第268話 ヒャッハァーー!


『ヒャッハァーー・・』


 奇声をあげて飛び上がろうとするマーブル主神を、輪廻の女神が抱きしめて引き留める。


『オグ爺っ! これはどうなったの?』


「さてな・・奇妙な事になっているようだが?」


 オグノーズホーンが首を傾げた。


「そのまま・・動かさないように抱えておいて下さい」


 不意に、シュンの声が掛けられた。


「ぁ・・シュンさん」


 ユアナが、膝の上のシュンを覗き込んだ。


「今、戻った」


 シュンは身を起こしながら、ゆっくりと立ち上がった。その背を、ユアナが抱えるようにして支える。


『使徒シュン! これはどうなっているの? 神様は大丈夫なの?』


 輪廻の女神が、奇声をあげて跳びはねそうなマーブル主神を抱えたまま訊ねた。


「大丈夫です。少し魂が混濁しているだけで・・じきに戻ります。しっかりと捉まえておいて下さい」


『・・分かったわ。もう大丈夫なのね?』


「はい。潜り込んでいたゾウノードは処分しました」


「霊魂の傷はどうした? どうやって治したのだ? まるで毀損きそんしていないようだが?」


 オグノーズホーンが不思議そうに訊ねる。


「専門家が修復しました」


「専門家?」


「カーミュ」


『はいです』


 シュンに呼ばれて、白翼の美少年が浮かび上がった。


「おう・・その者が霊魂を?」


『綺麗に治したのです』


 カーミュが胸を張る。


『神様は大丈夫なの? なんだか、変な事を言っているのよ?』


『大丈夫なのです。ちょっと、混乱してるです。しばらく、そのままで待つのです』


『そうなの? 分かったわ』


 輪廻の女神が少し安堵した様子で、マーブル主神を抱きしめた。


「シュンさん、お疲れ様・・怪我とかしてない?」


 ユアナが、シュンに継続回復の魔法を掛けながら訊ねた。


「俺は大丈夫だが・・」


 シュンは、ちらとマーブル主神を見た。


『ヒャッハァーー』


 マーブル主神が、シュン達を見ながら奇声を放った。まだ瞳の焦点が合っていないようだが、シュンに対して何かを言いたそうだ。


「・・お元気そうで何よりです」


 シュンは苦笑した。


「あれって、シュンさんの?」


 ユアナが囁く。


「ゴーストを使って、薬を散布した時に・・少し影響を与えたのかも知れない」


「あの幽霊、ちゃんと仕事できるんだ」


「ああ、文句も言わずに働いてくれた。少し五月蠅かったが・・」


 技を使用する度に、一斉に叫ぶのだ。実に賑やかな幽霊ゴースト達だった。ただ、シュンの指示には忠実に従い、霊魂の隅から隅まで巡って秘薬を撒いてくれた。

 見た目こそ頭の良くない冒険者崩れのようだったが、思いの外、役に立つ幽霊ゴースト達だった。


「ゾウノードはどうなったの?」


「消滅させた。ちゃんと死の国へ旅立ったそうだ」


 シュンは傍に浮かんでいるカーミュを見た。


『逮捕なのです』


 カーミュが笑って見せる。


『たいほぉ~?』


 聞きつけたマリンが姿を現し、するするとシュンの襟元へ巻き付く。


「重かったろう? 膝は大丈夫か?」


 シュンはユアナを見た。


「えっ? あぁ・・うん、平気」


 ユアナが、少し耳の辺りを赤くしながら首を振った。


「ゾウノードを仕留めるまでは簡単だったが、毒の処理に手間取った」


「大丈夫。平気よ、あのくらい」


「そうか?」


「うん、まったく問題無し。何時間だって出来るわ」


「そうか。なら、またお願いしよう」


「・・えっ?」


「とても心地良かった」


 シュンは、素直な感想を口にした。


「ぁ・・うん・・いつでも良いよ」


 ユアナが、赤い顔で言って俯いた。


『良いわね・・何だか良いわ』


 2人の様子を輪廻の女神がじっと見ていた。


「若さというやつだな」


 オグノーズホーンが笑みを浮かべる。


「霊法が役に立ちました。感謝します」


 シュンは、オグノーズホーンに頭を下げた。


「なんの、儂は手解きをしたまでだ。それに・・お主のあれは、すでに霊法の枠を超えておったぞ」


 オグノーズホーンが苦笑した。


「くどいようだが・・主殿の霊魂はもう大丈夫なのだな?」


「はい。この・・カーミュが綺麗に治療してくれました」


 シュンは白翼の美少年を見た。


「そうか・・我らの失態を尻拭いさせてしまった事を謝罪する。そして、主殿のお命を救ってくれた事を感謝する」


 オグノーズホーンが頭を下げた。


『使徒シュン。私は褒美をあげないといけないわ。何が良いかしら? でも、何でも持っているのよね? 神籍に入る?』


 輪廻の女神がマーブル主神を抱いたまま訊ねた。


「願う事はあります。ただ、これを申し上げると、気分を悪くされるかも知れません」


 シュンは、穏やかな笑みを浮かべて女神とオグノーズホーンを見た。


「ほう? むしろ、それは興味深いな。全てを手に入れられる力を持つ身で、いったい何を希望するというのだ?」


 オグノーズホーンが興味深げに訊いた。


『使徒シュン、私はとても感謝をしているの。どんな事を望まれても腹を立てたりしないわ。好きなように、言ってご覧なさい』


 輪廻の女神が鷹揚に言った。


「・・そうですね。主神様がお目覚めになってからと思っていましたが」


 シュンは、マーブル主神を見た。

 先ほどまで奇声をあげていたが、今は静かになって眼を閉じていた。その様子をじっと見つめてから、シュンは輪廻の女神に視線を戻した。


「では、無礼を承知で申し上げます」


 シュンは一呼吸置いた。


「ふむ?」


『何を?』


「女神様には、主神様との子作りに励んで頂きたい」


 輪廻の女神を見つめたまま、シュンは静かな口調で言った。



「む・・」



 オグノーズホーンが軽く息を飲み。 



『まあっ!』



 輪廻の女神が華やいだ声を上げ、



 ぶふぁぁーー・・



 昏睡しているはずのマーブル主神が、おかしな呼気を漏らした。



「ご存知の通り、ほぼ全ての神々を討伐致しました。神界はがらがらで寂しい限りです。だからと言って、叛逆した神々を甦らせても、また争乱の種を蒔くようなものです。時間がかかる事であるのは重々承知しています。無理なお願いである事も理解しています。しかし、主神様と女神様にしか出来ないことなのです」


 シュンは、輪廻の女神を見ながら言った。


「将来、主神様と女神様のお子様が神界を賑やかにして下されば、この神界は甦ります。新しい神々の世が到来します。想像して下さい。主神様と女神様、そしてお子様達で賑わう神界の様子を・・とても素晴らしい未来ではありませんか。そして、それは、実現できる未来ではありませんか?」


『あぁぁぁ・・使徒シュン! 何と素晴らしいの! あなたは天才よ! 正しく救世の使徒よ!』


 輪廻の女神が感動に打ち震えながら、たかぶる激情のままにマーブル主神を抱きしめた。


 マーブル主神が眼を閉じたまま、土気色をした顔に脂汗を滲ませている。


「ふうむ、妙案、ここに極まれり・・だな。儂も、その案には賛成だ。他に、神界復興の良案は無いだろう」


 オグノーズホーンが唸った。


「つきましては、婚姻の儀を執り行いたいと思いますが、如何でしょう?」


 シュンの申し出に、輪廻の女神が大きく眼を見開いた。


『こ、婚姻の?』


「せっかく、アリテシア様を祀る神殿があるのです。神殿に神域を設けて、主神様と女神様が晴れやかな御姿を見せくだされば、この争乱の世に疲れた地上の者達の気持ちを和ませ、生きる希望が湧き起こる事でしょう」


『素晴らしいわ! 凄い妙案よ! 使徒シュン! 直ちに準備に取り掛かりなさい! あぁっ・・でも、その前に、神様のお許しを・・お気持ちを確かめないと! 神様、まだ起きて下さらないのかしら?』


 輪廻の女神が、固まったように動かないマーブル主神の顔を見た。


「闇が、どれほど慕い尽くしてきたか、儂も良く見ておる。主殿には儂からも話してみよう。なに、主殿も憎からず思っているはずだ」


 オグノーズホーンが言った。


『オグ爺・・』


 輪廻の女神が、感動で泣き出しそうな顔を向けた。


「婚姻の儀を執り行うことは決定事項として、日取りなどは我々で決めてしまっても宜しいですか?」


 シュンは話を進めた。


『え・・と、そうね。任せます。そういうのは初めてですし・・ああ、でも、もし神様が反対なさったら』


「大丈夫です」


 シュンは、きっぱりと断言した。


『そう? でも、神様のお気持ちは・・』


「ユアナ」


 シュンは、かたわらで準備をしていたユアナに声を掛けた。



『闇ちゃん、大好きだよ!』



『闇ちゃん、愛してる!』



『闇ちゃん、戻って来て!』



『愛してるよ、おまえ・・』



 ユアナの手元で、マーブル主神の声が大音量で響き渡った。


「これ以上、明確な言葉が必要でしょうか?」


 シュンは、輪廻の女神を見た。


『あぁぁぁぁぁ・・・・いいえ! いいえっ! 私が間違っておりました! 不心得でした! これほど想って頂いている身でありながら、まだお言葉を求めてしまうなんて・・恥じ入るばかりです! 闇は・・私は、神様の妻になります!』


 輪廻の女神が燃えるような面持ちで宣言した。


 その細い腕に抱き潰されながら、


『ヒャッハーー』


 マーブル主神が真っ青な顔で声を振り絞った。


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