恋愛小説なんて何が面白いんだ

木下美月

恋愛小説なんて何が面白いんだ

 

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 窓側の一番後ろの席を立ち上がり、友人の席――廊下側一番後ろの席に向かう。俺が行かないと、あいつの方からこっちに来てしまうからな。


「よー、エイ、おつかれー」


 俺、英太えいたをエイと呼ぶのは、友人の浩太こうただ。


「おつかれさん」


 俺は言いながらコウタの前の席に座り、壁を背もたれにして窓の方を向いた。この席の主も友人の元へと立ち去っている。


「なんだよー、俺に用があるわけじゃないのかよー。いつもの事だけどさー」


 コウタは言いながら机に突っ伏した。俺は答えるでもなく、窓の方を向いていた。


「しっかしさー、エイ。お前の好みとだいぶ違うだろあの子。なんで休憩時間のたびに……ってか、お前席となりなんだから、動かなけりゃいーじゃん」


「いやだってさ、隣の席でマジマジと見てたらバレるし、不審だろ。それと少し声がでかい」


 教室は各々の話し声で賑わっているし、俺らの近くで聞き耳立てている奴など居ないから別にいいが。


「悪い悪い。でもエイって人付き合いは良いのに、意外と奥手だよな。話した事無いクラスメイトって、あの本を読んでる彼女だけだろ?」


 コウタの言う通りだった。


 俺たちは現在高校一年生。コウタとは中学からの仲だが、周りのほとんどは知らない他人だ。しかし夏が過ぎて衣替えの季節になろうとしている今の時期には、クラス中のほとんどの人間と打ち解けていた。

 そんな中でも唯一話しかけることができないのが彼女、一佳いちかだった。


 彼女は休み時間の度に読書をしていた。友人がいないわけではない。クラスメイトと笑い合ってる所も、体育の時間にチームメイトと熱くなっているのも見たことがある。ただ、読書が好きなのだろう。

 そんな彼女に何故話しかけられないのか。そんなの思春期の恋する男子なら誰でもわかるだろう。言わずもがな。


 しかし俺のこの感情が恋なのか、実は定かではないのだ。ただ彼女が気になる。あのブックカバーの中に何が書かれているのか。彼女はどんな言葉に惹かれているのか。どんな物語を好むのか。今も明るさを含んだ表情で捲るそのページに、何が書いてあるのか気になってしょうがない。

 しかしその全ての疑問が解決することはない。たった少し、話しかける勇気があれば別なのだが……。


「エイー。またボーッとしちゃって。授業始まるよー」


 どうやらこの席の主が戻ってきたようだ。


「あ、悪い悪い。じゃーまた放課後なコウタ」


 今は五限目と六限目の間の休憩。あと一時間頑張れば放課。明日は土曜日、休みだ。

 俺は席を立つと、窓側の自分の席に戻る。勿論イチカを視線に入れながら後ろをゆっくり歩いて、だ。


 さて、こんな変態的な行動をしていたバチが当たったのだろうか。俺は偶然にも、イチカが閉じようとした本のタイトルが読めてしまった。

『初恋』

 イチカに興味を持ち過ぎて、読書にハマっている俺。そんな俺が唯一読まないジャンル。書店で目立った所に置いてあるのをよく見たが、絶対に手に取らなかったし、イチカもこのジャンル読まないだろうな、と思っていたんだ。だから、言い訳になってしまうが、本当に驚いたんだ。


「……恋愛小説なんて何が面白いんだ?」


 イチカの真後ろで、本を閉じたタイミングで呟いてしまった。つまり、イチカに聞こえなかった筈も無くて。


「――っ!」


 彼女の鋭い視線に大きなショックを受けた俺は、情けなく硬直してしまう。嫌われただろうか。

 言い訳をする間もなく、タイミングの悪いチャイムが鳴り、六限目が始まった。




 ―――――




 心ここに在らずで終えた六限目。直ぐに担任が戻って来てホームルームだ。担任の連絡を聞き流しながら帰り支度をする。


「起立!礼!」


 日直の号令は、魂の抜けた学生の身体すら動かす。


「さよーならー」


 高校生特有の、揃わない元気ないやる気ない挨拶を終えて、習慣を覚えこんだ身体が、帰宅部の心が、俺の身体を動かす。リュックを手に持とうとする。だが、所詮魂の抜け殻はうまく動けず、中身を床に散らかしてしまった。


「あーあ」


 ぼやきながら片付けようと屈む。


「へー、エイタくんも読書好きなんじゃん」


 果たして、その声に顔を上げると、イチカが俺が落とした本を拾い上げていた。


「うぇ?あ、うん」


 我ながら間抜けな声を発してしまった。俺が落としたのは、最近ハマっている『赤山太郎』の小説。持ち運びやすい文庫本はいつもリュックに入っている。古いものだが、彼の創り出す世界観や、言葉のマジックに虜にされる者は少なくない。俺もその一人、ということだ。


「ねえ、読書好きならこれも読んでみてよ」


 荷物を片付けて立ち上がった俺に、イチカは一冊の本を差し出してくる。それは先程イチカが読んでいた『初恋』ではなかった。


「純愛……?これも恋愛小説?っていうかさっきは悪かったよ、批判したつもりじゃなかったんだ」


「うん、わかってるよ。疑問形だったもんね。だからさ、何が面白いのか、読んでみてよ。あ、あと赤山太郎の小説借りてもいい?エイタくんの好みの小説って面白そうだし」


 ああ、人生はなんと素晴らしいのか。さっきまでの絶望は幸福に生まれ変わった。


「もちろんいいよ。じゃあ、俺も休みの間に読ませてもらうよ」


 俺はそう言って借りた小説をヒラヒラ振って、教室を出た。手を振るのは流石に馴れ馴れしいかな、と思ったからね。

 はあ、緊張した。


 因みに、コウタには置いていかれ、独りで下校した。




 ―――――




「おはよ、エイタくん帰宅部だよね?放課後時間ある?」


 月曜日の朝。世間ではブルーマンデーなんて言われているが、俺にとっては待ち遠しかった。


「ああ、空いてるよ」


「じゃあ帰り駅前のカフェ行こうよ。そこで本返すね。すっごく面白かったの」


 きっと今の俺を見ている第三者が居たら、「お前から誘えよ」なんて言われてしまうだろう。だが仕方ない。俺は奥手なのだ。何より結果オーライ。だがまさか誘われるとは思わなかった。


 朝のホームルームが終わればいつも通り、俺はコウタの元へ向かった。イチカも珍しく友達と話している。


「なあなあなあコウタコウタコウタ」


「うわっ!気持ち悪いよエイ。機嫌がいいのはわかってるよ朝見てたからね。いったい何を話してたのさー」


 コウタの問いに答えようとして、しかし俺は黙り込んだ。


「え、えええ?教えてくれないのかよー」


 そうではない。二人でカフェに行くことを想像して、気付いてしまったのだ。

 ゆっくりお茶をしながら話せるほどの、感想を考えていなかったことに。




 ―――――




「あ、エイタくん、私日直だから先行って待っててね!」


「わかった」と言って俺は一人教室を出た。結局、一日中考えても何を話せばいいか、思いつきもしなかった。


 心配そうにこちらを見るコウタに手を振って、俺はとうとうカフェに来た。



「はあ」


 明るいカフェの隅の席。机の上に『純愛』と書かれた本を出して、ホットコーヒー片手に思考に耽る。


 いったい何を話せばいいんだ?必要なことはこの本に書いていなかった。ただキュンキュンしてドキドキしてもどかしくさせて、少し切なくさせてからハッピーにさせる。そんな本だった。なにが純愛なんだ。俺が描く純愛って言うのは――


「おまたせ、エイタくん」


 思考の海から引き上げてくれたのは、意外にも早かったイチカだった。


「ぁ、ああ。うん」


 本当に俺はどうしようもなく気が利かないな。そんな事を考えながら、向かいに座る彼女を眺めていた。


 ――キレイだな。


 イチカはクラスの中で、どこのグループにも属さない。除け者にされているわけではなく、誰とでも仲良くできるのだ。しかしそれは深い仲ではなく、周りから尊敬されるような……。


「どうかしたの?」


「うぇ?あ、いや、なんでもないよ!」


 すぐに意識を飛ばす癖は直さなくてはいけないな。

 クスクスと笑うイチカに、俺は小説の感想を聞いた。


「うん、心に迫る物語だったよね。事件の結末も、主人公の変化も、気になりすぎて時間を忘れて読んじゃったよ。エイタくんはそれ、どうだった」


 彼女は言いながら机の上の本を指して、感想を求めた。


「悪いけど……やっぱり俺には何が面白いのかわからないな。心理描写は凄く面白く書かれてるけど、なんか……ね」


 今気付いたがイチカの魅力は、何でも知っていそうな大人っぽさかもしれない。

 そんな彼女が、俺が言ったことに「予想外だわ」とでも言うように、珍しく口をポカンと開けている。


 ――当然だよな。


 せっかく貸した本の感想が、よくわからない、だなんてふざけている。イチカは相当気分を害したかもしれない。それでも適当な言葉を並べるよりも、正直に伝える方がマシかな、と思った次第である。


 イチカから視線を外すと、ふと店員のお姉さんと目が合った。反射的に微笑むと、相手は顔を赤らめて会釈を返してくれた。

 そうか、きっと女性と男性では価値観が違うのだろう。何気無い事で胸をときめかせる女性が読むから恋愛小説は面白いのかもしれない。それなら男の俺が読んでもわからなくて当然だ。この件はこれで終わりだな――


「ねえ、じゃあエイタくんの思う純愛とか恋愛ってどんなもの?」


 と思ったが、イチカの中では終わっていなかった様だ。興味津々といった風なイチカを見てると和むが、どこで彼女のスイッチが入ったのだろうか。


「ええー、そうだな……。これは俺の理想の話だけどな……」


 つい最近コウタにドン引きされた俺の理想の恋愛を話すのは気がひけるが、イチカの目を見たら話さない他に選択肢はない。何より、俺が話した後には彼女の話を聞きたいんだ。


「俗に言うメンヘラってわかるか?俺は奴らの恋愛こそ美しいと思うんだ」


 カップに口をつけ、一息置いてから再び話し始める。勿論イチカは驚きで硬直している。嫌悪を向けられなかったのは幸いだ。


「いや、確かに奴らの恋愛は依存とも言える異常性の高いものだが、奴らは懸けているんだよ。自分の存在を」


 イチカは少し身を乗り出して俺の話を聞いてくれている。


「相手の様子が少し違えば何があったのか心配する。相手に好意を向けられれば多量の幸福感に浸かる。相手が浮気すれば殺したいほど憎む。相手に嫌われれば自らを殺そうとする」


 つまりだ。


「奴らは常に全力なんだよ」


 イチカは再び目を見開いた。


「逆に言えばな、このご時世、薄っぺらい恋愛ばかりなんだよ。そいつらは何も懸けたりしていないから薄っぺらいんだ。恋人はアクセサリー?自分の価値を示すためにいるだと?寂しさを埋めるだけの存在?舐め腐ってやがる!」


 隅の席にしてよかった。少し声を荒げてしまった。


「こんな薄い恋愛が多いからこそ俺は、多少異常でも、メンヘラの恋愛に魅力を感じるんだ」


 しかし恋愛経験の無い俺は何を語っているのだろう。それも魅力的な女性に対して。

 イチカは俺の話を聞き終えると、一口コーヒーを飲んでから言った。



「エイタくん、狂ってるね!」



 俺は危うくコーヒーを鼻から吹き出すところだった。


「ゴホッゴホッ、まあ、そう言われると思っ……」

「でもね、エイタくんの話すごく面白かった。この恋愛小説よりもね」


 俺の言葉にかぶせて、イチカはとんでもないことを言った。


「あ、あのね、実は私もあまり恋愛小説得意じゃなくて……。でも周りの人に勧められてさ、だけど価値観が合わないのかなあ?面白いと感じられなくて……そもそも私自身恋愛なんてした事ないからかな」


 驚きと同時に納得した。イチカに恋愛小説は似合わないと思っていたが、人に勧められたものだったようだ。


「でもそれなのにエイタくんの語る恋愛は凄くしっくりきたよ。まあ、極端な例だったけどね」


 クスクスと笑うイチカに、一つ気になった事を聞いてみた。


「それで、君は周りの人と同じ価値観でありたいの?」


「んー、どっちの方がいいと思う?」


「今のままがいいよ。その方が……魅力的だと思う」


 冗談を言える雰囲気ではなかったため、躊躇いながらも本音で話した。

 対してイチカは、とてもとても綺麗に笑って、


「ありがとう」


 そう言った。




 ―――――




 夕陽が照らす二人で歩く帰り道。


「でも結局、恋愛ってなんだろうね」


 二冊の本、『初恋』と『純愛』を右手に持ってイチカは呟いた。彼女はまだ勉強中ということか。

 ここで「俺が教えてやるよ」なんて言えたら格好良いが、未だに彼女を名前で呼ぶことも叶っていない俺には土台無理な話で。

 そもそも俺にも教える知識などない。それなら。


「またこうして二人で話そうよ。いつか見つけるために」


 イチカは「よろしくね」と笑った。



 俺がイチカにとって面白く無くなった時、二人の関係は消滅するのだろうか。

 しかしそれは不安ではなく、只の疑問だ。


 いつまでも、イチカにとって珍しい価値観でいてやろうじゃないか。


 どんなに俺の話が変わってると思われても。

 どんなに俺の思考が狂ってると言われても。


 イチカと一緒にいるために俺は変わり続けようと思う。


 恋とも、愛とも言えないこの感情は、恋愛小説に綴れば駄作に仕上がるだろう。



 それでもいつか、彼女に向けた手紙に綴りたい。


 それは傑作のラブレターになる事間違いないだろう。

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