第241話 女神の抱擁


 神界から帰ったシュンとユアナは、そのままムジェリの里へ直行し、作って貰いたい魔導具と、人力で動く道具の相談をした。

 対価は山のようにある。

 ムジェリ達は大喜びで製作を手伝ってくれた。

 今回は任せっきりにせず、打合せにシュンも加わった。

 仕組みそのものは難しく無い、いかに少量の魔力で大きな効果を生むか・・ぎりぎりまで議論をして設定を煮詰めていった。


 5つの魔導具と、人力で作動する道具2つが完成した。

 想定通りなら、魔導具3つ、人力作動の道具1つで足りるはずだ。

 必要な道具としては、これで整った。

 だが、この魔導具単体では、本来の目的を達成できない。この仕上げで、これからの救出作戦の全てが決すると言って良い。



『・・ええと?』


 戸惑い顔で、マーブル主神がユアナを見る。

 マーブル主神が部屋の中央に立たされ、胴衣チョッキを着せられている。


「動かないで下さい」


 ユアナが沢山ある留め具を丁寧に掛け、さらに腰紐を絞る。


『その・・なんだいこれ?』


 マーブル主神が不安そうにユアナに訊ねる。


「保護具ですよ」


 ユアナが優しく微笑んだ。


『いや・・なんで、ボクが? 保護具とか、シュン君が着けた方が良いでしょ?』


「大丈夫です」


『何が大丈夫? あれ? ボク、何かやらされるの?』


 狼狽うろたえるマーブル主神の胸元に、円形の魔導具が取り付けられる。


『へっ? こ、こんなの言うの? さすがに恥ずかしいんだけど?』


 マーブル主神が声をあげて仰け反った。


「感情をたっぷり込めて、大きな声でお願いしますね」


 横で、ユアナが台本を手に笑顔で説得をしている。


 後ろでは、シュンがオグノーズホーンを相手に作戦の流れを説明していた。


「・・2、3秒ほど向こうの世界に入って頂きますが、即座に引き上げます」


「ふむ・・その紐は?」


 オグノーズホーンが指さしたのは、シュンが取り出して手に握っている紐の束だった。マリンの霊糸をって作った特殊な紐だ。


「細いな」


「ですが・・引き千切るのは容易ではありません。刃物で切るのは簡単ですが・・」


「ほう・・?」


 オグノーズホーンがシュンの差し出す紐を両手に握り、試しに引っ張ってみる。わずかに伸びたが、切れる感じはしない。


「・・むっ!」


 今度はさらに力を込めて引っ張った。


「ほう・・」


 オグノーズホーンが感心したように唸った。まだ紐は切れなかった。


「・・切って良いのか?」


「どうぞ」


 シュンは頷いた。


 直後、


 バチッ・・


 小さく破断音が鳴って、紐が引き千切られた。


「強いな、これは・・」


 オグノーズホーンが呆れた口調で唸る。


「巨龍を100頭吊り下げても問題無く耐えられます」


 シュンが新しく紐を取り出しながら言った。


「これならば・・そうであろう」


「これを命綱にして繋いでおけば、虚空に耐えられると思います」


「うむ。これならば大丈夫であろう」


 オグノーズホーンが大きく頷いた。



 その時、



『闇ちゃん、大好きだよ!』



『闇ちゃん、愛してる!』



『闇ちゃん、戻って来て!』



『あ・・愛してるよ、おまえ!』



 マーブル主神が大きな声で叫び始めた。


「最後のは、ちょっと声が小さくなりました。もう一度お願いします。できるだけ、感情を込めて下さいね」


 ユアナが台本を見ながら要求する。



『愛してるよ、おまえ!』


 マーブル主神がやけくそ気味に言い直した。


「もう少し心を込めて」


『愛してるよ、おまえ!』


「良いですね!」


 ユアナが笑顔で手を叩く。



「あれは、何が始まったのだ?」


 オグノーズホーンが呆気に取られた顔でシュンに訊ねる。


「魔導の蓄音装置です。今の声を記録したものを、向こうの空間内で大音量で流します」


「ふむ・・」


「輪廻の女神様であれば、どのような状況下であろうと、必ず大きな反応を示し・・音源めがけて飛んで来るでしょう」


 輪廻の女神なら、マーブル主神の声を聞き逃すはずが無い。例え、特殊な空間内で弱っていたとしても。


「・・なるほど」


 オグノーズホーンが頷いた。


「良さそうな作戦だな」



『闇ちゃん、愛してるよ!』


 マーブル主神の声が響いた。慣れてきたのか、かなり感情表現が上手くなっている。


「いけそうですね」


 シュンは、演技指導をしているユアナを見た。

 視線に気づいたユアナがシュンを見て小さく頷いて見せる。納得の成果が得られたようだ。


「では、主神様の目の前に空間を開いて下さい。魔導装置を放り込みます」


「分かった」


 オグノーズホーンが頷いてマーブル主神に近づいた。

 シュンは、った霊糸の合成糸を手に、マーブル主神の横に並んだ。


『あ、もう良いの?』


 演技に熱中していたマーブル主神が、我に返った顔でシュンとオグノーズホーンを見る。


「始めましょう。輪廻の女神様を救出します」


『お、おう?・・あれ? 何をするんだっけ?』


「全てお任せ下さい」


『・・君はこういうの着けないの?』


 マーブル主神が、自分が着せられた胴衣チョッキを指さした。


「不要です」


『そうなの?』


 マーブル主神がオグノーズホーンを見た。


「要らぬでしょう」


『そうなんだ。ああ、蓄音した恥ずかしい声を虚空で鳴らすんだっけ?』


「とても素敵です。女神様は必ず来て下さいます」


 ユアナが魔導具を手に微笑する。


「では、裂くぞ?」


 オグノーズホーンが訪ねる。


「お願いします」


 シュンはオグノーズホーンを見つめた。

 霊気が身の内側だけで膨れ上がり、オグノーズホーンの両手へ集まっていく。そう見えた直後、オグノーズホーンが無造作に両手を伸ばすと、何もない場所を掴んで左右へ引き裂いた。


 何も無かったはずの場所が、縦に大きく裂けて人が通れるほどの黒々とした闇が出現する。


 シュンとユアナが魔導装置を放り込んだ。こちらには聞こえないが、向こうの空間では盛大にマーブル主神の声が響いている筈だ。



「輪廻の女神様です」


 シュンはマーブル主神を見た。


『へ? ど、何処に? 闇ちゃんが来たの?』


 マーブル主神が、背伸びをするようにして、薄気味悪い闇色の裂け目に眼を凝らす。


 その背中に付いている留め金の1つへ、シュンは握っていた紐を結びつけた。


「さあ、女神様がお待ちですよ」


 ユアナが、マーブル主神の背中に手を回した。


『・・へ?』


 きょとんと眼を見開いたマーブル主神を、シュンとユアナが優しく前へ押し出した。


『ななっ・・ちょ、ちょとーーー・・』


 マーブル主神がよろめいて空間の裂け目に顔から突っ込んだ。


 ぎりぎりで踏み留まって、上半身だけが浸かったような状態になった。


 瞬間、空間の裂け目から、真っ白な細い腕が突き出してマーブル主神の背を抱きしめると、有無を言わさぬ剛力で向こう側へと引きずり込んだ。


「金剛力!」


 シュンは、肉体を強化するなり、渾身の力で紐を引いた。



 メリ・・メリ・・



 踏みしめた足下で床が嫌な音をさせている。


 奥へ奥へ、強烈な引き込みに襲われながら、シュンは全身の筋骨を軋ませつつ耐えた。


 とてつもない重量感だった。


 だが、拮抗した引っ張り合いに耐えながら、じわじわと、こちらへ引き戻しつつある。用意した紐は、十分な強度を発揮してくれていた。


「手伝うか?」


 オグノーズホーンが訊いてきた。


「いえ、それより、別の何かが付いているようです。主神様をお願いします」


め・・虚空で何か拾いおったか?」


「抜き上げます」


 シュンは、強引に紐を手繰った。


 闇色の裂け目に、紐が結ばれた胴衣の背中が見え、すぐに、マーブル主神の全身がこちら側に引き出された。

 続いて、その身体に両腕を回してしがみついている輪廻の女神が姿を現した。マーブル主神も、輪廻の女神も意識を失っているようだ。


「ぬうっ・・」


 オグノーズホーンが前に出た。


 マーブル主神に抱きついている輪廻の女神の腰から下が、タコの触腕のようなものに変じていた。女神自身は意識を失っているが、黒々とした触腕が勝手に動いて、マーブル主神に巻き付こうとしている。


「眼を覚まさんか!」


 オグノーズホーンが霊気を宿した拳を女神の頭部めがけて叩き込む。

 しかし、寸前ではしり伸びた触腕が間に入って防いだ。

 触腕はオグノーズホーンの一撃で千切れ飛んだが、すぐに再生をして生え伸びている。


 見る間に、黒い触腕の先が硬化して尖り、オグノーズホーンめがけて突き出された。


 なんなく弾いたオグノーズホーンだったが、わずかに眉をしかめて自分の手を見る。皮膚に、黒い痣のような痕が生じていた。


「・・凶神」


 低く呟いたオグノーズホーンめがけ、黒い触腕が次々に伸びて襲いかかる。わずかに腰を落とし、オグノーズホーンが両腕で完璧に弾き返し、逆に踏み込んで拳を叩き込む。

 しかし、別の黒い触腕が生えて防ぎ止めた。


「ふん・・」


 オグノーズホーンが笑みを浮かべた。同時に、ねじくれた白木の杖が出現し、オグノーズホーンが真っ白な導師服姿に変じていた。

 魔術師オグノーズホーンが、本気で戦いを始めようとしている。


 このままでは、戦いに巻き込まれるマーブル主神が危うい。


 シュンは"アンナの短刀"と騎士楯を手に、両者の間へ飛び込み、襲い来る黒い触腕を防ぎ止めた。


「ユアナ!」


「はい!」


 シュンの指示で、ユアナが抱えていた魔導装置を作動させる。



『闇ちゃん、大好きだよ!』



『闇ちゃん、愛してる!』



『闇ちゃん、戻って来て!』



『愛してるよ、おまえ・・』



 マーブル主神の声が大音量で響き渡った。



 ・・ビクンッ!



 その効果は劇的だった。


 輪廻の女神の身が跳ねるように動き、うごめいていた触腕が黒々とした霧のようになって散っていった。代わりに真っ白な形良い脚が現れる。


『・・あら?』


 輪廻の女神が、ぼんやりとした視線を周囲へ向けた。その眼が大きく見開かれた。


『えっ! 主神様っ!』


 輪廻の女神の細腕に抱き潰され、マーブル主神が眼を白くしたまま、ぐったりと動かなくなっていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る