、どういう……」
気の利いたことを言ったつもりだったけど、よくよく考えなくても女子高生にかける誉め言葉ではなかった。
「ええと……色っぽいって意味……」
「つまり、静枝さんにとって人妻は色っぽいと……」
「そうだけど、そうじゃない」
「そもそも、なんで色っぽいって言葉が出てくるの?」
「真琴さんが色っぽいから」
「どこをどう見てそうなるのかな」
これ以上ややこしくしたくないのでわたしは正直に言った。
「顔」
「か、顔!?」
「その赤みがかった真琴さんの顔がわたしは大好き」
真琴さんは拭いている皿に視線を落としたまま黙ってしまった。
蛇口から出てる水の音がさっきよりも大きく聴こえる。
洗い物が終わったのでわたしは蛇口をしめた。
同時に真琴さんが、わたしを抱きしめた。
あまりのことに、声が出ない。
「私も静枝さんが大好き」
ど、どうしよう! この場合どうしたら良いんだろう! そうだ! さっき見た映画に似た場面があった……! それを参考に……。
「……ま、真琴さん、抱いて! ハグ。オーバー(どうぞ)?」
「え? ……ラジャー(了解)。……こう?」
真琴さんも映画のセリフだと察したらしく言われたとおりギュッとわたしを抱いた。
「違う……違うけど、違くない!」
「え、じゃあ、こう?」
力を込めてわたしをさらにギュッとした。けっこう力強い……。
「く、くるしい……」
腕の力が緩まったらしく、少し楽になった。
「ゴメン。……こう?」
「うん、そんな感じ。まだちょっと違うけど。コンタクト・オールライト」
宇宙ロケットと抱擁。合わないようで合っている。なるほど、真琴さんのお姉さん推薦の名作だけはある。壮大な伴奏音楽がないのが残念なぐらいだ。
とりあえず、真琴さんの背中を軽くポンポンと叩いてみた。
真琴さんの匂いをさっきより感じて、なんか落ち着く。
さて、このあとどうしよう。抱きしめたあとと言えば……。
わたしがあれこれ考えていると顔がやわらく包まれ、え、これって。
おでこに軽くやわらかい感触を感じた。擬音にすると「チュッ」。
「ま、真琴さん、あの、き、きすだよね……今の」
「そうだよ」
自分でも顔が赤くなっているのがわかるくらい熱い。
対照的に真琴さんは冷静な顔色に戻っていた。
「な、なんでキス!?」
「抱きしめた後だとしてた。映画で」
え、さっきの映画寝てたんじゃないの? と一瞬別のことが脳裏をよぎった。けど、わたしは自分でも歯止めが利かなくなり大胆なことを口走っていた。
「映画のマネするんだったら、ちゃんとしてよね……」
わたしは真琴さんの首に腕を絡め、そして……。
軽く。ほんの軽く唇と唇を重ね合わせた。
「わたしたち、友達同士でキスしちゃったね……」
もう、どうにでもなれ、わたしは真琴さんを友達以上に好きなんだから。
「なに言ってるの、おかしくないよ恋人同士なんだから」
「え?」
「え?」
ふたりはゼロ距離でお互いのキョトンとした顔を見つめあった。
片付けが完璧に終わったあと、わたしたちは真琴さんの部屋に行き、お互いの思いをぶつけてみた。
「私、静枝さんと恋人同士だとずっと思っていたよ」
「そ、それはいつからですか?」
思わず敬語になっていた。ついでに声もひっくり返った。わたしは真琴さんに思いを秘めたまま、友達でいたわけで、その真琴さんが、わたしを恋人としてずっと見ていたなんて納得できるわけがない。
「いつって……手紙をもらった日から」
一か月……。わたしは一か月無駄……。いやいや、楽しかった日々を無駄なんていうのはやめよう。
「で、でも、わたしはお友達になってくださいって手紙を渡しましたよね?」
手紙にはちゃんと友達になってもらうために怪しまれない程度に書いたつもりだったのにそんなに下心が透けて見えたというのか。
「お友達って言うのは周りを気にしての比喩表現だと……。ただ、あの手紙には理由がなにも書いていなかったのが気になったんだけど」
「え!? 嘘! あんなに丁寧に書いたのに!」
思わず、さっきまでの敬語口調が吹っ飛んでしまった。
「あ、あの……もし、持っていたらでいいので、あのときの手紙を見させてもらっても」
真琴さんはありがたいことに厳重そうな収納ファイル的なものから手紙を出してくれた。
そんなに大切にしてくれていたなんて……と感激している場合ではなかった。
一度手渡した手紙を再度自分で確認するなんて恥ずかしいことこのうえないんだけど、意を決して、手紙を見ることに。
戸島真琴さま
お世話になります。鴻池静枝です。
お恋人になってくだされば幸いに存じます。
では、失礼いたします。
鴻池静枝拝
なんだこりゃ。われながら今さらに呆れた。
まず、丁寧に書いてあるのか失礼なのかわからない。お友達と書くか恋人と書くか迷った挙句に『お恋人』という聞いたことのない言葉を生み出していた。しかも手紙にしたためるには理由が少なくとも書くものだろうに、これでは走るのが速いから好きとかおもしろいから好きとかの小学生のラブレターの方がマシなのではないか。本当はもっとマシな文章なのかもしれない。
一体誰がこんな手紙を書いたんだ! わたしだ!
「なんてこった……、ペン慣らしに書いたやつを渡していたとは……」
わたしは顔が青くなった。心は黄色信号みたいにチカチカしてる。
「静枝さん、なんでわたしと恋人になりたいと思ったの?」
「え、えっと……今度、本命の手紙持ってきます……」
「今、言って。今、言葉で聞きたい」
「あ、ま、真琴さん、近いでごわす」
もはや、敬語ですらなくなり相撲取りみたいな言葉になってしまった。しかし真琴さんは聞こえなかったのか聞こえないふりをしているのか、一歩も引かず、わたしはベッドへグイグイと追いやられ座らせられてしまった。
ふっ、もう逃げ場は無いようね。わたしの。
「そ、その、じ、実は真琴さんが朝の学校で本を読んでる姿を見たときから……」
よく言われると言っていたお姿を拝見してからわたしは……。
「ずっと好きでした」
言ってしまった。
「本当に純粋な一目惚れなんです!」
真琴さんはわたしの隣にボスっと座ると大笑いをした。
「ふっふふふ……ははははは!」
え、なんか、変なこと言った? わたしは瞬間的にイヤな映像が頭の中で流れた。引っ掛かったな! ドッキリでした! そんなことを言われるかもと一瞬身構えた。
「私も前から静枝さんのこと気になっていたって言ったと思うんだけど、覚えてる?」
「あ、うん! あのとき内心ビックリした!」
「実は静枝さんのこと、仲良くなる前から面白い人だなって思ってたんだ」
まさか、先にターゲットされていたなんて。
「いつから?」
「自販機で間違った飲み物買って飲み切ったあとに怒ってたときとか」
「それ、いつだろう……」
真琴さんはひとり思い出し笑いをしているけど、どうしよう、まったく覚えていない。ひょっとして真琴さん、わたしより鴻池静枝に詳しいんじゃないかな?
「最初に面白い人って思ったのが、そのとき。ふっふふふふ。あと、ノート集めたときに猫の絵が表紙に描いてあったの見たときとか」
なんだか言われっぱなしも癪なので負けず嫌いのわたしは反撃に出た。
「真琴さんだって面白いよ! カバンの中が教科書より小説が多いとか」
「気分によって読みたいものが変わるの」
わたしは眉根を寄せて、指で数えてみた。
「気分? 推理小説、恋愛小説、ホラー小説、あと……官能小説……?」
「学校には持ってきてない!」
官能小説で突っ込まれた。部屋にはあるのね。
「わたしは一目惚れだけど真琴さんの面白いところ含めて、えっと『お恋人』になりたかったの! 今なんかね、前よりも、もっともっと大好き! ほんとうだよ!」
「それじゃ訊くけど『お恋人』って結局、お友達なの? 恋人なの?」
「えっと、オコイビトは……友達一割の恋人九割!」
わたしは断言した。それにしても間の抜けた言葉だな。なんだか古事記とかに出てくるマイナーな神様の名前みたい。……いや。そう思うと結構、いいかも。
恋の神・オコイビトノミコト。雅な感じがして、わるくない。
そんなことを考えていると、真琴さんが安堵のため息をつく声が聞こえた。
「……九割か。うん。なら恋人と宣言して間違いないな。違ったらたいへんだと思った」
長身の小さな胸に手のひらをおくと、真琴さんは男の子みたいな声で滔々と述べた。
「手紙貰ったときね、嬉しかった。恋人って書いてあってどうしようかと思ってたけど、なんだか、静枝さんと一緒にいるの想像するだけでドキドキしたの。ひょっとしたら元々、恋してたのかな。つまり、相思相愛ってことなんだけどね」
そうしそうあい……。その言葉を漢字で変換するのにちょっと時間がかかった。
「えっと、わたしたちは好き同士だったということですね」
思わずため息をついてしまった。いつも一緒だったのに、こんなにすれ違いが起きていたなんて、原因がわたしの手紙であり、でも、あの手紙を渡していなければ、今こうしてふたりでいることもないわけで。
「ね、ねえ。真琴さん、キスってその、わたし以外にもしたことある?」
彼女はからかうでもなくニッと悪戯っ子のような眩しい笑顔をわたしに向けた。
「いや、初めてした。静枝さんの唇……柔らかかったよ」
わたしは唇に手を当て、さっきしたことを思い出して、耳まで真っ赤に染まっていた。
これ以上顔が赤くなるのを覚悟でわたしは真琴さんの首に腕を絡めて、耳元で囁いた。
「真琴さん……もう一回して……」
わたしは絡めてた腕を解き、優しく、両手で真琴さんの顔を挟んで、そして……。
軽く。でも、さっきりよりもゆっくりと唇を重ね合わせた。
「静枝さん、好き」
「わたしも真琴さんのこと好き」
普段使う好きとは違う好きを初めて言葉にした。熱くて、くすぐったくて、恥ずかしくて、消えそうだった。
「静枝さん、心臓ドキドキしてるね」
「真琴さんだって心臓がすごいことになってるよ」
わたしは彼女の顔を見るので精一杯だった。いつもと違う彼女を目に焼き付けたかったのかもしれない。
「静枝さんは元々わたしと付き合いたかったの?」
「じつは……だから『お恋人』って言葉が爆誕しちゃったわけで」
曖昧な態度はいけないということだ。
「ふふ、静枝さん……顔真っ赤……顔真っ赤な静枝さんかわいいね」
真琴さんの言葉が心地いい。このまま、ずっと一緒にいたい。
夜と夕方の境目になっていたので、わたしは帰ることになった。
「じゃあ、学校で」
「うん、またね」
私は親友という感覚を感じたことがなかった。
小学生の頃も中学生の頃も友達は確かにいた。いたけど、必ず薄く壁をつくっていた。壁より先に通した子はいなかった。
……真琴さんを除いては。
家について、わたしは自分の部屋を見回した。
真琴さんの部屋ほど面白くはなかった。
わたしの部屋には机とベッドとすき間だらけの本棚という最低限の家具でとどめていた。
本棚に収まっている数少ない書籍から本を一冊取り出した。
女子校を舞台としたコメディ小説だ。女子校の王子様とかお姫様とかを巡るドタバタコメディ。わたしはこの小説が大好きという理由だけで、女子校に入学を決めていた。
女子校の王子様に憧れていたわけではなかったのに、結果的に、そうなってしまった。
友達になれれば良いと思っていただけだったのに、親友を通り越して恋人になるなんて思ってもいなかった。
わたしは自分のベッドに寝っ転がり、今日のできごとを振り返りつつ、小説を読んで照らし合わせてみた。
「ははは。事実は小説より奇なりって感じ」
王子様を真琴さん、お姫様を自分に当てはめてみたけど、今日、起きたできごとの方が何倍もロマンティックに思えてくる。
小説の王子様が真琴さんに似ているわけではないし、もちろんわたしがお姫様に似ているということもない。
ためしに小さく声に出して読んで見た。
「……『私たちは前世で恋人同士だったんだ!』『やっぱり、そうだったのね!』……か」
何を以てしてやっぱりなのか。改めて読むとツッコミだらけだった。でも、その作品が好きな気持ちは不思議と変わらない。
「学校で真琴さんと今まで通りに接することってできるのかな」
わたしたちは女子校のお姫様でも王子様でもないし、真琴さんと静枝さんなわけで。
真琴さんと笑い合う放課後が私は大好きで、真琴さんと過ごせない休日がむしろ退屈なくらいだった。私は休日でも真琴さんのことを考えていた。
月曜日は何を話そう。図書館に行ったら真琴さんに逢えるかな。本屋さんに行った方が逢えるかもしれない。
もし、真琴さんがこの小説を読んだことがないんだったら今度貸してあげよう。ひょっとすると趣味じゃないかもしれないけど、わたしの好きな本を知って欲しいと思ったから。
そして、わたしは真琴さんが好きな本を貸してもらうんだ。
そういえば、珍しい本がいっぱいあるよと言って誘ってもらったのに本についてはあまり話すことができなかったな。
本棚を少し見たけど、確かに珍しそうなのがいっぱいだったな。どれも女子高生が読むにはあまりにも古かった。今度、お家に招待されたときにいろいろ訊いてみよう。
でも、今日見た映画は素敵だった。また一緒にあの映画を見たいな。次は真琴さん、寝ないと良いな。
嗚呼、学校が待ち遠しい。
真琴さんと放課後でしか一緒になれないのはわたしに友達がいることだった。
まさか、そんな友達から探りを入れられるなんて思いもしなかった。
「ま、真琴さん聞いてください!」
「どうしたの」
「森永さんに探りを入れられました!」
「森永さんって、静枝さんの友達だよね。なんの探りを入れられたの?」
「えっと、わたしと真琴さんて付き合ってるのって」
「思ったよりも直球できたな」
「わたしたちが……その……『C』まで発展してるんじゃないかって……」
それを聞いた真琴さんは少しも慌てず片眉をあげて余裕の嘲笑を浮かべた。
「フン。なんだ、そんなことか。森永さんも無粋だな。こっちは、いつ、どのタイミングで次のステップに発展しようかと丁寧にプランを練ってる最中だってのに」
真琴さんはサラッと言ってるけど、口に出されると結構恥ずかしい。
制服姿で伸びをする真琴さんは美しい。両目を閉じた微笑の横顔も凛々しかった。
いや。今は見とれている場合ではない。
わたしは事の経緯をできるだけ細かく説明した。
「なんか一部の女子が噂してるって。二人はきっとCまでやってるって。それでね、言ってやったの! なんて品の無い噂なの! 一応ここ、腐っても女子校よって! でも、森永さん曰く、女子校だからするんだって。その、真琴さん女子に人気だし」
わたしの再現会話を聞いたあとに、真琴さんは顔に『?』を浮かべていた。
「人気って初めて言われたけど」
そうか、カッコイイは言われなれてても人気ってのはなかったんだ。
「カッコイイって言われている時点で人気なんだよ!」
うーん……と、顎に手を当て真琴さんは神妙な表情になった。これがまた絵になる。
「それにしても、火の無いところに噂って立たないと思うんだけど、一体、誰が噂を立てたんだ?」
「なんか、元々、噂されてたんだって」
「いつから?」
「えっと、一か月前? でも、あのとき、他に誰もいなかったよね」
「手紙の日からってことか。教室にはいなくても、廊下を横切るとか校庭とか反対側の校舎からだったら意外と見られてたのかも……」
「一緒にいたところ見たからって『C』は飛躍しすぎだよ」
噂に憤るわたしとは裏腹に真琴さんは冷静だった。
「放っておけばいいよ。だいたい、他人の恋愛を遠目に眺めて『A』だの『B』だのアルファベット記号で評価を決めるというのが無粋だというのだ。成績の通知表でもあるまいに。せめて『甲乙丙丁』ぐらい和の雅を含めてもらいたいね。いやらしいというか、覗き趣味というか。官能小説の読みすぎなんじゃないの?」
「はあ……」
「もう。『はあ』じゃない。私たちは私たちでしたいようにするし、喧伝することでもないでしょう? だから放っておけばいいの。どうせ、すぐに飽きてやめるんだから。このへんが遊び半分と本気の違いなんだよな。噂がたつ? 後ろ指をさされる? 私たちが孤立する? そんなんで静枝さんと私が遠慮したりギクシャクしたらオコイビトになった意味がないでしょ? ちがうかな? 私は静枝さんを守るためなら誰とでも闘う」
教室の窓から射す西陽に照らされ、きちんとブレザーの襟を但して胸をはり、両手を軽く腰に預けて堂々と持論を述べる真琴さん。
その姿は磨き抜かれたアルテミスの女神像のようだ。いや、アルテミスを信仰した伝説上の女性狩族アマゾネスの闘女と表現したほうが真琴さんには似合うだろうか。
神話はアマゾーンに性別は存在しなかったと説いている。
それならば頼もしい闘士を前にオコイビトのわたしは、何をうろたえているのだろう。 いや。いたんだろう。
「まあ、実は、私も薄々思ってたんだ。こういう障壁はあるだろうってね。私の思うところは、今、いったとおり。だからね……なにも心配しないで」
優しく微笑み、わたしの頬をやさしくなでる。
「うん、そうだね」
わたしは真琴さんのアマゾネス張りの……アマゾネスの演説ってどんなんだ? ……と、思いつつも、心の中で拍手喝采をした。
現実では無音だけど。でも、納得した。そして安心もした。
「ところで『C』についてなんだけどね」
安心した途端に真琴さんの爆弾発言が炸裂した。
「シィーーーーーーって『C』のことでござるか!」
「静枝さんは相撲取りになったり忍者になったり忙しいね」
「違う! わたしは忍者じゃない、侍だ!」
「何を根拠に? 侍だったら『それがし』って言いなさい。『某』って書いてそれがしよ」
「知ってますよ! 某だって、某ぐらい知ってますよ! あと『妾(めかけ)』って書いて『わらわ』って読むんですよね! 真琴さんは知ってましたか!」
「それを教えたの私だよ。そうじゃなくて『C』の話」
「スィー……ですか」
わたしはわざと発音良く言って見せた。
「その、スィーなんだけどさ。どうする? なんなら、今日してみる?」
「え、ここで!」
「いや、違う違う。家、今日、誰もいないし」
「う……」
どうしよう。わたしは大まじめに考えた。
考える人のようになっているわたしに対して真琴さんから提案が出された。
「わかった。じゃあ『C』の話はひとまず棚上げにして、静枝さんは、今夜、私ん家に泊まる。これ、可能? それともNG?」
「それは……可能。むしろ、そうさせてください!」
「じゃあ、今から私の家に行こう」
「あ、着替え持って来てからで良い?」
「あはは。それもそうだね」
わたしは急いで帰宅すると、サッサと私服になり、着替えもちゃんと用意をしてきた。
この前は純白だったけど、今日は、チェックのワンピースにした。
人のお家にお泊り……。親戚の家ぐらいしか経験は無いな……。しかも、年齢が一桁の頃のことだ。
まさか高校生で恋人の家に泊まる日が来るなんて、思いもしなかった。
と、考えている間に真琴さんの家に到着していた。
意外なことにわたしの家と真琴さんの家は近かったのだ。
「静枝さん、いらっしゃい」
当たり前だけど真琴さんも私服に着替えていた。ジーンズにTシャツというシンプルさだ。そのシンプルな着こなしが真琴さんらしい。
「ご飯食べて、お風呂入って、映画見るっていうのが今日の予定ね」
「うん。良いよ」
「じゃあ、私の部屋に荷物置いてきちゃって、私、ご飯の準備してるから」
「うん」
わたしはまるで借りてきた猫状態になっている。自分でも、よくないのはわかってるけど、なかなか緊張がほぐれない。ご飯食べればほぐれるかな。
「今日のご飯はチャーハンなんだ。静枝さんチャーハン好きだよね」
「チャーハン……好き」
一回も言ったことないけどチャーハンは好き。
前と同じように真琴さんが料理している姿をジッと見つめた。
包丁のトントントンという音がリズムよく聴こえてくる。そして、ここで華麗なフライパンさばきを繰り出した! ……なんて。わたしは料理の実況には向かないみたいだ。
「ハイ。できた」
そういって笑顔の真琴さんが差し出したお皿には、お茶碗で形を整えたらしく、かわいく、ふんわりと丸いお山のようなチャーハンが盛り付けられている。
「おー。美味しそう」
「ふふん。実際、美味しいよ。亡くなったお祖母ちゃんに作り方を習ったんだ。家でチャーハンっていったら昔から、これ。バンパクチャーハンっていうんだって」
「バンパクって? チャーハンはわかるけど。国の名前かな?」
見るからに美味しそうな丸いお山の形と甘酸っぱい香りを楽しみながら訊くと、真琴さんは悪戯っぽい微笑を浮かべて小首をかしげてみせた。
「私も知らない。どんな字を書くのかもわかんない。お祖母ちゃんの得意料理だから、きっと今は使われてない大昔の言葉なんじゃないかな。さあ。冷めないうちに召し上がれ」
「うん。いただきます! ……わ。これ、美味しい、すごく美味しい!」
「あはは。気に入ってもらえて良かった。戸島流バンパクチャーハンは家庭の味!」
ケチャップのオレンジ色に染まったご飯に黄色い卵焼きと細かく刻んだ鶏ベーコン。程よい加減にグリーンピースが散りばめられたそれは、チャーハンというよりチキンライスに近いもので、子どもの頃にデパートのレストランとかで食べた、お子さまランチのプレートに盛られているアレによく似たものだ。でも、これが家庭料理らしくていい。
それに、お子さまランチなんて食べたくても年齢制限で注文できないのだから、わたしはなんだか得をした気分になってた。
何より真琴さん家の家庭料理を食べたことで家族になれた気がした。
真琴さんがつくっってくれたチャーハンのおかげで少し心がほぐれたみたい。
前のときと同じようにお皿洗いを手伝う。
カチャカチャと片付けの音が聴こえているなか、真琴さんの声が響いた。
「あのときのこと思い出すね」
もちろん、言わなくてもわかる。人妻みたいだった真琴さん。抱きしめるという名のヘッドロックをきめてきた真琴さん。
「ふっふふふふ」
わたしは我慢できず思い出し笑いをしてしまった。
「じゃあ、静枝さん先にお風呂入ってきちゃって、私もあとで入る」
「ふふふ。じゃあ、お言葉に甘えて」
人の家で裸になるのって抵抗があると思っていたけど、意外とそんなこともなく、わたしはゆっくりと湯舟につからせてもらった。
ふと、さっき真琴さんが言っていたことを振り返る。
――私もあとで入る――
……もしも、真琴さんの「あとで入る」という意味がわたしがお風呂から出てからじゃなかったとしたら。
そんなわたしの予感……というか、ほのかな期待は的中した。
「お湯加減どう?」
「え、あ、うん。とってもいいよ」
わたしは意外なことにも落ち着いていた。
想像していたより美しい真琴さんの身体に見とれていたせいだろうか。
真琴さんも自然に身体を洗いだした。わたしが傍らにいるのが当たり前のように。
あんまり見てるのも悪いかな? そう思っても真琴さんの身体から目が離せない。
「真琴さん、綺麗……」
わたしの言葉に気づいたかのように湯舟に真琴さんも入ってくる。
彼女は顔をパシャパシャと洗いながらわたしに微笑んで言った。
「静枝さんも綺麗だよ」
お互いお風呂の中で言葉を交わすことなく見つめ合ったあと、ツンと軽いキスをした。
なんだか自然に笑顔になれた。
「わたし、先に上がるね」
「あ。ドライヤーは棚にあるから使って」
「ありがとう」
ドキドキで胸がどうにかなりそうということもなく、わたしはこんなにも冷静でいられていることに驚いている。
真琴さんの部屋に行き、わたしはこのまえ来たときにじっくり見ることができなかった本棚を見させてもらった。几帳面な真琴さんなだけあって作者名順に並んでいる。
本棚を見ていると真琴さんが培ってきた歴史を見ているみたいだった。
いつから本を読み続けているんだろう。
そういえば今日見る映画ってなんだろうと思い映画棚に目をやった。と、同時にスウェット姿の真琴さんが入ってきた。
「今日は何の映画を見るの?」
「この前と同じやつ」
そう言いながらディスクのセットを始めていた。
「今度は寝ないから」
カーテンを閉め、電気を消した。ふたりで話し合った結果、食後ということもありお菓子は無しということになった。
わたしたちはあの日を再現するかのようにわたしが体育座り、真琴さんは胡坐で座った。
「お姉ちゃんが言ってたんだ。この映画って恋人同士で見るには名作だって」
わたしは大事なことを聞き逃していた。
――これは、お姉ちゃんが……恋人同士で見るには良い名作って――
あのときはよく聞こえなかったけどこう言ってたのか。
いよいよ、あのシーンに差し掛かる。
わたしが感動した、真琴さんが寝てしまった。恋人とのケンカシーン。
クスンクスンとすすり泣く音が隣から聴こえてくる。
真琴さんは寝るどころか泣いていたのだ。
彼女の頬をつたう涙には画面の中の星空が反射してキラキラと光っている。
その星空は大宇宙に広がる銀河の映像だった。
映画がエンディングを迎えたとき彼女は真相を教えてくれた。
「あのとき寝ちゃったのって、静枝さんがいい匂いで、安心して寝ちゃったんだよね。おまけに膝枕までしてもらっちゃってたし……」
「ねえ、この前見たときと印象違うのは、恋人同士で見たからかな」
気が付いたら、わたしも泣いていた。
すると、何を思ったのか真琴さんはスッと立ち上がり、わたしのとなりで服を脱ぎ始めた。スウェットの下にかくれていた小さな胸が眩しい。
ああ。こういうことって、こういうふうになるんだな。うん。いいや、もう。
わたしはわたしなりに覚悟は決まっている。
だから少しも怖くはない。ううん。むしろ嬉しいぐらい。
そんなふうに考えながら、わたしも服を脱ごうとしていると、真琴さんの胸が下着に覆われ、下のスウェットは黒いジーンズにはきかええられようとしている。
……なんなんだ? この展開。予想してたのと違う。
戸惑っているわたしを見下ろしながら着衣を終えた真琴さんがいった。
「静枝さん、上着着て」
「着る? 脱ぐんじゃなくて?」
「ちょっと散歩しよう。この時間は夜風が気持ちいいよ」
「散歩?」
わたしは思わず壁の時計を見やった。午前の二時に近い時間だ。
深夜に散歩。わたしのオコイビトは何を考えているのか。でも。
「……真夜中だよ。大丈夫かな?」
わたしは、一応、訊いてみた。真琴さんの応えは簡単明瞭。
「この町で夜中に歩いてる変質者なんていないよ。いたって私が守ってあげる」
その一言でわたしはコクリと頷いた。
真琴さんが安全だと言ったら、そこは安全なんだ。
それに、それに、真琴さんと一緒なら、わたし、死んでもいい。
いちどだって一緒に死んでもいいなんて思ったことはない。
でも、わたしはそこまで、そんな風に思うほどにまで、真琴さんを好きになっていた。
月明かりがまぶしいほど強く感じた。夜の町はまるで別世界のようだった。
見慣れた場所を歩いているはずなのに、初めて歩く感覚が奇妙で楽しかった。
「ちょっと坂を上るけど良い?」
「良いよ」
思っていたよりも坂は大変だった。軽く汗もかいてきた。でも、彼女が隣にいたからがんばれた。
「よし、ついた」
暗闇に置いた宝石箱のように光り輝くわたしたちの町がそこにはあった。
「夜の町なんて見るの初めて……」
「良いでしょ」
自分が住んでいる町をやっぱり綺麗だと思った。
「映画の余韻が抜けないうちに見ておきたいと思ったの。私もしばらく見ていなかったし」
彼女は周りを見回したあと、顔を近づけた。
わたしは小さく頷いた。
「静枝……目、閉じて」
行為は、ごく自然にはじまっていた。
初めてしたときのように、ゆっくりとやさしく、でも、もっと深く。
「ふぅ……真琴」
お互い意識せずにいつもの呼び方をやめていた。
短い真琴の髪をわけ、愛らしい唇を重ねあわせると緑葉に乗った朝露の珠を舌にのせたように心が和み、果てしなく広がる緑の森林を彷徨い始めるわたし。
痺れるような心地よさに、わたしの意思とは関係なく胸の内を温かい霧が短い間に何度となく過ぎて、また温もりが覆う。
真琴の舌が甘い。真琴もわたしの舌を甘いと思っているのだろうか。
……幸せ。わたし……もう、戻れない。戻りたくない……!
閉じたわたしの瞼からひとすじ熱い涙の粒が流れ落ちた。
「ベッドひとつしかないけど良い? ……静枝」
「うん……真琴」
最後に周りを確認して今度は軽くキスを交わし、わたしたちは手を繋いで帰った。
月日は流れ……というより、あの夜から瞬く間に刻は過ぎて一か月。季節は晩秋。
標高七十メートルの丘陵も、小さいとはいっても山だから鮮やかな紅葉に装いを変え、
校庭や街道脇の銀杏も黄金色に染まる頃。つまり、焼き芋の美味しい季節。
新田ヶ丘の町にも木枯しが吹く。
わたしと真琴は、今日もいつもと変わらない一日を終えた教室の窓から秋の夕陽を眺めている。まだ午後の四時だというのに、窓から射す陽光は室内を橙色に照らしている。
「あと少しで、冬休みか……」
珍しく真琴が落ち込んでいた。
「休みになっていいじゃない」
真琴は唇を尖らせてわたしを見る。
「だって、静枝と学校で会えなくなるし」
普段から休みだろうが学校だろうが会っているのにたかが長期休みくらいで嘆くなんて彼女らしくない。そんなにわたしのことが好きか。そうじゃなきゃイヤだけど。
「うん。大好き」
「え!?」
心を読まれた……。まさか、読心術! 戸島流読心術なのか!?
思わず身を引いたわたしの忍者のような動作が面白かったのか、真琴は笑った。
「ふふ。静枝が考えていることくらいわかるって。それでも、学校で会う静枝が好きなの」
こういうことを照れもせずに言うから真琴はモテるんだよ。わたし以外にも!
「もう、嬉しいこと言ってくれるね! あと、大学のパンフレット届いたけど、家に来る?」
わたしはバンバンではなくポンポンと真琴の背中を叩いた。
「うん、行く。あと勉強しないとね」
真琴もお返しにと言わんばかりにポンポンとわたしの背中を叩いてきた。
「二年後が待ち遠しいね」
お互い、「一緒にいたい」ということでわたしたちは同じ大学に行くことに決めたのだ。
「わたし、最近、間取り見るのが趣味なんだよ。どこに何置こうって考えるだけでワクワクするの」
新婚さんみたいと言いたかったけど、あんまり浮ついてるところを見せるわけにはいかない。いけなくもないけど。
「まだまだ先のことと思いたいけど、中学もあっという間だったから、本当に今の内に考えた方が良いね。お姉ちゃんも言っていたし」
わたしはふと大事なことを思い出した。
「そういえば、今年中に真琴のお姉さんに会ってみたかったな……」
「年末には帰ってくるから、そのときにでも会わせてあげる」
「う……いざ、会うかもと思うと今からでも緊張する」
「私もお姉ちゃんと会うの久しぶり」
「え、それって水入らずなところにわたしが入ったら悪いんじゃ……」
「静枝に会って欲しいし、それにお姉ちゃんも面白くてかわいい静枝に会いたいって言ってた。これ、決定事項ね」
「え! そんなハードル上げないで!」
「モデルの仕事が忙しかっただけに癒しが欲しいんだって」
「お姉さん、モデルだったの!」
むむむ。さらにハードルが上がった気がする。
振り返ってみると真琴の口から何度も「お姉ちゃん」は出てきたけど、何をしているお姉ちゃんとまでは聞いたことがなかった。
あの日からふたりの距離は驚くほどに縮まった。ゼロ距離だ。親しき仲にも礼儀ありというがゼロ距離だ。
そうする内にわかったことがひとつ。クールで凛々しかった真琴はわたしの前だと思ったより、子供っぽいってこと。それに、すごく、甘えん坊だ。
そこそこ深い仲でもまだまだ知らないことがあるし、逆に考えるとこれからたくさん知っていくことができるということだ。
「勉強と読書のペース配分を逆転するの辛いなー」
「あんまり変わってない気がするけど」
「英語の成績を伸ばすために原書を読んだりとか時代小説を増やしたりとか」
「官能小説のレパートリー増やしたりとか」
「してない!」
「嘘だ! この前見たとき増えてたもん!」
「あれは好きな作家の新作がたまたま官能小説だったの!」
「ほほう。真琴の好きな作家たちが同時に官能小説出したっての」
ヒートアップした真琴の顔が耳まで真っ赤になっていく。
夕陽に染まっているのとは明らかに違う。
「もう、静枝なんか……うう、大好きだ! 大好きだ! 大好きだ!」
「わ、わたしなんか真琴のこと、大好きだ! 大好きだ! 大好きだ! 大好きだ!」
わたしの方が真琴より一回多く「大好きだ」と叫んだ。
お互い、肩で息しながら、どちらが最初だったのかふたりで大笑いをした。
いつものように笑いあった後、いつものように一緒に帰った。
役所のスピーカーから流れる時報の音楽が『赤とんぼ』から『たき火』に変わる頃。
夕暮れに映るふたりの影は今日も並んで伸びていた。
夕暮れのシルエット~友達になりたくて手紙を書いて渡したら恋人になった百合話~ シイカ @shiita
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