第409話 訳あり弟子の帰還
びぇぇっと幼児もかくやとばかりに大泣きしたその人は、すっかり腰が抜けたようで立とうとしても立てないようなありさまだった。
見かねたフェーリクスさんが担ぎ上げて客室に備えているソファーへと座らせて。
フェーリクスさんが背中を擦って落ち着かせているのを、こちらは黙ってみているくらいしか出来ない。
怪我人の男の子に関してはロッテンマイヤーさん達が服を着替えさせてくれていて、そっちを手伝おうとしたら断られてしまった。
現状やることがない訳だけど、しばらくじっと様子を見ていると、しゃくりあげるようにして泣いていた女の子が静かになる。
彼女の背中を擦っていたフェーリクスさんが、静かに立ち上がった。背中を擦られていた彼女は、眠ってしまったようでソファーに身を横たえている。
「吾輩の魔術がまだ効くか……」
「?」
呟きに潜んだ苦みに気付いてフェーリクスさんに視線で問えば、丁度男の子の方も手当が終わったらしく、ロッテンマイヤーさん達が道具を片付けていた。
エリーゼを様子見に残すという。
すると紡くんとレグルスくんが「はい!」と小さく、でもはっきりと手を上げた。
「すみれこさんにしらせてくるね」
「よんできます!」
ふすふすと胸をはる二人にフェーリクスさんを見やると、彼は「お願いできるかね?」と静かに答える。
大根先生が董子さんを呼んで良いって言うなら、良いんだろう。
そう判断して頷くと、奏くんがレグルスくんと紡くんに続いて部屋を出た。
私達も書斎へ。
廊下を歩いている時、皇子殿下方もラシードさんも随分と神妙な顔をしていた。
で、彼女の事なんだけど。
「彼女は識(しき)といって、私の……いや、今は末の弟子はつむ君だから後から数えて二番目の弟子になるんだがね。ちょっと事情があって色々世界を飛び回っていてな」
「はあ、色々ですか……」
「正確に言えば、斜塔にいると神輿に担ぎ出されかねないというか」
微妙な言い方に少し首を捻る。
殿下方やラシードさんも同じく首を捻っているのをみて、フェーリクスさんが溜息を吐いた。
「どこから話したものか……」
重苦しく低い声にはやはり苦みがある。
静かにフェーリクスさんが言うには、象牙の斜塔にはその始祖が持ち込んだ生ける武器というものがあったそうな。
その武器は神話の時代に作られたそうで、神代の魔術やら叡智が秘められているとか。
ただ生きているだけに持ち主を選び、己の気に入らない者が触れれば狂死に追い込むというので、斜塔の始祖がそこに封印した代物なのだ。
その武器の存在は象牙の斜塔にいる人間には口伝で伝わっていたんだけど、ある日象牙の斜塔の掌握を目論んだ一人の魔術師が、その武器の封印を解いたらしい。
封印を解いた魔術師は、余程武器に認められる自信があったようだけど、結果は無残に狂死。
武器は封印を解いた魔術師だけでなく、その場にいた人間全てを発狂させようと内に秘められた魔力を暴走させたという。
しかし。
「偶々そこに新たに弟子にとった識を連れて、旅先から戻ったのだ。そうしたらその暴走した魔力全てを識が受け止めてしまってな。結果、識がその生ける武器に寄生されてしまったのだよ。しかも口伝では一つであったが、武器は二つあってね。口伝によれば、武器を受け継いだものこそが始祖の認めた賢者という事になっているのだが……」
「……その事を認めない人や、逆に利用しようとする人がいるから、おいそれとフェーリクスさんの傍にいられない、と?」
「吾輩は気にせんが、周りの圧が強すぎて耐えられんそうだ。手紙のやり取りはあっても、吾輩にすら居場所を教えんのだよ。あの子の事は産まれた時からしっているが、人に迷惑をかけるのを極端に嫌う子でなぁ」
自分が傍にいれば、嫌でもフェーリクスさんや他のお弟子さんに迷惑が掛かる。そう思えばやっぱり彼女は斜塔を出ていくしかなかったんだろうな。
識さんは今年十六歳で、武器を受け継いで丸二年ほどになるらしい。その間色々と放浪して、半年前からドラゴニュートの集落に居を構えたとか。
今回助け出した男の子はその間に仲良くなった子で、彼のご両親のお葬式はその男の子と識さんの二人でだしたと、フェーリクスさんは聞いているそうだ。
だけど、ちょっと疑問。
彼女、そんな武器持ってたっけ?
首を捻っていると、シオン殿下が「そんなの持ってた?」と口に出した。
「その武器は使用しない時は識の体内に収められているのだよ。常時出していると魔力を吸われて、識に負担がかかるのでな」
「大変そうですね」
「ああ。武器と識の心臓とは魔力の鎖で繋がれていてな。識が武器を取り出す一瞬だけ、不可視の鎖が実体を見せるのだ。忌々しい。あの鎖さえ切ってしまえれば、識を解放してやれるものを!」
ぐっとフェーリクスさんが拳を握る。その表情は怒りに震えていて、普段大根先生と呼ばれてニコニコしている人とは思えないほどだ。
因みに識さんはフェーリクスさんの同僚だった魔術師のお孫さんだそうで、その関係で生まれた時から知っている子なんだって。
残念ながら識さんのご両親には魔術的な才能は一切なくて、だけどフェーリクスさんとは家族ぐるみの付き合い。識さんに魔術の才能があることに気付いたフェーリクスさんが、何くれとなく世話して魔術も教えて、漸く識さんが十二の時に弟子入りをご両親が許したのだ。
そこから約二年一緒に旅して、識さんの研究テーマが決まったから一旦斜塔に帰ろう。そういう事で斜塔に戻った途端にそんな事になってしまったのだ。
表向き識さんは象牙の斜塔を出奔した形にはなっているけれど、一か月に二回くらいはフェーリクスさんと手紙のやり取りはしている。でもその気配を掴んで連れ戻そうとする度に、するりと逃げられてしまうとか。
今回も彼女の仲良くなったドラゴニュートの少年が怪我や何かをしていなければ、頼って来なかったかもしれない。
フェーリクスさんはそう言って大きく息を吐いて、肩を落とした。
呼び出してもその時に現れないお弟子さんって、彼女の事も入ってたんだろうな。
思いのほか深刻な話に、殿下方もラシードさんも私も固まる。
人身売買とか、その上ドラゴニュートの少年の傷はあれ、虐待っていっていいものだろう。
一般に奴隷という身分のものは、借財やらなにやらの返済のために、自身の意思で自分を売るもの、或いは犯罪を犯したからそうなった者が殆どだ。
しかし極まれに、騙されたり攫われたりで売られてしまってそうなった人もいる。歌劇団の前身であるラ・ピュセルの子たちがそうだった。
統理殿下とシオン殿下が顔を見合わせる。
「話には聞いていたが……」
「実際にそういう被害者を見ることになるとは思わなかったよ」
「俺達もまだ学びが足りないな」
二人の目には怒りがあった。けれど理性的な光もあるから、きっとこの経験を糧にして良い方向に進む術を探してくれるだろう。
一方でラシードさんはきゅっと唇を噛み締めていた。
「同じ人間っていうか、切れば赤い血がでるような存在じゃないか! それを……!」
「そうですね、許せない」
けど、それよりも先にドラゴニュートの少年のケアが先だ。
怪我の具合をまた後で確認しておかないと。
そう言えば、ラシードさんが「そうだな!」と、書斎の扉を開けて出ていく。
ロッテンマイヤーさんに確認しに行くんだろう。
それと交代に董子さんを伴ったレグルスくんと奏くん・紡くんが戻って来た。
「識ちんが来たってマジですか!?」
「ああ。今は寝てるがね」
「良かったー! 心配してたんですよ、あの子甘えん坊の寂しがりだったから」
董子さんはほっとしたように苦笑いを浮かべた。
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