閑話「職場恋愛は禁止です」

 ネメスを仲間に加え、暫定四人のパーティーとなった魔王討伐任務遂行班。


 早速、本日収集してきた情報の共有をしようかという流れになったのだけれど、「その前に風呂に入って汗を流してこないか」と、ヴィーレが割って提案した。


 照りつける陽の下でずっと歩き回っていたのだ。服はベタベタしているし、臭いも気になるだろうと言う。


 幸い、リーダーの意見に反対者はいなかった。


 全員がヴィーレと近いことを気にしていたようだ。ひとまず解散してから、男女に分かれて宿の大浴場へと向かう。


 ヴィーレはカズヤと二人でまったり風呂を満喫した。


 カズヤから話を聞いたところ、どうやら彼の暮らしていた世界にもこちらと同じように、温泉に入って体を洗ったり休めたりする文化があったらしい。


 他にも、男同士の友情を深めるために背中を洗い合うという、摩訶不思議な風潮があることを教えてもらった。


 興味が湧いたので、ヴィーレも試しにカズヤからやってもらったが、「なんというか、ニホンの文化とは奥深いものだなぁ……」という感想を抱くに終わったみたいだ。


 ちなみに、改めて述べる必要はないかもしれないけれど、カズヤはやはり男であった。







 ――――そうして二人が大浴場から戻り、部屋で雑談を交わしながらくつろいでいると、礼儀正しいノックの後にイズとネメスが入ってきた。


(イズの奴、今まではノックなんかせず扉を開けていたくせに。ネメスの前だからって猫を被っているな)


 そんな思考をしながら、いつもより淑女らしい姿勢で歩いてくる賢者達を眺めるヴィーレ。


 ネメスはイズの部屋着を借りたらしい。


 ぶかぶかなものの、肌触りの良さそうなシャツパジャマを着用していた。火照った細い両腕はズボンがずり落ちないようにしっかりと支えている。


 一瞬、「下着はどうしているのか」なんてゲスい勘繰りがヴィーレの頭をよぎったが、それはすぐにかき消した。


 ネメスの様子を観察するに、イズが色々とケアしておいてくれたようだ。歯磨きや洗濯は勿論だが他にも目立った変化がいくつかある。


 例えば、ボサボサだったネメスの髪は綺麗にとかされていた。


 透き通るような空色が特徴的なイズの髪は、腰くらいまで長さがあるにもかかわらず、男のヴィーレ達から見たって手入れが行き届いているのだろうと推察できる。


 それほど繊細に絶えず気を遣っているのだろう。


 そんな彼女だからこそ、ずっと洗われてすらいなかったネメスの髪の毛を、見違えるほど綺麗にできたのかもしれない。


 現実的な話をすれば、ネメスの頭髪はイズと違って、肩より少し下くらいの長さだから、単純に世話をするのが簡単だっただけかもしれないのだけど。


「イズ、ありがとう」


「えっ?」


 部屋に入るなりヴィーレから感謝されたことに戸惑ったのか、イズは面食らっている。


 けれど、隣で自分と手を繋いでいるネメスの姿を見て得心したらしい。


 彼女はフッとニヒルに笑うと、片のまぶたを閉じたまま、らしく謙遜してみせた。


「あぁ、この子のこと? 私が勝手に焼いたお節介よ。礼なんていらないわ。女の子なんだから、洗髪や歯磨きくらいちゃんとしてあげないとね」


「ありがとうございます、イズさん。こんなに綺麗にしてもらって……。わたし、感激です!」


「いいのよ、ネメス。ただね、清潔感は欠かしちゃいけないわ。人は見た目通りの人生を送るものなんだから」


 ネメスに尊敬の念を向けられたイズは、あからさまに演技がかった態度でそう答えた。


 普段ならこれでもかというほど調子に乗るところなのだが、やはり猫を被っているようで、謙虚なデキる女を演じている。


 どうせすぐに化けの皮が剥がれるだろう。


「いいや。違うよ」


 ヴィーレは敢えて彼女の本性を暴露せず、首を横に振って、先ほど返されたイズの言を否定した。


「俺が礼を述べたのは、その事に対してだけじゃない。ネメスの怪我についてもだ」


 話しながら、彼はベッドの上に胡座あぐらをかく。


「お前が彼女の傷を治療してくれたんだろ? 火炎の呪文パイロキネシス氷雪の呪文フローズンスノウに続く三つ目の能力、『回復の呪文ヒーリング』を使って」


 ヴィーレの言うとおり、ネメスの頭や腕につけられた傷や痣は、その全てが跡形もなく消滅していた。


 つい三十分前にこの部屋で別れるまでは間違いなく存在していたのに、である。


「そうなんです。イズさんのおかげで痛かったのが嘘みたいに消えちゃいました!」


 どうやら正解だったらしい。


 ネメスが大仰おおぎょうな身振りを交えて説明してくれた。


 恐らく、脱衣室で裸になった際、イズはネメスの負傷が思っていた以上に深刻であることに気付いたのだろう。


 そして、彼女の呪文で魔力による回復処置を施したのだ。


(魔物に襲われた人々を救出した後も役に立ったが、本当に引く手数多あまたな能力だよな……。ここまで才能に差があると羨望を通り越していっそ妬ましい)


 一つくらい分けてくれてもいいのにと、叶わぬ願いを抱きながら、神を恨めしく呪いながら、ジト目でイズを睨むヴィーレ。


 すると、何故か彼女とバッチリ顔が合った。


 イズは冷ややかな色の両目から、生暖かい視線を飛ばしてきている。


「……あんた、やたらと注意深くネメスを観察しているのね。もしかして、ロリコ――――」


「そういう単語を子どもの前で口にするんじゃありません」


 相手の台詞を咄嗟に遮ったヴィーレ。ところが、焦りのあまり思わず敬語が出てしまう。


 これは教育によろしくないという瞬時の判断が紡いだファインプレイだった。


(そして心の中で断っておくが、俺は決してロリコンなどではない。決して)


 ヴィーレは誰も聞いていないのに心中で一人言い訳をしていた。


 よほど不名誉だったと見える。


 危ういところだったけれど、先の会話はどうやらネメスに聞こえていなかったみたいだ。


 頭の上に???ハテナマークを浮かべ、首を傾げている。


「性癖を表す単語があるということは、こっちの世界にも、そういう人ってやっぱり存在するんだね……」


 隣で一連のやり取りを聞いていたカズヤが戦慄したような表情をして呟く。


 異世界との新しい接点が発見された瞬間だった。『特殊な偏向を持つ者は必ず現れる』というだけの悲しい事実でしかないが。


 と、そこで、お姉さんの威厳を被り直したイズが話題の舵を横へ切った。


「念のため釘を刺しておくけど、『職場恋愛』は認めないわよ」


「自分がプライベートでも恋愛できないからか?」


「……私達が行うのは、人類の命運を分ける重大な作戦であって、断じてピクニックなんかではないということを忘れずに」


「重大な作戦に紅茶セットを持ってきている大賢者様がいたような……」


「ちょっとそこの芋くさい勇者は後でじっくり話しましょうね。私に構ってほしいんでしょう? ちょうど二人きりで語らいたい気分になってきたわ。あんたの心が折れるまで」


「カズヤ、助けてくれ。ちょっと小突いてみただけなのに、反撃で俺のクビが飛ばされるかもしれない」


「物理的に飛ばされないことを祈ろう……!」


 カズヤのフォローにもなっていない励ましを受けながら、彼の背中に隠れるヴィーレ。


 しかし、イズの執念深い追い討ちは止まらず、さらに勇者へ襲いかかる。


「安心しなさい。私は加減を間違えても傷を塞いでしまえるから。あとを残さないでおいてあげるわ」


「カズヤ、助けてくれ。俺の職場がブラックすぎる」


無職無色よりはマシだと思い込もう……!」


 イズは圧制的に振る舞い、ヴィーレが救援を求め、カズヤはそれをやんわりと突き放す。


 そして、一部始終をネメスがオロオロと見守っている。


 非日常にあるまじき緩やかな時間は、作戦会議が始まるまで、しばらく止むことはなかった。

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