剥がれゆく雀
エリー.ファー
剥がれゆく雀
雀のように生きた女性だったと聞いている。余計なことは余り、聞かせてはもらえなかった。
ありふれた人のように生き、どこで死んでも分からないような名前で呼ばれ、誰よりも嘘を知らない純粋な人であろうとして。
彼女のことを余りにも知らない。
唯一、知っているのは、このままでは彼女の名に恥じぬ行為など到底できない、ということ。
そのためにも、あたしは強くあろうとした。ほんの少しであったとしても、大切にしておきたい事柄というのが世の中にはあって、それを大事に大事に抱えている、という事なのだと思う。
あたしにとってのあの人が、恋人でありながら、軍部における先輩であり、愛すべき戦友であったことも大切な思い出の一つとなっている。
けれど。
間もなく。
間もなくなのだ。
あたしの記憶は消されてしまう。
それが、あたしがこの軍部にいることで、最後に課せられた任務だった。
このまま情報を外に持ち出すことは不可能だ。ありふれた言葉では表現しきれない、思いを心の中に抱えたまま、生きていくのも不可能だ。ある意味では、これは正しいのかもしれない。外部からの刺激によって結局のところ、あたしは自分自身の身の振り方というものを一つ一つ大切にしていきたいと思えるようになったのだ。
単純だ。
この記憶が。
この、今から消されてしまう記憶が宝物になったのだ。
ただの血なまぐさく、土臭く、そして死臭の漂う記憶ではない。
かけがえのない人、つまりは先輩との永遠の時間になったのだ。
これを抱えたまま死ねればどんなに楽なのか、そう思えるほどの時間になったのだ。
あたしは幸せだ。
記憶を消されても幸せだ。
ひげを生やした背の高い上官が、あたしに近づいてくる。
「最後に言い残す言葉はあるか。」
「いえ、ありません。」
「そうか。」
「はい。」
「いや、このような任務を課してしまったことについては本当にすまないと思っている。」
「いえ。」
「本当であれば、国家のためにここまで死力を尽くした人間をこのような形で送り出す、というのは不本意そのものだ。」
「しかし、それを分かったうえで、この部隊に志願いたしました。何の問題もございません。」
「そうか。」
「はい。」
「立派だな。」
「立派であれ、と教えたのは上官であります。」
「そうか。そうだったな。すまない。本当にすまない。私に、私に権力があればお前を、こんなこと罰を負わせて外に出すなんてことはさせないというのに。何故、何故。」
「自分は幸せでありました。」
「あぁ。そうだろう。幸せになってくれ。」
「はい。」
静かに時間は流れた。
記憶は消される。
何もかも、視界が見えなくなる。
眼前には、白い花びらの桜の木が映った。
脳がスパークする。何も考えられなくなっていく。寂しさだけが如実に顔を覗かせて、そのまま光の中に体が入る。不思議なもので、体温が上がっていく感じがして、しかも、手足の感覚も同時になくなっていくような気がした。
これは、本当に記憶をなくしているのか。
それとも。
単純に脳内に電磁波を流されて、安楽死させられているのか。
軍の機密情報を外に漏洩させない方法はこの二つしかない。
結局、どちらであってももう変えられないし、変わらない。
どうせなら。
どうせなら。
ただ押し込み強盗にあって殺されただけだ、という風に装って死んだ。
街中で起きるありふれた死因であるかのように、この世を去った。
どこにでもいるような。
あの雀のような先輩のように死にたかった。
あぁ。
死因くらいは一緒でいたかった。
剥がれゆく雀 エリー.ファー @eri-far-
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