第122話 パニック!


『え・・と、シュンさん?』


 ユアナの声が"護耳の神珠"から聞こえた時、シュンは日課にしている修練をしていたところだった。手にしているのはアンナの短刀、そしてテンタクル・ウィップである。


 ムジェリがユアナに教えたように、シュンは水霊を操って自分自身を動かしている。ただ、すでにその必要が無いくらいに、身体は自由に動かせる状態になっていた。全快とはいかないまでも、感覚的には6割程度まで戻っている。今は、また変調をきたした時のために水霊を操る訓練をしているところだ。


 どこか不安そうなユアナの声に、シュンは眼で追えないほどの速度で宙をはしらせていたテンタクル・ウィップを止めた。身体の表面にまとわり付かせていた水霊を元の珠へと戻す。


「どうした?」


 ユアナに何か起きているなら、のんびりと訓練をしているような場合では無い。


『あの・・今、大丈夫?』


 おずおずとした不安そうな声音だった。


「問題ないぞ? どうした?」


『えっと、さっきは急に出掛けたりして御免なさい。ちょっとミリアムの所とか、ムーちゃ・・商工ギルドのムジェリに会って来たの・・それで、ムジェリから品物を預かったんだけど、今から持って行って良い?』


「分かった。居間に行く」


『ううん、シュンさんの部屋に行く。今、商工ギルドで荷物を預かったから10分後くらい』


「分かった」


 シュンは短刀を鞘に納め、自分の身体を見回した。水霊を感じるために下着一枚で延々と身体を動かしていたが、わずかに汗が浮いたくらいだった。過度な疲労感は無い。


「ここで待っていろ」


 シュンは水霊の珠を机に置いて"文明の恵み"を出した。修練の区切りで風呂に入るつもりだったから丁度良い。

 手早く衣服を脱ぎ、水魔法で身体を浄化して総ひのきの湯船に浸かると、シュンはしみじみとした溜め息をつきながら身体の節々を伸ばした。


 体の方は、もう復調している。アンナの短刀はもちろん、VSS、テンタクル・ウィップ、"魔神殺しの呪薔薇テロスローサ"も問題なく使えた。


(さすがに、アルマドラ・ナイトは、もう少しかかるか)


 アルマドラ・ナイト単体を使役するのは良いが、甲胄として纏って動くのは、まだ少し危険だろう。


(さて・・)


 水を操って身体を乾かし、衣服を身に纏ってから、シュンは飲料の自動販売機の前に立った。


 各種牛乳からヨーグルトといった乳酸飲料、炭酸飲料に、スポーツドリンク、最近になってエナジードリンクという物が購入できるようになった。


(今日は、透明な方かな)


 炭酸水を選んで購入すると、テラスに出て湖畔を眺められる椅子に腰を下ろす。

 湖畔からの風で涼みながら、脳裏に思い浮かぶのは黒鱗の龍人との戦いだ。悔しいが、明らかにシュンの技量不足だった。きっちりと"魔神殺しの呪薔薇テロスローサ"で斬っていればたおせた相手だと思う。


(今回のイベントは、ユアとユナに負担をかけただけで、得た物はほとんど無かったな)


 金色甲胄の魔神、そして黒鱗の龍人・・連戦をしておきながら、得られた拾得物は、魔神の右腕一本だけだ。魂石は神様が回収したような事を言っていたから、いわゆるドロップ品は無かったことになる。


 そう言えば、エスクードに帰還して以降、神様からなんの沙汰さたもない。少なくとも、イベントとしての報酬は与えられると思うのだが、どうなっているのだろう?


(色々と忙しいのかもしれないな)


 シュンは、立ち上がって大きく伸びをすると、いつもの騎士服姿になった。迷宮に入ったばかりの頃に買った服だ。戦闘時にはネームドの戦闘服だが、普段着には騎士服を着ることが多い。


(うん・・これなら、黒い奴ともう一戦やれる)


 シュンは拳を握ったり開いたりしながら、"文明の恵み"から出た。


 すぐに、水霊の珠が浮かび上がって手元へ寄って来る。


「カーミュ、エスクードに異変は?」


 魔神のイベントがあって以来、可能な範囲で、カーミュに予兆を検知するよう頼んでいた。


 呼ばれて、白翼の美少年が姿を現した。


『大丈夫なのです。異常なしです』


「そうか。まあ、何度も魔神に侵入されるようでは困るが・・」


『あの神様は色々サボってるです。きっとまた魔神に入り込まれるです』


「・・まあ、忙しいのだろう。それより、この珠だが、そろそろ自我が定まってきたか?」


 シュンは手に抱えた水霊の珠を持ち上げて見せた。


『まだなのです。でも、もうご主人を認識しているです』


 カーミュが水霊を覗き込みながら言った。カーミュが言うには、水霊の珠は、まだ幼生体でこれから主人であるシュンの環境に合わせた変容を遂げていくそうだ。

 一般に、召喚されて使役される精霊の類は、精霊女王によって名付けが終わった成体ばかりで、自然界に現れる時の姿形が定まっているが、幼生体の間は今シュンの手元にあるような"珠"状で、どんな属性の精霊でも色くらいしか差違が無いらしい。


 なお、この水霊の珠は、シュンの霊気というものを食べているそうだ。

 カーミュの説明によれば、ほとんどの生き物は魔力とは別に霊力というものを持っていて、精霊に好かれやすい者は総じて霊気の質が良く、量が多いのだという。


「今の使い方で良いのか?」


 水霊糸の他、物を掘削したりする治具ジグ代わりに使役しているのだが・・。


『水霊が楽しんでいるから良いのです』


「そうか・・なら」


 しばらくは同じような使役の仕方を続けようと言いかけて、シュンは口をつぐんだ。

 部屋の扉が叩かれたようだった。


「シュンさん?」


 扉の向こうでユアナの声がする。

 扉を開けると、大きな箱を抱えたユアナが立っていた。顔が隠れそうなくらい大きな箱だった。


「また、ずいぶんと大きな容れ物だな」


 箱を受け取って運び入れながらシュンはユアナの顔を見て足を止めた。目元が少し腫れているようだ。


「・・何かあったのか?」


「え? ううん、ちょっと泣いちゃったけど、もう平気です」


 ユアナが眩しそうに視線を伏せる。


「しかし・・」


 事情をただそうとするシュンを強引に前へ向かせて、ユアナが両手でぐいぐい押して部屋に入った。


「ムジェリが教えてくれたから・・それに、本当にシュンさん大丈夫そうだもの。もう良いの」


「ん? 俺か?」


 シュンは驚きで目を見張った。自分の体調のことを心配して泣いてくれたらしい。


「シュンさんの病気はラグカル病というんだって。体が変調しているけど、もうすぐ治るって・・ムジェリが教えてくれたの。それでちょっと泣いちゃっただけ」


「それは・・悪かったな。自分自身では大丈夫だと確信していたんだが、うまく伝えられなかった」


「もう良いです。みんな大丈夫だって言ってくれてたのに、私達が不安がってただけだもの」


 ユアナが軽く唇を尖らせて勢いよく寝台に腰を下ろした。机上の水霊の珠がふわふわと漂ってユアナの前に来る。


 その様子を見て、白翼の美少年が微笑した。


『ユアナは霊気がとても綺麗なのです』


「そうなのか?」


 シュンはユアナを見た。


「カーミュちゃん、なにか言いました?」


 ユアナがいてくる。カーミュの声は聞こえないが、自分についての話題だと感じたのだろう。


「お前達の霊気はとても綺麗らしい。だから、水霊が近寄ってくるそうだ」


「私達の・・霊気って何です?」


 ユアナが小さく首を傾げた。


「魔力とは別の何からしい」


 シュンは苦笑した。シュン自身、よく分かっていないのだから。

 机の上に箱を置いて中身を確かめてから、シュンはユアナを振り返った。


「声が届く範囲は?」


「500メートルみたい」


「・・たいしたものだな」


 シュンは感心した。"護耳の神珠"の代わりになるような魔導具は造れないかとムジェリに相談してから、まだわずかな日数しか経っていない。


「礼を言って来ないといけないな」


 シュンはちらと扉を見た。今から行けば、商工ムジェリには会えそうだが・・。


「御礼はしました。またの時で大丈夫」


「ん?」


 見ると、ユアナが水霊の珠を膝に抱えて撫でるように手を動かしている。


「なにかムジェリが喜ぶような物を持っていたのか?」


 たずねたシュンの顔を、ユアナがちらっと見て口元をほころばせた。


「チョコレート」


「まさか・・あんな甘い物を!?」


 シュンは愕然と眼を見開き絶句した。


「もう大喜び」


 勝ち誇った顔でユアナが笑みを浮かべる。シュンとしては、どうにも信じがたい話だ。


「そんなことが・・」


「うふふ・・シュンさんでも驚くのね」


「・・それはそうだ。まさか、ムジェリがチョコレートを? よくあげる気になったな?」


 ムジェリがチョコレートを喜んだという話にも驚かされたが、まさかユアナが自分からチョコレートを差し出すとは・・。ユアとユナのチョコレートに対する執着はとても凄いのだ。魔導具の御礼にしては度がすぎる。


「だって、すごく嬉しかったもの。シュンさんの病気は大丈夫だって・・ムジェリは嘘を言わないんだって言ってくれて。それで嬉しくて泣いちゃった」


 ユアナが照れくさそうに笑った。


「俺の・・そうか」


 シュンは少しユアナを見つめてから頭を下げた。


「ありがとう」


「いいよ、そんなの・・私達が心配しすぎただけだもん。勝手に心配しちゃってただけ」


 ユアナが少し顔を赤くして膝上の水霊珠へ視線を逸らす。


「・・俺はどうも気が利かない。もっと正確な状態を説明しておくべきだった」


「もう大丈夫だから・・」


「すまなかった」


 シュンは寝台へ腰を下ろすと右腕を伸ばしてユアナの肩を抱いた。いきなりの事に、思わず身を硬くしたユアナがそっとかたわらのシュンを見る。


「・・シュンさん?」


び・・では無いな。今、こうしたいと思った」


 シュンはユアナを間近に見ながら言った。


「あ、あの・・」


 顔を真っ赤に染め上げたユアナを見つめたまま、シュンは訊ねた。


「嫌だったか?」


「・・ううん、ちょっと、びっくりしちゃっただけ」


 首筋まで赤くしてうつむきながらユアナが消え入るような小声で呟いた。

 その様子を見て、シュンはわずかに目元に笑みを浮かべた。


「女の側から求婚されるくらいの男になってみろと、アンナが・・育ての親がよく言っていたが、まさか本当になるとは思わなかった」


「・・はい?」


 いきなりの言葉に、ユアナが訳が分からずに、きょとんと眼を見開いた。


 シュンの笑みが口元にも及ぶ。


「こちらの慣習を知らないからだとは思うが、まあ、ここは俺に都合良く解釈させて貰おう」


「え・・と? シュンさん?」


「返事が遅れたが、俺はお前達からの婚約の申し入れを正式に受けることにする」


 シュンはユアナの顔を見ながら言った。

 途端、ユアナが顔から首元まで真っ赤にしたまま挙動不審になる。しかし、跳び上がろうにも、シュンに肩を掴まれていて身動きが取れない。


「なにが・・なんです!? 何がどうなったら、そういう話です? 婚約って・・あの婚約?」


「お前達が婚約を申し込み、俺は受けることに決めた。そういう事だ」


 シュンは澄ました顔で言った。


「あの・・まったく何のことか分からないんです。私達、何かしちゃいました?」


「今さら取り消すことはできないぞ?」


「・・シュンさん?」


 赤い顔のままユアナがシュンの真意を探るように見つめる。


「まあ、意地の悪いことは、ここまでにしておこう」


 シュンはユアナの肩から手を放した。


「シュンさん?」


「頼まれた品だ」


 シュンは、2つの小箱を取り出してユアナに手渡した。以前に、双子の見分けがつくようにするため、シュンは手作りの装身具を贈ることを約束していた。その時、ユアとユナから製作を依頼された品が小箱の中に入っていた。

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