第289話 "ネームド"の帰還


『ボクの迷宮に、こんなにムジェリが居たの?』


 マーブル主神が、円形の闘技場の観覧席、その最前列から場内を見下ろして呟いた。


 城壁のように聳える石壁に沿って、異界から渡って来たマージャ、そしてムジェリがずらりと並んで立っていた。その数は千を下るまい。ムジェリは、今もなお転移をして数を増やし続けている。


『始原のマージャ・・大きくなった』


 バローサ大将軍が、巨大なマージャを眺めながら呟いた。2体の巨大マージャだけは、観覧席の上に頭が覗いていた。


『何だか申し訳無いね。うちの使徒君が無茶をするもんだから・・』


 マーブル主神が申し訳なさそうに頭を掻いた。


『いえ、事情は陛下から伺いました。状況をよく分析すれば、使徒殿の発案は的を射たもの。他に手はありますまい』


『はは・・まあ、ほら・・ぶっちゃけ、あの子が暴発したら世界が終わっちゃうからね』


『なぜ、今になって、使徒殿のレベルを上げたのですか?』


 バローサ大将軍が不思議そうにマーブル主神の顔を見つめた。


『う・・い、いやぁ、なんて言うか・・まあ、彼の正当な権利だったし? 彼も望んでいたみたいだったからさ』


『・・なるほど』


 呟いて、バローサ大将軍が場内へ視線を戻した。


『そろそろのようですね。不測の事態に備え、私は陛下の元へ戻ります』


『ああ・・闇ちゃん、ボク達も席に戻ろう』


 マーブル主神が寄り添っている輪廻の女神を見た。


『ええ、神様・・使徒シュンの気配が濃くなっています。そろそろですわ』


 輪廻の女神が眼の端で場内を流し見ながら、マーブル主神の背に手を回すと宙を舞って観覧席の上段へと移動した。


『デミア、そこに居ては前が見えませんよ』


 死の国の女王が不平を鳴らす、目の前でデミアが魔法の防護壁を出現させて衝撃に備えている。


『いざとなれば、即時御帰還を!』


 デミアが厳しい表情で身構えている。


『カーミュが一緒なのです。大丈夫でしょう?』


『あの子は宿主のシュンを盲信し過ぎています』


 デミアが頭を振った。


『あら、あの使徒を信頼しているのはカーミュだけではありませんよ? 私も信じています』


 死の国の女神が微笑した。


『・・陛下?』


『デミア、楽にしろ』


 穏やかな声を掛けて近付いて来たのは、バローサ大将軍だった。


『もう、どうにもならん』


『将軍?』


 デミアの眼が尖る。


『よく分かっているではありませんか。さすがはバローサ』


 死の国の女王が気安く声を掛けながら、先日、カーミュが持参した酒入りのチョコレートを取り出して口に入れた。


『将軍っ!』


 デミアが食ってかかる。

 その時、いきなり空が明るくなった。


『あら、光壁ですね。綺麗だこと』


 次の包みへ指を伸ばした女王を庇って、デミアが防護壁を拡げて前に出た。


『・・え?』


 眼の前に、黄金色に輝く巨大な光壁がそびえていた。


『こ、これは・・多重の光壁オーロラガード・・いったい何重に重ねたというのだ』


 デミアが呆然と呟いた。


 瞬間、


「とうっ!」


「待たせたね、ムーちゃん!」


 元気な掛け声と共に、場内中央にユアとユナが現れた。やや遅れて、サヤリも出現する。


『むっ!』


 デミアが再び緊張する。ユアとユナが現れただけで、光壁が激しく揺らぎ、幾重もの光壁が破砕し始めていた。


「ボッスぅ~」


「ムーちゃん、揃ったよぉ~」


 2人が大きな声を出し、何処かに向かって手を振る。

 それにより、光壁が激しく震動して崩壊を始めた。


『へ、陛下っ!』


 デミアが女王を護ろうとして両手を拡げた。

 光壁が消え去る寸前、


「聖なる楯っ!」


多重光壁オーロラガードっ!」


 ユアがEX技を使用し、ユナが光壁を張り直した。


「ボッス、招来っ!」


「ボッス、召喚っ!」


 2人が全身から神聖光を噴き上げながら叫んだ。

 直後、場内中央に、シュンが瞬間移動をして現れた。途端、場の視界全体が歪み、闘技場が揺れ始める。

 現れた余波だけで死の国の"舞台"が悲鳴を上げている。



 ギシィィィィーー・・



 展張された"聖なる楯"が衝撃を受けて硬質なきしみ音を鳴らした。


「急ぎ、始めましょう!」


 グラーレが声を掛けた。


「ムーちゃん!」


「やっちゃってぇ!」


 ユアとユナが場内を取り囲むラージャ、ムジェリに向かって右手を突き出した。


「やるね!」


「任せるね!」


「気合いね!」


「いっぱい吸うね!」


 マージャとムジェリ達が揃って右手を突き上げた。


 間を置かず、ムジェリ達の体が虹色に色を変じて輝き始める。


 シュンが、ただそこに居るだけで空間がきしみ歪む・・。


 場内中央に立ち尽くすシュンの周囲で、ユアとユナの神聖光を噴き上げて、全力で光壁を展張し続けていた。


「むあぁ・・ムーちゃん、気合い出す!」


「ぬうぅ・・ムーちゃん、根性見せる!」


 ユアとユナがレベル吸収をしているムジェリ達に声を掛ける。


 ユアのEX技"聖なる楯"が破砕寸前まで追い込まれている。シュンは指一本動かさず、眼を閉じて静かに呼吸を繰り返しているだけだというのに・・。


「むぅ・・我らがボッスは化け物か!」


「ぬぅ・・我らがボッスは破壊神か!」


 ユアとユナが渾身の神聖力で、シュンの総身から溢れ出る波動を押しとどめようと踏ん張っている。なんとか、その場に踏み留まろうとしているサヤリも、じりじりと圧されて中央のシュンから離されていた。


 その時、壁際に並んで吸収をやっていたムジェリが、突如として膨らみ始めた。

 一体だけでは無い。

 次から次に、マージャやムジェリ達が膨張して巨大になっていく。


『闇ちゃん・・どうなった?』


 輪廻の女神の後ろから、マーブル主神がそっと顔を覗かせた。


『大丈夫そうですよ』


『へっ? そうなの? って、なにあれ?』


 マーブル主神の眼が丸くなった。

 闘技場を囲む壁を越える背丈の巨大ムジェリがずらりと並んでいた。どのムジェリも激しく体色を明滅させ、色を変えている。


「どうやら、危機は去りましたな」


 オグノーズホーンが静かに告げた。


『い、いや・・どっちかって言うと、ムジェリがヤバいんじゃ? あれって災害確定だよね? ムジェリって災害種だからね? だから、隔離してたんだからね?』


 マーブル主神の顔から血の気が消え去る。


『神様、使徒シュンが安定してきましたわ』


 輪廻の女神が安堵の表情でマーブル主神を見た。


『う、うん・・』


 真っ青な顔をしたマーブル主神が見つめる先でユアの"聖なる楯"が消え去り、幾重にも展張された光壁が薄れて消え始めた。


『レベル95・・』


『えっ? 神様?』


『彼のレベルさ。95になってる・・ちゃんと下がったよ』


 マーブル主神が眼を大きく見開いて、場内のシュンを見つめていた。


「さすがに元の通りとはいきませんでしたな」


 マーブル主神と輪廻の女神を庇う位置まで出ていたオグノーズホーンが、微笑を浮かべながら後方へと下がって行った。


『デミアも楽になさい』


 死の国の女王がチョコレートの詰まった小箱をデミアに向けて差し出した。


『・・頂戴します』


 酒のボトルを模しただろう金色の包みを一つ摘まみ、デミアは女王の背後へと位置を移した。


 ひとまず危機は去った。


 闘技場の結界が無事で済む保障は無いが、漏れ出る余波程度なら、都度結界を張り直し、防護魔法を巡らせば対処可能である。


「ボッス、作戦成功であります」


「ミッションコンプリートであります」


 ユアとユナ、座り込んでいたサヤリが立ち上がって、シュンの周囲に集まる。


「なんとか、切り抜けたな」


 シュンはゆっくりと眼を開いた。


「サヤリ・・」


「はい」


「リールの様子を見に行ってくれ。例によって震えているだろう」


 リールだけは、レベルが1780のままでも世界に支障が出ない。世界の許容範囲内なのである。

 マージャやムジェリが大量に集まった闘技場に連れて来ても白目を剥いて失神するだけなので、先にエスクードのホームに帰してあった。


「承知致しました」


 サヤリが柔らかく身を折って一礼すると、エスクードへ転移して行った。


「さて・・どれが、パパだ?」


 礼を言わなければならないが・・。

 シュンは壁際にぐるりと並んで輝いている巨大なマージャ、ムジェリ達を見回した。


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