第88話 ユアナ、無双!
「で・・これか」
シュンは苦笑を漏らした。
ぶっ飛ばすだの、張りとばすだの息巻いておいて、いざ外出となったら、双子が姿を消していた。
「だって、面倒じゃないですか」
シュンの隣で、ユアナが口を尖らせた。
「それにしても・・」
シュンはユアナが着ている衣装に眼をやった。どうやら、
「化けたでしょ?」
ユアナがくすくすと機嫌良さげに笑いながら、頭の後ろで束ねた長い黒髪を振って見せる。
「・・まあな」
シュンもつられて笑った。
今日のユアナは、目尻の縁に紅を引き、唇に紅を淡くさしていて、いつもより大人びた雰囲気だった。よく見れば面影はあるのだが、今のユアナを見て双子だと気が付く人間はいないだろう。
「シュンさん、あそこで休憩しません?」
ユアナが眼を向けた先に、軒先に
「もう疲れたのか?」
まだ商工ギルドを出てから10分しか経っていないが・・。
「ミリアムに教えてもらった店なんです。とてもお茶が美味しいって」
「ふうん・・」
シュンは、店の入口脇に置かれた黒板へ眼を向けた。そこに、チョークで三角錐の形状をしたケーキらしき絵がある。
ケーキの絵を見ただけで、口中に強烈な甘味が蘇ってシュンの顔が曇った。
「そんな小さなことを気にしちゃダメです。あんなものは飾りですよ」
ユアナが目尻を下げながらシュンの手を引いて店へと連れて行った。外のテーブルかと思ったら、扉を開けて中へと入る。
「あ、来たね」
店の奥から手を振ったのは、"ガジェット・マイスター"のケイナとミリアムだった。いつの間に連絡を取り合ったのか、ここで落ち合う段取りになっていたらしい。
「ご機嫌よう、皆さん」
ユアナがにこやかに挨拶をして、並んでいる椅子をちらと見る。その視線をシュンに向けた。
「なんだ?」
何やら含みのある視線である。
「やってもらいたいランキングの第9位が、ここにありますよぉ?」
「・・なにが?」
「ほら、あれです」
ユアナが椅子へ眼をやる。
「椅子?」
きょとんとして訳が解らずに困っているシュンを見かねて、ケイナが助け船を出した。
「シュンさん、椅子を引いてユアナさんを座らせてあげて」
「椅子を・・ああ」
どこかの店で、店員がやっていたような・・。
「重たい椅子なので動かせないんです」
ユアナが澄ました顔で言う。ユアもユナも、巨岩でキャッチボールができるほどの腕力だというのに、何を言うのか。文句を言ってやろうかと思ったが・・ケイナ、ミリアム、ユアナの3人に期待の眼差しで見つめられ、シュンは小さく息をついた。
「・・どうぞ」
「あら、ありがとうございます」
シュンが引いた椅子前にユアナが立つ。いつぞやの店員がやっていたように、椅子を少し押し戻しながらユアナを座らせる。
「ニホンの地方限定ランキング、第9位を無事に完了しました」
ユアナが満足げに微笑んでみせる。
「今のが?」
「今のが、です」
「不思議な国なんだな」
「不思議な国なんです」
ユアナが笑う。ケイナとミリアムも苦笑気味に笑っていた。
「ご注文は
身綺麗に整えた少年が注文を取りに近付いて来た。
「ラージャ茶を2つお願い。少し冷まして持って来て」
ユアナが注文を入れつつ、ちらと店の戸口を振り返った。形の良い眉がほんの微かに
店の中に、武装した異邦人の集団が入って来た。その中にダイ達の姿もある。始まりの村で見かけた顔がいくつか混じっているようだった。
「結構、生き残ったな」
シュンはテーブルに視線を戻しながら呟いた。
「知り合い?」
ミリアムが
「ユアとユナの同級生らしい」
「ふうん? じゃ、みんなニホン人なのね」
ケイナがお茶を手に頷いた。
その時、店員が注文したラージャ茶を運んできた。なんとなく静かになったテーブルに、茶器の触れあう音だけが静かに鳴る。
「ダイは、リーダーじゃないみたい」
不意に、ユアナが言った。
「そうか?」
「ホームに来たのって、パシリだったのね」
「ぱしり?」
「使いっ走りです。ネームドに知り合いが居るとか言ってしまって、パーティかレギオンのリーダーから命令されてホームに来たんだと思います」
ユアナの表情が硬い。ダイの様子が気に入らないらしい。
「死なない努力をしてきた結果だろう」
シュンはユアナが差し出したお茶に口をつけた。
果物のような香りが広がり、やや甘酸っぱい味が後からくる。
「・・美味い」
シュンの素直な呟きを聴いて、ユアナが切れの長い双眸を和ませた。
「良かった。このお茶、ケイナとミリアムのお勧めなんですよ」
「そうか。何かの果物のような・・」
シュンが言いかけた時、
「おい・・シュン、なんだろ?」
ダイという少年が声を掛けて近付いて来た。
(間が悪い奴)
テーブルに居る女性陣が露骨に眉をしかめていた。
シュンは赤いお茶の揺れるカップを卓上へ置いて、半身に椅子をずらして振り返った。
「・・ダイだったな?」
「お、おお・・そうだ、ダイだ。やっぱりシュンか。そうか・・やっぱり、お前だったんだな」
高ぶる感情を抑えきれない様子で、大柄な少年がシュンの肩へ手を置く。
『
(いや、問題無い)
内心で苦笑しつつ、シュンはゆっくりと席を立った。
他の少年達がテーブルを囲むように近付いて来ていた。中の1人が余裕のある笑みを浮かべて、ダイの肩を抱くようにして正面に立つ。ダイよりも背丈があり筋骨が逞しい大柄な少年で、見るからに粗暴そうな顔付きだった。
「そいつが"ネームド"か? なんだ、知り合いだってのは嘘じゃねぇんだな」
「連れに手を出したら狩る。覚えておいて欲しい」
シュンは居並ぶ少年達を見回して、淡々とした声音で宣言した。
あまりに唐突な、いきなり喧嘩腰の宣言だった。
何かを言いかけた少年が口を
「ずいぶんと強気じゃねぇか。稼ぎまくってる薬剤師様は違うねぇ」
「決闘がやりたいなら受けよう」
「ふん・・やっとエスクードに来たような奴が、俺等とやるってか?」
「お前達全員を俺1人で相手する。場所は21階の砂漠、今からやろう」
シュンはテキパキと決闘の提案をした。決闘をやるなら、ルインダルを滅ぼした砂漠でやろうと決めていたのだ。
「お、おい・・シュン」
黙っていたダイが焦りを浮かべて取りなそうとしてくる。だが、リーダーらしい少年が乱暴にダイを押しのけた。
「受けたぜ! まあ、安心しろよ。てめぇは半殺しで生かしておいてやる。貴重な薬売りを殺しちゃぁ、他の連中から恨まれるからなぁ?」
「行こう」
シュンは顎先で店の出口を示した。
「けっ! 俺は、アレク。パーティ"ロンギヌス"のリーダーで、レベルは67だ」
「"ネームド"のシュン。レベルは23」
シュンは衣服を戦闘服に換装した。
「23だぁ? 表示はエラーじゃ無いってのか・・ふざけんな! そんなカスが、この俺と・・"ロンギヌス"のアレクとやろうってのかっ!」
「レベルなんて見せかけですよ。アレクちゃんは分かってないですねぇ~」
ユアナがくすくすと失笑を漏らす。お茶を邪魔されたからだろう、かなり挑発的な笑い方だった。
「・・なんだと? このっ・・!?」
アレクが怒りに眼を
危うく眼球にティースプーンが触れる寸前で、アレクという少年が上半身を仰け反らせて踏み留まっている。
いつ立ち上がり、いつ向き直っていたのか・・。
取り囲む少年達の誰の目にも、ユアナの動きは見えていなかった。
(・・外したな)
シュンは胸内で苦笑した。
ユアナはスプーンを当てる気で突き出して、目測を誤ったのだ。避けられたのでは無く、届かなかったのだった。
「あら、よくできました。レベル67のお子様でも、このくらいは避けられるのね?」
ユアナが切れの長い双眸に怒気を宿らせて薄っすらと笑う。怒りの何割かは、スプーンを当て損なった照れ隠しである。
シュンは、溜め息をつきつつ、手を伸ばしてユアナの腕を下ろさせた。まったく、この双子はシュンより血の気が多い。
「このまま街中でやるのか?」
シュンは気勢を
「・・いや、外でやる」
アレクという少年が感情を押し殺すように宣言した。
腰に手を当てて微笑を浮かべているユアナの美貌から、細面のシュンの顔へ・・黙り込んだ少年達の視線がゆっくりと動く。
「"ロンギヌス"の最期になるわね。せっかく、ここまで生き残って来たのに哀れだわ。さようなら」
ユアナが笑顔でひらひらと手を振って席に戻った。
また激昂して声を荒げるかと思っていたが、誰1人として大きな声を上げる者はいなかった。
それどころか・・。
「・・決闘は止める。敗北を認める」
いきなり、アレクという少年が言った。その場に居合わせた少年達がぎょっと眼を見開いてリーダーを見た。どの顔にも激しい動揺がある。
「どうした?」
シュンも驚いていた。このアレクという少年は、その辺によく居る自尊心が強くて暴力に自信がある手合いだ。言葉のやり取りをしても時間が無駄になるばかり。そう思ったから、望み通りに暴力での決着を提案したのだが・・。
「お前、シュン・・だったか? そこの女より強いのか?」
「そうだな」
「馬鹿なの? 私なんかが何百人集まったって、うちの人には敵わないわよ?」
ユアナがお茶のカップを片手に振り返る。
「うちの・・か。とんでもねぇ夫婦だな」
アレクという少年が乱暴に髪を
「負けだ。俺なんかじゃ、どうしようもねぇ。勝てると思う奴はやってくれや。"ロンギヌス"は、この件から下りるぜ」
「お、おいっ、それはねぇだろ!」
声を荒げたのは、端の方に立っていた
「ガセで
吐き捨てたアレクが、シュンへ向き直った。
「迷惑かけた。騒がせてすまなかったな」
「・・もう良いのか?」
シュンはアレクという少年の眼を見た。
「ああ、俺は頭が悪ぃからよ。つまんねぇ噂に乗せられちまった・・そちらの、奥さんも悪かったな。何かあったら力になるぜ・・つっても、あんた達に助けが要るとは思えねぇがな」
アレクが笑う。大変な誤解をしているようだが、とにかく
「その謝罪、受け入れましょう。ですが、無礼を許すのは今日だけですよ?」
ユアナが澄ました顔に微笑を浮かべたまま、お茶の入ったカップをわずかに傾けて見せる。
「ありがてぇ。まったく、つまんねぇ死に方するところだったぜ」
アレクがユアナに向かって小さく頭を下げた。
「うちの人、怒らせたら本当に危ないから・・お気を付けなさい」
「おうよ!」
「シュンさん、これで良かったかしら?」
ユアナが艶然と微笑んで見せる。
「良いも悪いも・・話がついたのなら、それで良い」
シュンはやれやれと内心で溜め息をつきつつ、テーブルに戻った。
「"ネームド"のシュン・・こんな騒動をやっちまった後だが、リーダー同士で登録をしてくれねぇか?」
「・・良いぞ」
苦笑しつつ、シュンは"ロンギヌス"のアレクからの申請を受け入れた。"ガジェット・マイスター"のケイナに続いて、2人目になるリーダー間の登録だった。
「本当に・・レベル23なんだな」
アレクが自分の左手甲を見ながら言った。
「ひたすら練度をあげていたら、ほとんど経験値が入らなくなった」
シュンは苦笑混じりに言いつつラージャ茶を口に含んだ。
「もう55階の階層主は仕留めたのか?」
「斃した」
「なら、次の関所は75階まで存在しねぇ。いつか、上層攻略に誘ったら参加して貰えるかい?」
「行く時は連絡してくれ」
「ありがてぇ・・同時に複数箇所を攻略しねぇと駄目な階層があるんだ。その内の一箇所を受け持ってくれるパーティなりレギオンなりが欲しかった」
アレクが喜色を浮かべて言うと、シュンの肩を軽く叩いて店から出て行った。遅れて他の少年達が追いかけて行く。
「すまん・・ま、またな」
小声で声をかけて、ダイが逃げるように出て行った。
「私達、ほぼ背景だったわね」
ケイナとミリアムが顔を見合わせて苦笑を浮かべる。
「"ロンギヌス"の狂竜を相手に・・度胸あるわ」
「ふっ・・もうね。人間さんがどんなに凄んでも怖くないのよ」
ユアナが店の扉へ眼をやりながら小さく息をついた。
「カラテマンが残念な感じだったわ」
「ダイか。"ロンギヌス"のアレクには頭が上がらない様子だったな」
「もうちょっと頑張る奴だったんだけどな」
「これからだろう。ここまで生き延びて来ただけでも大変だったと思うぞ」
シュンは少年達の様子を想い出しながらラージャ茶を飲んだ。この騒動を仕組んだのは、ヨーギムという人間で、"ロンギヌス"のアレクは乗せられただけ・・という言い方をしていた。あの感じからして嘘では無さそうだが、ここへ押しかけた理由を聴きそびれてしまった。
(ヨーギムという奴は、また何か絡んで来そうだ。決闘について規則を調べておいた方が良いな)
シュンが頭の整理をしていると、
「ケーキを頼みましょう! むしゃくしゃしたら甘い物よ!」
ユアナが不吉なことを言い始めた。
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